k-41 ミカンプルプルと魔法の箱
ミカン畑の収穫は佳境を迎えていた。
「ラーナ、今日もいっぱいミカンが余ったね。今日も菊ちゃんに持ってく?」
「毎日持ってくのも迷惑かな?」
「たまにはミカンでゼリーでも作ろうか? 毎日ミカンだと飽きちゃったよね?」
「ゼリー作れるの?」
「うん。寒天さえあれば作れるよ? 花さんがネーブルオレンジのゼリーを作る時に教えてもらったもん」
二人は早速、街の乾物屋で寒天を買ってきた。
本田家の台所でミカンゼリーを作り始めると、さちが興味津々に二人の手元を眺めていた。
「あとは冷やすだけなんだけど、冷蔵庫がないから井戸水で冷やそうか!」
「うん! 井戸水なら冷たいもんね!」
二人は井戸でゼリーの入った湯のみを冷やした。
やがて、見事にミカンゼリーが完成した。
「「美味しい!」」
「なんなの?これ……凄く美味しいし不思議な食感!」さちもゼリーを気に入ったようで2人にゼリーについて問いかける。
「えっとね。ゼリーはメリケンの言葉だから、う〜ん……なんて訳せば良いんだろ……」
「プルプルでいいんじゃない? ミカンプルプル!」
「ミカンプルプル?」
「そう! ミカンプルプル! 奥さん! これ工場の菊にも持っていってもいい? オジサンにも持ってくよ!」
*
二人は工場へ向かい、本田と源一にミカンプルプルを手渡した。
「毎日、ミカンだけじゃ飽きるかと思って味変してみたよ」
「これはミカンなのかい?」
「そうだよ。カッパと作ったの。ミカンプルプル!」
「「美味い!」」
二人が喜んで食べているのを見て、カッパとラーナも嬉しくなった。
勤務時間が終わると、ラーナが菊を作業場まで連れてきて、菊にもミカンプルプルを食べさせた。
「美味しい! なにこれ!」
「「ミカンプルプル!」」
「これならいくらでも食べられるよ! 本当にみずみずしくてミカンをそのまま食べるより美味しくなってるね!」
「だよね。これなら傷モノとか関係ないから無駄にならないよね!」
それを聞いていた源一が感心したように頷いた。
「これは傷モノで作ったのかい?」
「そうだよ。果汁を絞って寒天で固めただけだよ」
「なるほど。それなら少々傷んでも関係ないのか……。これって商売になりませんかね? 本田さん!」
「そうだなぁ。元は傷モノの元値タダのミカンだしなぁ〜」
「未来ではこれを真空パックにして常温でもずっと腐らないんだよ」
「なんだって? 真空パックだと? プルプルをか?」
「ウイダーinゼリーなんて入れ物もふにゃふにゃだよ」
本田が少し考えてから、白紙の紙に色々と書き始めた。
「えっと……原価が十として工場を五人体制にして人件費が百五十としたら……」
「これ使えば?」
カッパが本田に手渡したのは、DAISOのソーラー計算機だった。
計算機を受け取った本田が、固まった。
そのまま動かなくなった。
カッパとラーナと菊が笑い出した。
「本田さん! どうしたんですか!?」
「これは……もうモレとかモルフェなんてどうでも良くなるぜ? コイツはたまげた! 嬢ちゃん! このソロバンを俺に売ってくれ! いくらだ?」
「それDAISOのやつだから百円だよ?」
「百円だと!? いや、百円でも安い! 買った!」
「本田さん! それはいったい何なんですか! 僕にも見せてくださいよ!」
本田がニヤニヤしながら源一に計算機の説明を始めた。
「源一、よく聞け。これはただのソロバンじゃねぇ。『思考のショートカット機』だ。いいか、お前がさっきまで紙に書いていた原価計算、俺が今この板きれでやってみせるぞ」
本田が「パーセント」や「ルート」、「メモリー」のボタンに指をかけた。
「まず、人件費百五十に工場の諸経費を上乗せする。普通なら百五十に〇・二をかけて、それをまた百五十に足すだろ? だがこいつは違う。百五十、プラス、二十、パーセントと叩くだけで、答えの百八十がポンと出る。……わかるか? 計算の『手順』そのものが消えやがったんだ!」
源一が目を丸くした。
カッパとラーナも「えっ、そんな使い方あったの?」と顔を見合わせた。
「さらにこれを見ろ。エンジニアなら涙を流して喜ぶボタンだ。……この√ってやつを押しやがるとな、瞬時に平方根を出しやがる。ピストンの表面積から排気量を割り出す時、俺たちが対数表をめくって何分もかけていた計算が、指一本、コンマ一秒だじゃ!」
本田の目がギラついていた。
「そして極めつけは、このM+だ。計算結果をこの薄っぺらな板の中に『記憶』させておきやがる。ミカンの仕入れ値、砂糖の代価、瓶の輸送費……バラバラに計算した数字を、最後にMRで呼び出して合算する。紙も鉛筆も、そして『忘れる』という人間の弱点すら必要ねぇんだよ!」
本田が窓から差し込む夕日に計算機をかざした。
「源一、一番たまげたのはここだ。電池も、ゼンマイも、コンセントもねぇ。この黒い窓が『お天道様の光』を直接、数字の力に変えてやがる。停電で工場が真っ暗になっても、蝋燭一本あればこいつは働き続けるんだぞ! 燃料のいらねぇ、究極のエンジンがここにあるじゃねぇか!」
「それ、ダイソーで百円だよ?」
本田がガシガシと頭をかきむしった。
「百円だと!? バカ野郎、こいつは陸軍の予算を全部突っ込んでもお釣りがくる『魔法の箱』だ! 嬢ちゃん、これがあれば、ミカンプルプルの量産計画なんて、寝ながらでも完璧に弾き出せる!」
計算機の仕組みを理解した源一も、本田に詰め寄った。
「本田さん! それはダメだ! カッパちゃん! 僕は百五十円出すよ! これを僕に売ってくれ!」
「それなら俺は二百円出す!」
ラーナがリュックサックから、もう一台のDAISOのソーラー計算機を取り出して源一に手渡した。
「そんなことで喧嘩しちゃダメ! これあげるから!」
源一も計算機を受け取って、同じように固まった。
なぜ大人たちがここまで計算機に夢中になるのかが全く理解できないカッパとラーナと菊は、ポチポチとボタンを押し続ける大人二人を見て笑い続けた。
*
それから数日後。
本田と源一がミカンプルプルの缶詰の試作品を完成させて、三人の乙女を作業場に呼んだ。
「あ! 出来たんだ!」
「どうだ? これなら常温保存でもしばらく持つぞ?」
ラーナが缶詰を持ち上げて、色んな角度から眺めた。
「この缶詰はパカッと開けられないんだね?」
「パカッと?」
「うん。パカッと」
「パカッと開けられる缶詰なんてこの時代にはねぇよ。ほら? コイツで開けるんだ」
本田が缶切りを手渡した。
「あ、これ見たことあるよ! ほら? 私の十徳ナイフにも付いてた! これって缶切りだったんだ!」
カッパがリュックサックからキャンプ用の十徳ナイフを取り出した。
缶切りに慣れていた菊が、二人に開け方を教えた。
「ほら? こうして開けるんだよ?」
菊があっさりと缶詰を開けた。
中には鮮やかなオレンジ色のゼリーが詰まっていた。
その時、カッパが未開封のゼリー缶をシェイクし始めた。
「おいおい嬢ちゃん! そんなに振ったら中身がぐちゃぐちゃになっちまうぞ?」
「これでいいんだよ!」
カッパはますます激しくシェイクして、十徳ナイフで飲み口を二カ所開けた。
そのままゴクゴクと飲み始めた。
「プハー! 美味い!」
ラーナも菊も真似してシェイクして、クラッシュされたゼリーをゴクゴクと飲み干した。
それを見た本田と源一が小声で話し合った。
「本田さん! これって兵隊がコックピット内でも片手で飲めますね……」
「あぁ、行軍中でも飲めるなぁ……」
「一応、軍に持ち込んでみますか?」
「あぁ。これなら即採用間違いねぇよ!」
大人たちがひそひそと話し合っているお構いなしに、三人の乙女はゼリー缶を必死にシェイクして笑っていた。
*
「カッパ、缶を逆さにしてから振ると全部出やすいよ!」
「ほんとだ! でも最後の一滴が出ない!」
「私の方がいっぱい出た!」
「ずるい! やり方教えて!」
菊が二人のやり取りを見て笑いながら言った。
「青森に帰ったら絶対にリンゴでもやってみるよ、こんなふうにプルプルにしてみるよ!」
「そうだよね! 色んな果物で試したいよね!」
カッパが言ってから、ハッとした。
(一九四四年……)
自分たちが今、一九四四年にいることを、ついさっきまで忘れていた。
ミカンを収穫して、ゼリーを作って、缶詰を振って笑っていたら、すっかり忘れていた。
でも今は、それで良かった。
ミカンの収穫もそろそろ終わりを迎えようとしていたが、カッパとラーナには、あまり気にすることではなかった。
作業場のモレとモルフェがひんやりと冷たく輝いていた。




