k-25 私たちの未来地図
ラーナが原付を買って初めての週末。
アハロのガレージには買ったばかりのラーナの原付とジリーノの原付が停まっていた。
そんな2人の原付を見るためにクレアおばさんとカッパがガレージで出迎えた。
クレアおばさんとカッパが、二台の原付を眺めていた。
「ジリーノさんはやっぱりベスパなんですね! とても趣味が良いわね!」
「そうでしょ? このベスパはもう十年くらい乗ってるのよ。ラーナも原付を買ったから今後は娘とこうして二人で走れるわね」
ジリーノのベスパの横に、ラーナが新たに買ったスクーターが並んでいる。
「ラーナちゃんのスクーターも珍しいスクーターね。初めて見たわ」
原付歴の長いクレアおばさんが、珍しそうにジロジロと眺めている。
「ラーナのスクーターって珍しいんですか?」
「そうね……かなりレアなスクーターね……これはYAMAHAのビーノでいいのよね?」
「はい! これはYAMAHAのビーノモルフェ! ビーノの姉妹だってさ!」
「へぇ〜、ビーノにこんなバージョンがあったのね〜」
クレアおばさんがジリーノのベスパよりも熱心にモルフェを眺めていたので、ラーナがドヤ顔になっていた。
カッパとジリーノが微笑んで見ていた。
その夜も先週と同じように、母娘で夕飯を食べて、ジリーノだけがベスパで帰っていった。
今週もカッパとラーナのお泊まり会は深夜まで続いた。
こんな週末が、梅雨が完全に終わるまで続いた。
二人はどんどん仲が良くなっていった。
ラーナもジリーノの言う「スクーターは青春の証」という言葉の意味を、だんだんわかりかけていた。
*
梅雨が明ける頃、カッパとラーナは二台で通学するようになっていた。
学校が終わるとそのままアハロまで走り、閉店までアハロに入り浸る日々だった。
ただ、梅雨が明けると同時に、アハロの宿泊客が戻ってきた。
カッパは週末フルで勤務するようになって、お泊まり会ができない週末が増えた。
申し訳ないと思いながらも、カッパは裕福な家庭ではないのでバイトは休みたくなかった。
ラーナもそのことを十分に理解していて、カッパのバイトを優先して週末のお泊まり会を自重していた。
二人の間には、言葉にしなくても通じることが増えていた。
*
季節は夏になった。
とある夏の日の中休み、モト子がカッパとクレアおばさんを事務所へ呼んだ。
「クレアおばさん、カッパ。これを受け取って」
封筒が二つ、手渡された。
クレアおばさんはありがたく受け取った。
カッパが封筒の中を見た瞬間、手が止まった。
「お、お、おか、おかか! おかね! お金です! お金が入ってます!」
「夏のボーナスよ」
モト子が笑いながら言った。
「ボーナス!? 私が!? どうして……」
「ウチは利益率が他の飲食店よりも高めなのよ。遠慮せず貰っておきなさい。利益が出たら分配するのは経営者なら当たり前の行為なのよ」
「利益率……ですか……? でも、ウチは料理の単価も安いし、宿泊なんて原付なら五百円ですよね? それなのに利益率が高いってどうしてですか?」
クレアおばさんが笑いながら言った。
「カッパとラーナはお泊まり会を何度もしたのにまだわからないの?」
「え? お泊まり会ですか? 利益率と何の関係が?」
モト子が丁寧に説明を始めた。
「カッパ、例えば牛丼屋さんを考えてみて。お客さんが入ってる昼間だけなら利益率が高いのはわかるよね?」
「はい。ランチタイムの利益率は高いと思います」
「でも、牛丼屋さんは二十四時間開けてなくちゃならないでしょ? お客さんがいない深夜でも人件費を払って、利益率がマイナスでも営業してなくちゃならないの。お客さんが来ない深夜は店を開けていても損が出てしまう。でも、閉めるわけにもいかない。だから深夜も頑張って回してるのよ」
「それなら、夜は閉めてるお店は人件費もかからないし、利益率とか関係ないんじゃ……?」
「そうね。普通の個人店なら人件費をかけるよりも閉めた方がリスクは無くなるから閉めてる店が多いけど、店を閉めるということはゼロが確定してしまうのよ」
「アハロも夜は閉めてますよね? ………あ、そうか! アハロはカフェは閉めてるけど宿泊が回ってるから深夜でもゼロにはなってないんだ!」
「はい! 正解。今の飲食店を見てると深夜帯はただの箱なのよ。深夜は利益がゼロのただの箱。ウチはカフェを閉めたあとも宿泊客がいる限り利益がゼロになることは無いの。逆に梅雨で宿泊客が来なくてもカフェが稼働してれば宿泊客が来なくてもゼロになる事は無いのよ」
「店長は天才ですか! こんな凄いシステムを何故、他の飲食店ではやらないんですか?」
「それは簡単よ。多くの日本人は旅をした事が無いから、ウチみたいな簡易宿に需要がある事すら知らないの。でも近年はようやく頭の良い人が民泊といって個人でアパートなどを借りて、そこを簡易宿として貸し出してる人も多くなったわね」
「皆、旅をした事が無いんですか?」
「それじゃカッパはこの笠寺周辺にどれだけのホテルや旅館があるのか知ってる?」
「あ、そういえば知りません! 笠寺にも泊まるところってあるんですか?」
「もちろんあるわよ。人は地元でも宿について考えたことがないのよ。それだけ旅に対して日本人って下手なのよ。修学旅行が唯一の旅行って人も多いからね」
カッパはゴールデンウィークを思い出した。
船上のジャズライブ。
甲板の大きな月。
函館の夜景と坂の街。
大沼公園キャンプ場の美しさ。
「そういえば私もゴールデンウィークが初めての旅でした……全部、オーナー任せだったから宿泊についても全然気にしてませんでした……そういえば! あの函館のライダーハウス ライムライトは冬はどうしてるんですか!? 函館なら雪が降るとお客さん来ないですよね?」
「その通り! 北海道のライダーハウスは冬は営業してないところが多いわね。ライムライトも冬はほとんど閉めてるわね。だからこそのアハロなのよ。梅雨と冬はカフェを頑張るの」
クレアおばさんも頷いた。
「だからこそ私はフレックスタイム制なのよ。暇な時は来なくてもいいの」
カッパはようやく理解した。
アハロはただの飲食店でも、ただの民泊でもない。
カフェと宿泊が互いに支え合って、それぞれの閑散期を埋め合っている。
二つの事業が絡み合っているから、どちらかが止まっても全体はゼロにならない。
それが、アハロの強さだった。
タイミングよく花が賄いを運んできた。
今日の賄いはシンプルな炒飯と佐野ラーメンだった。
食べてみると、なぜか恐ろしいくらい美味かった。
ラーメンのスープが澄んでいて、麺が細くて、でも食べ応えがある。
炒飯はパラパラで、それだけで白飯を食べるよりも幸せになった。
カッパは炒飯を頬張りながら、封筒の重みを思い出した。
(アハロがバイトにボーナスを支給できる理由は、こういうことか)
利益率が高い店だから分配できる。
分配できる店だから人が来る。
人が来るから、また美味いものが食べられる。
全部が繋がっていた。
*
「カッパ、夏休みはバイトを休んでもいいから、どこか旅をしてらっしゃい。カッパも旅人の気持ちがわかるようにモレで旅をしておいで!」
食べ終わった頃に、モト子が突然そう言った。
カッパは驚いたが、「モレで旅」という言葉を聞いた瞬間に、胸が踊るのがわかった。
「はい! わかりました! モレと旅行ってきます!」
花もクレアおばさんも、優しく頷いていた。
*
翌日の教室。
カッパは昼休みに一人で日本地図を広げて唸っていた。
「カッパ、何をさっきから唸ってるの?」
「実は夏休みに旅して来いって店長から言われてさ〜。いざ、旅と言われても何処に行けば良いのか悩むんだよね〜」
「まさか原付で行くつもり?」
「うん、もちろんモレと行くよ! クレアおばさんは青春18キップってのもあるって言ってたけど、JRだと時刻表を使いこなさないと怖いから、モレがいい! モレと走りたい」
「夏休みか〜。私も行きたいなぁ〜。モルフェでも行けるかな〜?」
「モルフェでも行けるよ! だって、同じ4stの花さんは青森県から四国を回って名古屋まで来たって言ってたよ?」
「そうなの? 青森県から四国を回って名古屋に!? そんなに走っても壊れないんだね」
「そうみたいだよ。ウチの店長もDT50で鹿児島から北海道まで走ったんだってさ」
「え? 店長さんも!? アハロの人達って実は無謀な人しかいないの?」
「ハハハ! そうかもね! 私もモレで旅しようとしてるからね!」
ラーナが地図を覗き込んだ。
「何日くらい旅するの?」
「店長はお盆期間は宿も混むしキャンプ場も混むからお盆前がオススメって言ってたから、夏休み入ったらすぐに旅に出てお盆前には帰ってきたいかな?」
「なにそれ! ほぼ一ヶ月間も旅するの!?」
「うん。本気で原付で旅するなら二週間単位で考えなくちゃダメなんだってさ」
「なんだか海外旅行よりも凄いことになりそう……。でも、なんかワクワクするね! 海外旅行でもせいぜい七泊くらいだもんね! ねぇ! ねぇ! 私も行きたい! ママに聞いてみるよ!」
ラーナが母親にLINEした。
すぐに返信が来た。
ラーナがにっこり笑って言った。
「ママ、OKだってさ! 私もモルフェで旅に出るよ! さあ、私にも地図を見せてよ!」
カッパはラーナが一緒に旅に出てくれると聞いて、嬉しそうに地図を広げた。
二人は日本地図を前に、ああでもないこうでもないと一日中笑い合った。
どこへ行くか。
何日かけるか。
どこで寝るか。
何を食べるか。
全部がまだ決まっていなくて、全部がこれからで、それが全部楽しかった。
旅は、地図を広げた時からすでに始まっている。
世の中に絶望していた少女は、もうどこにもいなかった。
カッパはとっくに、自由と希望を手に入れていた。
あとは、走るだけだった。
YAMAHA ビーノモルフェ(Rana機)
型式 JBH-SA54J
最高出力 4.5ps / 8,000rpm
Vespa LX 50 2T (Girino機)
型式 ZAPC381
最高出力 4.3ps / 7,500rpm




