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k-32 太田山神社・垂直の狂気

 せたな町の穏やかな波の音に包まれて眠り、清々しい朝を迎えた四人だったが、その数時間後、彼女たちはせたな町の海岸線にそびえ立つ「壁」の前に立っていた。


 午前六時。


 朝靄の中に浮かび上がるのは、日本一危険な神社として悪名高い、太田山神社だ。


「さあ! 視聴者の皆さん、おはようございます! 今日はついに、伝説の地へ挑みますよ!」


 リリーはすでにハイテンションでカメラを回していた。

 今日のカメラマン役は晴衣だ。


「太田山神社? 名前は聞いたことあるけど……日本一危険って、ワクワクするね、ラーナちゃん!」


「そうだね、カッパちゃん! 名古屋城の天守閣に登るみたいな感じかな?」


 カッパとラーナは、完全になめていた。


 二人にとって「神社」とは、平地にあり、砂利道を歩いてお参りする場所だった。


   *


 その余裕は、最初の鳥居をくぐった瞬間に霧散した。


「……えっ?」


 二人の視線の先には、道がなかった。


 代わりに存在するのは、ほぼ垂直に天へと伸びる、果てしなく続くコンクリートの急階段だった。

 手すりはあるが、掴んだ瞬間に後ろへひっくり返りそうな傾斜だ。


「……こ、……これを……登るの……?」


「……無理無理無理無理!! 名古屋にはこんな階段ないよ!!」


「何言ってるの二人とも! ここで諦めたら、昨日のウニの再生数が無駄になるでしょ! ほら、ガンガン登っちゃおう!」


 リリーの眼は、恐怖よりも「数字」を求めて爛々と輝いていた。


   *


 這うようにして、時に四つん這いになりながら、一段一段、死の階段を登った。


 ふくらはぎがパンパンになり、呼吸が完全に上がった頃、ようやく踊り場のような場所に出た。


「……ふぅ、……やっと……着いた……?」


「……死ぬかと思った……。でも、これで本殿だね……」


 だが、リリーは無慈悲に宣告した。


「残念! ここ、まだ『九合目』だから。本殿は、この上だよ」


「「「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!?」」」


 カッパとラーナ、そしてカメラマンの晴衣までもが絶叫した。


「ほら、見て。あそこが登り口」


 リリーが指差した先には、山肌の亀裂に架けられた、古びて錆びついた鉄製の橋があった。

 足場はスケルトンの格子状で、下の谷底が丸見えだ。

 風が吹くたびに、ギギィ……と不吉な音を立てている。


「……いやあああああああッ!!!! 無理! 絶対に無理!! 錆びてるよ! 落ちるよ!!」


 ラーナが泣き叫んでカッパの腕に抱きついた。


「カッパちゃん、帰ろう! もう数字なんてどうでもいいよ!!」


「大丈夫! 落ちたら、その瞬間が一番数字伸びるから! はい、ラーナ、先に行って!」


「変態! 鬼! 悪魔!!」


 その時、唯一の常識人だと思っていた晴衣の様子がおかしくなった。


 晴衣はカメラをリリーにひったくるように渡すと、錆びた橋を見つめて、ニヤリと笑った。


「……ふふ……ふふふ……。……なるほど……。……これが……『絶体絶命』の淵か……。……面白い……!!」


「……は、……晴衣さん……?」


「わしの先祖、坂本龍馬も、土佐の荒波で鍛えられた……。……この程度の橋、……跨いで渡ってくれるわ!! ……カッパ! ラーナ! 行くぞ!! 迷わず行けよ、行けばわかるさ!!」


 晴衣のDNAが、完全に疼き出していた。


 龍馬の血が、この極限状態を楽しんでいる。


 晴衣は、怯えるカッパとラーナの背中を、有無を言わせぬ力で橋へと押し出した。


「「ウ、……ウワァァァァァァァァァァン!!!!!(恐怖の咆哮)」」


 泣き叫びながらスケルトンの橋を這って渡る二人。

 リリーは爆笑しながら撮影し、晴衣は「行けー! 突撃じゃー!!」と鼓舞した。


   *


 橋を渡りきった先には、ゴールがなかった。


 目の前にそびえ立つのは、ほぼ垂直の岩壁だった。

 その壁から、たった一本の、古びた鎖が垂れ下がっていた。


「……嘘……でしょ……?」


「……ここ……、……プロの登山家が……来る場所……じゃないの……?」


「ほら! 鎖があるから、登りやすいよね! 手を滑らせないようにねー!」


「鎖を掴む! それすなわち、勝利への道標! ……行くぞ、カッパ! ラーナ!!」


 リリーの事務的な励ましと、晴衣の熱苦しい鼓舞。


 二人の狂気に挟まれたカッパとラーナは、ついに覚悟を決めた。


(……もし死んだら……あのウニとアワビが……最期の晩餐になるんだ……)


(……名古屋のみんな……ラーナは……北海道の壁になるよ……)


 二人は冷たい鎖を握りしめ、一歩一歩、垂直の壁を登り始めた。


   *


 ついに。


 垂直の壁を登りきった。


 四人は本殿の立つ、岩山の頂へと到達した。


 日焼けした肌は汗と泥でドロドロ。

 カッパとラーナは、声もなく地面に倒れ込んだ。


 リリーが本殿へカメラを向けた。


「……あれ……?」


「……え……?」


 地面に倒れていたカッパとラーナが顔を上げた。


 そこにあったのは、石造りの壮麗な本殿ではなかった。


 岩の亀裂に無理やり押し込まれたような、小さな、木造の、古びた、そして致命的にショボい社が一つ。


「……これ……?」


「……これが……あの……鎖の壁の……先にあるもの……?」


 カッパとラーナの心の中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。


「……うふふ……。……あんなに死ぬ思いをして登ったのに……私の家の近所の……お地蔵さんの方が……立派だよ……」


「……ガッカリすぎる……。……日本一危険なのに、日本一ショボいって……ハハッ! これはこれで数字が伸びる!」


 リリーだけが、そのショボさを再生数の最大化へと繋げるべく、爆笑しながら撮影を続けていた。


「……ふふ……。……先祖も……苦笑いね……」


 龍馬DNAが少し冷めた晴衣も、ショボい本殿の前でしょんぼりとしていた。


   *


「……帰ろっか、カッパちゃん」


「……うん、ラーナちゃん。名古屋に帰りたくなっちゃった……」


 泥だらけの膝を払い、絶望の鎖を降りる決意をして振り返った、その瞬間だった。


「「「…………っ!!!」」」


 四人の呼吸が、同時に止まった。


 視界のすべてが、青に飲み込まれた。


 そこには、自分たちが登ってきたはずの地面がなかった。


 眼下に広がるのは、どこまでも透き通った日本海。

 だが、それはもはや「海」という言葉では形容できなかった。


 空の青と、海の青。


 その二つを分かつはずの水平線が、どこにも存在しない。


 濃密なコバルトブルーが、柔らかなスカイブルーへと溶け合って、世界は巨大な青い繭の中に閉じ込められたようだった。


「……ねえ、……カッパちゃん。……私たち、……生きてる……?」


 ラーナが震える声で呟いた。


「……分かんない。……でも、……もしここが天国だとしても、……この景色が見られるなら……後悔しないかも……」


 カッパは握りしめていた鎖の冷たさも、足の震えも忘れて、ただその青を瞳に焼き付けていた。


 名古屋の街中で見上げる、ビルに切り取られた灰色の空とは違う。

 宇宙の深淵を覗き込んでいるような、命が根源から震えるほどの「絶対的な青」だった。


「……あ、……あ、……あ…………」


 いつもなら「最高!」「神回確定!」と騒ぎ立てるはずのリリーが、カメラを構えたまま固まっていた。


「……リリー? 解説は……?」


「……無理。……これ、無理だよ……。……エモいとか……ヤバいとか……そんな言葉、使ったら……この景色に……失礼すぎるもん……」


 再生数に魂を売ったはずのYouTuberが、あまりの美しさを前に、語彙力を完全に喪失していた。


「……わしも、……土佐の海が一番じゃと思っとったが……。……これは、……いかん。……龍馬さんも……腰を抜かすわ……」


 晴衣も、先祖譲りの豪胆さをどこかに置き去りにして、ただ一人の少女として、北の海の神秘に圧倒されていた。


「……カッパちゃん。……私、絶対に忘れない。……この色も、……風の匂いも、……今、二人で見てるこの瞬間も……」


 ラーナがカッパの手をぎゅっと握りしめた。


 日焼けした二人の手のひらを通して、お互いの心臓の鼓動が伝わってくる。


 ああ、私たちは生きている。


 この過酷な壁を登りきった者だけが許される、最高のご褒美を、今、魂に刻んでいる。


 せたなの海は、ただ静かに、鏡のように空を映し続けていた。


 ショボい本殿のことなど、もう誰も覚えていなかった。


   *


 ライダーの多くは、国道五号線を走る。

 速くて、楽で、間違いがないからだ。

 だから、このせたな町まで来る者は少ない。


 わざわざ遠回りをして、何もない海岸線を走って、それでも来たいと思った者だけが、ここに辿り着く。


 ここには、ガイドブックには載らない風がある。


 三本杉岩の前で感じる、海の圧。

 丘を駆け上がった瞬間に、世界が開けるあの感覚。

 言葉にならないまま、ただ叫ぶしかなかった、あの時間。


 そして、命を削って登った先で見た、「何もない」からこそ辿り着けた、あの青。


 速さでは辿り着けない景色がある。

 効率では触れられない感情がある。


 遠回りをした者だけが、ほんの少しだけ、自分の奥にある何かに触れることができる。


 せたなは、何もない場所じゃない。

 何かを取り戻すための場所だ。


 だからきっと、また来る。

 風に呼ばれたら、迷わず、この道を選ぶ。







【エネミー図鑑 No.005】

名前:太田山神社

出現エリア:せたな町・断崖絶壁

種族:神域フィールドボス

属性:狂気/試練/絶景

HP:∞(削れない)

MP:∞(常時発動)

攻撃力:A(精神ダメージ特化)

防御力:EX(概念)

素早さ:B(逃げ場なし)

知性:S(意図的に試してくる)

理性:???(人間基準では測定不能)


固有スキル

■《垂直の洗礼》  ほぼ90度の階段と鎖による連続攻撃。  発動条件:鳥居をくぐる  効果:脚部破壊+心拍数上昇+後悔

■《スケルトンブリッジ》  視覚的恐怖を最大化する中間ギミック。  効果:足がすくむ/進むしかないという絶望

■《ショボい本殿》  頂上到達時に発動。  期待値を根こそぎ破壊する精神攻撃。  効果:虚無+笑い+価値観の崩壊

■《天空の境界線》  一定条件(生存+登頂)でのみ発動。  言語能力を奪い、存在そのものに直接干渉する。  効果:感情停止/記憶への刻印(永久)


ドロップアイテム

・限界を超えた実感 ・語彙力の喪失 ・一生消えない「青」 ・筋肉痛(3日間)


攻略法

・覚悟を決める(必須) ・途中で「帰りたい」と言う(正常反応) ・ショボい本殿に怒らない(重要) ・最後の景色まで諦めない


備考

登る理由は人それぞれだが、 降りてきた者は、だいたい同じ顔をしている。

なお、 「こんなの余裕でしょ」と言った者から順に後悔する。

そしてもう一つ。

この神社は、 登った者に何かを“与える”わけではない。

ただ、 もともと持っていた何かを、思い出させるだけである。


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