k-47 皇紀二六〇四年(昭和十九年)十二月十二日
東京空襲から、本田は忙しかった。
軍から工場の分散命令が下ったからだ。
大型の建物はピンポイントで爆撃される。
現に十一月二十四日、中島飛行機武蔵製作所が上空一万一千メートルから正確に狙われた。
本田だけではない。川上源一も同様に、工場の分散のために動き回っていた。
二人がいなくなってから、作業場はがらんとしていた。
モレとモルフェだけが、変わらずそこに停まっていた。
*
そんな本田に、カッパとラーナと菊が疎開する旨を伝えに来た。
「私もラーナも菊の実家へ行くよ。モレとモルフェはオジサンが預かっててね。いつか必ず取りに戻るから」
本田が少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「そうだな。それが良い。ただし、青森も函館が近いから気をつけろよ。なるべく青森港から離れるんだぞ」
「はい! それは大丈夫です。うちの実家には函館から疎開してる知り合いがいます! なので、函館が戦地になることは随分前から知ってましたから」
「よし! それなら安心だ! いつ旅立つのか決めたのかい?」
「すいません。まだ切符を買ってなくて……でも、年末までには帰ります!」
「そうか。なるべく早く帰った方が良いぞ。あと、カッパ、ラーナ、モレとモルフェは俺が責任持って預かる。心配すんな! ちょうど、今、軍から工場の分散を頼まれちまってな。浜松近郊の小屋なんかに作業場を移してんだよ。モレもモルフェも田舎の蔵に入れておいてやるからよ!」
本田が三人の乙女を優しく見つめて微笑んだ。
カッパはその笑顔を見て、なんとなく胸が痛くなった。
(いつか必ず取りに戻る。本当に戻れる日は来るのかな)
言葉にはしなかった。
*
荷造りはすぐに済んだ。
カッパとラーナはバイクに積んでいた荷物しかないので、大した量ではなかった。
二人は菊の女子寮に手伝いに行った。
荷造りがほとんど終わった頃、菊が珍しく遠慮がちに言ってきた。
「カッパ、ラーナ、闇市に連れてってくれないかな? 青森に帰る前にお土産を買って帰りたいんだ」
「お土産? 八丁味噌とか?」
「食べ物じゃないの……石鹸か生地がいいな」
「それなら、闇市で簡単に手に入るよね! 行こう! 行こう!」
三人でモレとモルフェに乗って浜松市内の闇市へ向かった。
「あれ? 今日は全然お店が出てないね」
菊が物色しながら首を傾げた。
「うん、お店が全然開いてない……どうしたんだろ?」
「きっと最近ずっと計画停電だったからお店屋さんも仕入れとかできてないんだよ」
カッパがドヤ顔で言った。
「それならさぁ、笠寺観音の参道の闇市に行こうよ! あそこの闇市は凄かったよね!」
「うん! 凄かった! 砂糖もちゃんと売ってたし!」
「でも、遠過ぎない? また笠寺観音で泊まるの?」
カッパとラーナがとびきりの笑顔になった。
「「うん! 最後の夜のスナフキン!」」
「私、ラーナと菊と最後の夜はもう一度だけスナフキンテントで夜更かししたい!」
「私も最後の夜は三人でスナフキンに泊まりたい!」
「そうだね! 最後の夜くらいは、また笠寺観音で泊まりたいね!」
三人は本田の工場に戻り、スナフキンテントを持ち出した。
*
笠寺へ向かう東海道は、拍子抜けするほどスムーズだった。
憲兵が少なかった。
いつもなら口うるさく行き先を確認してくる憲兵が、今日はどこにも見当たらなかった。
止められる人間がいないので、三台は普段よりも速く進んだ。
(なんか今日は走りやすいね)
カッパは単純にそう思っていた。
夕暮れ前に笠寺観音に到着した。
参道の闇市は、全て店仕舞いしていた。
「あ〜あ、もう全部店仕舞いしちゃってる〜」
菊がモレのリアキャリアから降りてがっかりした。
「仕方ないよ。もう日が暮れちゃったからね。明日の朝には買えるんだし、今夜は楽しもうよ!」
前回と同じようにお坊さんに断って、境内にスナフキンテントを設営した。
笠寺観音の山門が、夜の闇の中に変わらず立っていた。
三人は川の字に寝転んだ。
*
帆布の天井を見上げながら、たわいもない話をした。
「もう、青森は雪積もってるかな?」
「うん、街は真っ白だと思うよ」
「うわぁ! 楽しみ! 私、雪を見たことないんだよ〜」
「私も〜。名古屋は滅多に雪が降らないもんね〜。降ったとしても積もらないんだよ〜」
「菊はかまくら作ったことある?」
「あるよ」
「雪だるまも?」
「あるよ」
三人が笑った。
笑い声が帆布の中に溶けて、境内の夜に消えていった。
しばらくして、三人はそのままスヤスヤと眠り始めた。
*
笠寺観音の山門は、その夜も静かに立っていた。
境内には、三角テントの中で眠る乙女が三人。
街から憲兵が消えた日に、三人は無警戒に笠寺まで来てしまった。
止めてくれる人が誰もいなかった。
三人はそのことに気づかなかった。
浜松のラジオは今日も日本優勢を流していた。
街は静かだった。
あまりにも、静かだった。
嵐の前には必ずこういう静けさがある。
でも、それを知っているのは大人たちだけだった。
スナフキンテントの中で、三人の乙女は遠い雪国の夢を見ていた。
笠寺観音だけが、黙って三人を見守っていた。




