第玖話 天嶺飛鳥 其の弐
背は少し、私よりも高く見える。たぶん歳上だ。それでもその弱々しい性格のせいか、私よりも幼くも見えた。
「飛鳥ちゃん、良かったら奈々生と遊んでこない? あ、それとも訓練の最中でしたか?」
「いやいや、一日くらいなら構わんよ。飛鳥が良かったら、奈々生君を案内してあげたらどうだ?」
「いいの!? じゃあ行こ、奈々生」
「え、あ、はい」
あまり遠くには行くなよ、そんな声を置き去りに、私は奈々生の手を引いた。儚い、今にも崩れ去りそうなほど弱い手。これが本当に歳上なのかと、疑いたくなるほどに。
「ねぇ、奈々生。東京ってどんなところ?」
「東京ですか? あまり変わらないですよ。こっちよりお屋敷とかは少ない感じです」
「そうなの? じゃあ奈々生ってあやかしがりなの?」
「うん。この辺の人たちはみんなそうでしょ?」
手を引く力を緩めずに、質問を重ねた。向かっているのは私が見つけた秘密基地のような場所だ。大人はほとんど寄りつかない……。
「……ただの公園じゃないですか」
「秘密基地だよ! ワンちゃんの散歩以外で来る人いないんだ」
「まぁ……でしょうね」
遊具など何もない小さな広場。滑り台もブランコもない、ベンチも一つしかない。誰がなんのためにこんな空間を作ったのかと、疑問になるほど殺風景な。それでも私にとっては、母と一緒によく遊んだ広場だった。
「自己紹介しよ。飛鳥ね、好きなのはパパとママとハンバーグ! 嫌いなのはパパのじょりじょり」
「僕は……ケーキが好きです。嫌いなのは虫かな」
「女々しいね」
「僕、飛鳥より二つ歳上なんですけど」
幼いながらに、丁寧な口調だなと思った。ところどころの雑さが混ざっているけれど、それでも綺麗な人だなと。
「虫なんて別にいいじゃん。危ないこともないし」
「六本足で変だし、ひっくり返ったら本当に気持ち悪いんですよ」
「虫ってひっくり返すものじゃないよ」
「セミとか勝手にひっくり返ってるでしょ?」
そうかな、そうかもな。言われてみれば気持ち悪い造形なのかもしれない。それでも別に、嫌うほどかと言われると……。
「そんなことよりさ、飛鳥って天嶺家なんですよね? じゃあさ、じゃあさ! お父さんは覇境ってことだよね?」
「そ、そうだけど?」
「スゴいですよね! 最強っていうのは、僕、それだけで憧れちゃいます!」
「でしょ! パパはスゴいんだよ!」
私たちはそんなことで仲を深めた。妖と戦いたい、親と肩を並べたい、多くの人を助けたい。妖狩という職業は死と隣り合わせということを認識していながら、それでも正しく生きたいと、そう思っていた。
その日は奈々生と一日中話し、そして別れた。次の日も午前中は雷玄さんの訓練を受け、午後は奈々生と遊んだ。どうしてそんなに彼に懐いていたのか、同年代がいなかったからか、それとも私にはない価値観を持っていたからか。
「飛鳥ー! ただいまー!」
「ママ! パパ! おかえり!」
その夜、任務を終えた両親が帰ってきた。疲れた様子ではあったが、相変わらず怪我をした様子もない。当然だ。王境以上の妖狩が傷を負うなど、そんなことはめったに起こり得ない。
「私の可愛い飛鳥ー!」
「むぇ……ママ、苦し……」
「飛鳥、パパにも抱っこさせてくれ」
「パパはじょりじょりだからメッ!」
私を抱きしめ、香りを嗅ぐようにする母を受け入れ、これ以上の猛攻は拒絶した。父にまで締め上げられたら身体が潰れてしまう。
「ねぇママ、飛鳥ね、良い子でお留守番してたよ」
「そう、スゴいね! ほら、ナデナデしてあげるよ」
「飛鳥、ママのナデナデ大好き!」
母の懐に飛び込み、仔猫のように身体を丸めた。柔らかく甘い香りの手が、私の頭に優しく触れてくれる。疲れているだろうに、それでも私を優先してくれる。
「そうだ、飛鳥。雷玄から聞いたんだが、鳴雷さんのところの子と仲良くなったんだって?」
「うん! 奈々生って言ってね、優しい子なの」
「そうかそうか、お友達ができて良かったな」
次に私の頭を撫でたのは父だった。変わらず大きく力強い手。けれどそのときは疲れで少し柔らかく感じた。
「飛鳥、お風呂入ろっか。ねぇ涼さん、今日は夕ご飯、お願いしても?」
「あぁ、行ってらっしゃい。お留守番頑張った飛鳥のために、今日はハンバーグでも作ろっかな」
「やった! 行こ、ママ!」
幼少の日々は流れるように過ぎ去った。両親との思い出、雷玄さんとの思い出、奈々生との思い出。特に奈々生とは衝突も多く、それだけ仲も深まった。
その間に知ったことは、奈々生たちが引っ越して来たのは京都の応援のためだということ。というのも、その年は東京よりも京都の方が妖の数が多かったのだ。
奈々生たちが京都に来て、一年が経ったとき、つまり私が五歳の頃のことだ。平穏とは、いとも容易く、そして突然に崩される。
「逃げ……なさい……飛鳥……っ!」
「いや……イヤっ! ママもパパも……逃げようよ!」
目の前に広がるのは火の海だった。家は崩壊し、その瓦礫に母と父は潰されていた。滲み出る赤い液体と、次第に薄まる呼吸の音。本能では、両親の死が近いことは分かっていた。
「私……良い子にするから! お口も丁寧にするから! 死なないでぇ……っ!」
「っ……! ごめんね……飛鳥……」
「なんで謝るの! ねぇ……ねぇ!」
視界が濡れて、何も見えなかった。分からなかった。母の最期の表情さえも、どんなものだったのか、見ることができなかった。目の前で親が死にゆくことを、ただ認識していただけ。
「くッ……あァ。参ッたな……。よもや人間ごときに……こうも削られるとは……。儂も弱ったものよ……」
「お前っ……!」
覇境の父と王境の母、その二人を殺したのはただ一体の妖だった。酒呑童子、覇境に分類される妖の祖であり王。同じ覇境の父でさえも母とともに相打つしかできないほどに、圧倒的な力。
「ぁ……あぁあ!」
「……?」
燃え盛る中、私の影が揺らめいた。憎悪と悲哀、怒り。両親を守るどころか、肩を並べるどころか、それだけの力を得る前に、憧れの人たちは殺された。
「来い!『影冥刀』」
「……参ッたな、やはり」
妖の王とは言っても、父と母との戦いでその妖力は限界まですり減らされていた。虚影が発現したばかりの私でも、その首を落とせるくらいに。
「良い親を持ッたな。儂がこんな娘に討たれるとは……誉れと思えよ」
「誰がっ……!」
力一杯に振り抜いた。恐怖に震え、野菜すらも斬れぬであろう子どもの力。それでも刃が触れるだけで十分なほどに、酒呑童子は弱っていた。
「ふっ……うっ、うぁああ! ママぁ……パパぁ……!」
私の頭に響いていたのは、いつまでも私の泣き声だった。火の燃える音も、部屋の崩れる音も、何も私には届かなかった。
「おい、おい! 飛鳥! しっかりしろ」
そんな中、私の元に駆けつけてくれたのは雷玄さんだった。声をかけられ、返事をする前にその軽い身体を持ち上げられた。熱が遠のき、両親の身体も遠ざかった。私が感じていたことといえば、雷玄さんの手の温もりと、頬を伝う冷たさだけ。
「飛鳥、分かるか? 妖はどこに行った?」
「ママとパパが……倒してくれた。守ってくれたんだ、私を……」
「……そうか」
私が倒した、なんて傲慢なことは言えない。酒呑童子を、妖の王を倒したのは二人の力だった。私はただ、身動き取れない怪物にトドメを刺しただけ。
「ごめんな、飛鳥。ごめんな……」
贖罪なのか、後悔なのか。雷玄さんのその声が妙に頭にこべりついている。
最強の妖狩が死んだ。そして最強の妖も死んだ。この世界に回ったのはただのそんな情報だった。憧れの対象だった人が死に、悲しむ。彼らにとってはただそれだけ。
けれど私にとっては違う。大好きな両親が目の前で死に、思い出の結晶とも言える家は炭になった。父が録画してくれたビデオテープも、母が撮ってくれた写真も、私が描いた絵も。形あるものは全て、私の前から消え去った。
「災難ね、幼いのに、両親を亡くしてしまって」
周りから聞こえてきたのはそんな声だった。憐れみ、あるいは畏れ。暗く親のない子をわざわざ構おうとするお人好しはなかなかいなかった。
しばらくは雷玄さんが面倒を見てくれたが、父と母の埋め合わせをしなければならない分、彼も任務に赴くことが多くなった。そして世話をする時間がなくなり、私は鳴雷家に移された。
「飛鳥ちゃん、これからよろしくね。自分の家だと思って、ワガママに暮らしていいからね」
「……うん」
おばさんは優しい人だった。いつでも私を気にかけてくれて、魘される夜には隣で眠ってくれた。
おじさんも不器用ながらに親として接してくれて、本当に自分の家のように温かかった。ただそれだけに、私の心の穴も塞がりづらかった。
「ほら、せっかくだし、今日は飛鳥ちゃんの好きなハンバーグにしましょう! ね!」
「あ、ありがとう……」
おばさんは料理が上手だった。母よりもずっと、まるでお店みたいに。だからこそ、この人は母ではないんだなと、もう母とは会えないんだなと、そう突きつけられた。
「うっ……ふぅっ……」
「あ、飛鳥ちゃん?」
「飛鳥? 平気?」
「う、うん」
心配そうに覗く顔を見て、私は吐き気と涙を無理やりに飲み込んだ。いつまでもメソメソしてられない。私は最強の妖狩の娘なんだ。そんな弱くてはダメだ、と。
「ふぅ……ご馳走様! 私、部屋に戻ってるね!」
「うん、美味しそうに食べてくれて、何よりだよ」
精一杯に元気を取り繕い、それが崩れる前に部屋の扉を閉めた。ベッドの上で膝を抱え、声を殺した。瞳が熱い。胸の奥が痛い。
「飛鳥?」
「っ! 何?」
「入っていいですか?」
「う、うん! もちろん」
扉の向こう側から聞こえたのは奈々生の声だった。私は急いで目元を拭い、衣服を整えてから彼を招き入れた。小さな部屋に私と奈々生、年頃だったら緊張もしたろうが、このときの私にはそんなものはなかった。いや、別の緊張はあったが。
「は、へへ。珍しいじゃん。どうしたの?」
「……飛鳥、無理してますよね」
「っ……何のことだろ」
無理のある誤魔化し、幼い私にはそれが限界だった。精神的にも追い詰められ、私は誰かに助けてもらいたかったのかもしれない。沈みゆくだけの私を、救い出してほしかったのかもしれない。
「飛鳥、無理しないでください。頑張れなんて言えません。大丈夫なんて言えません。でも、僕がいますから」
「うっ……んぐっ……。私、もっとママに撫でてほしかった……。パパに褒めてほしかった……っ!」
「……はい、そうですよね」
優しく包容してくれる奈々生の腕は、どこまでも温かかった。二歳しか違わないのに……だからこそ、だろうか。兄のようで、そして誰よりも頼りになる。
「泣いて見せてもいいんですよ。飛鳥は可愛い美少女なんですから、泣き顔も綺麗です」
「……そう?」
私も奈々生も、互いに恋心など抱いてはいなかった。それも五歳と七歳、当然だろう。大好きだけど、それはあくまで尊敬とか、友愛のような。近すぎず、遠すぎず……いつでも助けを求められる距離だった。
「ねぇ、奈々生。……ちょっと、ワガママ言ってもいい……?」
「母さんが言ってたでしょう? ワガママはいくら言ってもですよ」
「……もうちょっとだけ……泣いていてもいい?」
「えぇ、もちろん」
十分か、二十分か……しばらくの間、私は涙を流した。もう堪えることもせず、ただ感情の溢れるままに。その日、悪夢を見なかったわけではない。それ以降も同じだ。ただ私は、それを隠すことなくただ涙を流した。
次の日、おばさんはさらに私を気遣うようになっていた。それというのも、私の部屋の声を聞いていたらしいのだ。少し恥ずかしかったが、普通にしてくれと頼んだ。だって、私は普通に慣れる必要があるのだから。
「ねぇ、飛鳥ちゃん。今日は奈々生と遊んできなよ。任務も特にないでしょ?」
「うーん……そうだね。奈々生、行こ!」
「分かりました。ちょっと待ってて」
それからさらに数日もすれば、気持ちは少し落ち着いた。悲しみが消えたわけではないが、時間が少し、溶かしてくれた。苦しくはあるけれど、角は取れた。日常の楽しみに向き合えるようになった。少しだけ、ほんの少しだけ。
「おばさん、じゃあ行ってくるね! 夕方までに帰るよ」
「えぇ、のんびりしてきなさい。あぁ、でも飽きたら帰ってきていいからね」
玄関まで見送ってくれたくれたおばさんに挨拶をし、そのままいつもの公園に向かった。私が手を引くことが多いが、このところは奈々生が引っ張ってくれることも多くなった。




