k-42 アハロに行こう!
ゼリー缶を軍へ降ろすようになってから、本田は作業場にドラム缶を運び込んできた。
「嬢ちゃん、これを見てくれ!」
本田がドラム缶をボンボンと叩きながら自慢げに語った。
「プルプル缶のお陰で軍に貸しを作れた。このドラム缶には戦闘機用の上質なガソリンが入ってる。これで嬢ちゃんたちも好きなだけ単車を乗れるぞ! 良かったな!」
「「戦闘機用?」」
「あぁ! そうだ! 嬢ちゃんたちの単車はデリケート過ぎてな。この時代のガソリンでは上手く燃焼できねぇんだよ。だから、今後はこの戦闘機用の上質なガソリンしか入れるなよ!」
「でも、私たちの単車じゃ公道を走れないよ? 免許も未来の免許だし」
本田がニヤリと笑って、二人に二枚のプレートと書類を手渡した。
大きめの鉄製のプレートには、一枚には「陸軍一〇〇号」、もう一枚には「陸軍一〇一号」と刻まれていた。
書類には「特殊任務従事者証明書」と書かれていた。
「何これ?」
「それがあれば公道を走ってもいいぜ! ナンバープレートは自分たちで付けられるか?」
「「はい!」」
二人はニヤニヤしながら元々付いていたナンバープレートを外した。
カッパはリアボックスへ丁寧にしまい込み、ラーナはメットインへとナンバープレートをしまい込んだ。
そして、陸軍用の大きなプレートを取り付けた。
「よし! その辺でも走って来い! 単車は毎日走らせないとすぐに腐るからな!」
「「行こう!(モレ!)(モルフェ!)」」
一九四四年の浜松の街を、二台が走り出した。
*
浜名湖を目指して走っていると、前方に陸王の重低音が見えた。
「陸雄だよ! 追いかけよう!」
「待てー! 陸雄ー!」
陸王はかっ飛ばしていて、モレもモルフェも差が縮まらなかった。
一九四四年には信号が滅多になく、陸王の後ろをひたすら追いかけることになった。
しばらくして、陸雄が浜名湖の弁天鉄橋の警備詰所の前で止まって中へ入った。
数分後に出てきたところで、カッパとラーナが声をかけた。
「陸雄! 速いよ〜! 全然追いつけなかったよ〜」
「なんだお前らか! 公道乗れるようになったんだな。そんな小さな車体で本当に走れるんだな」
「でも、私たちの単車は六十キロしか出ないから、陸王には追いつけなかったよ〜。カッパのモレなんてめっちゃ速いのにモレでも追いつけなかったよ〜」
「当たり前だろ? 陸王に勝てる単車なんてこの世にないからな! とにかく、無理して俺に着いてくるなよ! お前らはお前らのペースで走れ」
「陸王ってハーレーのパクリなの?」
陸雄の眉がピクリと動いた。
「ハーレー? そんな単車はこの世に無い! 陸王が全ての単車の祖だ! 俺は陸王精神の伝承者としてメリケンのハーレーなんてものをバゴーンと叩き潰す使命を帯びているんだ! それに俺は陸王以外の単車に乗ると死ぬ病気に犯されている! 俺には陸王が全てだ!」
カッパが笑い出した。
「陸雄は鈴菌さんみたい! 陸雄は陸菌だね!」
「陸菌か……それは褒め言葉として受け止めよう!」
「そんな所も鈴菌さんみたい! アハハ! 鈴菌さんもSUZUKIの単車以外に乗ると死ぬんだってさ!」
「中々、面白い奴だな。一度会ってみたいもんだ! とにかく、俺はすぐに基地に戻らなくちゃならない! 先に帰るぞ! じゃあな!」
陸雄が陸王であっという間に去っていった。
「通信兵って楽しそうだね」
「うん! 私も兵隊になれたら通信兵をやりたい!」
*
公道を走れるようになってから数日が経過した頃、工場の地区が計画停電となった。
工場は全面休みとなり、カッパとラーナと菊が作業場でモレとモルフェを洗車していた。
「二人ともそんなに単車を磨いて楽しいの?」
「うん! 単車を磨いてるだけで凄く楽しい!」
「単車は少し走っただけですぐに汚くなるんだよ〜」
そこへ、作業場に陸王の重低音が響いた。
「陸雄だ!」
陸王から陸雄が降りてきた。
「カッパ、お前は笠寺から来たんだよな? 俺は今から笠寺基地にまで走るんだが、一緒に来てみるか? 本当にお前らが未来から来てるなら、今の笠寺を見たら、未来に帰るための手がかりがあるんじゃないのか?」
「笠寺……。うん! 行きたい! ラーナ、アハロに行こうよ!」
「うん! アハロ見てみたい!」
「菊ちゃんも行こう! 陸雄の側車に乗れるよね?」
こうして、四人は浜松から笠寺へ向けて走り出した。
本田と源一が工場の入り口で見送った。
「笠寺で何か見つかると良いな」
「はい! 行ってきます!」
*
弁天鉄橋を渡る時、陸軍プレートを見た憲兵が敬礼した。
冬の浜名湖の青さと、鉄橋を渡る蒸気機関車の黒煙が混ざり合っていた。
潮見坂の砂利の急坂では、滑りかけるモレを陸雄が陸王のサイドカー側でガードしながら登った。
「カッパ、スロットル戻すな!」
「わかった!」
豊橋の昼休憩では、持参したミカンプルプルと代用食のパンを食べた。
周囲の子供たちが、モレとモルフェを遠巻きに見つめていた。
岡崎の矢作橋を渡ると、空襲警報のサイレンが遠くで鳴った。
全員が一瞬固まった。
「ビックリした〜。今のサイレンは何?」
「避難訓練だ! 気にするな! 行くぞ!」
知立を抜ける頃には夕暮れになっていた。
陸雄が陸王のライトに遮光布を被せた。
「モレにもライト隠さなきゃダメなの?」
「うん。夜間はライト厳禁だ」
カッパとラーナが紙とテープでライトを覆った。
「これでいい?」
「完璧だ! さあ、暗くなる前に行こう!」
*
午後五時半。
笠寺に着いた。
辺りはすっかり暗くなっていた。
カッパとラーナは、そこに広がる光景を見て、しばらく言葉が出なかった。
アハロがあるはずの広大な敷地は、高い鉄条網と板塀で完全に遮断されていた。
明かりはほとんどなく、銃を持った兵士が金網の前に立っていた。
金属を削る凄まじい騒音と、重油の焦げた匂いが漂っていた。
「……嘘でしょ。アハロがない……。私のバイト先も、駐輪場も、全部軍の基地になってる……。あそこ、金網だよ。銃を持った人が立ってるよ!」
「……怖い。あんなに賑やかだったのに、今は殺気立ってて……近づくことすらできない。私たち、本当に『異物』なんだね」
カッパはゆっくりとモレを走らせながら、笠寺の街を見渡した。
いつもタピオカを飲んでいた場所には土嚢が積んであった。
至る所に高射砲があった。
「……ねぇラーナ。いつもの笠寺は、まだこの世界には一滴も存在してないんだ」
「……帰りたい。アハロの明るい光の中に帰りたいよ、カッパ……。ここ、冷たいよ。みんな目が吊り上がってて、誰も笑ってないよ」
陸雄と菊は、二人の後ろで黙って見ていた。
二人が何を思っているのかは、全ては理解できなかった。
でも、何か大切なものを探して、見つからなかった顔をしているのは、わかった。
*
重いハンドルを切って、数分。
二人の前に、見覚えのある形が現れた。
「……あ! あそこ! 笠寺観音の山門だ……! 変わってない……あの古くさい門、そのままじゃん!」
ラーナがヘルメットを脱いで、涙を拭いた。
「……本当だ。よかった……。お寺だけは、私たちの味方だ。……あそこだけ、令和と繋がってるみたい」
二人はバイクを止めた。
笠寺観音の山門は、二〇二六年と全く同じシルエットで、暗闇の中に悠然と立っていた。
巨大な山門の柱に、カッパが手を触れた。
「……おかえり、私たち。……ううん、ただいま。……ここが、私たちの知ってる唯一の『笠寺』だね」
山門の向こうの本堂は、静かに夜の中に溶けていた。
軍需工場の騒音も、高射砲の威圧感も、ここには届かなかった。
笠寺観音だけが、変わらずそこにいた。
カッパとラーナは、しばらくそのまま、山門の前に立っていた。
陸雄と菊が少し離れた場所で、二人を黙って見守っていた。
モレのエンジンが冷えていくにつれて、かすかなカチカチという音が、夜の笠寺に静かに響いていた。




