第陸話 影纏いの妖狩
『殺戮兵器』燐堂雷玄、妖狩であれば、その名を知らない者はいない。階級は王境、確かに私と同じではあるが……。現代において、彼は最強の妖狩と呼ばれるほどに強い。
「……お久しぶりです、雷玄さん。……一応、何用かお聞きしても?」
「師匠と……まぁいっか。お前の予想通り、反逆者の始末だ」
やはりか。彼は確かに強いが、どこまでも狩連の駒だ。そんな彼がわざわざここに、このタイミングでという時点で分かってはいたが。嫌な話だ、まったく……どうしてこんな男と戦わなくてはならないのか。
「……香織、逃げなさい」
「え……?」
「雷玄さんの受けた指令は私の始末。そこにあなたは含まれていません。そうでしょう?」
「そうだな。まったくもってその通りだ」
ならば、指令に忠実な彼が狙うのは私ただ一人。香織が手を出さなければ、命を狙われることもない。私の命一つで……。
「ダメだ。僕も戦う。言ったろ? 旅は道連れだ」
「……あなたが死ぬ必要はないと言っているんだ! 共闘など必要ない!」
「……っ!」
どうか分かってくれ。香織が倒れては、私は耐えられないかもしれない。邪魔なんだ、彼は。そう、私にとって彼は邪魔で……。この場には不相応……どうか……。
「でも……」
「足手纏いだと分からないか!? あなたが逃げぬと言うのなら、私がその首を落とすぞ!」
規則的な足音が、私の背後に響いた。怖がらせてしまっただろうか。失望させてしまっただろうか。許してくれとは言わない。せめてここを離れてくれ。
「おぉ、おぉ。ずいぶん酷い物言いじゃないか。あの子も可哀想にな」
「……誰かさんの……受け売りですから」
私は生きて……彼の元に帰れるだろうか。いや、やはり難しいかな。目の前の男を超えるという想像を、私はどうにも持つことができない。
「来い、『影冥刀』」
「なんだ、いきなり虚影を出すのか」
「体術だけでは、天地が変わっても勝てないでしょうから」
私はどれだけ虚影を使っても妖力が減ることはない。ならばわざわざ、使わない理由もないだろう。ただそれは、彼にとっても同じだ。
「仕方ない。流石の俺でも、虚影も使わず勝てる相手とは思っていない」
「踊れ、『宵天』」
雷玄さんの影から現れたのは二振りの刀……別名『双子剣』と呼ばれる虚影だ。右の『夜天』、左の『闇天』、合わせて『宵天』と呼ばれる。
影の質量は持ち主には作用しない。ゆえにたとえ二振りだとしても何不自由なく扱える。もっとも、彼の場合は質量など関係もないだろうが。
「……いつぶりの、手合わせを願いますね、師匠」
「あぁ、存分に」
妖力量だけで見れば私の方がやや多い……が、出力が大きいのは圧倒的に向こうだ。ならば私の斬撃が本領を発揮することはない。あくまで普通の斬撃でしかないわけだ。
一方、燐堂雷玄、その男の最も恐るべき要素は妖力量でも妖力操作でもない。その出力でもない。彼の最大の特徴は……。
「特殊能力がない……一切の強化もないというのは……依然変わりなく?」
彼が覇境になれない唯一の理由、それが無能力であることだ。彼の虚影は二振一刀という特徴はあるが、能力と呼べるようなものは一切ない。
「さぁ、確かめてみるんだな!」
「重っ……!」
「はっはは! やる気出せよ! 押し潰されちまうぞ!」
彼の襲いくる二刀を、私は一振りの刀で受け止めた。重い、およそそれは人間の出せる力ではないようにさえ思える。私の身体が並の人間のものだったならば、今頃は潰れていただろう。
ほんの数ミリ、なんとか押し返した隙にその場を抜けた。一撃一撃は重い、そして速い。人間を超越したような力を持ちながら、それは彼の虚影の能力ではない。
「単純な腕力と戦闘センスによる強さ……私とは近しいものがありますが……」
「レベルが違うだろ? 加えて俺は武器も二つ、手数はお前の二倍だ」
私が彼に勝っている点といえば、ほんの少しのリーチ。けれどそれも、このレベルになってくると少しの影響も出てこない。いや、少しはあるのかもしれないが。
「やはり能力がないというのは……弱点を突くことも難しい。どうしたものか……」
「はっはっ! あったとて、お前に突けるのか!?」
「……?」
どこか違和感がある。私の目の前に現れたそのときから……師匠はこんな性格だったか? そうでないと言うことはできないが……。
「まさか……飲んでるんですか?」
「ったりめぇだ。こんなときにゃ飲まねぇとな」
「……舐めてるんですか」
しかしそうとなればやりようはあるのかもしれない。判断力の低下、視界の揺らぎ。要素だけを見れば有利なのは私だ。
「言い訳には、しないでくださいよ……っ!」
「……まぁ、そう来るよな」
地面を蹴り上げ、砂煙を舞わせた。刀を逆手に持ち替える。狙うは命、落とすのはその首。
「蛇影!」
「……悪くないな……!」
衝突する金属音。彼が左手に持った闇天が、私の刀を受け止めた。なぜこの視界で、酔っていながら受け止められる……!
「合天!」
「くっ……!」
振り抜かれた右手の夜天。腹の布を斬り裂き、浅い血が流れた。この程度、痛くはない。しかし、ただそれだけ。
「おらおら、どうした! 俺と同じ、王境だろ!」
「うっ……くぁ!」
闇天は縦に、夜天は横に襲いかかる。私は躱し、受け止めるしかない。攻めねば勝ち目はないのに、攻める隙がない。
「闇堕!」
「っ……なるほど」
高速で彼の傍を抜け、すれ違いざまに一閃、その腹を斬り裂いた。無傷とはなるまい。鎧も纏わぬ生身の身体、当たった感触は確かだった。
「……っ。怪物ですね……どこまでも」
「いやぁ、おかしなことはしてねぇよ」
振り返った先に目に映ったのは、鮮やかな赤に染まる腹部……確かに傷は負っているものの、それは擦り傷にしかなっていない。妖力による防御、それだけでここまで軽減されるとは。
「さぁ、何だろうと俺はお前を殺すぞ!」
「ふ……っ!」
一閃。私の首を狙って刀が振られた。黒い刃が微かに赤く映る。
「影閃……彼岸……」
「どらぁ!」
「くあぁっ……!」
せめてカウンターを。そう思って振ろうとした左腕が深く斬り刻まれた。肉が裂かれ、骨にも電流が走った。速い……なんてものではない。
「影雫!」
刀を抱え込み、一気に刺突した。突進が加速したタイミング、当たれば喉を突き破れる……!
「おっと……危ねぇな!」
「ダメか……」
どれだけ加速していても、慣性を無視するように急停止をする。怪鳥のように自滅とはならないか、当然……。
「影嵐!」
「んん……っ!」
八の字をなぞって刃を振り続けた。ただ数を、撹乱するためにも休む暇なく……!
「面白くねぇぞ! 飛鳥ァ!」
「宵打!」
「ぐっ……」
猛攻の間を縫って、私の胸に衝突した一つの打撃。体重を全て乗せた、破壊の一撃。
「がっ……ぐぁ……っ!」
肺の奥から迫り上がってくる鉄臭い香り。骨が砕けた。胸の筋肉や臓器とかき混ぜられたのか、動かそうとすると千切れるような音を立てる。
「ぐっ……ごぷ……」
「おい、血に溺れんなよ!」
「……っ!」
鉄の匂いに支配された口の中は、膝蹴りによって吐き出された。後頭部が硬い岩と衝突する。
頭がチカチカする。視界が白と黒を行き来し、いつまでも正常に戻らない。握った拳も開かない。
「がっ……ふ……」
「途影……!」
「おっ、まだ……!」
影冥刀の刃の先端、そこから影を先行させ、斬撃を伸ばした。影に触れれば斬り刻まれる。そしてさらに……。
「くっ……そうか!」
瞬間、斬撃が全身に走った。影冥刀の影と距離を取っていたが、突然として襲った。
影冥刀の影は他の影に触れると侵食する。雷玄さんの影は妖力で守られているだろうが、岩影と重なればその分だけ斬撃は広く、鋭くなる。
「ダメ……ですか……っ」
しかし変わらず、彼に私の斬撃は意味をなさない。薄皮を削り、肉に少し届く程度。圧倒的な実力の差。
「こんなものか、お前は!」
「ぐっ……」
圧迫される気道、血の流れも鈍くなる。喉が痛い、首が痛い。締められれば締められるほど、止まった血も流れてしまう。
「ぐっ……がぁ!」
「……羽虫のような抵抗を」
影冥刀を振り下ろしても当たらない。肩を、首を斬ろうとしても、距離を取られてしまう。
「ゼェ……ゼェ……」
「息も絶え絶え、何を見せる気だ?」
隙がない。攻撃を当てる隙も、技を練る隙も。準備をするような時間を与えられてはいない。ならば……。
「がふっ……はっ」
潰れた肉体を無視し、刀を振り上げた。悲鳴がうるさい。なのに、今の私にはそれを聞き入れる聴力もない。問題ない、これは私の身体だ。
「影垂!」
「またっ……影かっ!」
影を伸ばし、強制的に巨大化させた影冥刀を雷玄さんに落とした。もはや力に余裕はない。が、妖力には余裕がある。巨大化に伴い跳ね上がった力、これで叩き斬るしか……!
「ぬぁあ!」
二振りの刀に影は破壊された。影冥刀も本来の大きさに、私の手の中に戻った。ズルのような力押しでも敵わない。
「くっ……ははっ……」
乾いた笑いが零れた。万事休す、というわけでもないが。これで勝てぬなら、私が勝てる相手でもない。せめて一太刀、浴びせてやろうとも思ったが……。
「……終わるか、そろそろ」
「は……っ!」
一回、二回と足を貫いた。足の甲から足裏にかけて熱を帯びる。太ももにも力が入らない。そのうえ血で滑ってバランスも取れない。
「はっ……はっ……」
「弱いな、飛鳥。……これが俺の弟子とは」
頭が重い。肩が動かない。……斬られたのか? 全身を包む生温かい熱、もはやどこを斬られ、どこを斬られていないのかも分からない。
かろうじて生きている右手は、確かに影冥刀を握っている。ただこのままでは振る力も、それ以前に持ち上げる力も入らない。
腰は……落ちているか。背中の巨岩がなければ、こうして座ることすらできなかったろう。
「狩連に背けば……こうなる運命なんだ!」
「ぐぁっ……あぁああ!」
雷玄さんの靴が、肩の斬り傷を踏み締めた。甲高い声が傷にうるさい。土が傷口に塗られ、余計に熱い。
「ふっ……ふっ……」
「……いや、弱くなったのか。前のお前なら、あの少年と共に戦ったろうに」
……確かに、香織と戦ったのなら、あるいは勝算もあったかもしれない。少なくとも、彼の命など気にしていなかったら……。
「うっ……」
「戦闘兵器ともあろう者が……情けない」
彼の刀が、私の顎を持ち上げた。視界は霞むが、目の前には確かに燐堂雷玄がいると……それだけは分かる。しかしなんとも……彼の虚影はこれほどまでに冷たいのか。
「……っ」
「もはや痛みに喘ぐことすらできんか」
「……ふふっ」
不意に零れたのはそんな笑み。先ほどの乾いたそれとは違い、少しばかりの生気の籠ったもの。そして……我ながら変だと思う、少女のような声。
「……何が可笑しい?」
「げほっ……けほっ……いえ、すみません。……あなたともあろうお方が……トドメをなかなか……刺されないと思いまして……」
「……」
その生かされた時間は、技を練るのには十分なものだった。彼は戦闘中はその隙を見せなかったのに、勝ちを誇った瞬間、隙を見せてしまった。
「はっ……はぁっ……! 雷玄さん……影纏い、ご存知ですか……?」
「なんだ、突然?」
彼が私のトドメを刺さなかったのは酔っているせいか。あるいはもっと、この時間を楽しみたいのか。
「……知らんわけもなかろう。俺は妖狩だぞ」
「えぇ、そうですよね」
それは妖の本領。黒鬼がそうしたように、言葉の通り「影を纏う」技だ。そしてそれは、影から生まれた妖ゆえの……奥義のようなもの。現の存在である妖狩は、それほど器用には影を操れない。
顎に当てられた刀が、死という冷気を肌に運ぶ。影の冷たさとはまた違う、温かさゆえの冷気。
「……おいおい、マジか」
影から虚影を取り出す容量で、影を拡張し、形を変えていく。影界を張る容量で、影を展開し、身体に張る。虚影を出すときとはまた違う冷気。
せっかくだ。見た目は和装がいいかな。着物に袴。……影冥刀の鞘も付けるか。全身真っ黒なのが気に入らないが。
「私の虚影は影と密接な関係にあります。つまり、私の影は他の方のそれとはまるで違う」
「しかしそれは……前代未聞だろ……」
この高揚感は、影を纏ったゆえか、あるいは深い傷ゆえか。実戦で試したことがないから、細かな副作用は分からない。
「いつの時代も……発明とは前代未聞ですよ」
「……それもそうだな」
溢れ出る妖力……私が影に吸わせていたものか。つまり今の私は、普段の二倍の妖力を持っている。影を纏っているだけ、出力は単純に二倍以上。妖力の消費がない私にとって、妖力量はさほど意味はないが……。
「試させてもらいます……前人未到、影を纏った妖狩の力を……」
「あぁ、ならば俺も、試させてもらおうか」




