第肆話 悪い夢
東京から名古屋の大結界へと向かう道中にはいくつか小結界を張った集落が存在する。正確には五都市それぞれの中継のためだが。それは半径一キロメートル程度のもので、妖狩以外の一般人もここで生活している。意味は少し違ってくるが、簡単に言ってしまえば補給路のようなものだ。
「……顔、隠す必要あるの?」
「私たちは反逆者のようなものですから」
帽子と眼鏡をつけ、変装とも言えない程度の変装、現状、これだけで十分だとは思うけれど……。
「指名手配とか、されていないといいんですが……」
「……でもさ、もう僕って妖狩を名乗れるくらいの力はあるわけじゃん? 今から妖狩として登録すればいいんじゃないの?」
「……どうでしょうね。少なくとも規定を犯した身ですから、こちらの動きを知られていたら……」
もしそうなら私は違反者、狩連に赴いたところで処分されるのがオチだ。向こうが何も気づいていないなら、何の問題もないわけだが。
「しかし香織、あなたは違います。私に脅されたとでも言えば、あなたが処分されることはない。なので……」
「そんなことはしないよ。ここまで来て……旅は道連れって言うだろ?」
「そうですが……」
現状、あまりに目的がなさすぎる。私が覇境に至るか、あるいは香織が王境に至るか……そうすれば誰も文句は言えなくなるだろうが、それは無謀というものだ。
「ただでさえ、フリーの妖狩は生きづらいんです。正規に給料が出るわけでもない。それなのに狩連と敵対するとなると……」
「いいんだって。僕は飛鳥に助けてもらって……それなのに見捨てろだなんて、そっちの方が酷だよ」
「そうですか……そうですね」
これ以上の説得は無理だろうな。というか、無意味か。不器用な人だ。私を見捨てれば人間に狙われることはないだろうに……。
「分かりました。なら早急にここを出ましょう。食料も買えましたし、長居する必要はありませんから」
「うん、分かった!」
「ついでに近くの妖も狩っておきましょうか」
追われているからと、妖を見過ごすつもりはない。それに香織の虚影を把握する必要もある。先日、黒鬼を倒したときは覚醒時ということもあり、妖力が通常以上に溢れていただろうから。それでも兵境なら一撃で沈める程度の力はあるだろうが。
それから日が沈むまでに殺した妖の数は三。内訳は兵境が二体と将境の下位、つまり妖虎程度のものが一体だ。その将境を殺したのは私だが。
「……今日で分かったのは、案外強い虚影でもなさそう、といったところですかね」
「ひどい……」
かろうじて形を保っている民家に影を落とし、乾パンや缶詰を食べていた。美味しくはないが、今はこんなもので構わない。……美味しくはないが。
「『冥牙砲』の射程は十メートル程度だと思うといいですね。それ以上は威力の保証ができない」
「まぁそうだね。銃型なのに、近づかなきゃダメな感じか」
「悪くはないですがね」
基本的に格闘を強いられるこの世界において、射程距離という概念がある時点で有用ではある。十メートルというと簡単に詰められてしまう距離でもあるが、接近という過程を敵に強要する以上、先手を打つことができる。
「もっとも、あなたが先手を打てるだけ強ければ、ですが」
「む、無茶を言うなよ。僕、数日前まで普通の高校生だったんだけど……」
「それもそうですね。すみません、私の基準が高すぎました」
「それはそれでなんか悲しい」
香織は多少のセンスはあるのかもしれないが、それはそうと戦闘経験に乏しい。……乏しすぎる。死にかけの状態でも黒鬼に立ち向かえた以上、頭のおかしい部類ではあろうが、将境の上位レベルとはまだ戦わせたくない。
「傷の痛みは、そろそろ引きましたか?」
「うん、すごいもんだね。普通数日で治る傷じゃないでしょ」
「それが妖狩です」
妖力で身体能力を底上げするように、治癒能力も妖力があれば跳ね上がる。治らない傷を治すことはできないが、単純な回復速度が上昇するのだ。
「さぁ、もう寝なさい。明日も早いですよ」
「んん……そだね、そうしよ」
夢に落ちる彼を見送るのは、何度目だろうか。年頃の……同年代の異性と共に夜を過ごすという、あってはならない景色なのに。おかしなほどに心は平坦なものだ。それなのに私は、否定できぬほど彼を案ずる心もある。
おかしなものだ。心はとうに失くしたはずだ。けれど確かに、彼に対しては揺れるものがある。それと同時に、揺らがない部分もある。分からない。私は一体……。
「——か! 飛鳥!」
「っ! なな……あぁ、香織ですか」
影の向こうは明るい世界。月ももう沈んでいる。……朝か。まさかそこまで深い眠りについていたとは。
「……泣いてるの?」
「寝起きの目元は緩むものです」
「悪い夢でも見た?」
「……さて、どうでしょうね」
夢などただの幻、記憶などただの風景。私を形作るのは影と殺意。それから今は、少しだけの……。
「朝ごはんにしましょうか。お腹は空いていますか?」
「……あんまり空いてないかも」
「そうですか。私もです」
ほんの少しのドライフルーツを口に入れ、日の光の外に出た。飢えは感じない。極めて健康。そしてやや北西に妖力が一つ。それも大きな妖力が。
「……王境の妖が出たのですかね」
「えっ……王境?」
香織はまだ妖力の感知は難しいか。私は人一倍、感知能力は高い方だが……あの大きさには気づいてもらいたいものだ。
「王境の下位といったところです。コレは流石に私が対処しますが……いかがします?」
「援護するよ」
「……助かります」
香織の『冥牙砲』は後ろから援護してくれるなら心強い。私の刃を邪魔することもないだろうし、少なくとも私との相性は良いだろう。もっとも、私に援護が必要かと聞かれればまた別の話だが。
駆け抜けた先に見えたのは、その妖力にも劣らぬ巨体、巨人に近しい種だった。ただ人型ではない。鈍い牙に太く大きな四肢……そして開いているのかも分からぬほど潰れた眼。豚の妖といったところか。そして十メートルか二十メートルの身体を持つソレは、厳密に言えば……。
「物怪ですね、アレは。良かったですね。あの巨体でこの妖力なら、せいぜい将境でしょう」
「物怪って?」
「魂を持った妖です。殺した者の魂を喰らい、身体を大きくするという……将境以下の妖狩ならば有効打を与えることもできず、苦戦する相手でしょうが」
実際、妖力が多いためにそれなりの硬さはある。ただし巨体のせいで部分あたりの妖力は少なめで、攻撃力は低い。一般人や兵境以下の妖狩ならあの大質量に潰されるしかないだろうが、私の敵ではない。
「まぁ、あれくらいならば早いところ……」
「魂って……なんだ? じゃあアイツに殺された人達は、成仏すらできてないってことか……?」
「さぁ? 成仏という概念があるのかも分かりませんし……」
「そういうことじゃねぇだろ……」
怒っているのか? 何に? 私が妖に抱く殺意とはまた違う種類の……私にはよく分からない怒りだ。死んだ人間に先も後もないだろうに。
「やることは変わりませんよ。アレを殺す。まずはそうですね……香織、試してみなさい」
「……あぁ」
よく分からないが、高揚しているのならば力を引き出せるかもしれない。殺すには至らないかもしれないが、成長には繋がるかもしれない。……しかしなんだろうか。
「ふぅ……アレは僕が倒す……!」
「グッ……グッ……」
寝ているのか起きているのか、分かりやしない。ただあの鈍重に香織が殺されることもないだろう。ただ香織がアイツを殺せるのか……。
「来い、『冥牙砲』」
「冥貫!」
「……ギャ?」
「んん……」
太った腹を貫いた一閃の妖力、相変わらず至近距離の貫通力だけなら大したものだ。しかし銃口から放たれるのは指先と同じ程度の太さ。二メートルか三メートルか、中型の妖ならばそれで十分だろうが、やはり物怪が相手となると擦り傷でしかない。
「くそっ……」
コレでは打つ手なしだろうか。香織の虚影は応用が効きづらい。少なくとも一次覚醒の段階では……。と、私はやはり、彼を甘く見ているのかな。香織は私の推測の上を行ってしまう。
「冥猛」
「……おぉ」
香織の影から現れたもう二丁の冥牙砲、合わせて三つの妖力の光線が、豚の物怪を貫いた。二次覚醒……ではないな。妖力の消費も三倍になっているし、ただ数が増えただけ。つまりアレこそが冥牙砲の本質というわけだ。
「お前らは……人間の命を何だと思っている!?」
「グ……ググ……」
怒りで妖力が溢れているのか、拳銃は四つ、五つと数を増やした。しかし雀の涙だな。二十メートルを超える物怪の大きさの前では、香織の技など致命傷、つまり脳天には届かない。加えて物怪、ただの妖ではないわけで……。
「お前のっ……お前は! 僕が……」
「待った、香織。これ以上撃ってはなりません」
「っ! 飛鳥……」
私は香織の元に駆け寄り、その震える手を無理矢理に下げた。この物怪は香織の妖力を喰らっている。香織では殺せない。ただ成長を促すだけだ。
「どいてよ! 飛鳥! コイツは僕が……っ!」
「……香織、あなたでは物怪を殺すことはできません。実力不足なのです、今のあなたは」
「……っ!」
香織の荒ぶった声を聞くだけで、胸の奥が静かに痛むのはなぜだろうか。妖狩として、私は彼に怒りや殺意を抱いてほしい。そしてそれと同時に、そんな感情に呑まれないでほしいとも思う。
「コレは私が殺します。なのでよく見ていてください。妖力の纏い方、影の揺れ方、そして虚影の違いを」
「来い、『影冥刀』」
影の刀身を抜き、小さく振りかぶった。妖力を刀身……いや、刃に集中し、さらに先端へと流す。そこから刃の根元へと妖力を回し、循環させる。
「影閃……」
妖力が空気を焼く。そしてさらに、妖力を焼く。妖力の循環は加速し、影が蓄積していた妖力をも引き出す。無限の回転、妖力は零れることなく刃を研いだ。
「彼岸月!」
「グァッ……!?」
刀を振り下ろす。熱を帯びた妖力が、薄い皮を斬り裂いた。斬撃は飛ばない。けれど物怪を形成する妖力が、私の……影冥刀の妖力に触れて新たな斬撃となる。正確には物怪を形成する影を、だが。
「斬撃が斬撃を呼ぶ……どうですか? 香織」
「……恐ろしいよ」
一直線に斬り裂かれた物怪には、当然、命はない。その大質量の身体は崩壊し、影に沈む。香織はあっけないと思うかもしれないが、実力差とは、彼の目指すべきはここ……いや、それ以上なんだ。
「飛鳥の影、妖力があるんだね。吸われてるんだっけ?」
「それが影冥刀の能力なんです。影の妖力を引き出し、さらには影そのものを刃に纏う。妖力は影と刃の間を循環するので、妖力の消費は限りなくゼロに近い。その代償といいますか、副作用で私の妖力は半分ほど影に吸われていますが」
実質的に、私が損を被っているわけではない。影から妖力を引き出せるということは、支配しているということ。影界を寝ている間も一人で展開したり、影に収納したり。私が影の扱いに長けているのはそのためだ。そして私の影と相手の影が繋がれば、先ほどのように敵の妖力も私に味方する。
「私は強いんですよ。同格以上の方の妖力には抵抗されてしまいますが、それを踏まえてもなお、ズルいくらいに」
「うん、ズルいよ。あんなに頑張った僕がかわいそう」
冗談めいた口調で話すが、その目にはどこか暗いものが映っていた。妖狩であれば当然のように持つ暗さだが……彼のものは何か違うようにも思える。
「ねぇ、香織。様子が変です。何か思うところがあるのですか?」
「……僕は別にさ、正義のヒーローじゃないよ。死ぬのは怖いし、人のために命を投げ出したり、なんてことはしないと思う。よくいるような、利己的な人間だよ」
「えぇ、誰もそんなものです」
「でもさ……人に死なないでほしいって思うのも普通でしょ? 飛鳥は怒りが湧いたりしないの? 人が殺されて……」
やっぱり……香織は少し優しすぎるのかな。見知らぬ人の生死なんて、気にすることでもないだろうに。
「人は死ぬものです。妖は人を殺すものです。それが摂理、そんなものに感情を抱くようなことは……」
「でも僕を助けたじゃないか」
「……っ」
あまりに図星、けれどアレは、私でもよく分かっていない。香織は弱いくせして、よく人を見ている。……それか、私がよっぽど見ていないのか。
「……分かりません。私は妖を殺すのが宿命。そこには人を助ける気持ちも何もありません。ただ殺す。殺して殺す。それが私ですから、あなたを助けたのは……」
気まぐれ、そう言うのが正しい気がする。偶然助けたけれど、もしかしたら助けなかったかもしれない。目の前にいたから助けた。ただそれだけだ。
「……前から思ってたけどさ、あんまり『殺す』なんて言っちゃダメだよ。ましてや女の子が……せっかく綺麗で言葉も丁寧なんだから、もっとお淑やかにさ」
「……っ。善処します。さぁ、もう行きますよ。妖なんて、狩っても狩っても終わらないんですから」
彼の言葉が妙に心に残った。なぜだろう、瞳の奥が熱いのは。ダメだと言われたから? いや、そんなつまらないことじゃない。女の子として扱われたから? ……それも違う。何だろうか……私の中の何かが、妙に胸の奥に引っかかる。




