k-26 はるばる来たよ苫小牧
夏休み初日。
名古屋港の乗船待機エリアに、二台の原付が並んでいた。
リアキャリアにホムセン箱を積んだモレと、同じくカゴにぎっしり荷物を詰め込んだモルフェ。
二台とも、見るからに旅の準備が整っていた。
「二人とも気をつけてね」
ジリーノが笑顔で見送った。
カッパとラーナはジリーノに手を振りながら、車両甲板へと消えていった。
乗船手続きが終わると、二人はすぐに甲板へ駆け上がった。
港のターミナルにジリーノの姿を見つけて、両腕がもげそうなほど手を振った。
「「行ってきまーす!!」」
フェリーが動き出しても、港が見えなくなるまで、二人は甲板に立ち続けた。
*
B寝台は狭かったが、二人にとってはそれが却って「自分たちの城」のようで落ち着いた。
「本当に海の上でジャズライブがあるの?」
「うん! あるよ! 凄いかっこいいんだよ!」
名古屋港を出港して数時間。
フェリー「いしかり」が伊勢湾を抜け、太平洋の深い闇へと舳先を向けた頃、船内に柔らかなアナウンスが響いた。
カッパがラーナの手を引いて、吹き抜けのラウンジへと向かった。
*
重厚な扉が開いた瞬間、ラーナの口から無意識に溜息が漏れた。
大きなガラス窓の外は、一寸先も見えない漆黒の海。
その闇を背負うように置かれたグランドピアノの前に、一人のピアニストが座っていた。
「……すご……」
シャンデリアの光を反射するピアノの黒いボディと、その上で踊る指先。
軽やかで、どこか切ないジャズのスタンダードナンバー。
二度目の乗船で少し余裕のある表情のカッパが、ラーナの耳元で囁いた。
「ね、すごいでしょ? 私たち、今、海の上に浮かんでるんだよ」
その言葉に、ラーナの全身に鳥肌が立った。
時折、船体が低く唸り、足元から微かな振動が伝わってくる。
何万トンという鉄の塊を動かすエンジンの鼓動と、繊細なピアノの旋律が、不思議とひとつの音楽のように重なって聞こえた。
(昼間はヘルメットを被って排気ガスにまみれていたのに、今はメロンソーダを片手に、ジャズを聴いてる……)
「……ねえ、カッパ。……私、なんだか、物語の中に迷い込んだみたい。……このまま、夜が明けなければいいのに」
ラーナがカッパの手をそっと握った。
ピアノの音色が、波のうねりに合わせて揺れているように感じた。
学校の教室では絶対に味わえない、自由という名の少し苦くて甘い音。
それは、初めて手にした原付の免許証よりもずっとリアルに、「私は今、旅をしているんだ」という実感となって、ラーナの胸を震わせた。
*
ライブが終わると、二人は夜の甲板へ出た。
目の前に、大きな月があった。
「海の上の月はこんなに眩しいんだね!」
「うん! さっきのジャズのFly Me To The Moonって、私を月まで連れてってって意味なんだってさ」
ラーナが大の字に寝転んで、大きな声で歌い始めた。
「♪フラーイ ミ トゥ ザ ムーン!♪ ウフフ……あ、ダメだ! 笑っちゃう!」
「♪フラーイ ミ トゥ ♪ アハハ! ダメ! 私も笑っちゃう!」
「「♪フラーイ ミ トゥ ザ ♪ アハハ!」」
二人で寝転んだまま、笑いが止まらなかった。
太平洋を二人きりで貸し切りにしているようで、愉快でたまらなかった。
月の光が海面に真っ直ぐ伸びて、まるで月へ続く道のように見えた。
スクーターは青春なのだと、二人の中で確信に変わっていた。
*
二日目。
フェリーが仙台港に一時寄港した。
二人は港近くのコンビニへ走って、カップラーメンやお菓子を買い込んだ。
「焼きそばバゴーンって名古屋で見かけないね」
「うん! でも、北海道にはもっと凄いものが売ってるよ! セイコーマートってコンビニには見たことない商品ばかりだよ!」
「セイコーマート? コンビニなの?」
「そう! コンビニ! 函館にはハセストってコンビニもあるよ! モレのステッカーはそこで買ったの!」
「あぁ、あのやきとり弁当ってステッカーね!」
船の給湯室でお湯を焼きそばバゴーンに入れながら、二人はセイコーマートやハセストの話で盛り上がった。
仙台を出発してから、二日目の夜もジャズライブを堪能した。
この日は早めに寝台に戻ることにした。
「明日はいよいよ北海道だね!」
「うん! 晴れるといいね!」
狭い寝台の中で、二人はすぐに眠った。
*
三日目の朝。
窓の外の光が変わった。
二人は甲板へ飛び出した。
空が広い。
名古屋の空よりも、フェリーの上で見た空よりも、もっと広い空が、どこまでも続いていた。
苫小牧港が近づいてくる。
岸壁が見えてきた。
緑が見えてきた。
どこまでも、どこまでも、緑と空が続いていた。
「ついたよ、ラーナ!」
「うん! 北海道だ!!」
*
車両甲板からモレとモルフェを押し出して、北海道の地面を踏んだ。
二人は顔を見合わせた。
何か言おうとしたが、言葉が出てこなかった。
それでよかった。
まずはセイコーマートへ向かって走り出した。
*
セイコーマートに入ると、二人はすぐに見慣れないものを見つけた。
「これって学生でも作れるのかな?」
「あ! こんなカードがあるんだね」
レジのおばさんが優しく教えてくれた。
「このカードはクレジットカードじゃないから誰でも作れるわよ」
二人は即決で申込用紙に記入した。
しばらくして、ピカピカのセコマカードが二枚、二人の手に渡った。
二人は大切そうに財布へしまい込んだ。
レジのおばさんが微笑んでいた。
*
「やっぱりセイコーマートのチキンは別格に美味しい!」
「本当だね! これお店で作ってるんだね!」
「そうみたいだよ! ちなみにハセストは店内で焼き鳥も焼いてくれるよ」
「ハハハ! さすがにそれは嘘だよ〜」
「まあ、信じなくてもいいけどさぁ!」
セイコーマートの駐輪場で、フライドチキンを頬張りながら二人は笑い合った。
カッパはカツゲンを飲んだ。
ラーナも飲んだ。
「甘い! 牛乳よりも甘い!」
「でしょ! これが北海道なんだよ!」
食べ終わると、二人はヘルメットをかぶった。
走り出した。
信号機が、少ない。
名古屋の道では、少し走るたびに赤信号に捕まっていた。
ここでは、どこまで走っても信号がない。
アクセルを開けたまま、ずっと走れる。
モレのエンジンが軽やかに鳴った。
モルフェが並走してきた。
広い空の下を、二台が風と一体になって走っていた。
夏休みはまだ始まったばかりだ。




