第伍話 殺戮兵器
◇◇◇
遡ること数日、飛鳥と香織が東京結界を抜け出した直後のこと。ここは京都結界の狩連本部司令議会、簡単に言ってしまえば狩連の重鎮たちの話し合いの場だ。
狩連は日本政府、ひいては国際的にも秘密裏に承認されている組織だ。それも当然、日本国内を安全に行き来するには妖狩の協力が必要不可欠だからだ。
話を戻すがそんな議会に一人、燐堂雷玄という男が呼び出されていた。
「王境の妖狩、天嶺飛鳥が妖狩規定を犯したとの情報があった。妖力に覚醒しつつも扱えぬ者を保護しているようだ」
「天嶺飛鳥……あぁ、アイツですか。……いやぁ、アイツは規定違反をするような奴じゃねぇでしょう?」
「さて、奴は協調性もない女。規定違反というもっともな理由ができたわけだ。私たちの言いたいことは、分かるかね?」
「あぁ、なるほど」
飛鳥は狩連の有力者には嫌われていた。当然、フリーの妖狩であるがゆえだ。召集など受けぬ、指令など聞かぬ、ただ目の前の妖を殺し尽くすのみ。そんな思考も妖狩としてはもっともだが、組織の思い通りに動かぬ彼女は鬱陶しく思われていた。
「しかし、いいんで? 天嶺は王境、貴重な戦力でしょう? そもそも私も王境……」
「負ける気もないくせによく言う。構わぬさ。我々を裏切るような輩を生かしておくわけにもいくまい」
ただ気に入らないから消したいだけだろう、雷玄はそんな言葉を飲み込んだ。そして足を外に向けた。
香織がただ妖を殺す戦闘兵器であるように、玄雷はただ組織に従順であるだけだった。指令が出れば人を殺し、妖も殺す。香織が戦闘兵器であるならば、彼は殺戮兵器だった。
◇◇◇
名古屋結界の付近、ここはかつての建物もほとんどが風化し、平原と言って差し支えないほどに平らな土地だった。そしてそんな平原の奥に見えるのは、赤黒い巨大な鳥。容姿としては鶏と鷹を混ぜ合わせたような、三メートルを超える怪物だ。
「アレは怪鳥ですね。妖力で見れば兵境ですが……あの形だと将境ですね」
「なんで?」
怪鳥は妖力こそ少ないものの、代わりに身体能力が極めて高い。……見方によっては王境とも言えるかもしれないが、流石にそれほどの強さを持っているわけでもないか。
「一つ、気をつけてください。怪鳥はめっちゃ速いんです」
「めっちゃ速いんだ……っ!」
と、百メートル以上離れたそこから、怪鳥は直線で私たちを貫いた。すんでのところで香織を抱えて跳んだために掠ることもなかったが、危なかったな。あの鋭い嘴に当たっていたら怪我では済むまい。
「はっ……はっ……めっちゃ速いじゃん!」
「そう言ったじゃないですか。直線だと音速に近いらしいですよ」
「めっちゃ速いじゃん!」
だから私も、めっちゃ速いって言ったのに。とはいえ難しい相手でもない。めっちゃ速いのは直線だけ、攻撃を当てるのが難しくても、冷静ならば避けるのも難しくは……あぁ、いや。
「それともう一つ、怪鳥の鳴き声にも気をつけてください」
「……鳴き声?」
「キィヤァアアアア!」
「……っ! うるさ……っ!?」
だから気をつけろと……仕方ないか。脚の動かない彼をもう一度抱え、怪鳥の攻撃を避けた。向こうがコッチを認識していると分かっている以上、一撃目よりはよっぽど避けやすい。
「あの声を聞くと全身が痙攣して動けなくなります。鼓膜を中心に全身を妖力で保護しなさい」
「……簡単に言う……っ!」
攻撃の間隔が短くなってきたかな。私たちを狩ると決めたのか、あるいは気が短くなってきたのか。王境と呼ばない理由は、この学ばずに猪突猛進するだけの頭の悪さだ。
「ではもう一つ……」
「その一つを聞くの三回目だけど」
……つまらないことを数えている。別に一つが三つあったって構わないだろうに。
「香織、あなたが怪鳥を正面から撃ち抜きなさい」
「うん……うん? 正面から? 無茶言わないでよ! もし外したら死ぬよ!」
「何を弱気な。いくら速くても衝突したくらいじゃ人は死にません」
「死ぬよっ!」
柔な身体だな。怪鳥は体格の割に軽い。普通の人間なら死ぬだろうが、妖狩がその程度で死ぬことはない。……あの嘴さえ避けられれば。
「仮に成功したとして、あの速度の死体が突っ込んできたら……」
「妖は死ねば影に還るもの。影には質量も何もありませんから、後のことは気にしなくて平気ですよ」
「そう? ならまぁ……」
怪鳥はまるで闘牛のごとく脚を動かし、こちらに狙いを定めている。私は避けられるとして……さて。香織は上手くいくだろうか。
「来い、『冥牙砲』」
「冥貫……」
「キィヤァアアアア!!」
「……っ!」
やはりダメか。まだ香織は妖力の扱いに疎い。全身を強化するために妖力を流すのはかろうじてできているが、保護のために纏うのはなかなか上手くいかないらしい。
「……世話が焼けます」
「ははっ……悪いね、飛鳥」
「グギ……キィ……?」
よくこれで黒鬼に勝てたものだ。あのときの出力ができればまだ戦いにはなるだろうが……いや、そうだよな。香織は妖狩になってまだ一週間かそこらだ。これだけ戦えるだけ上々なんだ。
「もう少し、やりますか?」
「……あぁ、やらせてくれ」
抱えた香織を下ろし、私は再び俯瞰した。あの速度が相手では『冥牙砲』の強みである射程を活かせない。さて、香織はどうするかな……。
「ふぅ……」
「冥貫……!」
「ん……?」
「キィヤァッ!」
「ぐっ……!」
香織が撃ったのは怪鳥ではなく空、それも五丁ほどの冥牙砲で……考えなしではないだろうが、相変わらず鳴き声への耐性はない。助けに行ったものか……いや、それはやめておこうか。失敗したとして、香織でも一撃くらい耐えられるだろう。
「グギィ……!」
「……冥封壁!」
「ギギャ……ッ!」
「へぇ……!」
妖力の光線、冥貫は虚空に撃たれたのかと思ったが、空中を折り返して再び地上に降り注いだ。まるで柵のように長く突き刺さったそれに触れれば、防御しなければ焼き斬られるだろう。そして最高速度に加速した怪鳥は、ただそこに衝突するしかない。
「ギッ……!」
「おぷっ……」
冥封壁に触れた途端、怪鳥の身体は六つに分断され、音速のまま香織をすり抜けた。影に還ったのだ。避けられないし当てられないなら、向こうに勝手に当たってもらう、か。なかなか考えたじゃないか。
「お疲れ様です、香織。冥牙砲は案外、応用が利くものなんですね」
「ゔっ……おぇっ。……影って不味いんだね……」
「そうなんですか。すみません、口に触れたこともなく」
影はすり抜けたかと思ったが、そうか。実体化した影の形状は液体のようなもの。死んだ直後の妖ならば、触れることもできるだろう。怪鳥の影を少し飲み込んでしまったのかな。
「ほら、口を開けてみてください。何かあれば大変です」
「あー……」
見たところ、影を落としている様子はない。そもそも影に還ったら妖力もなにもないのだから、影響などはないだろうが……。そもそも私は経験がない。何があるかも分からない以上、慎重であることに損はない。
「……なんともなさそうですが、どうですか? 口の中に違和感は?」
「いや、最初が不味かっただけで、今は何もないよ」
「そうですか。よかった」
不意に口が緩むのが分かった。こんなことで安心する自分に反吐が出そうになるが……まぁいいか。香織が無事ならそれでいい。
「慣れましたか? 妖狩には……」
彼の隣に腰を下ろし、それとなく尋ねてみた。日は直上、もうお昼か。お腹も空いてきたところだし……幸運にもここは、見晴らしだけはそれなりに良い。
「どうだろ。殺すっていう行為には……なかなか慣れないかな」
「妖は何も、命を持っているわけではありません。持っているように見えますが、ただの機械のようなものでしかなく……」
「それは分かってるけどね。何回も戦って、なんとなく分かったよ」
正確には命もあるのかもしれない。が、それは少なくとも生命ではない。そもそも人間や動物とは在り方が違うのだから、どう表現するのかも分からないが。
「戦いには慣れた方かな。痛いのは怖いし、変な顔の化け物も怖い。だけどまぁ……そうだね。怖くても立ち向かえるよ」
「そうですか」
なら十分じゃないかな。私は怖がることもなくなったが、恐怖心はあった方がいい場面もある。死にそうなとき、逃げなくてはならないとき。恐怖心がなかったら無駄に死ぬかもしれない。もっとも、私は死なないだけの力はあるが。
……あぁ、でも……。そうだな。今の私には怖いこともある。
「いいですか、香織? 怖くなったら逃げても構いません。何があっても生き延びてください。どうしようもなく強い妖が出たとしても、私はあなたが逃げるだけの時間は作りますから」
「ははっ、突然どうしたんだよ。飛鳥がいるなら僕は逃げる必要もないじゃないか」
「嬉しいですが、私も最強じゃないんですよ」
妖狩ならば、私より強い者などほとんどいないだろう。ただ妖となれば話が変わってくる。王境以下の妖なら、戦闘になったとしても負けることなどない……と思う。少なくとも一対一ならば。
ただそれを超える……覇境の妖となれば話も違う。アレは別格、言葉の通りに次元が違う。記憶を辿るだけで微かに震えるこの手を見れば、それは説明するまでもない。
「この前寝ているとき……涙を流していたこと、気にしてましたよね?」
「え?」
「……あ、いや! なんでもありません! 忘れてください!」
私は今、何を話そうとした? ……記憶などつまらぬもの。そのはずだ。なぜ……なぜ話そうとしたんだ。どうだっていいことで……そもそも私も、ほとんど『その記憶』を覚えてはいない。それは自ら影を被せたからだ。なのになぜ……。
「えぇ……なんかそう言われると気になるんだけど」
「パンドラの箱ですよ」
「パンドラの箱ではなくない?」
もしかしたら、私は彼に、もっと自分のことを知ってほしいのかもしれない。……いや、それこそなぜだ。むしろ理由が分からない。私は彼に何を見ているのか……何を重ねているのか。
「ねぇ〜教えてよ〜!」
「ど、どうでもいいことです。忘れなさい」
「教えて! 教えて教えて教えて……」
「子どもじゃないんですから! あぁ、もう、分かりましたよ」
どうして口走ってしまったかな。そんなことを……私の弱点にもなるかもしれないことを、わざわざ。……でも、彼にならまぁ、いいのかな。
「でも、全てを覚えてるわけではないので、あんまり期待はしないでくださいね」
「うん、分かった!」
さて、どこから話したものかな。そもそも彼が知っている情報といえば……天嶺飛鳥、妖狩、虫が嫌い。……あまりに話さなすぎだな。
「私はね、京都に生まれたんです。十歳くらいまでは京都で暮らし、そこから狩連の直属を抜けて東京に。そこで圭……東京で喫茶店をやってる方にお世話になっていたんです」
「あぁ、あの……あの人も妖狩なの?」
「はい。階級で言うと王境の下位ですね」
戦っているところは見たことない……というのも本職は喫茶店らしいから戦わないのも当然だが、あの妖力量なら少なくとも将境には手こずることもないだろう。
「でも十歳で京都から東京に……え? 一人で結界外を歩いてたの?」
「えぇ、そのときにはすでに王境に片足を踏み入れてましたから」
王境以上の妖は滅多に存在しない。大体が無境と兵境、稀に将境がいただけ。それなら当時の私でもなんら苦労することでもなかった。特に今のこの状況とは違い、小結界の集落にも寄れたから。
「東京に来てからはただ妖を殺……狩る毎日でしたから、話すほどのことでもありませんね。となると、やはり幼い頃の話でしょうか」
「ベイビーズ飛鳥ってことね」
「それは分かりませんが」
京都にいた頃の記憶……覚えていることも多くはないが、話せないほどでもない。まずはそうだな、生まれからか。
「私は天嶺家という……妖狩としてはそこそこな家に生まれまして。だから生まれながらに妖狩で、そして妖との戦闘も日常でした」
「おぉ……なんか……厳格そうな家だね」
「そうかもしれませんね。でも父も母も、とってもお優しい方でした。任務もありましたから、何かと共に過ごす時間は短かったですが……」
私の顔は、見れたものではないだろうな。酷い顔をしているだろう。少し前の私なら視界にも入れないような、酷い顔を。
「確か……四歳頃のことです。私の初めての友達となったお方が……っ!」
「……はっははは! 久しいな!」
その瞬間、異様な気配が飛んできた。男の着地と共に地面が、大地が震動する。妖力の接近に気がつかなかった。気を抜きすぎていたのか……いや、違う。強力な妖、妖狩は妖力を抑えることも、不可能ではない。
ただ……ただ! それ以前にまさか、狩連が彼を駆り出すとは思いもしなかった。いや、思えば理にかなっている。私を始末するという以上、これ以上ない采配ではある。ただまさか……!
「燐堂……雷玄……! あなたが来るとは……」
「呼び捨てはねぇな、飛鳥! 燐堂師匠、だろ!」




