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k-20 やっと日常

 鈴菌によるリリーの鈴乃木凜化計画が終わった夜、カッパは家に帰ってパソコンを開いた。


 ASUS ROG Flow Z13の画面に、ブログの編集ページが映る。


 浜松からモレ二台で帰ってきた今日のことを、書かないわけにはいかなかった。


   *


【k-8 モレオフ会】


本日、われは浜松にて道を見失うものなり。

見知らぬ町にて、いと心細くありけるところ、同じくSUZUKIモレに乗るミミーという御婦人に出会う。

このご縁、まことにありがたく、その導きにより、二台のモレにて東海道を進むこととなる。

ポポポポポ……と、いと愛らしき音を響かせながら走る様は、まるで楽の音のごとし。

されど、我が連れはカーナF3なる速き乗り物に追われ、いつの間にやら浜松の街より姿を消す。

いと不可思議にして、いとおかし。

その後も、われとミミー氏は変わらずモレにて進み続け、やがて我がアジトたる笠寺へ無事に帰り着く。

しかるに、消えし連れはというと――

なぜか金髪のツインテールとなりて現れたり。

この世は、まことに不思議なることばかりなり。


   *


 翌日。


 ピンクのライダーズスーツを着て鈴乃木凜仕様の痛車ボルティに乗ったリリーが、名古屋港から旅立った。


 花とカッパが、フェリーターミナルで見送った。


 船が遠ざかっていく。


 花がやつれた顔で言った。


「本当にあの姿で帰ったわね……」


「はい……リリーさんって凄い人でしたね……」


「うん……本人は至って真面目なんだけどね……」


 二人は、しばらくそのままフェリーの航跡を見つめていた。


   *


 翌日。


 いつものようにカッパがアハロに出勤すると、カウンターの中に見慣れない機械が置かれていた。


 モト子に呼ばれてカウンターの内側に入ると、銀色のエスプレッソマシンが鎮座していた。


「カッパにはこのエスプレッソマシンを任せることにしたわ」


「エスプレッソ?」


「私がいつもやってるのはペーパードリップって言うのよ。これは腕の差が出ちゃうから、まだカッパにはやらせられないけど、このエスプレッソマシンならさほど腕の差は出ないから、使いこなせるようにして欲しいの」


「え? 私がコーヒーを淹れてもいいんですか?」


「まあ、これはバイクで例えるならオートマなのよ。誰でも作れるマシンだから安心してね」


 モト子が手本を見せた。


 二つのデミカップにエスプレッソを注いで、カッパにも手渡してくれた。


 一口飲んでみると、恐ろしく苦かった。


 砂糖とミルクを多めに入れる派のカッパには、そのままでは飲めなかった。


 砂糖とミルクを足して飲んでみると、普段飲んでいるペーパードリップよりも美味しく感じた。


「あれ? 凄く飲みやすくなった!」


「そうでしょ? エスプレッソってミルクを入れて飲む前提だと思って良いわよ」


 モト子がもう一度エスプレッソマシンを起動させて、今度は大きめのカップに注いだ。


 それからミルクピッチャーを手に取った。


 ガレージの喧騒が嘘のように、モト子の指先だけに静かな集中が宿った。


「見てなさい。エスプレッソのキャンバスに、ミルクの筆で命を吹き込むのよ」


 シュウッ、という鋭いスチームの音が響いた。

 ノズルを絶妙な角度でミルクに差し込んで、空気を含ませながら攪拌していく。

 モト子の目が、ミルクの温度の変化と、泡が絹のように滑らかになっていく瞬間を追っていた。


 ピッチャーを軽く叩いて大きな気泡を潰し、表面を整えると、モト子は少し高めの位置から、エスプレッソの茶褐色の海へ、細く円を描くようにミルクを落とし始めた。


「最初はね、対流を作るの。ミルクを液面の下に潜り込ませて、土台を作るのよ」


 ある程度カップが満たされたところで、モト子はピッチャーの注ぎ口をグッと液面に近づけた。

 手首を繊細に左右に振ると、表面に白いミルクの層がふわりと浮き上がってきた。


 そこからは魔法のような手際だった。

 ピッチャーを揺らしながら形を整えて、最後にピックと呼ばれる細い棒でラインを描き加えていく。


「はい、お待たせ。アハロ特製、カッパ・ラテよ」


 差し出されたカップの中には、きめ細かな泡のキャンバスの上に、愛らしい河童のイラストが描かれていた。

 頭のお皿、つぶらな瞳、そしてどこかカッパ本人に似た、柔らかな微笑み。


「……すごい。……店長、これ、飲むのがもったいないです」


 カッパは目を輝かせて、宝石を見るような面持ちでカップを覗き込んだ。


「技術を磨けば、描けないものなんてないわ。……さあ、次はあんたの番よ。ホルダーをセットして」


 モト子が少しだけ誇らしげに笑って、カッパにピッチャーを渡した。


「私にもできるようになりますか?」


「もちろん! だってカッパはモレにもちゃんと乗れたでしょ? この位は原付で浜松から帰ってくるよりも簡単よ!」


 カッパは梅雨が来る前にはエスプレッソマシンを使いこなせるようになろうと決意した。


「店長、私、頑張ります! 明日から学校行く前に練習に来ても良いですか?」


「もちろん来て良いわよ。どうせお弁当を取りに来るもんね。その時に好きなだけ練習しなさい」


 モト子が戸棚からエスプレッソ用の豆を一缶出してきた。


「このサンプル豆は遠慮せずに使いなさい。ミルクは花が料理用の半端に余ったものをくれるからね」


 カッパはそのサンプル用の豆を見た。


(この豆を使い切るまでには、ちゃんとラテ・アートを描けるようになろう)


 心が踊った。


   *


 夜営業が始まった。


 カッパが外に出て「OPEN」のプレートを掲げた。


「いらっしゃいませ!」


 常連さんへの挨拶に、今日もいつも以上の気合いが入っていた。


 厨房から花が、その背中を温かく見守っていた。

 モト子がカウンターの中でコーヒーを淹れながら、カッパに細かく指示を出していた。


 ゴールデンウィークの北海道旅行から、リリーの騒動から、ようやくアハロの日常が戻ってきた夜だった。


   *


 それから数日後のランチタイム。


「カッパちゃん! 食後にラテ!」


「はい! ランチA、食後にラテですね!」


 カッパはオーダーを花に伝えて、自分もカウンターへ入った。


 エスプレッソマシンを起動させて、スチームミルクを作って、ピッチャーを揺らしてハートマークのラテ・アートを施していく。


 マシンを導入してから、カッパの仕事はモト子並に忙しくなっていた。

 でも、このラテ・アートを作ることが本当に楽しかった。


(せっかくラテ・アートでハートを描いても、このクラッシックメイド服じゃ、可愛くないんだよね〜)


 世間によくあるようなキラキラしてヒラヒラした可愛らしいメイド服の方が、ラテ・アートに相応しいなぁとカッパは思うようになっていた。


   *


 ランチタイムが終わった中休み。


 意を決してカッパがモト子に意見してみた。


「店長、これから梅雨ですし、可愛らしいメイド服にしませんか? このクラッシックタイプだとこれからの季節は蒸し暑くないですか?」


「可愛らしいメイド服? これよりも可愛らしいメイド服なんてあるの?」


 モト子が本気で不思議そうな顔をした。


「ほら? メイドカフェみたいな可愛いやつですよ!」


「ウチもメイドカフェよ? 貴女も私もクレアおばさんもメイド服を着てるでしょう?」


 あまりにも認識がズレているので、カッパはスマホでリゼロのレムの画像をモト子に見せた。


 画面を見たモト子の目が、みるみる丸くなった。

 顔が真っ赤になった。


「な、な、な、なによこれ! おっパイ丸出しじゃないの! ほぼ全裸じゃない! こんなのエロ風俗よ!」


「は?」


 花がヤレヤレという顔でカッパに耳打ちした。


「カッパちゃん……ここをオープンする直前にもクラッシックタイプのメイド服については私も本田くんも止めたのよ……。でも、鈴菌さんがこのクラッシックメイド服を褒めちゃったのよ。それ以来、モト子さんはこのメイド服が正解だと思い込んじゃってね……。諦めるしかないよ。モト子さんって淑女なの……」


 一方のモト子はカッパのスマホに表示されたレムやラムの画像をドキドキしながらスワイプして眺めていた。


「ほぼ全裸……。まあ、確かにあんなに肌が露出してたら熱湯とか蒸気で火傷しますね……」


「そうなのよ。実はクラッシックメイド服って、本当に作業するには適してるのよ……」


「それにしても店長はウブすぎませんか?」


「だから、独身なんでしょうね……」


「なるほど……」


 カッパは、こんなにキレイで優秀なモト子がまだ独身な理由をようやく理解した。


   *


「ところで店長って誕生日はいつですか? 確か今は二十九歳なんですよね?」


 花がカッパの隣で、少し困ったような顔をした。


「うん……それが……去年の原付キャノンボールランのプロフィール欄を見ると、この時点ですでに二十九歳と書かれてるのよ。このHPが作られたのが二〇二五年の初夏だから……そろそろ一年経ってるはず……」


 カッパはそれ以上のことを聞くのをやめた。


 花もそれ以上のことは考えないようにした。


 二人は、リゼロのレムやラムの画像を見てドキドキしている淑女を、温かく見守ることにした。


   *


 梅雨前の、穏やかな昼下がりだった。


 アハロのカウンターに、ハートマークのラテが並んでいた。


 クラッシックメイド服を着た十六歳の女の子が、エスプレッソマシンの前に立って、ピッチャーを慎重に傾けている。


 まだぎこちないが、確かにハートの形が浮かんだ。


(河童じゃなくてハートか……でも、いつか河童も描けるようになろう)


 カッパは密かに目標を立てた。


 モト子が厨房からコーヒーの香りを漂わせながら、カッパの後ろ姿をちらりと見た。


(この子、伸びるわね)


 そう思いながら、モト子は次の注文の準備に戻った。


 アハロの日常は、今日もコーヒーの香りに包まれて、続いていた。



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