k-33 おうちに帰ろう!
せたな町の朝靄の中、四台のエンジンが目を覚ました。
パノラマラインを背にして、追分ソーランラインを南下していく。
左手に険しい山々、右手に奇岩が並ぶ海岸線。
熊石付近を過ぎると、朝日がカッパとラーナの横顔にキラキラと反射した。
八雲町の雲石峠では、日本海側から太平洋側へ抜けるために峠を越えた。
原付には少し厳しい坂だったが、頂上付近の原生林が神秘的で、四人は無言でスロットルを開け続けた。
噴火湾に出ると、海が穏やかになった。
遠くに駒ヶ岳のシルエットが浮かんでいた。
*
昼過ぎ、長万部町に差し掛かった。
かなやのかにめしの看板が見えた。
「サムネ用に蟹のポーズして!」
リリーがカメラを向けようとした、その瞬間だった。
長万部駅前に、見覚えのあるシルエットが立っていた。
ほんのり笑顔のまんべくんだ。
四人は一言も言葉を交わさなかった。
全員が同時にバイクのスロットルを全開にして、駅前通りを全力で駆け抜けた。
バックミラーにはまんべくんが追走している。
二キロほど全速力で走ると、まんべくんがパタリと倒れた。
四人は半べそ状態で長万部町を後にした。
「また来た……」
「来たね……」
「名古屋に帰っても夢に出てきそう……」
「出てくる。確実に出てくる」
礼文華峠の絶景も、噴火湾を左手に見下ろす青さも、太田山神社で見たあの青を思い出させた。
それでも四人の頭の中には、しばらくまんべくんのほんのり笑顔が離れなかった。
*
夕方、仲洞爺キャンプ場に着いた。
テントを設営して、来夢人の家の温泉へ向かった。
湯船に浸かると、夕暮れの洞爺湖が目の前に広がっていた。
最初にこのキャンプ場に来た夜のことを、カッパは思い出した。
あの時は知らなかった、セイコーマートのフライドチキンの味。
はんかくせぇという言葉。
チップというヒメマスの味。
しげっちの頭が海に落ちる光景。
五っしーに追われてお堀を五角形に走ったこと。
三本杉岩の迫力。
パノラマラインで叫んだこと。
鎖の壁の先に広がった、水平線のない青。
「二人とも北海道は満喫できた?」
リリーが湯船に浸かりながら尋ねた。
「はい! 最高でした!」
カッパもラーナも声を揃えた。
四人はその後も長い時間、この夏休みのことを語り合った。
*
温泉から上がってテントに戻ると、洞爺湖の花火が始まった。
四人は椅子を出して、黙って眺めた。
花火が夜の湖面に映った。
誰も何も言わなかった。
それが、今夜の四人にとって一番ちょうどよかった。
花火が終わった後も、四人はテントの前でたわいもない話を深夜まで続けた。
まるで昔からの友達かのようだった。
アハロで働く前まで友達が一人もいなかったカッパには、この温かさが信じられなかった。
ラーナもリリーも晴衣も、ずっと前からの友達だったんじゃないかと錯覚するほど、四人の間に隙間がなかった。
焚き火の煙が、星空へ向かって真っ直ぐに昇っていった。
*
翌朝、早朝の船着場にカッパとラーナの姿があった。
「あ! チップオジサン!」
水揚げをしていた漁師のオジサンが二人に気づいた。
「オメエだぢ、また来たのが!」
「オジサンにお土産! これ! どうぞ」
ラーナがハセガワストアのステッカーを手渡した。
オジサンはすぐに船外機にステッカーを貼り付けて、ニコッと笑った。
「カッコイイな! これ。ありがとな!」
オジサンは船外機のエンジンをかけて、漁へと走り出した。
カッパとラーナが手を振って見送った。
続いてチップオバサンの家にも行って、ラッキーピエロのレトルトカレーとガラナを手渡した。
オバサンは笑顔で受け取ると、カッパとラーナにオロナミンCをワンパック手渡した。
「また、来てね」
オロナミンCを受け取った二人のヘルメットを、オバサンがポンポンと叩いた。
カッパとラーナは丁寧に別れを告げて、仲洞爺キャンプ場へ戻った。
テントにはリリーと晴衣がインスタントコーヒーを飲みながら待っていた。
*
今日中に苫小牧港へ着いてしまう。
苫小牧港に着いたら、この旅が終わる。
そう考えると、カッパもラーナもだんだん切なくなってきた。
「今度は私も名古屋に行くからね!」
晴衣が言った。
その一言で、カッパとラーナの涙腺が崩壊した。
旅が終わるという現実が、一気に湧き上がってきた。
朝靄の中で、二人の少女が静かに泣いていた。
リリーと晴衣が、そんな二人をそっと慰めた。
*
最後のマスツーリングが始まった。
ラーナを先頭に、四台が洞爺湖を出発した。
最後の走りを惜しむように、四人は何度も何度も寄り道をした。
気になる景色があれば停まった。
ちょっとした土産物屋があれば入った。
何でもない道の脇に停まって、ただ海を眺めた。
それでも苫小牧港はやってきた。
後ろ髪を引かれる思いで乗船手続きをした。
「また絶対に来るからね!」
「うん! また一緒に走ろう!」
別れの言葉を言い終わらないうちに、時間が来た。
カッパとラーナは車両甲板へと走り去った。
リリーと晴衣が、切なそうに見送った。
*
すぐに甲板に上がると、岸壁にリリーと晴衣が見えた。
フェリーがゆっくりと岸から離れていく。
四人がお互いを見つめていた。
誰も手を振ることができなかった。
ただ、見つめていた。
フェリーが本格的に走り出すと、リリーと晴衣の姿が小さくなって、やがて見えなくなった。
カッパとラーナは二等船室に戻った。
「また来よう」
「うん! 来よう! 来よう!」
その夜、船上のジャズライブが始まった。
来る時と同じ曲が流れた。
同じラウンジで、同じメロンソーダを頼んだ。
でも、全然違う夜だった。
あの時は旅が始まる夜だった。
今夜は、終わる夜だ。
二人は黙ってジャズを聴いていた。
旅が終わる寂しさを、音楽が埋めてくれるわけではなかった。
*
翌朝、仙台港に入港した。
三時間ほどの一時下船ができる。
二人はフェリー乗り場の近くのコンビニへ走った。
「また焼きそばバゴーン買っちゃった!」
「私も! お土産用に多めに買っちゃった!」
「私も!」
二人のレジ袋に、焼きそばバゴーンがどっさり入っていた。
来る時に買った、あの味。
来る時は「名古屋では見かけない」と言いながら珍しそうに選んでいた。
今は「これを名古屋に持って帰りたい」と思って買い込んでいる。
それだけのことで、二人はすっかり上機嫌になっていた。
コンビニを出ると、仙台の夏の空気がまとわりついた。
ここはまだ北海道じゃないけれど、名古屋でもない。
旅の最後の中継地だ。
フェリーが再び離岸するのを、二人は岸壁から眺めた。
仙台港が遠ざかっていく。
名古屋はもうすぐそこにある。
レジ袋の中で、焼きそばバゴーンがガサガサと揺れていた。
これが二人の夏休みだった。
旅は、終わる。
どれだけ楽しくても、
どれだけ続いてほしくても、
必ず終わる。
だから人は、途中で笑う。
どうでもいいことで騒いで、
くだらないことで揉めて、
わざと遠回りをする。
終わると分かっているから、
その一つ一つが、
やけに愛おしくなる。
北海道で見た景色は、
名古屋に帰れば、
きっと少しずつ薄れていく。
三本杉岩の迫力も、
パノラマラインの風も、
あの水平線のない青も。
でも、消えないものがある。
同じ時間を、同じ場所で、
同じ温度で笑ったという記憶。
それだけは、
どこへ帰っても、消えない。
だからきっと、また走る。
あの時と同じように、
バカみたいに遠回りして、
バカみたいに笑うために。
――おうちに帰ろう。
でも、
次の旅の準備をしながら。




