第漆話 二次覚醒
痛むのは足と首と……内臓だな。鳴いているのは肋と腕、鎖骨かな。影で固定すればまだ動ける。
「ふぅーっ……! もう少し……」
「準備はいいか? 飛鳥」
依然、妖力の底は見えない。それどころか、影から受け取っているだけ溢れるような気分だ。これでどれだけ、雷玄さんに対抗できるか……。
「夜閃……!」
「くっ……なかなか……っ!」
影を纏った一閃、交差した二刀の上から力の限り振り抜いた。交わる音が、今までとは違う。重いし速い。
「おいおい、いいじゃねぇか! さっきまでとは妖力がまるで違ぇ!」
「ぐっ……」
刃は影冥刀で受け止めつつも、彼の重い蹴りがみぞおちを正確に壊してくる。止まった血もその衝撃で迫り上がってくる。
「はっ、はっ」
「いやいや、動きはいいんじゃねぇか?」
息が吸えない。肺に骨が詰まったように、吐き出すだけでも集中がいる。雷玄さんが弱くなったわけではない。むしろ、私の出力に合わせてやや興奮気味にさえなっている。
「さぁさぁ!」
「なっ……!」
彼は夜天を投擲し、それが私の頬を掠めた。嫌な摩擦が熱い。武器を捨てるのか……? この際に?
「っ! ぐぁっ……!?」
「良い反応だ」
しかしその直後、私の肩を貫いたのは投げたはずの夜天だった。影をすり抜けるように、なんの抵抗もないように貫き、再び彼の手元に戻る。
「奇跡は起こらんな。まだまだ青二才か。俺は二刀、一振りくらい囮にできる」
妖力か……! 妖力を放出し、それそのものを攻撃として扱えるのは香織のような虚影の持ち主だけだ。だが、妖力を纏った虚影ならば簡単に操作することはできる。それこそ、手元に返ってくる、というようなことならば。
「くっ……あぁ! まだまだァ!」
「……っ!」
影を刃に集中した一振り。力任せに、重力に従うように振り下ろす。交わる音が鳥の声のように大地に響く。
「重っ……!」
「私だって……王境なんです……!」
このまま……虚影ごと砕く! 全ての纏った影を刀に、妖力を力に! 彼が最強だからと、そんなことは関係ない!
「くっ……ぬぁっ!」
「ぎゃっ……!」
振り下ろす力を逸らされ、一瞬浮いた身体を殴り飛ばされた。強い衝撃が頭に、脳に響く。
「はっ……はっ……?」
「んぁ? 打ちどころが悪かったか?」
こめかみを拭った手が赤く染まった。戦闘中、血を拭く余裕など本来ないのに、私の思考はどこまでも鈍っていた。
「ダメだ……戦え、私。刀を……」
「来い!『影冥刀』!」
「やる気はあんのか……」
崩れかけていた虚影を、無理やりに引き出した。さっきまで、私を覆っていた冷気はもうない。妖力があっても、私の肝心な体力が足りていない。ただ……ただあと一回ならば……まだどうにか。
「影纏い……」
「……」
実に不格好、崩れた影の隙間から、赤く傷ついた肌が覗く。影を纏うのも限界に近い。なぜこんなに……死力を尽くしているのか。怖いのか? 死ぬのが……。いや、私は会いたいんだ。せめて一回でも……。
「百鬼……」
「来い! 受け止めてやらぁ!」
影と妖力をここに尽くす。筋肉が裂かれるように、内臓が潰れるように痛い。関係ない。ただ斬る。潰す。彼の虚影を、頭を。
「夜行!」
「ぬっ……!」
加速し、すれ違う。その刹那に刀身を抜き、そして袈裟斬りにする。
抜刀術、速さに振り切った一撃。足を……脚を壊す覚悟で。力任せではなく、刃の鋭さに磨きをかけて斬る。
「……良い熱だ。これほどの傷を負ったのは久しい。酔いもすっかり覚めちまった」
「はぁ、はぁ……」
肩から腰にかけて、一直線に斬り裂かれた衣服と、その奥から滲み出る赤黒い血液。肋に傷をつける感触もあった。今度は深い。
「ただやはり、弱いな」
「……不味いものですね、影というのは」
崩れた影纏いが影に還り、一部が口に入り込んだ。鉄の香りに混ざって無味無臭の気持ちの悪い感触が加速する。
敵わない。これだけの力を振り絞ったのに、それでもなお届かない。力が抜ける。抗う気力が、次第に消え失せていく。
遠く、ずっと遠く、香織の妖力が近づいているのが分かる。彼は優しく聡い。私が突き放したくらいでは、どうにも迷ってしまったのだろう。ならば彼を、足手纏いにするわけにはいかない。
「……まだ立つか」
「私が死ぬか、あなたが死ぬか……二つに一つです。彼が戻るまでに、決着を……」
こんな状況でも、妖力はまだ枯渇しない。意地っ張りだな、私は。必死になるのは柄でもないが……彼を守るためだ。
「この傷では粘られてしまうな……」
「いいや……粘らないでいただきたい。彼が来るまで……そう時間もない」
影は纏えない。引き出せる妖力量は変わらないが、体力はギリギリ。影冥刀も、気を抜けば影に溶けてしまう。
「……お前に人は守れねぇよ」
「っ……何を……」
刃を向け、妖力を滾らせた。胸が騒つく。彼の声が、いやに芯に響く。やめろ、それ以上口を開くな。
「昔からそうだ。お前は誰も守れやしねぇ」
「……黙れ」
「お前は守られる側だからな。ご両親にも、そうだったろ」
「黙れ……!」
この苛立ちはなんだ。気に入らないのか? いや、そうじゃない。私が一番分かっている。彼に言われなくても、私が……。
「思えば奈々生もそうだったな」
「っ! 黙れっ! お前に奈々生の何が分かる!!」
影冥刀を握る手が異様に熱い。これほど心が揺さぶられるのは、香織が死にかけていたときか……あるいはそれ以上かもしれない。とにかく、彼に奈々生のことを語らせたくはなかった。
「そりゃあ分かるさ。俺は師匠だぞ?」
「うるさい! 黙れ!」
柄にもなく、荒ぶる声。私は感情のままに影冥刀を振りかぶった。こんなに乱すほどではない。なのに私は……。
「あぁ……忘れてた。お前も十七の娘だもんな」
「っ……!?」
ない。つい先ほどまで手の中にあったはずの影冥刀が。いつの間に影に溶けた……? いや、それ以前に、妖力を引き出せない……。
「ごふ……っ」
「弱いんだよ、お前は。影を纏っても、まるで何が変わるでもない。ただ力が上がっただけ……守ろうとする意思など無駄だ。妖を殺すだけだったお前なら、俺の首を落とせただろう」
私の胸を、何か冷たいものが貫いた。私の身体は熱を帯び、次第に熱が抜けていった。体内、口からは熱いものが溢れ出し、腹部を伝って足元まで流れた。
「気をつけろと言ったろう。心の芯を折られれば、妖力は扱えなくなる。妖力は心が源となる力だからな」
「ぁ……」
耳が遠い。音が掠れて、何が何だか分かりやしない。雷玄さんの声も、風の音も……混ざってしまって識別ができない。……あぁ、でも、少しだけ……私の知ってる音が聞こえる。
◇◇◇
ただ走った。飛鳥の邪魔にはなりたくなかったから。雷玄とかいうあの男、彼は天地がひっくり返っても、僕の敵う相手ではない。僕があの場にいても、飛鳥の足を引っ張るだけ。だから……だからどうかせめて……。
「……っ!?」
僕が逃げてきた方向、つまり飛鳥が雷玄と戦っている方向から、何か嫌な妖力を感じた。妖のような、黒く濁った妖力、それが飛鳥のそれと混ざり合っていた。なぜかは分からない。
「……くそっ、僕はどうしたら……」
もし僕が助けに入ったとして、そんな僕を飛鳥が助け、結局彼女が殺される。そんな未来しか見えない。足手纏いだ何だと言っていたけれど、飛鳥は優しいから。
「……よし」
飛鳥は勝つ。だから僕は、疲れた彼女を支えるためにもそこに戻る必要がある。そうだ、これは戦うためじゃない。支えるためだ。だから……。
「負けないよな……飛鳥……!」
心臓が痛い。破裂しそうなほどに脈打っている。走っているせいで脈が上がっているのだろうが……当然、それだけではないだろう。
肺が苦しい。吸った息を出しきらないうちに、次の空気を吸っている。走る脚が加速している。何が、何が不安なんだ、僕は。
飛鳥は勝つ。何があっても、飛鳥は勝つ。だから僕は、そんな彼女を褒めてやるんだ。頭を撫でて、優しい声をかけて……僕にしてくれたことを、今度は僕が彼女に……。
「え……?」
しかし無情にも、目の前に広がるのは凄惨な景色だった。散らばった赤い液体、爆撃の跡のように削れ、凹んだ大地。そして妖力の大半を失い、胴体を貫かれた……。
「飛鳥……?」
「……っ」
自分でも情けないと思うほど弱々しい呼びかけに、彼女は小さく跳ねた。肩から指先に、腹部からつま先に、そして口から溢れる液体が、彼女の下に小さな水溜りを作っていた。
「あす……飛鳥!」
「ほぅ、帰ってきたのか。見た目の割に、根性はあるじゃないか」
「抜け……その刃を……! 飛鳥を離せ!」
荒い声に喉が潰れた。しかしそんなことはどうでもいい。今はただ、飛鳥のために……。
「上の指示では、お前は処刑の対象ではない」
「来い!『冥牙砲』!」
「やれやれ、聞く耳なしかい」
僕の影はいつも以上に冷たく感じた。そしてその冷気を、冥牙砲も帯びている。いつもとは違う違和感……だが、血の滲むこの手を見れば、そんなことは二の次だ。今はただ……。
「お前を殺す! 燐堂雷玄!」
「……ほう、妖力の放出か」
両手に握った二丁の拳銃、そこから射出されたのは僕の限界出力の妖力。しかし……。
「二刀の虚影か……!」
「お前のは数に制限がないんだな、羨ましい」
二振りの刀によって、僕の妖力はいとも容易く弾かれた。この一瞬で、僕の虚影を見抜くのか。熟練の妖狩は恐ろしい……が。
「少し違ぇな」
「ゔっ……!」
弾かれた妖力の弾は、雷玄の背後で半円を描いてそのまま背中に衝突した。今までできなかった弾道の操作、つまり射出された妖力のコントロール……恐らくこれが!
「……確かに、心の影が深くなれば、虚影は覚醒するもの。しかしまさか……こんなに早く二次覚醒に至るとは。……面倒だな」
「……飛鳥っ! 大丈夫か!?」
雷玄の刀が抜かれ、飛鳥は地面に倒れ込んだ。今すぐ駆け寄りたい……しかしそれもできない。目の前の強敵、それと戦わなければ……。
「冥貫!」
「速度は悪くない……!」
簡単に勝てる相手ではない。たとえ二次覚醒とやらをしたとしても、飛鳥を打ち負かすほどの妖狩には……。勝機があるとするならば、それは飛鳥が負わせたあの大きな傷……。
「だが! 威力はまるで児戯だな!」
「怪物め……っ!」
追尾銃となってもまるで意味がない。斬り落とされればその妖力は失われる。そして飛鳥とは違い、僕は撃ち出せば撃ち出すほどに妖力が減っていく。
「冥……」
「無駄だ! お前ごとき……!」
「づぁっ!」
まるで敵わない。彼の速さでは、射程も追尾も無駄な要素だ。そもそも撃たせてもらわない。……いや、諦めないぞ。アイツを倒せなければ、飛鳥を助けられない。せめて逃げ出すための足止めを……。
「ぬぉあああ!」
「……ヤケクソか?」
全ての妖力を撃ち出さなければ、そしてそれを、あの傷に撃ち込まなければならない。殺すつもりで、全身を消したばすつもりで。足止めなんて、中途半端なことはできない。
狙いを決めろ。外してはならない。当てるために、速度を……!
「冥堕救世!」
「くっ……! ぬぉ……!」
妖力を圧縮し、一つの弾として放出した。本物の弾丸よりもずっと速い、そして強力。
「はっ、はっ……」
確かに当たった。当たった感触があった。あまりのエネルギーに周囲は崩れ、砂煙を上げていた。
「あ……飛鳥……」
彼女が砂煙で見えなくなる前に、なんとかそこに辿り着かなくては。生まれたての鹿のように、脚はガクガクと震え使えない。それでも気合と根性だけで、そこに一歩、一歩と……。
「……っ! は……?」
訳が分からない。確かに当たった。巨岩でも、山でも鋼鉄でも、なんでも貫くだけのエネルギーがあった。殺すつもりだった。なのに……。
「悪くはなかったがな。こんなんでくたばるんじゃ、最強の妖狩とは呼ばれねぇし、飛鳥に勝てもしねぇ」
「あっ……あっ」
彼に残ったのは拳大にも満たないほどの、小さな焼け跡。擦り傷よりは深いけれど、致命傷にはなり得ないような。当たらなかったわけではない。何かの能力で無効化されたでもない。ただ、彼の命に届くほどのものではなかった。
恐怖。死への恐怖ではない。それは圧倒的に格上の生物に対して抱く畏怖のようなもの。災害そのものを目の前にしているような、理不尽の塊。
「殺すつもりはない。ただ少し……!」
「がっ、はっ……!」
雷玄の大きく、鉄のように硬い拳が、気づけば僕のみぞおちを抉っていた。あまりの衝撃に骨が、心臓が泣き喚く。息を……息を吸え。生きるという行為を全力で……っ!
「じゃあな、小僧。……香織っつったか? 精々妖に襲われねぇといいな」
「かっ……は、ま……まっ……!」
雷玄は細い飛鳥の首を掴み、砂煙の向こうに姿を消した。声を張り上げることも、足を立たせることもできなかった。身動きを取れる力が、残されてはいなかった。
「うぁ……うぁああ!」
ただ大地を掻きむしった。爪が割れ、血が滲むまで。血が滲み、肉が削れるまで。敵わなかった。相手にすらならなかった。敗北ですらない。僕と雷玄は、戦えてすらなかった。




