k-38 遭遇する運命
本田の工場には、もんぺ姿の女性が数多く働いていた。
本田はモレとモルフェに付きっきりで夢中になっているので、暇になったカッパとラーナは二人で工場内を彷徨い始めた。
「オジサンの工場は女の人ばかりだね」
「うん。オジサンは結婚してるのに女の人しか雇わないなんて、浮気者なのかな〜?」
二人の工場探検は昼近くまで続いた。
やがて本田が二人を呼びに来て、昼食のために自宅へと戻ってきた。
さちが既に昼食を用意してくれていた。
*
「嬢ちゃん、ちょっと気になることがあるんだが、モルフェのメーターに音叉マークが描かれててなぁ。実はこちらの世界にも同じような音叉マークの会社があるんだよ」
「音叉マーク? 音叉って何?」
カッパとラーナは首をかしげた。
本田が鉛筆で音叉マークをサラサラと描いて見せた。
「あ! これが音叉マークなのか! うん! これはモルフェの会社のマークだよ。YAMAHAって会社のマーク!」
「ヤマハ? ……ヤマハ……ヤマハ……」
本田がしばらく考えてから続けた。
「嬢ちゃんたち。こちらの世界じゃ、その音叉マークは『日本楽器製造』……世界一のピアノやオルガンを作る会社の紋章なんだよ。今は戦争で楽器どころじゃねえがな。浜松にある彼らの工場じゃ、今は軍の命令で木製のプロペラを削り出してるんだ。……戦闘機のな」
「私の世界線でもYAMAHAはバイクと楽器を作ってる会社だよ!」
「そいつは奇遇だな……。ヤマハっていえば日本楽器の創業者が山葉っていう職人の名前なんだよなぁ〜。これは偶然なのか?」
「うん! そうかも! 平行世界だから似てるのもあるんだよ。それよりもオジサン! オジサンは奥さんがいるのに、どうして会社には女の人しかいないの? オジサンは浮気者なの?」
さちが微笑みながら見守っていた。
「あぁ! 嬢ちゃんたちは誤解してるなぁ。今の日本には働き手は女しかいねぇんだよ。ウチに限らず工場には女しか働いてねぇんだ」
「「え?」」
「今は戦争中だからな。男は皆兵隊になっちまってるんだよ」
「「せ、戦争!?」」
カッパとラーナは顔を見合わせた。
「せ、戦争って!! だって街の中は平和じゃないですか! ごく普通の平和な街にしか見えないよ?」
「そりゃそうだ。戦地はずっと南にある島で戦ってるからな。本土決戦なんてのは、まだまだ先になるだろうな……」
「ほ、本土決戦ってここも戦場になるってこと?」
本田がカッパの震える肩に、油の染み込んだ大きな手をポンと置いた。
「……ははっ、弱ったな。嬢ちゃんたちを怖がらせちまったか。……安心しな。ここは戦場になんかなりゃしねえよ。いいかい。たしかに今は戦争中だが、兵隊さんたちが遠い海の上で必死に食い止めてるんだ。空襲だって、たまに高いところを飛行機が通るくらいで、この浜松の街が火の海になるなんて、そんなの夢物語さ。見てみろ、うちの工場の女工さんたちを。みんな明るく笑って働いてるだろ? 美味い飯を食って、冗談を言って……。それが日本の『日常』なんだ。だから、そんなに青い顔すんな。嬢ちゃんたちがいた『平行世界』が平和なら、この国も嬢ちゃんたちの世界線に似ているのなら、たぶん大丈夫なんだろ?……な? ちさもそう思うだろ?」
ラーナが顔を青ざめて口を開いた。
「でも、オジサン……。私たちの世界線でも日本は戦争で負けてたよ……。私たちが産まれる前のことだから詳しくは知らないんだけど、核兵器ってのが広島と長崎に落ちてきて、それで終戦になったんだよ」
本田が張り詰めていた肩の力を抜いて、静かに答えた。
「……なんだ、嬢ちゃん。広島と長崎に『特別な爆弾』が落ちたってのか。……そうか。きっと、アメリカの野郎、とんでもねえデカい爆弾……そうだな、今の百倍くらいのやつを一気に落としやがったんだな。そりゃあ、それだけ落とされりゃ、街一つ燃えちまう。俺たちのピストンリングがいくら精巧でも、空から降ってくる鉄の雨には勝てねえよ。……それが、あんたたちの言う『カク』ってやつか」
本田は折れた鉛筆を削り直しながら続けた。
「……いいかい。たしかに負けるのは悔しい。だが、爆弾がデカかろうが数が多かろうが、それは『物量』の差だ。技術の根っこで負けたわけじゃねえ。……よし、わかった。それなら、戦争が終わった後に、俺たちがもっと凄えエンジンを作って、その『物量』をひっくり返してやりゃいいんだろ?」
「この世界線には核兵器ってないの?」
「安心しろ! そんな爆弾なんて聞いたこともない! こちらの世界線には核兵器なんてものは無い!」
*
昼食を終えると、三人はまた工場へ戻った。
本田は再びモレとモルフェにかかりきりになり、カッパとラーナは再び工場内を探検し始めた。
その頃、工場の応接室では本田に会いに客が来ていた。
「川上源一さんですね」
「はい。オヤジから、ここへ行ってこいと言われまして……。なにやら山葉一族が不審な動きを見せてるとか……」
「いや、先代の山葉さんは関係ないかもしれねぇんだがよぉ。一応、気になることがあって川上嘉市さんに電話させてもらったんだ。まあ、見てもらった方が早いだろ」
本田は源一を作業場まで案内した。
そこには二台の原付、モレとモルフェが並んで停まっていた。
「これは単車……ですよね? 随分と小さい」
「あぁ。エンジンが四十九ccしかねぇんだよ」
「四十九cc!? 馬鹿な! ……で、でも、そんな小さなエンジンとウチみたいな楽器屋がなんの関係が!」
「まあ、落ち着け! このモルフェのメーターを見てくれや! ほら? ここ」
「メーター?」
川上源一がメーターを覗き込んだ。
そこには、日本楽器のロゴマークである音叉マークと全く同じエンブレムが、堂々と印字されていた。
「な、何ですか!? これは!? なぜ、ウチのエンブレムが? これは何かのイタズラですか?」
「やっぱりアンタの会社は無関係のようだな。たぶん、先代の山葉さんも無関係だと思う」
「それじゃ何故? これはいったいなんなのですか!?」
本田がモルフェのセルボタンを押した。
「キュルキュル! ボン! トトトトトトトト……」
目の前のモルフェの圧倒的なテクノロジーを見た川上源一は腰を抜かして、その場に座り込んだ。
「な? 驚くだろ? これを乗ってたのは十六歳の女の子だぜ? 源一さん! 俺と二人でこの二台の単車を調べてみねぇか?」
「コイツを……調べる……我々で出来ますか?」
「俺たちで出来なきゃ、今の日本では他に出来るやつなんて限られてるだろ? ウチのピストンリングは世界一だし、源一さんの会社のプロペラは世界一じゃねえか! 俺とアンタならこのモルフェとモレを再現できるんじゃねぇか?」
本田が尻もちをついていた源一に手を差し伸べた。
源一がその手を取り立ち上がった。
「よし! わかりました! やりましょう! この音叉マークの謎を僕も解きたいですから!」
「そうと決まれば、まずはアンタにはこの二台の恐ろしさも理解してもらいたい」
本田がモレのキーを源一に手渡した。
「まずはモレの圧倒的な加速を感じてみな! 陸王なんてもう乗れなくなるぜ」
源一が恐る恐るモレのキックを踏み込んだ。
「軽い! 圧縮が抜けてませんか?」
「いや、これが四十九ccの軽さなんだ。アクセルはゆっくり開けた方が身のためだぞ? さあ、走ってみな!」
源一がモレに跨りアクセルを開けると、前輪が浮き上がるほどの加速が出た。
「うわっ!! 危ねぇ!」
すぐにアクセルを離した。
「な、な、何ですか! これは! こんなもの危なくて乗れませんよ!」
「ハハハ! 確かに危なすぎるわなぁ。でもよぉ、この加速は癖にならないか? コイツでレースなんかしたら面白そうだぜ?」
「た、確かに……こんな加速の単車のレースは迫力があるでしょうね! それに、この甲高い排気音も良い! ウチはやっぱり楽器屋なんで音にこだわりたい! この甲高い排気音はエンジン音としては完成されてますよ!」
源一がモレのアクセルを空ぶかしした。
(パパン! パパァーーン! パパァン! ポポポポポポポポ……)
「それにチョークもないのに何故こんなにアイドリングが安定してるんですか?」
「わからねぇ〜。その謎もさっぱりなんだ。だからこそアンタを呼んだってのもあるんだよ。唯一の手掛かりがその音叉マークだったからな」
源一がモレとモルフェを見ながら呟いた。
「これは未来の単車ですよ! こんな良質なプラスチックなんて見たことがないし、こんなに小さな車体に見合ってない電力も未来の技術としか考えられませんよ!」
「やっぱりアンタもそう思うかい? 実は俺もコイツは百年後の未来から来たんじゃねぇかと思ってるんだよ」
「それなら、これに乗ってた少女はなんて言ってるんですか?」
「それが嬢ちゃんたちは平行世界から来たと言ってるんだよ。それに未来から来たにしちゃ、知識が無い! 疎開という言葉も知らなけりゃ、メリケンって言葉すら知らねぇときやがる。未来から来たにしちゃ、この世界のことを知らなすぎてなぁ。満更、平行世界から来たってのも納得は出来ちまう」
「それなら、説明つきますよ! だって、僕らも百年前の知識は無いでしょ? 幕末以前の日本のことなんてわからないでしょ?」
「なるほどな! ちょっと嬢ちゃん達を探して来るぜ。工場内にはいるはずだからな。アンタはここで待っててくれや!」
本田が作業場を出ていった。
*
その頃、カッパとラーナは工場の流れ作業を見ていた。
二人は、ある女工の姿を見て固まった。
「あれって花さんだよね……?」
「うん! 間違いないよ、花さんだ!」
「ど、どうしてこんな所で働いてるの? アハロは辞めちゃったの?」
「わかんない……」
二人が固まったままでいると、本田が声をかけてきた。
「お〜い! 嬢ちゃんたち! どうした? カッチカチに固まっちまってるじゃねぇか!」
「オジサン! あそこで働いてる子! 知り合いなんです!」
「なんだって?! よし、待ってろ」
本田は女工の元へ駆け寄り、流れ作業から連れ出してカッパとラーナの前へ連れてきた。
「嬢ちゃんたち、この女子挺身隊が知り合いなのかい?」
カッパとラーナが何度も頷いた。
「花さん! アハロは辞めちゃったの?」
突如、花と呼ばれた女工は戸惑って本田の後ろへと隠れてしまった。
「花さん? どうしたの?」
「私、花じゃない……。菊」
「「えっ!?」」
三人の乙女が本田を囲んでフリーズしたまま動けずにいた。
本田が三人の顔を順番に見回した。
何がなんだか全くわからなかったが、なんとなく、この出来事が自分の知る範囲を大きく超えているということだけは、わかった。
作業場のどこかで、モレのアイドリング音がポポポポポ……と静かに鳴り続けていた。




