k-34 菊の夏
夏真っ盛りのアハロのランチタイム前に、珍客が引き戸を開けた。
「花ぁ! こごさ仙人様いっど思って来たんだども、仙人様ぁ、どこさいら? 早ぐ仙人様さ会わせでけろぉ〜」
厨房から花が慌てて出てきた。
「え? おばあちゃん!? どうしてこんな所に?」
カウンターで仕込みをしていたモト子とクレアおばさんも驚いて顔を上げた。
「花ちん、こちらは花のお祖母様?」
「はい……すみません……おばあちゃんはアプリさんのことを崇拝してまして……」
「おめだば店長さんだべが? いつも花ぁ、お世話になって全てらなぁ。……そいよりも、仙人様ぁ、どこさいら? 私、こごさ仙人様泊まってらってSNSで見で来たんだども……」
「もう! おばあちゃん! アプリさんがSNSをやってるわけないでしょ? どうやって知ったのよ!」
「んだ、仙人様ぁSNSだのなんだのやらねども、お傍さへっついてる本田のわらしがマメに書き換してらべさ? あのわらしのSNSさ、こごの写真映ってらんだじゃ! そこさ、全て仙人様座ってらんだよ! ほら? そごの席だ!!」
「嗚呼……アイツか……本田くん……余計なことしてくれたわね……」
花がモト子とクレアおばさんに助けを求めるように顔を向けた。
二人はあえて花をスルーして業務に戻った。
花は諦めて、興奮する菊を厨房の丸椅子に座らせてお茶を出した。
「アプリさんはもうここを出て栃木県を目指して旅立ったんだよ」
菊がガッカリして答えた。
「栃木だばが? んだば、帰りにまた、こごさ寄るんだべ? そいまでこごで待たせてもらうじゃ。どうせ青森けっても暇だはんで。そいにな、花ぁ、働いてらどごも見でおぎてぇしな!」
アプリに会うまで帰らない覚悟だと悟った花は、名古屋での滞在を許した。
「それなら、私の家がここから近いから、しばらくそこで泊まってね。ところでおばあちゃんは名古屋まで新幹線で来たの?」
「まいね、まいね。こごまでは、花ぁ青森さ置いでおいだムーブラテ、私が運転して来たんだじゃ。私みてぇな年寄りぁ高速道路ば逆走したりへばまいねはんで、ちゃんと下道だげ走って来たんだよ。さすがに疲れだじゃぁ〜」
花が焦ってアハロの駐車場を覗くと、確かに青森に置いてきたはずのDAIHATSUムーブラテが、丁寧にキッチリと白線に平行に駐車されていた。
花は厨房に戻り、菊へ説教した。
「おばあちゃん! まだ免許返納してなかったの!? 車なんて運転しちゃダメよ! もう!」
菊が思わず笑い出した。
「アハハ! 花ぁ、案じ過ぎだじゃ。私ぁ、仙人様の御利益預かってらんだはんで。運転だげだば、人の力ぁ越えでまったんだよ。だはんで、心配ご無用だじゃ! 花のムーブラテだば、花より上んずに乗れるんだはんでな!」
「そうなの? 後でおばあちゃんの運転を見るからね! もしも危ない運転をしたら免許返納させるからね!」
「わがった、わがった! あとで私の運転見ればいべさ! 仕事終わったら私の運転でドライブさ行ぐべ! そいよりも、ムーブラテの中さ職場の皆さんさのお土産の焼きそばバゴーン買ってきたはんで、店長さんとさっきの婆さまさ配りなせぇ」
花がムーブラテから焼きそばバゴーンを五箱降ろして、モト子とクレアおばさんに手渡した。
(焼きそばバゴーン……本田くんが好きだったっけ……それにしても五箱は多すぎるよ……)
花は思わず笑ってしまいながら、再び厨房に籠った。
*
菊に見守られながらランチの準備を始めた頃、いつものように宮満鮮魚店がやってきた。
「店長、花さん、今回も訳あり商品を持ってきたよ! 今が旬のスズキなんだけど、スズキって九十センチ超えると値がつかないのは知ってる?」
「え? 大きいとダメなんですか?」
「白身魚はデカくなると刺身で食えないんだよ。だから、程よい大きさのものしか値がつかないのさ」
「値がつかないなら、おいくら?」
「うちで仕入れた分十匹を全部買い取ってくれたら一万円……いや、八千円でいいや!」
「それなら、交渉成立ね! 花ちんも良い?」
「まあ、一応、考えてみます!」
宮満鮮魚店がすぐに大型のスズキを持ってきた。
花がさっそく捌いて、花とモト子と菊で刺身にして一口食べてみた。
「確かに刺身にはできませんね。水っぽい……」
「美味く調理出来そう?」
「何とか考えてみます……」
自信なさそうな花の顔を見た菊が口を挟んだ。
「フィレオフィッシュバーガー作ればいんだじゃ。夏休みだはんで、わらしだぢさも安ぐ売ればいべさ。あとはすり身にして竹輪にへば、近所の奥さんだぢも買いに来るよ?」
モト子と花が顔を見合わせた。
「おばあちゃん! 素晴らしい!」
「おばあちゃんにはまだまだ勝てないよ〜。モト子さん、実はこのおばあちゃんは私の料理の師匠なんです」
モト子が、ようやく理解した顔をした。
花がどこであの料理の腕を身につけたのか、モト子はずっと知らなかった。
菊の一言で、全部が繋がった。
「おばあちゃん! 良かったらアハロでバイトしない?」
「私を雇うだば、花の二倍の銭出さねば、この私は雇えねぇよ? なんせ、私は花より料理上んずだはんでな!」
菊はそう言いながら、スズキを丁寧に捌き始めた。
花と菊が向かい合わせになって、二人でスズキを捌いていく。
同じ包丁の角度。
同じ手首の動き。
花の料理は、ここから来ていたのだ。
*
スズキを捌き終える頃、ランチタイムが始まった。
店にお客さんが溢れ始めた。
菊は厨房の丸椅子に腰掛けて、花の働きっぷりを楽しそうに眺めていた。
「花ぁ、いい職場さ出逢えたなぁ! 本当によかったじゃ」
「うん! 毎日が楽しいよ!」
菊がますます笑顔になった。
アハロのランチタイムが混んでいる様子を見て、菊は安堵の顔をしていた。
*
ランチタイムが落ち着いた頃、菊は中休みの中でふと店の前へと目を向けた。
窓の外、夏の直射日光の中で、二門の高射砲が熱く加熱されて陽炎を立ち上らせていた。
「笠寺ぁ、高射砲の街だっきゃなぉ……。今は本当に、平和にねったもんだなぁ……」
菊の目が、遠くを見ていた。
店の中には、花のランチをもりもり食べているお客さんの声が溢れている。
笑い声が、食器の音に混ざっている。
その喧騒を、菊は静かに眺めていた。
高射砲のそばで、名古屋の夏の風が通り抜けていった。
今の日本の豊かさと平和が、この笠寺の小さな路地裏に、当たり前のように溢れていた。
菊は名古屋まで来た甲斐があったと、本当に嬉しくなった。
そして、もう少しだけここにいようと、心の中で決めた。




