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k-37 キュルキュルボン!

 大歳神社の景色が、一瞬にして変わった。


 カッパとラーナは突然変わった景色に狼狽えて、キョロキョロと辺りを見回した。


「ここ……何処……?」


「バイク神社だよね……」


 目の前には、先ほどの大歳神社とは全く別物の神社があった。


 先ほどまで並んでいたライダーたちが瞬時に消え、辺りの景色もまるで違っていた。


 二人はトボトボとモレとモルフェが停まっている場所まで戻ってきたが、そこにいたはずの色とりどりのバイクが一台もなかった。

 道路もアスファルトではなく、砂利道に変わっていた。


「みんな、どこ行ったの?」


「私たちお参りしたよね?」


「うん……お参りして目を閉じて、目を開けたらここに来てた……」


「私も目を開けたらここに来てた……」


 カッパはハッと気づいてスマホで現在地を確かめようとした。

 GPSが全く反応しなかった。


「どうしよう……ここ何処だろ……」


 ラーナも自分のスマホを見たが、同じだった。


「スマホ壊れてる……どうしよう……」


「ここからなら鈴菌さんの家が近いはずだから、LINEしてみる!」


 カッパがミミーと鈴菌にLINEしようとタップしたが、スマホは圏外でLINEを送信することもできなかった。


 カッパはもはや泣きそうになり、ラーナに呟いた。


「私のスマホも壊れてる……どうしよう……」


 ラーナがシクシクと泣き出した。


「……ここ、何処? 私たち帰れるの……? グズっ……グズっ……」


「ラーナ、泣かないで……ラーナが泣くと私まで泣いちゃうから……グズっ……グズグズ……」


 二人は子供のように泣き出してしまった。


   *


 そこへ、中年の男性が心配そうに駆け寄ってきた。


「おいおい、お嬢ちゃんたち! こんなところで派手に泣きべそかいて、どうしたんだい? ……ん? なんだ、その妙ちくりんな格好は。演習の帰りじゃなさそうだな」


 男性の視線がふと、足元のモレとモルフェに向いた。


 男性はしゃがみ込んで、食い入るように見つめ始めた。


「……おい、ちょっと待て。なんだこの機械は。見たこともねえエンジンだな。このキャブレターの造り、それにこのタイヤの小ささ……プラスチックか? 鉄じゃねえのか?」


 泣いている二人を振り返って、少し照れくさそうに頭をかいた。


「……あー、悪い悪い。お嬢ちゃんたちの涙より、こいつの構造の方が気になっちまった。まあ、安心しな。事情は分からねえが、こんなに綺麗で精巧な機械を連れて歩けるんなら、あんたたちの身分はきっと悪くねえはずだ。腹、減ってんだろ? 泣いてたってガソリンは湧いてこねえぞ。ほら、立ちな。俺の工場に寄っていきな。大したもんはねえが、温かいもんくらいは出せる。この『宝物』みたいな乗り物の話、ゆっくり聞かせてくれよ。俺は本田っていう技術屋の端くれだ! さあ、うちに来い!」


 カッパが怯えながら尋ねた。


「オジサン、ここはどこですか?」


「ここは浜松だ。この大歳神社にお参りに来たのかい?」


「「大歳神社!? ここが?」」


 二人は顔を見合わせた。


 バイク神社と全く違う外観と風景。

 それでも、同じ名前の場所だった。


 自分たちが今、とんでもないことに巻き込まれていることを、二人はようやく理解した。


 目の前の優しいオジサンを頼るしか、方法がなかった。


   *


 オジサンの家に着くと、奥さんと二歳くらいの男の子が出迎えてくれた。


「妻のさちと息子の博俊だ。まあ、上がってくれや」


 カッパとラーナは泣き疲れて項垂れていた。

 さちが心配して、二人を温かく迎え入れてくれた。


「あらあら、お二人とも可哀想に……。疎開先から逃げてきたの?」


(疎開先……?)


 二人は聞きなれない言葉を聞いて、耳打ちをした。


「ここは異世界なの?」


「そうかも……ここが日本とは思えない……」


 二人の戸惑いをお構いなしに、本田はモルフェのカウルを興味深そうに撫でていた。


「コイツは単車なんだよな? 随分と軽いが、本当に走るのかい?」


「は、はい……走りますよ。エンジンかけてみますか?」


 カッパがモレのキックを踏み込むと、ポポポポポ……とアイドリング状態になった。


 本田が愕然とした表情でモレを見つめた。


「なんだ? この安定したアイドリングは!? チョークはどうした?」


 カッパは聞きなれない「チョーク」という言葉に首を傾げた。


「まさか、チョークが無いのかよ! どれ! 嬢ちゃん! 俺にもエンジンをかけさせてくれ!」


 カッパが一度エンジンを止めると、本田が嬉々としてキックを踏み込んだ。

 簡単にエンジンがかかった。


「キックも軽いなぁ!……一五〇ccか?……いや、一一〇ccか……」


「五十です……」


「いや、四十九ccだよ……」


 本田が「四十九cc」と聞いて愕然とした。

 マフラーから排出されている白い排気ガスを見つめている。


「これはメリケンのスクーターという単車だな? メリケンは四十九ccなんてエンジンを子供の玩具として売ってんのかよ……」


 二人は「メリケン」という言葉の意味がわからずに首を傾げた。


「明日はコイツを工場で調べさせてくれるかい? 大丈夫。俺は技術屋だ。壊したりはしねぇ。ところで嬢ちゃんたちは何処から逃げてきたんだ? 名前は?」


「私はカッパです……笠寺から来ました……」


「私はラーナ。大高です……」


「って事は疎開先から逃げてきたわけじゃ無さそうだな。出稼ぎか?」


「オジサン、(そかいさき?)ってなんですか?」


「何? 疎開先を知らない? それはどういう事だ? 嬢ちゃんたちの周りには疎開した奴らはいないのかい?」


「(そかい?)の意味がわからないから、そかいしたかどうかもわからない……」


 ラーナの目に涙が浮かんできた。


 本田が困った顔をして奥さんに声をかけた。


「ちさ! 晩飯の準備だ! 難しい話は追々しよう! まずは飯を食え!」


   *


 さちが夕飯の支度をして、ちゃぶ台に雑穀米と味噌汁とぬか漬けを並べた。


「白米じゃなくてごめんなさいね」


 カッパとラーナが雑穀米を見て驚いた。


「雑穀米だ!」


「本当だ! 奥さん意識高い系だね!」


 二人が喜んでいるのを、本田夫婦が不思議そうに見つめた。


「そんなに雑穀米が珍しいかい?」


「はい!」


 二人は美味しそうに雑穀米とぬか漬けを食べた。


「この漬物も凄く美味しい!」


「お味噌汁もこんなに出汁の旨みがする!」


「本当だ! ちゃんと出汁の旨みがする!」


 奥さんが困惑した顔をしていた。


 ただ、カッパとラーナにとっては、ここが何処なのかわからない状態の中、食べ物だけは自分たちも食べることができるのが、とても嬉しかった。


「良かった。やっと元気になったわね」


 少しだけ落ち着きを取り戻したカッパが、夫婦に尋ねた。


「ここは日本なんですか?」


 夫婦が顔を見合わせて困惑した。


「嬢ちゃんたちは本当に何者だい? 自分たちが今、何処にいるのかもわからないっていうのかい?」


「はい……バイク神社までは覚えてるんだけど、急にここに来ちゃったんです……」


 ラーナが恐る恐る語り始めた。


「カッパ……これってもしかしたら、パラレルワールドかも知れない……」


「「「パラレルワールド?」」」


「うん。この世には平行世界っていうのがあるんだって。別の日本に迷い込んだのかも……ここは私たちが知ってる日本とはかけ離れてるもんね」


「なるほど! 平行世界! それなら、納得だよ!」


「って事は嬢ちゃんたちの世界では四十九ccの単車が普通に走ってるってことか?」


 カッパとラーナが頷いた。


「そうか〜、それなら納得だ。俺らの世界では四十九ccなんて馬鹿げた発想は思いつかねぇ。これは間違いなく平行世界ってやつだな!」


「ラーナ、元の世界に帰る方法はあるの?」


「知らない……でも、きさらぎ駅っていうところに迷い込んだ人はいつの間にか帰ってこれたみたいだよ。逆に帰ってこれたからきさらぎ駅のことが世間に知れ渡ったはず……」


「あ! そうか! 帰ってこれたからきさらぎ駅が有名になったのか!」


 急に二人の顔が明るくなったので、夫婦は一安心した。


「それなら、時が来れば嬢ちゃんたちは帰れそうだな! それまではうちでゆっくりして行けばいい。俺も嬢ちゃんたちの単車を研究させてくれや!」


「はい! 好きなだけモレを見てもいいよ!」


「モルフェも研究していいよ!」


 こうして、カッパとラーナは平行世界の日本でしばらく滞在するしか選択肢がなくなった。

 本田夫妻は二人のことを温かく迎え入れてくれた。


   *


 翌日。


 本田は二人を工場へと案内した。


 本田が経営する東海精機重工業は、従業員も多い大きな工場だった。


 二人はモレとモルフェを押し歩きながらガレージへと入った。


「しっかし嬢ちゃんでも簡単に押し歩けるほど軽い単車なんて、俺らの世界には無い技術だぞ。どれ、ちょっと乗ってみてもいいかい?」


 カッパがモレのキーを本田に手渡した。


 本田がモレのエンジンをかけてアクセルを捻ると、一気に加速した。


 本田が思わずフルブレーキをかけた。


「な、なんだ!? この加速は!!! こ、これが四十九ccの加速かよ! 平行世界では物理の法則すらねじ曲げてくるのかよ!」


「オジサン! このモレは2stっていうエンジンで加速が凄いの! 気をつけてね!」


「私のモルフェなら安全に加速するよ! モレはじゃじゃ馬でモルフェはラクダだよ!」


 今度はモルフェに移って、本田がキックペダルをパタンと倒した。


「オジサン! キック使わなくてもセルがあるよ!」


 ラーナがセルボタンを押した。


「キュルキュル! ボン! トトトトトトトト……」


「ね? キュルキュルボン! だよ」


 セルボタンを見て、本田が愕然とした。


「おいおいおい! なんだこれ!? こんな小さな車体でこの電力は何処から発生させてんだ!? 平行世界ってのはなんでもありかよ!」


「この世界にはセルボタンは無いの?」


「当たり前だ! そのセルボタンってやつを動かすためだけの電力を単車に組み込むことなんて、こちらの世界では不可能だ!」


「でも、バイクはキックでかける方がカッコイイよね?」


「カッコイイとか悪いとかの問題じゃねぇんだよ。こんな小さな車体でキュルキュルボン!とエンジンを回すことができることが凄いんだよ。こちらの世界で、こんな簡単にキュルキュルボンボンができるのは戦車くらいだぞ? ……それにしてもキュルキュルボンボンかよ……」


 ラーナが小さな声で呟いた。


「キュルキュルボン! だよ。キュルキュルボンボンじゃないよ……」


   *


 二台の原付の前で呆然と立ち尽くす本田と、そんな本田を見上げている二人の乙女が、平行世界の工場の中に並んでいた。


 本田の目には、二台の原付がどう映っているのか。


 カッパとラーナの心の中には、この世界からどうやって帰るかという問いが、ずっと小さく燃えていた。


 でも今は、モレのポポポポポという音と、モルフェのキュルキュルボン!という音が、工場の中に穏やかに響いていた。


 それだけで、少しだけ心が落ち着いた。


 ここがどこであっても、バイクは動く。

 それだけは、確かなことだった。



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