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k-13 芝浜の種

 ゴールデンウィーク。


 モト子とカッパと花がフェリーで北海道へ向かっている間、笠寺のアハロには別の人間が来ていた。


 浜松から、夫婦で。


 SUZUKI ストリートマジックに鈴菌が乗り、隣に奥さんのミミーがSUZUKI モレでついてきた。


「ミミー、まずはこの手付かずだった勝手口の改良だな……」


「なるほどね、ここなら確かに二輪なら通れる裏路地なのね。さすがギャバン」


 鈴菌がアハロを設計した張本人でもあることは、アハロのメンバー全員が知っている。

 ゴールデンウィークを利用して、まだ手付かずだった部分に改良を加えるつもりだと、モト子に伝えてあった。


 夫婦で工具を出して、勝手口の寸法を確認し始めた。


 鈴菌の目は、いつものように細かい部分に向いていた。


(ここの建具の建て付けが、〇・三ミリほど狂っている)


 誰も気づかないことを、鈴菌は気づく。

 そして、気づいたからには直す。

 それがSUZUKIスピリッツだと、本人は思っている。


 ミミーはその横で、黙って作業を手伝っていた。

 この人に付き合ってきた年月で、もう驚かなくなっていた。


   *


 夕方になると、宿泊客がチラホラ訪れ始めた。


 ミミーが受付を担当した。

 鈴菌は工具を片付けて、チェックイン作業を横から眺めながら、台帳のレイアウトが〇・五ミリほどずれていることを密かに確認していた。


 そこへ、見慣れない男が引き戸をくぐった。


 年齢は三十代前半だろうか。

 着物姿とまではいかないが、どこか和の空気を纏った、細面の男だ。

 ライダーでも野球ファンでもない、場違いな空気を纏っていた。


「ごめんくださいよ。ここなら泊まれると聞いて来たんだけど、空いてるかい?」


「あぁ、泊まれるがウチはドミトリーだぞ? それでも良ければ一泊二千円だ」


「それでも構わないよ。なにせゴールデンウィーク中だろ? 宿も帰りの新幹線も全然取れなくて困ってたんだ」


「それなら、この台帳に記入してくれ。まあ、適当で構わないぞ。あとはゴールデンウィーク中は一階のカフェは完全休業だ。この辺は飲食店もたくさんあるから問題ないだろ」


 男が台帳にペンを走らせた。


 名前欄に「三遊亭競歩(さんゆうていせるぼ)」。

 職業欄に「落語家」。


 鈴菌の目が、止まった。


「あんた、落語家なのか?」


「あぁ、まだ二ツ目だがね」


 鈴菌が、少し間を置いた。


「そうか! それなら今夜は特別に競歩には個室を用意してやろう。まだリフォーム前で粗末だがちゃんとベッドは入ってるから安心してくれ」


「え? 良いのかい?」


「あぁ! 昔、あんたと同門の三遊亭という名の落語家から酒を奢られた。宿代もいらない。新幹線のチケットが取れるまで好きなだけ泊まってけ」


「私と同門に酒を……コイツは嬉しいねぇ。それで私の同門というとどいつのことだい?」


「圓朝っていう、まだ二ツ目の小僧だったな。まだ芝浜も知らない若造だったぞ?」


 競歩が、目を丸くして笑い出した。


「圓朝!? ……ハハハ、馬鹿なことを言うんじゃないよ! 私を驚かせてどうするんだい?」


 鈴菌は内心、しまったと思った。


(そういえば、三遊亭圓朝と酒を飲んだのは幕末だったなぁ)


「確かそんな名前だったような……。すまん、忘れた……」


「そうでしょ? 圓朝なんて名前を聞いて私も驚いたよ! 全くもう!」


「なんでそんなに驚くんだ?」


「圓朝は私のご先祖さまですからね……」


 鈴菌は、目の前の男の顔をまじまじと見た。


 面影がある。


 あの名古屋の宴席で、扇子を握って身を乗り出して鈴菌の話を吸い込んでいた、あの若造の面影が。


「なるほどな。俺とあんたは運命に導かれたのかもな……」


 競歩には、その言葉の意味がわからなかった。

 でも、鈴菌に促されるまま、個室へと案内された。


   *


 部屋に入った競歩が、キョトンとした。


「支配人? ここは既にリフォーム済ではないのかい? こんなに綺麗なのにリフォームするってのかい?」


「ほら? ここ、よく見ろ。ほんの数ミリだが床に凹みがあるだろ」


 競歩が床を見た。

 何も見えない。

 直接指で触れると、微かに凹みを感じた。


「馬鹿な! たったこれだけの凹みをあんたは直そうってのかい?」


「当たり前だ! SUZUKIスピリッツに妥協は無い」


「!?……今、支配人はSUZUKIスピリッツと言ったかい?」


 競歩が、不思議そうな顔をした。


「私のご先祖さまの残したネタ帳の中にも、鈴木精神ってのが書かれていてね……。あ、そうだ! 宿代をタダにしてもらったお礼に夜にでもカフェスペースで高座に上がろうか。今夜は宿泊客も多いんだろ?」


「よし! それなら宿泊客にも声をかけておこう」


   *


 夜になった。


 一階のカフェスペースに、宿泊客が集まった。


 ライダー、野球ファン、旅人。

 バラバラな人間が、椅子を引いて輪を作った。


 三遊亭競歩が、扇子を一本持って前に立った。


「……ええ、ちょっと一席、聞いていただけますか」


 冷めたコーヒーを置いて、扇子を構えた。


 鈴菌とミミーが、何気なくその前に座った。


「演目は『鈴木』。……ある時代、ある場所に、口の軽い『スズキ』という男がおりまして。この男、どういう風の吹き回しか、稀代の天才落語家に、まだこの世にない『未来の噺』を教えちまうんですな」


 鈴菌の眉が、ピクリと動いた。


「スズキはバキバキの目で語ります。『いいか、余計な肉を削ぎ落として、骨だけで勝負しろ。それが遊び心だ!』とね。天才落語家は、その狂気とブドウ糖の香りに当てられて、全てを吸収しちまう。……最後には、立派になった男が女房の差し出した酒を断って、こう言うんです。『よそう。また夢になるといけねえ』」


 ミミーが、持っていたコーヒーカップを落としそうになった。


「……これ、夢じゃなかったんです。未来の男が、過去の天才に『種』を植えちまった。……っていう、嘘のような本当のような、奇妙な噺でございます」


 話し終えた競歩が、満足げに頭を下げた。


 客席に、奇妙な沈黙が流れた。


「……ん? なんか、聞いたことあるような……」


 鈴菌が、競歩の顔を思い出すように首を傾げた。


 脳裏に、一六〇年前の名古屋の宴席がよぎっていた。


 酒の席で圓朝と話し込んだあの夜。

 自分がバキバキの目で芝浜のあらすじを語り、圓朝が扇子を握って身を乗り出して聞いていたあの光景が、スローモーションで戻ってきた。


(……あの時、俺が圓朝にやってたこと、そのまま落語になってる!?)


 宿泊客は大喜びだった。

 未来からやってきた謎の鈴木という人物が、落語のレジェンドに芝浜を飲みの席で教えてしまうという奇想天外な噺。

 斬新で、でもどこかあり得そうな話に、集まった全員が笑い、唸った。


 会もお開きとなり、鈴菌と競歩が二人で酒を酌み交わした。


「……この噺、うちの先祖の古い日記に、『ブドウ糖の神様に教わった』って殴り書きがあったのを元にしたんですがねぇ。やっぱり『夢』みたいな話ですよね」


 そう言って笑う競歩の隣で、鈴菌の目がキラリと光った。


   *


 三遊亭競歩が語り終えた新作落語「鈴木」を聞いた鈴菌が、おもむろに立ち上がった。


 その目は、一六〇年前の名古屋の夜と同じ、獲物を狙う猛禽類のようにギラついていた。


「……おい、競歩。お前、圓朝って男について知りたいか?」


 競歩が、その気圧されるような迫力に「は、はい、もちろん……」と頷いた。


「俺のダチに圓朝っていう、最高にイカした落語家の事を教えてやるからしっかり聞けよ。あいつが初めて俺から『芝浜』を習った時のことを、今でもハッキリ覚えてる。今からお前のご先祖さまの圓朝の事を朝まで語ってやるぜ。さっきの新作落語をさらに改良して本物の伝統に仕上げて見せろ!」


 ミミーが、鈴菌と競歩の為にコーヒーをドリップし始めた。


(始まった……またギャバンの無自覚な歴史干渉爆撃が!)


「あいつは凄かった。俺が教えたあらすじを、その場で全部吸い込みやがった。……ぶっつけ本番の高座でよ、そりゃあ見事に、まるで『芝浜』を自分がイチから作り出した張本人かってくらい、完璧に噺しやがったんだ」


 競歩の持つ扇子が、カタカタと音を立てた。


 先祖の日記に書かれていた「ブドウ糖の神様」が、今、目の前で自分の先祖を「ダチ」と呼んでいる。


「あまりの完成度に、教えた側の俺でさえ、ふと怖くなったくらいだ。……こいつは本当に俺が教えたのか? それとも、俺が今見てる光景自体が、あいつの術中にハマった『夢』なんじゃねえかってな」


 鈴菌が、空になったコーヒーカップを握りしめて、ニヤリと笑った。


「競歩、お前の落語も悪かねえ。だがな、本物の圓朝はもっと『遊び心』があった。……まあ、あいつも最後にはこう言ってたぜ。『よそう。また夢になるといけねえ』ってな!」


 鈴菌がガハハと笑い、コーヒーのおかわりをもらうためにミミーの元へ歩いていった。


 残された競歩は、真っ白な顔で窓から夜空を見上げた。


「……夢……。夢どころか、これじゃあ、ご先祖様の方が僕の落語を『逆輸入』してたことになっちゃうじゃないか……」


 ミミーが、そっと競歩の肩に手を置いた。


「……競歩さん。気にしちゃダメです。あの人の世界では、一六〇年前も今も、全部『地続き』なんですから」


   *


 深夜。


 カフェスペースに、鈴菌と競歩の二人だけが残った。


 ミミーがドリップしたコーヒーが、テーブルに二杯並んでいる。


 鈴菌が語り、競歩がノートに書き取っていた。


 名古屋の宴席の話。

 バキバキの目で芝浜を語ったこと。

 圓朝が吸い込むように聞いていたこと。

 翌日の高座で完璧に仕上げてみせたこと。


 競歩は書きながら、何度も扇子を握り直した。


 ご先祖さまが、どこかの酔狂な男から「種」を植えつけられた。

 その種が、一六〇年かけて育って、今の自分の新作落語になっていた。


 タイムパラドックスと呼ぶには、あまりにも小さな話だ。

 世界の歴史が変わったわけでも、大きな事件が起きたわけでもない。


 ただ、ひとつの噺が生まれた。


 それだけのことが、一六〇年という時間を跨いで、今夜のアハロの小さなカフェスペースで完結しようとしていた。


 大須の風が、西之門の路地を通り抜けた。


 鈴菌がコーヒーを一口飲んで、言った。


「芝浜のサゲは知ってるか?」


「もちろんです。『よそう。また夢になるといけねえ』でしょ?」


「そうだ。圓朝が初めてそのサゲを口にした時、俺はとんでもなく良いと思った。あいつは俺が教えた話を、自分の言葉にして返してきたんだ。そういう奴だったんだよ、あいつは」


 競歩がノートを閉じた。


 それから、静かに鈴菌に向かって頭を下げた。


「……本日の宿代と夕食代、ありがたく頂戴いたします。そのかわり、今夜聞かせてもらった話を、必ず噺として形にします」


「そうしろ。お前のご先祖さまもそうやって形にしたんだからな」


 二人が、コーヒーを飲んだ。


 一六〇年の時を跨いだ、不思議な夜だった。


 でも、アハロのカフェスペースは変わらず狭くて、テーブルは木でできていて、コーヒーカップは欠けていなかった。


 世界はなにも変わっていない。


 ただ、ひとつの新作落語に、また新しい種が蒔かれた夜だった。


 大須の風が、笠寺観音の方向から吹いてきた。

 一六〇年の時を超えて、再びアハロに吹き抜けていった。












この噺の種は、『原付転生reverse』の

【reverse 72 芝浜の時そば】

に蒔かれております。

もしよろしければ、

そちらも覗いてみてください。

なお、本作はあくまでフィクションです。

三遊亭圓朝は、言うまでもなくご自身の才覚で歴史に名を刻んだ偉大な噺家であり、

このような奇妙な“種”がなくとも、

芝浜はきっと生まれていたことでしょう。


ただ――もしも。

酒の席で、どこかの誰かが、ほんの少しだけ余計なことを話してしまったとしたら。

そんな「夢」みたいな話も、落語の世界には似合うのかもしれません。

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