王妃様の出立(2)
夜明けと共にオラトリオを出てから数刻。
国境を越え、パルティータの辺境にほど近いカルマートで午餐会となった。
もともとこのカルマートはオラトリオと国境を接していた独立国であったが、2年前にパルティータに併合された。
元は隣国だったということもあり、フォルテは何度も訪れたことがある街だ。
パルティータに併合される前は荒れた農地ばかりが広がっていた場所だが、今は良い意味で様変わりした。
田畑は整備され、荒廃の一途をたどっていた街には活気が戻った。むしろ以前より店が増えて、商業が盛んになったようだ。
たった2年でこれだけの復興を成し遂げたのだ。
この実績だけを見ても、パルティータの執政能力がいかに高いかが解る。
よほど頭の切れる政務官がいるのか、王が暗愚ではないのか、あるいはその両方か。
フォルテにとってこの事実が吉と出るか凶と出るかは不明だが、警戒だけは怠らぬよう気を付けなければならない。
ロイヤルキャリッジを降りて外に出ると、すでに昼食の用意が整っていた。
木陰の下に設置されたマホガニーの猫脚テーブルには、サンドイッチとティーセットがのっている。
1人のメイドと5人の兵士がフォルテたちのテーブルからやや離れたところで待機している。
出発するときは忙しくて気にもかけなかったが、フォルテの乗っているロイヤルキャリッジを挟むようにして2台の馬車が伴走していたようだ。
「今日からフォルテ様のお世話をさせていただきます。レント、と申します。若輩者ではございますが、精一杯仕えさせてイタダキます。」
「初めまして。よろしくお願いしますね。」
緊張しているのかぎこちない様子で挨拶をする少女にねぎらいの愛想笑いを浮かべた。そして早速こき使う。
「私、喉が渇きましたわ。」
「はい!紅茶をご用意いたします。」
「私、肩がこりましたわ。」
「はい!御肩を揉ませて頂きます。」
「私、何だか熱いですわ。」
「はい!団扇で仰がせて頂きます。」
「ドレミって10回言って。」
「はい!ドレミドレミドレミドレミドレミドレミドレミドレミドレミドレミ……」
「貴方は私の?」
「ドレイです!……、ハッ!」
あまり気が回りそうではないが、命令されたことは実直なまでに従うタイプのようだ。
くだんのやり取りを横でみていたブリランテが、「あまりからかわないであげて下さい」と言って苦笑した。
パルティータへ嫁ぐ場合、2人までなら自国のメイドの同伴が許されている。
フォルテにも幼少のころから仕えてくれているメイドがいるが、彼女たちはフォルテの厳選した衣装や宝石を載せた荷台に護衛としてつけてしまったので、今ここにはいない。
少し遅れるが、明日には到着するだろう。
落ち着いてゆっくり彼女たちのお茶が飲みたいものである。
午餐会を終えたフォルテ一行は、再び馬車に乗ってパルティータ城へ向けて出発した。
馬車の中は温かく、ゴトゴトと一定のリズムを刻む車輪の音が眠気を誘う。
このまま目を閉じて夢の世界へ入ってしまいたい。
フォルテが扇子にかくれて欠伸を噛み殺したその刹那、穏やかな時間は激しい剣戟の音によって破られた。
「敵襲だ!」
兵士の一人が叫ぶ。剣を交える耳障りな音が外から聞こえてくる。
ブリランテに促され、ロイヤルキャリッジを降りると、剣を持った物騒な男たちが辺りを囲んでいる。
襲撃者はざっと見ただけでも10人以上。対してこちらの兵士はたった5人。明らかに不利である。
兵士とブリランテが、フォルテを守るようにして敵の前に立ちはだかった。
「お前たち、目的はなんだ?」
ブリランテが低い声で尋ねるが、男たちに答える意思はなく、無言で襲い掛かってくる。
「お逃げください!」
フォルテは素早く身をひるがえして森へと駆ける。そのあとに慌ててレントが続いた。
こんなところで襲撃に合うなど想定外だ。
パルティータの手の者か、それともオラトリオの者か、恨まれることに関しては身に覚えがありすぎるので、現状では襲撃者の黒幕が誰なのか見当がつかない。
フォルテは草木が生い茂る森の中をハイヒールで器用に疾走する。
持っているドレスの中で一番豪華なものを着ている時に襲ってくるなんて、なんて冷酷な奴なのかしら!このヒールだって一級品なのに泥だらけじゃないの!
どうせ汚れるなら箪笥の肥やしにせずにもっと履いておけばよかった。
必至で逃げながらもあまりの悔しさに身を捩る。
もし目的がフォルテへの仕返しならこの時点でかなり成功しているといえるだろう。
「フォルテ様!」
レントが息を切らせながらついてくる。
このメイドは非常時だというのにちょこまかちょこまかと逃げる邪魔をして鬱陶しい限りである。
機転を利かせて囮にでもなればいいものを、なんという足手纏いなのか。
「お退きなさい!」
せめて盾になれと力の限り突き飛ばすと、地面に倒れたレントを見捨ててさっさと先に進んだ。
2人の男がまだフォルテを追ってやってくる。
男と女では体力に差がありすぎる。段々と距離が縮まっていく。
まずい。追い付かれる。
方向転換しようとした矢先、木の根に足を取られて前に倒れた。
振り向きざまに男が大きく剣を振り上げるのが見えた。
そんな安っぽい剣に切られて死ぬなんて冗談じゃないわ!!!
あわや危機一髪!というところで、フォルテを襲っていた男たちは切り伏せられた。
顔を上げると、そこにはゼイゼイと肩で息をしながら、必死の形相で剣を構えているブリランテが立っていた。
キチンと整っていたロマンスグレイの髪が乱れ、白髪が耳の上で横に跳ねていた。
年の割に随分と腕が立つようだ。宰相と言っていたが、軍人もしくは騎士上がりなのかもしれない。
ブリランテは血の付いた剣を鞘にしまうと、乱れた呼吸を整えてから大きく息を吸った。そして叫ぶ。
「メイドを庇って御一人で逃げるなど!何を考えておられるのです!!!」
ブリランテの怒号が辺りに響き渡った。
フォルテはいきなり浴びせられた見当違いの叱責にあっけにとられる。
「庇ってなどいませんわよ」
邪魔だから捨ててきただけだ。
「言い訳は結構です!いいですか?今後このようなことがあったら、必ずご自分の身の安全を第一にお考えください。いいですね?」
「言われずとも解っておりますわ」
そもそも今回だって、フォルテは自分の身を守ることに徹していた。怒られる意味が解らない。大体フォルテがこんな危険な目にあったのも、パルティータ側の警備体制が甘かったせいだ。それを何を偉そうに意見するのか。
「私を説教されるより、もっと身近に責めるべき相手がいらっしゃるのではなくて?」
フォルテは暗に反省すべきはお前だとあてこする。
さすがにそろそろお尻が冷たくなってきた。立ち上がろうと地面に手をつくと、ドレスの裾に泥や葉っぱがびっしりとついているのが見えた。これではこの衣装の一番のポイントである大きな百合の刺繍も台無しだ。
フォルテは乾いた笑みを浮かべると、「美しい百合も汚れてしまっては台無しですわね」といいながらドレスの裾を払った。
その台詞にブリランテがハッと目を見開く。
「百合はフィーネ家の象徴。……そういうことですか。」
何がそういうことなのかさっぱり解らない。それよりも女が座り込んでいるのだ。するべきことがあるだろう。全く気が利かない。
「ブリランテ殿。手を貸して下さる?」
早く起こせと手を差し出すと、ブリランテは何故か感銘を受けたような顔をして、恭しく手を握ってきた。
「勿論で御座います。」
いや、握るんじゃなくてさっさと引っ張って欲しい。
「フォルテ様~~~!!!」
遠くからレントが叫びながら走ってくるのが見えた。どんくさいメイドは運よく生きていたようだ。
フォルテの元まで来ると、レントはいきなり地面に手をついて土下座をした。
「命を救って頂きありがとうございます。なんとお礼を申し上げたらよいか!このご恩、一生忘れません。この命が尽きるまでフォルテ様に仕えさせて頂きます!」
「別に助けてないわよ。それに、そんなことしていただかなくても結構よ」
こんな使えなさそうなメイドが側にいるなんて御免である。
「フォルテ様はなんと謙虚でお優しい!」
「レント、その気持ちを忘れずに心してフォルテ様にお仕えするのですよ。」
2人はフォルテをそっちのけで勝手に話を進めている。
「とりあえず早く城へ向かいましょう。」
ドレスも靴も台無しになった今、フォルテの唯一の楽しみは豪華な城を見ることである。
城の内装を夢想しながら、フォルテは自力で立ち上がった。