k-28 まんべくんと乙女の死闘
朝六時。
朝靄に包まれた仲洞爺キャンプ場を、二台が走り出した。
湖の北側をなぞる道道をゆっくりと進むと、右手に洞爺湖の鏡のような湖面が広がった。
チップのオバサン、花火、湖畔の温泉。
二人はそれぞれ、昨日の出来事を頭の中で反芻しながらアクセルを開けた。
道道から国道230号へ。
洞爺湖を見下ろしながら坂を下ると、前方に噴火湾が広がった。
次は国道37号のシーサイドライン。
海風が心地よかった。
二台が並んで走った。
八時半頃、長万部町で国道5号に合流した。
*
かにめし本舗かなやの駐車場にバイクを停めた。
「ここ、すごいカッコイイね」
ラーナが店内の奥を見て声を上げた。
本物の特急列車のブルーのクロスシートが並んでいる。
窓枠もテーブルも、本物の列車を再現していた。
壁には駅名のプレートが飾られていた。
「うん! 本当に駅弁を食べてる感じがするね」
二人はかにめしを手に持って、列車の席に腰掛けた。
外は北海道の夏の朝。
目の前には本物の列車の景色。
手の中には本物のかにめし。
旅というのは、こういう瞬間の積み重ねだ、とカッパは思った。
*
かにめしを食べ終えて、二人がバイクに跨ろうとした時だった。
かなやの目の前にある長万部駅に、何かがいた。
「あ! 変なゆるキャラがいるよ? 行ってみよう!」
「行こう! 行こう!」
二人はバイクでそちらへ近づいた。
ハサミを持ったカニのような生き物が、駅前に立っていた。
ほんのり笑顔をしている。
(かわいいじゃないか)
二人は無警戒に近づいた。
まんべくんというゆるキャラが、かつて日本中のゆるキャラ界隈を震撼させた存在であることを、二人は全く知らなかった。
「変なゆるキャラ! 写真撮ってもいい?」
まんべくんが、ほんのり笑顔のまま体をわずかに傾けた。
「本当に変なゆるキャラ! カニなの? アハハ! ハサミはザリガニっぽい!」
その瞬間だった。
まんべくんの両手のハサミが、ゆっくりと二人に向けられた。
二人は目を見合わせた。
「……あれ、なんか近づいてきてない?」
「……来てる。来てるよ」
ハサミが開いた。
「今、攻撃しようとした?」
「うん! ハサミで切られそうになった!」
二人はとっさにバイクを動かして距離を取った。
まんべくんはほんのり笑顔のまま、二人を静かに睨みつけていた。
「本当に変なゆるキャラ!」
「うん! 絶対に変なゆるキャラだ!」
その瞬間、まんべくんが走り出した。
全力で。
「キャー!! 来てる! 来てるよ〜! 怖い! 怖いってば!」
「キャー! 速いよ! アイツ! モレでも振り切れない!」
時速三十キロで全力逃走する二台の真後ろを、ほんのり笑顔のまんべくんが必死で追走している。
ハサミを広げたまま、一切ペースを落とさない。
「カッパ! 先に行かないで〜!」
「ラーナも早く! 早く! 捕まったらハサミで切られちゃう!」
バックミラーに、ほんのり笑顔のまんべくんが映り続けている。
距離が縮まる。
引き離されない。
二人は駅前の通りを、悲鳴を上げながら逃げ続けた。
二キロほど逃げたところで、東京理科大学の北海道キャンパス付近を過ぎると、ようやくまんべくんのペースが落ちた。
二台はそのままアクセルを全開にして、まんべくんの視界から消えた。
「……逃げ切った……」
「……逃げ切ったよ……」
二人はしばらく、荒い息をついていた。
*
八雲町のセイコーマートで休憩した。
二人はスマホで「長万部 ゆるキャラ」と検索した。
まんべくんの名前が出てきた。
次に「まんべくん」で検索すると、関連記事がずらりと並んだ。
「「本当にヤバいやつだった!」」
二人は揃って叫んだ。
まんべくんは、ゆるキャラとして異例の過激な発言で知らていたキャラクターだった。
もともとは大人しくなっていたはずなのだが、今日の二人の「変なゆるキャラ」「ハサミがザリガニっぽい」という発言が、長らく封印されていたスイッチを入れてしまったらしかった。
二人はゆるキャラというものへの考えを、根本から改めた。
*
十一時半頃、森町に入ると、正面に駒ヶ岳の雄大な姿が見えてきた。
森駅の目の前に、柴田商店があった。
「イカ飯がありますよ!」
「買おう! 買おう!」
二人は迷わずイカ飯を十個まとめて買った。
それだけの数を手に取った時の店員さんの顔を、二人はしっかり覚えた。
また走り出した。
道道43号の大沼周回道路に入ると、木漏れ日の中を湖畔のワインディングが続いた。
*
「着いたー! ここ! ここが私のイチオシのキャンプ場だよ! ラーナ!」
「洞爺湖も綺麗だったけど、ここは本当に別格だね! 早くテント張ろう!」
東大沼キャンプ場の背景に、駒ヶ岳が大きく立っていた。
大沼の水面が、光を受けて揺れていた。
二人はキャンプ場の端っこにバイクを停めて、敷地内のギリギリのところにテントを張った。
「ここなら人も少ないし、良いよね!」
「そうだね。本当に静かでいいね」
テントを張り終えると、二人は椅子を出して森駅のイカ飯を取り出した。
大沼の湖を眺めながら、黙って食べた。
イカの中にご飯が詰まっている、シンプルな駅弁だ。
でも、この景色の中で食べると、信じられないくらい美味かった。
「ずっとここで暮らしたい……」
「うん……ここで暮らしたい……」
二人はイカ飯を手に持ったまま、湖に視線を落とした。
*
しばらく黄昏ていると、二台の原付がキャンプ場に入ってきた。
一台はカワサキ・ローソンレプリカ仕様のモンキーカスタム。
もう一台はYAMAHA YB-1 four。
二台からそれぞれ荷物を下ろした二人組が、こちらへ歩いてきた。
「カッパ! 久しぶり! 五月以来だね!」
振り返ると、リリーと、もう一人見慣れない女性が立っていた。
「リリーさん! モレで来ちゃいました! こっちが友達のラーナ!」
「初めましてだね! ラーナ、私はカッパの友達のリリー。そして、こっちが晴衣。最近、仲良くなって晴衣もバイクを始めたの」
「カッパちゃんもラーナちゃんもよろしくね! 私は五月からバイクに乗り始めたばかりだから、お手柔らかにね!」
「それなら、私の方がバイク歴は短いですよ! 私は六月から始めたばかりだもん」
「始めてまだ一ヶ月なのに、もう北海道まで来たの!? すごいね!」
リリーと晴衣もテントを設営した。
四人が湖を向いて並んだ。
カッパがイカ飯を広げると、四人で分け合った。
しばらく、たわいもない話をしながら湖を見つめた。
誰が言い出したわけでも、話が盛り上がったわけでも、特別なことがあったわけでもなかった。
ただ、同じ景色を見ているだけで、四人は仲良くなれた。
カッパにとって、この大沼公園キャンプ場は本当に特別な場所になっていた。
「なんかこの感じ、忘れたくないな」
カッパが独り言のように呟いた。
「こういうバカなこと、ずっと続けばいいのに」
ラーナも独り言のようにそれに答えた。
ゴールデンウィークに大人たちに連れてきてもらった場所に、今は自分のモレで来ている。
そして隣には、ラーナがいる。
その向こうには、リリーと晴衣がいる。
駒ヶ岳のシルエットが、夕暮れの空に浮かんでいた。
大沼の水面が、橙色に染まっていく。
四人が、黙って、それを見ていた。
YAMAHA YB-1 Four
型式 BA-UA05J
最高出力 4.1ps / 7,500 rpm
【エネミー図鑑 No.001】
名前:まんべくん
出現エリア:長万部町・駅前付近
種族:ゆるキャラ(擬態型)
属性:混沌/甲殻類
HP:???(減らない)
MP:∞(SNSで補充)
攻撃力:C
防御力:B(着ぐるみ補正)
素早さ:S(※原付30km/hに追従)
知性:A(発言が鋭すぎる)
理性:E(封印済み)
固有スキル
■《ほんのり笑顔》
常時発動。威圧感を与えないように見せかけて精神を削る。
■《ハサミアタック》
物理攻撃。見た目以上に怖い。回避推奨。
■《全力追走》
対象が逃走した場合、自動発動。
一定距離まで絶対に諦めない。
■《炎上言語》
広範囲デバフ。対象の常識を破壊する。
※現在は一部封印されている可能性あり
ドロップアイテム
・トラウマ
・笑い話(高確率)
・北海道の思い出(稀)
攻略法
・不用意に「変なゆるキャラ」と言わない
・ザリガニ扱いしない
・目を合わせたら即離脱
備考
一見ゆるいが、決して油断してはならない。
本個体は、過去にゆるキャラ界隈へ多大な影響を与えた危険個体である。
なお、時速30kmで追ってくる時点で、
すでに“ゆるくない”。




