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k-46 日本優勢?

 久保富夫が訪れた翌朝。


 昨日の緊迫した様子を完全に否定するように、浜松の街はいつもの日常だった。


 本田の工場でも、女工たちが朗らかに働いていた。


 カッパもラーナも菊も、いつものように工場で働き、いつものように勤務を終えた。


「菊ちゃん、オジサンからいっぱいワッシャーを貰ったから、色を塗るのを手伝ってよ」


「こんなワッシャーをどうするの?」


 ラーナがワッシャーを両目に当ててお茶目に笑った。


「ヒミツ! 完成してからのお楽しみだよ!」


 三人で六十四枚のワッシャーの片側に、錆止めの赤いペンキを丁寧に塗っていった。


 塗装が終わると、カッパが木の板に八マス×八マスのマス目を描いた。


「これは何? 将棋?」


「「オセロ!」」


 カッパとラーナがまず手本として対決を始めた。


「菊ちゃん、見ててよ。こうして挟んだらひっくり返せるんだよ」


 銀と赤のワッシャーが、交互にひっくり返っていった。


「これ単純だけど面白いね! 私にも出来るかな?」


 カッパとの勝負に勝ったラーナがドヤ顔で菊を正面に座らせた。


「さあ、菊! かかってきたまえ!」


   *


 三人がオセロで盛り上がっていると、空襲警報が鳴り響いた。


「また避難訓練だ! どうする? 行く?」


「え〜、今日だけでもう四回目だよ? もういいんじゃない?」


「そうだよね〜。今日はもういいんじゃない?」


「うん。この前、笠寺まで行った時も陸雄が避難訓練は気にするなって言ってたもんね」


「そうそう! 気にしない! 気にしない!」


 三人の乙女は夕方までオセロを楽しんだ。


 工場を出る頃、避難訓練を終えて家に帰る人々とすれ違った。


「なんか真面目に避難してるのはお年寄りだけだね」


「うん、若い人は誰も避難してないね」


「うん。今日は憲兵も凄く少ないから、街の人もサボり気味なんだね」


 浜松の街から、日頃は口うるさい憲兵の姿が消えていた。


 そして、ラジオから報道が流れてきた。


「昨日、敵機B-29約百機、関東地方に来襲せり。我が陸海軍航空部隊はこれを迎撃し、敵機二十数機を撃墜、その他に甚大なる損害を与えたり。我が方の損害、軽微なり」


 カッパとラーナと菊は、昨日の大人たちの緊迫感は取り越し苦労だったのだと信じ込んだ。


「この時代のラジオの喋り方ってカッパのブログに似てるよね。アハハ!」


「そうかな? 私のブログってそんなに硬い文章なの? 私としてはナチュラルに書いてるつもりなのに……」


「ラーナ、ブログって何?」


「日記のことだよ! 未来では自分の日記を世界中に公開できるの!」


「は? なんで公開するの? 日記なんて人に見せちゃダメよ!」


 カッパが少しだけ恥ずかしそうに答えた。


「実は私にはほんの少し前まで友達がいなくて、旅のこととかモレの事とか話す相手がいなかったんだよ。そんな私に店のご主人がブログを書けば?って勧めてくれたんだ。だから早く元の世界に帰って、ここでの体験もブログに書きたいよ……」


「私のことも書くの?」


「もちろん! 菊ちゃんの事ばっかり書くよ!」


「なんか恥ずかしいよ。実名で書かないでね!」


「じゃあ、なんて書こうか? 菊だから……そうだなぁ〜。リスン!」


「リスン? 何それ?」


「聞くは英語でリスンって言うの!」


「へぇ〜、そうなんだ。でも、リスンだと少しだけ困るかも……」


「なんで?」


「私の古い友達がリリンって女の子なんだ。名前が似てるよね? リリンとリスン。ね?似てるよね?」


「そうかな〜? それなら春菊の春!」


「それも、困るかなぁ〜。私のおばあちゃんの古い友達がハルイって言うんだよ」


「菊ちゃんは名前被り名人かよ!」


 三人の乙女は爆笑しながら家路についた。


 こんな穏やかな日々が続いていた。

 だから、三人は完全に油断していた。


 実は、気づかないうちに本田も源一も工場からいなくなっていた。

 二人はモレとモルフェの研究どころではなくなっていた。

 終戦後のことを見据えて、それぞれに動き始めていたのだ。


 三人の乙女は、そのことに全く気づいていなかった。


   *


 ある日の計画停電の日。


 今日も工場は休みだった。


 カッパはモレのリアキャリアに座布団を縛り付けて、菊を後ろに乗せた。

 モルフェと二台で、浜松市内を走り出した。


「菊ちゃん! おしり痛くない?」


「うん! 座布団があるから全然痛くない!」


 二台の原付が浜松陸軍飛行学校の近くを走ると、新兵たちの行軍訓練が見えてきた。


 原付を止めて、三人で行進を見物した。


 隊列はピシッと綺麗に整列していて、兵士たちが元気よく歩兵の本領を歌いながら行進していた。


 大好きな曲だったので、カッパもラーナもウキウキしながら見物していた。


 でも、行進する新兵たちの顔は晴れやかではなかった。

 何か、重いものを抱えているような表情だった。


 三人は、そんな些細な違いに気づかなかった。


「歩兵の本領は水兵さんは歌えないのかな?」


「しばし守れや海の人って歌詞もあるから歌っても良いんじゃないかな?」


「そうだよね。輸送船に乗って何処かに旅立つ歌だもんね。水兵さんも歌っても良いんだよね?」


 菊が首を傾げながら尋ねた。


「じゃあ空の人の歌は?」


「それは、デンジャーゾーン一択!」


 菊は首を傾げたが、カッパだけはそれに強く同意した。


   *


 そこへ、聞き慣れた重低音の排気音が近づいてきた。


「おい! お前ら! あまりウロウロと出歩くな! 特に名古屋なんて行くなよ!」


「あ! 陸王だ! 陸雄も忙しそうだね」


「菊、お前、近いうちに青森へ帰れ! 今のうちに横内に疎開しろ!」


「え? 嫌だよ〜。せっかく浜松まで来たのに……」


「とにかく帰れってば! アヤメ婆さんの家に帰れよ。頼むから横内に帰ってくれ」


「菊が嫌がってるでしょ? 菊は浜松が好きなんだよ」


 ラーナが口を挟んだ。


「それはわかってる。でも、本当に横内に帰ってくれよ。俺は通信兵だから本当の事を知ってるつもりだ! そんな俺の言うことを信じてくれよ」


 陸雄の顔には、いつもの威勢がなかった。


 真剣な眼差しだった。


 カッパはその目を見て、何かを察した。


「菊ちゃん、陸雄の言うことを聞いた方が良いかも……。未来では戦争の切り札は情報なんだよ。火力じゃなくて情報なんだよ。つまり、通信兵の言うことに間違いは無いと思う」


 菊はショックを受けた顔をした。


 浜松に来たのは、陸雄について来たからだった。

 その陸雄に帰れと言われたら、帰る理由を探すより、残る理由を探す方が難しかった。


 でも、陸雄の真剣な顔を見ていると、信じてみても良いのかもと思えてきた。


「わかったよ。考えてみるよ」


 そんな菊に、ラーナがドヤ顔で言った。


「菊! いいこと考えたよ! 私も青森まで着いてくよ! カッパ! ね? 三人で青森に行こうよ! それなら、良いでしょ? 菊!」


「さすが! ラーナ! うん! 私らも菊と一緒に青森まで行くよ!」


 陸雄がようやく笑顔になった。


「それなら、早いうちが良いぞ? 年末は汽車の切符も買えなくなるからな」


「うん、わかったよ。なるべく早めに青森へ帰るよ」


「陸雄は帰らないの?」


 陸雄が満面の笑みで答えた。


「馬鹿野郎! 俺がアメリカをバゴーンとやっつけるって言ってるだろ? 陸軍一速いんだぜ? 俺がバゴーンとやるまでは帰れない! それに俺は陸菌の伝承者だからな! 陸菌に敗北は無いぜ!」


 そう言って陸王を走らせて立ち去っていった。


 三人の乙女は陸雄のバゴーンを聞いて、思わず笑ってしまった。


 でも、笑いながら、カッパは少しだけ気になっていた。


(陸雄は笑顔だった。でも、さっきの目は笑ってなかった)


 浜松の街は相変わらず平和な日常のままだった。

 ラジオは今日も日本優勢を流し続けていた。


 でも、一人の少年兵だけは、その報道の裏側を知っていた。


 冬の冷たい風が、浜松の街を吹き抜けていった。



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