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k-35 笠寺観音の高射砲

 夜の営業が終わると、花と菊はムーブラテに乗り込んだ。


 菊は軽やかに運転席に収まると、素早くエンジンをかけた。

 笠寺の細い路地を、華麗にハンドルを回しながらスイスイと進んでいく。


「おばあちゃん! どうしてこんなに運転が上手なの!?」


「花ぁ覚えてねぇべがもしれねども、陸雄じっちゃぁ運転好きだっきゃなぉ。わげぇ頃がらバイクだの車だの、いっつも運転してらっけ。そんな陸雄さんが、私さも運転の仕かだ教えでけだんだ。陸雄さんだば、この地面の上で一番速ぐ走れたんだよ! 本当に運転だげだば、誰さも負げだごどねがったんだぁ」


 花はおじいちゃんのことを思い出しながら聞いていた。


「へぇ〜。そうだったんだね。それにしても青森から軽自動車で名古屋まで来るのは無謀だよ。でも、おばあちゃんの運転を見る限りでは私よりも上手だね。このムーブラテはおばあちゃんにあげるよ。私はもう車に乗ることはないと思うからさ」


 菊は笑顔のまま、名古屋の街中を迷子になることなくスイスイと走り続けた。


 花と菊の深夜のドライブはしばらく続いた。


   *


 翌日。


 花と菊がアハロに出勤すると、モト子が菊を更衣室まで案内した。


「はい。おばあちゃんのメイド服。今日から働いてね。今、高校生のバイトが休んでるからおばあちゃんが働いてくれると助かるわ!」


「モト子さん! 無茶ですよ! おばあちゃんがホールなんて出来ませんよ!」


「大丈夫だ! ウエイトレスだば楽勝だじゃ! これでも、近所のスーパーでレジ打ちのパートしてたごどあるはんでな! そいにな、こんなメイド服着られるなんて青森だば体験でぎねがったよ! これ着れば私も立派なメイドさんだべ! アハロだばコンカフェだったんだなぁ! 最高だじゃ!!」


 ランチタイムが始まると、菊は予想以上に動けた。


 レジ打ちも戸惑いなく、アナログのアハロのレジに対応している。

 さらに厨房の仕事が詰まってくると厨房に入って花のアシストをしてくれた。

 菊一人が増えただけで、モト子も花もかなり楽にランチタイムを終えることができた。


 中休みになると、モト子が感嘆した。


「おばあちゃん! すごい! 初日なのにコンビネーションバッチリ! このまま笠寺に住んで欲しいくらいだわ!」


「店長さんがいんだば、本当にこごでこのまま暮らそうかなぁ? 青森も退屈な街だはんでな……。あ、そうだ! 休み時間に笠寺観音まで行ってきてもいべが?」


「私が案内しようか? ここから近いけど場所はわかる?」


「大丈夫だ! 一人で行げるよ。迷子さなったらスマホで呼び出すはんで、一人だばって大丈夫だ。花ぁ夜の仕込みあるべさ? 私は夜の営業時間までフラフラどこの辺探索してくるべさ」


 そう言うと菊は店前の高射砲を一度撫でてから、笠寺観音の方向へと歩き出した。


   *


 夜の営業時刻になると、菊が店前の高射砲のプレートを「OPEN」に裏返した。


 いつものように常連さんがチラホラと来店して、宿泊客がチラホラとチェックインした。

 モト子も花もクレアおばさんも必死で動く中、菊も初日とは思えない動きでアシストをこなしていた。


 そこへ、普段はアハロには絶対に来ないような客層が現れた。


 徒歩でやってきた、高齢のお年寄りが三人だ。

 テーブル席に座った。


 突然の慣れない客層にモト子が戸惑っていると、菊がにこやかに声をかけた。


「いらっしゃい! 本当に来てけだんだなぁ! さぁ、これがメニューだじゃ。ウチの孫が作ってらんだよ。全部めぇはんで、全部頼んでもいんだよ!」


「おばあちゃん、お知り合い?」


「さっき笠寺観音で知り合ったんだ。この辺だば年寄り多いけなぉ。年寄りさも気軽にお茶でぎる店は必要だべ? アハロだば高射砲もあるし、年寄りには親しみやすいんだよ。自慢でねぇども、うちの孫の料理は年寄り向きでもあるべさ?」


 モト子の眼鏡がズレた。


 自分が完全に取りこぼしていた客層を、初日の半日でがっちりと掴んできた。

 笠寺の街は労働者の街であると同時に、高齢者の一人暮らしの家庭も多い。

 その存在に、モト子は今まで気づいていなかった。


 テーブル席の三人は、日替わりディナーのスズキカツのエスカロップを注文した。


「あら、これ……スプーンだけで切れちゃうわよ」


「本当ね、ふわっふわ。お肉だとどうしても噛み切るのが大変だけど、これならいくらでもいけるわ」


 黄金色に揚げられたスズキのカツが、スプーンの重みだけでホロリと崩れた。


 大型スズキの身は、菊の手による下処理で驚くほどしっとりと、羽毛のように軽く仕上げられていた。

 デミグラスソースの色は濃く、一見ガッツリとした印象だ。

 しかしその実態は正反対で、塩分は極限まで抑えられ、バターの芳醇なコクと丁寧な出汁の旨みがライスの一粒一粒にまで染み渡っていた。


(……塩気に頼らず、旨みの相乗効果だけで満足させてる。これなら血圧を気にするお年寄りだって、最後の一粒まで罪悪感なく楽しめるじゃない!)


 三人のお婆さんたちは、まるでお喋りに花を咲かせる少女のように、楽しげにスプーンを動かしていた。

 皿の上からカツが消え、バターライスが消え、最後にはソースの一滴までが綺麗に拭い去られた。


「ごちそうさま。なんだか、元気が出たわ」


 セットのアップルパイが運ばれてきた。

 青森直送のリンゴを使ったそれは、優しい甘さだった。

 それすらもペロリと完食して、仕上げのコーヒーを啜りながら、三人は幸せそうにため息をついた。


 モト子の胸の中に、熱い塊が込み上げてきた。


 自分が「労働者の胃袋」と「若者の好奇心」だけにフォーカスしていた間に、菊はたった半日で、この街に潜在していた「孤独で、それでいて美味しいものを求めている高齢者層」を、その懐の深さで丸ごと抱きしめてしまっていた。


(菊さんのポテンシャル……私の想像を遥かに超えてるわ。クラッシックタイプのメイド服を着て、高射砲をバックに、お年寄りと孫の料理を繋ぐ……。これが、新しいアハロの形なの!?)


 震える手でようやく眼鏡の位置を直したモト子は、厨房で鼻歌まじりに次の注文を捌く菊の背中を、畏敬の念すら込めて見つめていた。


   *


 食後のコーヒーを飲み終えた三人が、モト子に丁寧にお礼を告げた。


「また明日も来させてもらいますね。外の高射砲を見てるとなんだか懐かしいのよねぇ〜」


「ありがとうございます! また、明日も……いえ、これからはずっ〜〜と、お待ちしてますね!」


 三人のお年寄りはニッコリと微笑んでアハロを後にした。


   *


 夜の営業も終わり、菊が厨房で皿洗いをしていると、モト子が声をかけた。


「おばあちゃん! 昼間の笠寺観音って、新たな客層を取り入れるために行ってくれたの?」


「新しい客層だべが? ……うふふ、そんなごどぁ全ぐ考えでねぇよ。私はただ、笠寺観音さお参りしただげだじゃ。新たな客層だば、店長さんの日頃からの努力の成果だべさ」


 菊がニコッと笑った。


 花もニコッと笑っていた。


 モト子は二人の顔を交互に見た。

 血は争えないなぁと思うと、なんだかおかしくてモト子も笑っていた。


月明かりに照らされた高射砲の向こうで、

食器を洗う水の音が、静かに響いていた。

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