k-27 洞爺湖のチップ
苫小牧市を速やかに立ち去ったカッパとラーナは、夕方になる前に洞爺湖の仲洞爺キャンプ場へと到着した。
テントの張り方は、アハロのガレージで花とモト子に何度も練習させてもらっていた。
二人は難なくテントを張り終えた。
「凄くいい湖だね! 真ん中に島があるよ?」
「あの島まで泳げるかな?」
「私、泳ぎには自信あるよ!」
「私も!」
二人はすぐさま着替えた。
中学校の頃のスクール水着を引っ張り出して、勢いよく湖に飛び込んだ。
「冷たくて気持ちいい!」
「本当だね! 今日は暑かったから本当に気持ちいい!」
湖には水上バイクやカヌーや、水遊びをしている子供たちがいた。
「あの島まで行けるかな?」
「誰も行ってないね」
「私なら行けそうな気がするんだけどなぁ〜」
「さすが河童だもんね〜」
「アハハ! そうだよ! 私は河童だもん。行けるよね?」
二人は中島を目指して平泳ぎで泳ぎ出した。
かなり沖まで進んだ頃、一隻の漁船が近づいてきた。
「おい! オメエだち! こんな所まで来てどうすんのよ!」
二人は立ち泳ぎをしながら答えた。
「あの島まで行ってみたくて!」
「あの島には何があるの?」
「なんもねぇぞ? あんなとこにあるわけねぇべや! はんかくさせんでねぇの?」
「はんかくせ?」
「バカって事だ」
「バカの方が短いのに、はんかくせーって長くなってますよ?」
「またはんかくせぇこと言ってるべさ。とにかく今から中島行っても岸に戻る頃には夜になって危ねぇぞ? このまま引き返せ!」
二人はオジサンの言うことが最もだと思った。
このペースで泳いでいれば、中島に着く頃は夜になっているはずだ。
二人はオジサンにお礼を告げて、平泳ぎでキャンプ場まで引き返した。
オジサンが二人の泳ぎを確認してから、船で立ち去っていくのが見えた。
*
キャンプ場に隣接する温泉「来夢人の家」に二人で入った。
湯船に浸かって、夕暮れの湖を眺めていた。
「来てよかったね」
「うん! 原付でも北海道まで来れるんだね!」
「うん! 来れたね!」
「ママにLINEするの忘れちゃった! 今日一日、一度も写真撮らなかったよ」
「私もブログ用の写真を一枚も撮ってなかったよ……ダメだ! 楽しすぎて撮影どころじゃないね!」
ラーナがそれを聞いて笑い出して、カッパもつられて笑ってしまった。
*
日が沈む前に温泉から上がって、テントへ戻った。
来る前にセイコーマートで買っておいたパンを取り出した。
「!? このクロワッサン、凄く美味しい!」
「本当だ! 明日もコレ買おう!」
「そうだね! 私は北海道滞在中、このクロワッサンだけでもいいよ!」
「いや、ラーナはまだやきとり弁当の美味しさをわかってないんだよ!」
「なぜ、焼き鳥をお弁当に入れるのよ? ハセストっていったいなんなのよ……」
「行けばわかる!」
その時、湖の向こうで花火が上がった。
「「!?」」
「花火だ!」
「なんで?」
「知らない!」
辺りのキャンパーたちを見ると、誰も驚いていなかった。
これは当たり前のことなのだとすぐにわかった。
二人も椅子を湖側に向けて、パンを片手に花火を眺めた。
「来てよかったね」
「うん! モレとなら何処までも行ける気がするよ」
「モルフェも何処までも行けるよね?」
花火が終わる頃、カッパがハッと立ち上がった。
「あ! またブログ用の写真忘れた! せっかく花火上がったのに……」
「アハハ! 私もママにLINEを送るための写真撮り忘れたよ。もうこのテントでいいや!」
ラーナがテントの写真を撮って母親にLINEを送った。
二人の夜はこうして更けていった。
*
翌朝、まだ夜が明けきれない霧の中で、二台の原付が湖畔を疾走っていた。
洞爺湖が気に入った二人は、早朝から湖畔を走り回っていた。
霧の中から、漁船の姿が見えた。
「あ! 昨日のオジサン!」
水揚げをしていた漁師が二人に気づいて声をかけてきた。
「何見てんだ?」
「この魚ってどうするの?」
「食うに決まってるべや! 何、はんかくせぇこと言ってんのよ! オメェたち、チップ知らねぇのが?」
「「チップ?」」
「これは湖で取れる鮭みたいなもんだわ! 食って見るが?」
「食べてみたいです!」
「それなら、手伝えや! そこのウインチ巻いて舟を丘に上げてくれや!」
オジサンがウインチの使い方を教えてくれた。
二人が舟を引き上げている間、オジサンはヒメマスの入ったカゴをSUZUKIキャリーに積み込んでいた。
「着いてこい! ウチでチップ食わしてやるから」
二人はオジサンのキャリーに着いていった。
*
オジサンの家に着くと、奥さんが外へ出てきた。
「さあ、中で食べてきなさい。今から作ってあげるからね」
オジサンはそのままキャリーで出かけてしまった。
二人はリビングで奥さんが出してくれたオロナミンCを飲みながら待った。
やがて、ヒメマスの串揚げが二人の前に並んだ。
「……わぁ、キラキラしてる。揚げ物なのに、なんだか綺麗……」
ラーナが割り箸でそっと串を持ち上げた。
一口囓った瞬間、「サクッ」という軽やかな音がリビングに響いた。
「……んんっ!? なにこれ、ふわっふわ!」
川魚特有の臭みがない。
上品で甘い脂の香りと、口の中で淡雪のように解ける真っ白な身だけがある。
「美味しい! それに、骨が全然当たらない……。まるごと全部、スナックみたいに食べられちゃう!」
「ゆっくり食べなさい」と微笑む奥さんの前で、二人の箸は止まらなかった。
「チップって、こんなに味が濃いんだ……。名古屋で食べてるお魚とは全然違う。冷たい湖の味がする気がする……!」
「本当だね、カッパ。……オロナミンCのシュワシュワと、この揚げたての脂が……なんだか、体中に染み渡るみたい」
フェリーで揺られ、排気ガスを吸い、慣れない北の大地を走ってきた疲れが、一口ごとに溶けていくようだった。
「おじさん、あんなにぶっきらぼうだったのに……こんなに優しい味のもの、食べさせてくれるなんて」
二人は顔を見合わせて、幸せそうに口いっぱいにチップを詰め込んだ。
*
「凄く美味しかったです! ご馳走様でした!」
「お二人は高校生?」
「はい。二人とも一年です」
「あら、そんなに若いのに二人でスクーターで来たの?」
「あ、でも、私たちは名古屋からフェリーで来たので、実際に走ったのは苫小牧から洞爺湖までですよ」
「あら、そうなの。苫小牧からなら半日で着くもんね。昨夜は洞爺湖のホテルで泊まったの?」
「テントです。あ、そういえば! 昨夜、湖畔で花火が上がったんですけど、お祭りだったんですか?」
「あぁ、洞爺湖は夏休み中、毎日上がるのよ」
二人は顔を見合わせた。
(それで昨夜のキャンパーたちが誰も驚いてなかったのか)
「チップのオバサン! お願いします! スマホの充電させてください! なんでもします!」
奥さんが少し笑った。
「充電ね! いくらでも充電していいわよ」
二人はすぐにコンセントを借りてスマホを挿した。
充電ランプが点いた瞬間、ラーナが「生き返った!」と叫んだ。
*
「今夜も洞爺湖に泊まるなら、これからバイトしてみない?」
「バイトですか?」
「今食べたチップの串揚げなんだけど、とうやMarcheっていう直売所で売ってるの。竹串を刺すアルバイトをしてみない?」
「やりたい! 私にもできるかな?」
「大丈夫。誰でもコツを掴むとできるから」
「うん! 私もやりたい!」
*
加工場に入ると、銀色に輝くヒメマスが整然とバットに並んでいた。
二人は作業着とキャップを借りて、竹串を手に取った。
「よし、やるぞ……!」
「……カッパ、それ、お医者さんみたいだよ」
最初の十五分は、見るも無惨だった。
「あわわ! ラーナ、そこから刺すと身が割れちゃう!」
「ええっ!? でも、中心を通そうとすると……ほら、皮を突き破っちゃった!」
魚の体は意外と弾力があって、力任せに刺すと串があらぬ方向へと逃げていく。
カッパの一匹目はS字を描くように身が波打ち、ラーナの一匹目は尻尾の方から串が飛び出してしまった。
「……これ、めちゃくちゃ難しいね……」
ベテランのおばさんに「中骨に沿わせるように、滑らせるんだよ」と教わって、二人の動きが変わり始めた。
「……あ、わかったかも。力を入れるんじゃなくて、串の先を信じる感じ?」
カッパが、モレのアクセルを繊細に開ける時のように、指先に神経を集中させた。
スッ、と手応えがあった。
中骨のキワを、竹串が迷いなく貫通したのだ。
「できた! ラーナ見て! 串がセンターを通ったよ!」
「すごい、カッパ! ……よし、私も……芯を意識して……あ、通った!!」
一時間後、作業場には「トスッ、トスッ」という小気味よい音が響き始めた。
左手でヒメマスの頭を軽く押さえ、右手で竹串を滑り込ませる。
カッパは正確に、ラーナは丁寧に。
「……カッパ、なんだか楽しくなってきた。無心になれるね」
「うん。……これ、一匹一匹が、誰かの『美味しい』になるんだもんね」
バットの中に、完璧な串揚げ予備軍が山のように積み上がっていった。
*
昼になると、奥さんがとうやMarcheの食堂メニューを二人に手渡した。
「好きなものを食べていいわよ」
二人はとうやあか丼を注文した。
午後に再び加工場へ戻って串を刺し続け、午後二時に全てのヒメマスへの串打ちが終わった。
奥さんから日払いの封筒を受け取って、二人はキャンプ場へ戻った。
封筒を開けると、それぞれに一万円が入っていた。
「一万円も入ってた! まだ十五時なのに!」
「きっとチップオバサンの優しさだね。有難く貰っておこう! そして、帰り道に寄ってお土産を渡そうよ!」
「そうだね! 必ず帰り道でまた寄ろう!」
二人は再びこの洞爺湖に来ることを決めた。
*
その夜も花火が上がった。
二日連続で、二人は花火を眺めた。
昨日と同じ場所に椅子を出して、同じように湖を向いた。
でも、昨日とは少しだけ違う夜に感じた。
見知らぬオジサンの漁船。
チップのオバサンのリビング。
加工場でのベテランさんの「中骨に沿わせるんだよ」という言葉。
旅は、行き先だけじゃなかった。
道の途中で出会う人も、旅の一部だった。
花火が夜の湖に映っていた。
カッパはゴールデンウィークの時とは全く違う北海道に、大いに満足していた。
あの時は大人たちに連れられていた。
今は、自分たちで走っている。
「来てよかったね」
「うん」
二人は花火が終わるまで、たわいもない会話を続けていた。
SUZUKI キャリイ
型式 3BD-DA16T
最高出力 50ps / 6,200rpm




