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第拾話 天嶺飛鳥 其の参

「あ、見て見て! てんとう虫だよ!」


「うぇっ! 気持ち悪いですから、近寄らせないで」


「可愛いじゃん」


 私の次にね、なんて、そんな冗談も言えるほどに心は回復していた。特訓を積み、妖とも戦う毎日で、良くも悪くも気持ちの向く方向が家ばかりではなくなったからだ。


 あの事件以来、虚影が発現したことで私は狩連の直属の妖狩となった。そして奈々生も追うように虚影を発現し、二人で任務に赴くことがほとんどだった。


「飛鳥はさ、どうして妖狩をやってるんです? この世界を離れたいなって、思わないんですか?」


 ふと、そんな疑問を投げかけられた。あまりに当然の疑問だった。親を妖に殺され、どうしてまだやる気があるのか。私にも明確な答えがあったわけでもないが……。


「普通の人として暮らすのも、良いとは思うけどね。私は奈々生を守りたいの。強い妖に襲われても、守れるように強くならなくっちゃ! 奈々生をいじめるヤツをやっつけるんだ!」


 あのときの苦しみは味わいたくない。何もできない、あの苦しさを。私が強くなって、みんなを守れるくらいに強くなる。奈々生を襲った妖を、元の世界に帰せるように。それが妖狩の世界に身を置く理由だった。


「じゃあ、飛鳥のことは僕が守ります! 僕は飛鳥より二つお兄さんですから!」


「ははっ! それじゃあどっちがどっちか分からないよ。……でも約束しよっ! そしたら私たち、無敵だよ!」


「えぇ、無敵で最強です!」


 交えた小指の温かさは、今でも覚えている。その日の空模様も、今でも思い出せる。何日経っても色褪せないだろう。それが、私の第二の原点だったから。


 昔みたいに、ヒーローになりたい、という夢とは少し違った。世界中の《《みんな》》を守るためではなく、目の前の大切な一人を守るため。そのために、妖と戦う。


「ママとパパは悲しむかな。もっとたくさんの人のために頑張りなさいって」


「そんなことないですよ。一生懸命に生きてるだけで、喜ぶんじゃないですか?」


「確かに! 奈々生って物知り!」


「母さんがよく似たようなことを言うんです」


 奈々生が妙に大人びているのはおばさんの影響なのか、と、納得していた。子どもにしては落ち着いているし、私のことを見透かしていたから。


 けれど実際にはおばさんから聞いたからだけではなく、彼が兄として私を引っ張ろうとしてくれていたのだと、そう気づいたのは少し後のことだ。


「お、おーい、お前らー」


「雷玄さん!」


 公園の影が少しだけ傾き始めた時間帯、任務を終えた雷玄さんが顔を出した。落ち着いた彼を見るのは久しかった。あの事件が起こる前、それ以降は見れなかったから。


「ドーナツ買って来たんだ。お土産にな。良かった食え」


「え! 食べるー!」


「食べます!」


 元気の良い返事。大人びた雰囲気の奈々生も、このときばかりは子どもらしさが見えていた。実際に子どもだし、雷玄さんが大人だから当然なのだけれど。


「お前らよ、最近は任務にも出てるんだろ? どうだ?」


「大丈夫だよ。戦うのは兵境の妖ばっかりだからね、私たちの敵じゃないよっ!」


「はっはっ、そうかそうか」


 元気を取り戻した私を見て安堵したのか、雷玄さんはいつも以上に軽やかに笑った。私としても、そんな彼を見るのは嬉しかった。あの事件以降、彼も暗い雰囲気だったから。


「飛鳥、俺は謝らなきゃなんねぇんだ。……あの日俺はな、京都に招集を受けてたんだ。だがまぁ、涼さんも聖奈さんもいるもんで、平気だろうと。……迂闊だった。俺が急いでいりゃあ……あの人たちも死ななかったかもしれねぇのに……」


「……難しくて分かんないけど、雷玄さんが生きてたんだからいいじゃん」


「……逞しくなったな、飛鳥」


 幼い私には、彼の言葉はところどころ難しく理解しきれなかった。つまり、狩連の指令を流し、京都に来るのが遅れたと。そのせいで私の両親を、私を助けられなかったと。


「お前たちとは、しばらく会えなくなるかもしれない。任務も指令も多くてな」


「ふーん。忙しいね」


「ふふ、まぁな。ただまぁ、それでいいんだ。任務第一、そうすりゃあ後悔することもないだろ。やれるだけのことをやる、それで忙しくなってもいいんだ」


 雷玄さんが最強の妖狩と呼ばれるようになったのは、それからしばらく経ってからだった。一日にいくつもの任務をこなし、将境、王境の妖をいくつも葬った。顔を合わせることはしばらくなくなったが、その名声はよく聞いた。


「じゃあお前らも、頑張れよ。また会ったときは……そうだな。また美味いもん買ってきてやるよ」


「やった! またね!」


「ありがとうございました、雷玄さん」


 空が次第に赤みがかり、すっかり時間が経っていた。そのときにはすっかり、私の心の闇も晴れていた。過去は苦しくつらいものだけど、それを乗り越えて今を生きる。それが幼い私が見つけた生き方だった。


「帰ろ、奈々生。あんまり遅いとおばさんが心配しちゃうよ」


「……そうですね」


 雷玄さんと再び顔を合わせることになったのは、それからさらに三年が経ったときのことだった。私は八歳、奈々生が十歳。私の虚影は一次覚醒の段階だったが、奈々生はその若さで二次覚醒を果たし、将境の妖狩となっていた。


 ある日のこと、私はいつものごとく、奈々生と任務に赴いていた。京都の大結界を出た洞窟。近くには小結界の集落もあり、念のため調べてこいとのこと。


「うわっ!」


「どうした!? 奈々生!?」


「く、蜘蛛が……っ!」


「なんだ、蜘蛛か」


 日の光も届かぬ洞穴ほらあな、警戒する必要があった。にも関わらず、奈々生の警戒心は小さな生物に向いていた。蜘蛛は六本足ではなかろうに……奈々生は八本足も嫌なのか。


「ほら、散って散って。奈々生が怖がるでしょ」


「……情けなくてごめんなさい」


「ホントだよ。こんな小さな生き物の何が怖いの」


 蜘蛛を踏まないように足で払い、そのまま歩みを進めた。暗い、そして空気が澱んでいた。が、これといって特別な妖力は感じない。


「妖、いるのかな? どこか感じる?」


「うーん……分からないですね。僕たちも妖力感知は上手くないですから、もう少し奥まで行かないと」


「そうねぇ……」


 つまらない任務、妖がいなかったら無駄足だ。いや、いないというのは悪いことではないのだが、わざわざ足を運んで何もないとなるとやる気も削がれる。


「あーあ。暇だよ。妖がいないんじゃ……」


「ン……? ハッハッ、ガキジャネェカ」


「っ……! なんで……!?」


 目の前に現れてやっと気づいた。それは鬼に分類される人型の妖。二本の角に鱗、そしてその妖力は将境……いや、それ以上の……。かけ離れた妖力が洞窟全体を包んでおり、感知を狂わせていたのだ。


「チョウド腹ガ減ッテタンダ。クックッ……久シイ飯ダ」


「……逃げろ、飛鳥。足手纏いだ」


「えっ……た、戦うよ! 私……私だって……!」


 戦いたい。奈々生と肩を並べて、奈々生を守るために。それでも、どうしようもない恐怖に身体が震えた。燃える家、潰された両親……そんな光景が目の前に広がる。


「足手纏いだって言ってるんだよ! 君が逃げないって言うなら、僕がその首を落とすぞ!」


「っ……! なんで、なんでそんな……っ!」


 そんなことを言うんだよ。一緒に戦おうって、互いに助け合おうって、そう思ってたのに。私だけだったのか、そう思っていたのは。


 彼の睨む表情は、そのとき初めて見た。奈々生は、私の知っている奈々生は、本当の彼ではなかったのだと、そう思ってしまった。


「っ……! もう……奈々生なんて……っ!」


「……」


 胸の底が、瞳の奥が熱くなるまま、私はただ走った。信じていたのに、どうして。大人になるまで、彼と肩を並べるものだと。それなのに……そんなことを言うのなら、奈々生なんか……。


「……っ!」


 ふと、視界に蜘蛛が映った。私が奈々生のために追い払った蜘蛛。こんなものに怯えていたのは確かだった。今、彼は王境の妖と戦っている。


「あ……」


 私はすぐに引き返した。ダメだ。絶対にダメだ。彼は私を庇ってくれたんだ。二人で戦っても、二人とも死ぬから。なのに私は……もう誰も、失いたくないと思ったのに……私は……。


「奈々……っ。え、あ……」


 血の散乱した暗い洞窟。鬼は何かを貪っている。グチョグチョと何かが滴れ、潰れる音。何か赤く、細長いものが、何者かの身体から引きずり出されていた。


「ダメ……ダメ……っ! 奈々生! 奈々生っ!」


「ナンダ……サッキノガキジャネェカ」


 どれだけ声を荒げても、返事はない。私の声が届いてはいない。私の声と、何かが食べられる音、それだけが洞窟に響いていた。


「ねぇ! ごめんなさい! 私が悪かったから……ねぇ、奈々生……。お願いします……奈々生……」


「コイツハガキノ割ニハ強カッタナ。俺モ随分ナ傷ヲ負ッタ」


「奈々生……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 私の消え入るような声は、奈々生には届かない。私は守られるばかりで、守ることなんてできなかった。そもそも、肩を並べて戦うことさえも、私には許されてはいなかった。


「ごめんなさい……私のせいで……」


「オ前モ食ッテ回復ヲ……ン?」


 私の影は無意識に揺らいだ。怒りというと違う。ただただ喪失。私の無力に対する怒り。両親を失ってから、私は何も成長などしていなかった。ただ妖を、彼を殺した妖を、目の前から排除したいと、そう思った。


「グォ……ナ、ナンダコレハ!?」


 影冥刀は影に潜んだまま、影の中から鬼を斬り裂いた。洞窟の中、四方八方が影だったため、二次覚醒した私の虚影は瞬く間に鬼を消し去った。


「ごめんなさい……奈々生。ごめんなさい……」


 奈々生と誓ったのは奈々生を守る、奈々生を虐めたヤツを倒す。そのために妖狩という道を選んで……それも今の私には何の意味もないものだった。


 ならば私は、妖を殺す。ただ殺して、殺す。それが私の生き方だ。それがせめてもの償い。


「飛鳥! 奈々生! いるか!?」


「……雷玄さん……?」


 それからずっと、私は洞窟の中で奈々生の前に座り込んでいた。何も考えず、その光景を目に焼き付けるように。そんなとき、洞窟の入り口から聞こえたのは私と奈々生を呼ぶ雷玄さんの声だった。


「っ……! くっ……そっ! また……っ! ……お前は無事か?」


「……はい、私は……」


「そうか……なら帰ろう」


 外では何日が経っていたのかは分からない。しかし衰弱し、雷玄さんに持ち上げられても抵抗できない身体を見れば、相当の時間が経っていたことは分かった。飲まず食わずで、どうして生きていられたのか、不思議だった。


「お前だけでも無事で良かった。……また俺は……遅かったんだな」


「……っ」


 雷玄さんの背中の上、私はただ揺られていた。視界は定まらない。そんな中、私の目に留まったのは一匹の蜘蛛だった。小さく、殺傷能力などない、ただの蜘蛛。


「うっ……おぇっ……」


「おい、飛鳥! 大丈夫か!?」


「あっ……はっ。大……丈夫です……」


 なぜかは分からないが、その蜘蛛を見た途端に腹の底から不快感が迫り上がった。身体が震えて仕方がない。どうして……どうして私がこんな。


 雷玄さんに助けてもらってからは早かった。病院に入り、退院し、そしておばさんの家に帰った。奈々生の死を伝え、みんなそれぞれ自室に戻った。ただ奈々生だけは、彼の部屋には帰らなかったが。


 それからさらに数日が経ったときのこと、狩連本部に赴き、雷玄さんの元を訪ねた。


「雷玄さん、私、狩連抜けます」


「……そりゃまたどうしてだ?」


「任務を受けるのは手間が多いですから。報告書も、調査も必要ないでしょう。ただ目の前の妖を殺す。ただそれだけです」


「……そうか。まぁ頑張れ」


 十歳にもなれば正式に王境の下位として認められることになった。そうなれば大結界を移動してもそう困ることはない。私は京都を離れ、東京に向かった。


 それというのも、私は妖を狩れば狩るほどに妖力が増えたからだ。恐らく妖力を影に吸わせるという虚影の性質ゆえだろう。戦えば戦うほどに、私は成長できた。そのおかげで、王境に至るのも早かったのだ。それ以降はなかなか伸び悩んだところではあるが。


「ここが……東京……」


 奈々生の住んでいた土地。ビルが立ち並び、京都よりも人が多い。両親との……そして奈々生との記憶はほとんど忘れてしまった。あの甘さは弱さになる。記憶など、捨てられるものは捨ててしまえばいいのだから。


「さて、どこに行きましょうか」


 そのときにはすっかり、整った口調になっていた気がする。無意識に奈々生の口調を真似てしまっていたのか、それは分からないが。


 右も左も分からない新天地。焦ることはなかったが、せめて寝床は見つけなければ。


「んー? あれ、あんたさ、妖狩だよね? 子どもがこんなところで……何してるの?」


「っ! あなたは?」


 悩んでいるところ、声をかけられたのは喫茶店の店主らしき女性だった。かすかな……いや、相当の妖力を感じる。


「私は圭、鳴雷圭っていうの」


「……私は天嶺飛鳥といいます」


「あ! 聞いたことあるわよ。王境の……フリーの妖狩でしょ? この世界の有名人が、まさかこんなところにねぇ」


 鳴雷という姓に少しだけ心が跳ねたが、今はどうだっていい。私に関係あることでもない。


「行く当てがないなら、ウチに住むかい?」


「……お金はあまりありませんが」


「はっはっ! 子どもから金は取らんよ! 遠慮なく、住みなさい」


 促されるまま、私は店に上がった。二階に空室があるらしく、そこに住まわせてもらうことになった。それが私の、東京で初めての出会いだった。


「そうだ、良かったら何か食べなよ。私、だいたい何でも作れるよ」


「……じゃあケーキを」


「あら、可愛らしいわね。好きなの?」


「……はい、好物なんです」


 圭の作ってくれるケーキは実に美味しかった。その糖分から元気を貰い、私は毎日、何体もの妖を殺した。そしていつしか、私には『戦闘兵器』という通り名がついた。


◇◇◇

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