k-24 ローマの青春は一日にして成らず
翌朝十時。
クレアおばさんのベッドメイクが始まると同時に、個室の二人が叩き起こされた。
「もうチェックアウト時間だよ! さあ! さあ! 起きて! 起きて!」
カッパとラーナは眠い目を擦りながら一階のカフェへ降りてきた。
「こら! カッパ! 遅刻だよ! もう朝の営業時間だよ!」
モト子の声で、カッパが一瞬で目を覚ました。
「あ! ごめんなさい! 今すぐ着替えて来ます!」
「嘘、嘘! 今日は夜からでいいわよ! 雨の日曜日だもん。暇だしね!」
窓の外では笠寺の梅雨がしとしとと続いていた。
モト子が優しく二人の前にラテを置いた。
二人はラテを飲んで、ようやく目が覚めてきた。
「夜更かしし過ぎたね。ウフフ」
「うん、初めて遅刻しちゃった」
花が厨房から二人分の朝食を持ってきた。
「こら! カッパちゃん! 堂々と遅刻して!」
「すみません。夜、挽回します!」
「冗談よ。さあ、食べて」
二人の前に、出来たてのクロックムッシュが並んだ。
こんがりと焼けたパンの香りが、静かな雨のカフェに広がった。
「パンも美味しいね」
「パンも花さんが作ってくれてるんだよ」
*
朝食を食べ終えると、二人はガレージへ向かった。
ガレージには、カッパのモレ、花のモトラ、モト子のDT50、クレアおばさんのスクーピーが並んでいる。
「色んな形のバイクがあるんだね。全部原付なの?」
「うん! 全部五十cc。百式の一三〇〇分の一だよ。こんなに小さいのに凄いよね。どうやって動いてるんだろうね」
「そうだね。百式よりも小さいのにどうやって動いてるんだろう?」
カッパがDT50のシートを撫でながら答えた。
「この店長のバイクなんて普通の車よりも速いんだってさ」
「うん! これが一番速そうだもんね。この子はめっちゃ遅そうだね」
ラーナがモトラを撫でた。
「うん! そのモトラは私のモレと店長のDT50とは全く別のエンジンなんだってさ。モレとDT50のエンジンはロストテクノロジーって鈴菌さんが教えてくれたんだ。なんかロストテクノロジーってカッコイイよね」
「それじゃモレも速いの?」
「たぶんね。まだ最高速度まで出したことないんだよね……でも、モレもアクセルを一気に開けるとビュンっと飛び出せるよ!」
「ビュンっと?」
「うん! ビュンっと!」
二人がガレージの中で笑い合っていると、フィアット500が路地に現れた。
「あ、ママだ!」
ジリーノが降りてきて、ラーナに声をかけた。
「昨夜は楽しめた? ラーナ」
「もう最高! 来週も泊まりたい!」
「いいわよ。自分で予約してみなさい」
「やった! カッパ、予約したい!」
「それなら、クレアおばさんにお願いすればいいよ! 空室もちゃんと把握してるから!」
クレアおばさんがガレージまでやってきて、来週の予約が滞りなく完了した。
*
「カッパさん、雨降ってるし家まで送りましょうか?」
「いえ、大丈夫です! 私はバイクなのでバイクで帰りますから!」
カッパがドヤ顔でモレを撫でた。
「そのスクーターで通学もしているの?」
「はい!」
「毎日?」
「はい!」
ラーナが横から口を挟んだ。
「カッパはねぇ〜。雨の日でも合羽を着て学校まで来てるのよ? カッパなのに合羽着てるんだよ」
ジリーノがカッパのモレをしばらく見つめた。
それから、ラーナに向かって言った。
「ラーナも免許を取りなさい」
ラーナが固まった。
「え? 免許?」
「そうよ。ラーナもカッパさんみたいに原付の免許を取りなさい」
「え? なんで?」
「スクーターはねぇ。青春の証なのよ」
「青春? スクーターが?」
ジリーノがクレアおばさんに向かって、ため息をつくように言った。
「最近の若者はローマの休日を見たことが無いから本当に困っちゃうわね……」
「本当にそう。ローマの休日を見てない乙女がいるって事が私にも信じられないわ……」
「ローマの休日ってママがいつも見てるDVD?」
「そうよ。ローマの休日でスクーターは自由の象徴として描かれてるのよ……。あの映画を見て、世界中の若者がスクーターに乗るようになるの。あの映画がなかったらスクーターという文化もここまで浸透してなかったかも知れないのよ?」
「嘘だ〜!」
「いえ、本当よ。ローマの休日を見ればわかるわよ」
「ローマの休日? そんなスクーターの映画があるんですか?」
カッパも目を輝かせた。
ジリーノとクレアおばさんが、同時に笑い出した。
「ローマの休日はスクーターの映画じゃないわ! 甘く切ないラブロマンで、一日だけ自由になった女の子の話よ」
「そうそう! ローマの青春は一日にして成らずなのよ! お二人さん!」
カッパとラーナだけが、きょとんとしていた。
(ラブロマンスなのに、なんでスクーターが出てくるんだろう……やっぱりスクーターの映画なのでは……?)
二人は目を合わせて、同じ疑問を目で伝え合った。
雨の笠寺で、フィアット500とモレが並んでいた。
*
数日後の教室。
ラーナがドヤ顔で何かをカッパに見せびらかしていた。
原付免許証だった。
「もう免許取れたの? 一発で?」
「当然! 一発で取れたよ」
「バイクは何買うの?」
「まだ決めてない。バイク選び手伝ってくれる?」
「私で役に立つかな〜?」
「それでもいいから付き合ってよ!」
*
翌日、二人は笠寺から自転車で、名古屋みなと方面へと向かった。
バイク王の名古屋みなと店。
大型店の店内には、ピカピカに磨き上げられた中古バイクがズラリと並んでいた。
「全部新車みたいにピカピカだ!」
「本当だね! どれが古くてどれが新しいのかよく分からないよね」
「うん、全部ピカピカすぎて2stなのか4stなのかもわからないや! ラーナは2stが良いの? それとも4stがいいの?」
「どっちでもいいよ! だってまだそのツーストもホーストも意味わかんないもん。でも、私もカッパみたいなカゴが欲しい!」
「そうだよね! カゴないと不便だよね! でも、カゴ付きなんてこの店には無いね」
「うん、別の店行こうか」
*
次に向かったのは、笠寺駅の東側、弥生町にある「せのおモーターサイクルショップ」だった。
店前にはスクーターがズラリと並んでいる。
「ここにもカゴが付いたスクーターが無いね……」
「うん、あまりカゴ付きのスクーターって無いのかな?」
もう一軒。
笠寺から少し北の呼続エリアにある「バイク&サイクル ミズノ」へ足を運ぶと、店の前にようやくカゴ付きのスクーターが並んでいた。
ラーナがすぐに飛びついて価格表を見た。
本体価格八万円。
他店で見たスクーターよりも数万円安い。
「安い! なんで? 何処か壊れてるのかな?」
「うん、そうかも……。お店の人に聞いてみようよ! すいません! これなんですけど、本当に八万円なんですか?」
「そうだよ。そのバイクは人気ないからね〜。バイクの中古車は年代が古くても人気次第で価格が変わるんだよ。新しくても人気が無いものは十万円以下なんだよ。このスクーターも兄弟車なら最低十三万円くらいなんだけど、この型は人気が無いから十万円以下で売らないと売れないのさ。壊れてるとこがある訳じゃないから安心してね」
カッパとラーナは顔を見合わせた。
なぜ何件回ってもカゴ付きのスクーターが無かったのか、ようやくわかった。
不人気車だから仕入れない。
不人気だから安い。
ラーナにとっては、最高の巡り合わせだった。
「これにする! これがいい! カッパとお揃いのカゴ付きスクーター!」
カッパが店主に頼んだ。
「すいません! 自分で名義変更させてもらえませんか? この子にも名義変更の手続きをやらせてあげたくて」
店主がカッパの思惑を理解したように、笑顔で答えた。
「うん! それがいいね。名義変更を君たちでやるなら、七万五千円でいいよ。二人で名義変更をやってみなさい」
*
二人は書類を受け取って、区役所へ向かった。
カッパがラーナに手続きを教えながら書類を記入した。
やがて、区役所の職員が真新しいナンバープレートを差し出した。
その場でナンバープレートが貰えることを知らなかったラーナが、
びっくりして振り返り、カッパを見た。
カッパはその顔を見て、思わず笑ってしまった。
(これ、私がモレの時に同じ顔をしたやつだ)
花が笑っていたのは、こういうことか。
喜びが連鎖していく。
*
バイク屋に戻ると、店主が工具を貸してくれた。
ラーナが工具を受け取り、ナンバープレートを自分のスクーターへと取り付けていく。
慎重に、慎重に。
ボルトを締めるたびに、少しずつスクーターが「ラーナのもの」になっていく。
カッパと店主が、黙って見守っていた。
ラーナが最後のボルトを締めて、手を離した。
真新しいナンバープレートが、スクーターの後ろに輝いていた。
呼続の空は、梅雨の厚い雲に覆われていた。
でも、なんとなく、その雲の向こうに夏の予感がある。
「ラーナ」
「なに?」
「おめでとう」
「ありがとう、カッパ」
二人はバイクを一台ずつ押しながら、来た道を並んで歩いた。
スクーターを買ったのに、今日は乗れない。
保険の手続きもまだだし、ラーナはヘルメットも合羽も持っていない。
でも、それで良かった。
足りないものが全部、これから揃えるものだ。
まだ何も始まっていない。
今日は、始まりの始まりだ。
ここから長い長い旅が始まるような気がした。
梅雨の終わりの、昼下がりだった。




