表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/20

第拾捌話 王

 妖とは、影の世界の住民である。人の思念により生まれ、うつつへと出現する。平安よりその数は急増し、江戸には全盛となった。現代日本、ほとんどの都市が壊滅したのは、何も戦争ゆえではない。それも要素の一つではあるが、あくまで主な理由は、妖が日本を蹂躙したからだった。


「んー……香織……」


「どうしたの、いつもよりなんか……」


 崩壊した京都、もはや街は消え、ただひたすらに平らな土地になっていた。天王山との激闘も終わり、静かな世界。私は頭を……全身の体重を香織に預けていた。


「男の子はね、頑張った女の子を褒めるものです」


「ふふ、褒めてるじゃんか」


「じゃあもっと甘えさせて」


 膝の上から見上げる彼は、前より少しだけ大人っぽく見えて、少しだけカッコよく見えた。そんな彼の柔らかな頬に触れるとその熱が、確かにそこにいるんだと教えてくれる。それが何よりも嬉しい。


「ねぇ、何分もこうしてるけどさ、そろそろどこか行かないの? 屋根があるところでも……どこでもさ」


「疲れちゃったの。だからもう少しこのままでいさせて」


「……仕方ないな」


 撫でてくれるその手のひらに額を押しつけた。龍の妖力はあまりにも多い。影が吸収してもしきれないほどに。だからだろうか、いつまでも身体は重かったし、なかなか疲労も抜けなかった。


「ねぇ、このあとはどうするの? 僕ももう……妖狩として強くなってさ、飛鳥は覇境だもんね」


「んー……」


 記憶を辿り、彼との約束を思い返す。香織が妖と戦えるようになるまで私が守る。そう誓った。……もう香織は守られる存在でもない。将境か……王境に片足を踏み入れている。もう立派な妖狩だ。


「ふふっ、強くなりましたね」


「……うん、おかげさまでね」


 寂しそうに歪んだ顔を見ると、どうしようもなく胸が締めつけられる。天王山……龍という妖を倒した以上、当分は覇境の妖は出ない。王境の妖が出ても、今の彼なら問題なく対処するだろう。均衡が戻ったんだ。やっと、私の元を離れても……。


「……飛鳥?」


「ねぇ、わがままを言ってもいいですか?」


「わがまま?」


 瞳の奥が熱い、痛い。弱音だよ、コレは。紛うことなき、私の弱さ。昔は捨てていた人間らしさ。その感情が、今はたまらなく愛おしい。そして大切だ。


「まだ私と一緒にいてください。……私を置いて行かないで」


「っ……うん。もちろん。当たり前じゃないか。……でも、飛鳥がそう言ってくれて嬉しいよ」


 吐息の重なる距離、そこまで香織は顔を近づけた。膝の上、目の前には香織の匂い。視界いっぱいに彼がいて、その隅には未だに慣れない金色が座っている。


「しかし……参りましたね」


「……何が?」


 彼の顔が離れていくことが、どうしようもなく悲しく、恐ろしい。が、何も目の前から消えるわけではない。ここにいてくれるのだから……。


「京都がこうなっちゃ、狩連もまともに機能しないでしょう。妖狩が上手く機能しなくなれば……私たちのようなフリーな存在が忙しくなりますね」


「……飛鳥が狩連を牽引しちゃえばいいじゃんか。覇境の妖狩、妖狩の王様だよ」


「ふふ、そんな子どもみたいな」


 けれど、そんな言葉が妙に心に落ちた。私は人間の中では最強だろう。間違いなく。実力は分からないが、かつての父と同じ立場になったんだ。組織を気にするべきか、否か。分からない。どちらの方が妖を狩ることができるのか、そして人を助けられるのか。


「……香織が支えてくれるなら……そうですね。再建の手伝いくらい……してみるのもいいかもしれません」


「ははっ、飛鳥らしいや」


 心機一転、それが今なのだろう。私がいれば、目の前の問題は大抵、解決できる。香織がいれば、私が挫けそうなときにも助けてくれる。そう思うと……。


「無敵ですね、私たち二人なら」


「……うん、そうだね。無敵で最強だよ」


 もう一度、彼の頬に手を伸ばした。香織の笑顔は太陽のように眩しい。そこにあるようで、手の届かないほど遠くにも見える。雷玄さんも見守ってくれているだろうか。大好きな父と母も……奈々生も、見守ってくれてるといいな。


「ねぇ、そろそろ行かない? どっかさ……」


「もうちょっと……影が落ち着いたら。焦らなくても、妖に襲われることはありませんよ」


 ここにはついさっきまで龍がいたんだ。覇境の……さらに最上位に君臨する存在が。そしてそこで、私たちが戦闘していた。そんな妖力の残る場所に、わざわざ足を運ぼうとする妖などいるわけがない。知能があってもなくても、ただ本能が恐怖しているはず。


「……まぁそれもそっか。僕でも近づかないよ」


「えぇ、ですから、そう焦らないでください。大丈夫。もうすぐ私の影も、きちんと天王山の妖力を吸収するはずです」


 私も香織も、疲労でほとんど動けやしない。ならばここを去るより、ここに残っていた方がよっぽど安全だ。妖は近寄らない。狩連が崩壊した以上、妖狩もわざわざこんな場所にはやって来ない。


「それにしても……強かったな、二人とも。僕はサポートにしかなれなかったよ」


「香織……」


「僕も覇境になりたいな。ちゃんと並んで戦えるように……いざってときに……」


 彼の悩みはもっともだ。もしも覇境……いや、王境上位の妖と敵対したとき、単独で戦えるのか、という不安。強さが足りないのでは、という怖さ。


「香織、私たちはあなたに助けられました。あなたのそのサポートに」


「……そうかな」


「えぇ、そうです。それにこの短い間に、すっかり逞しくなられて、誇らしいんですよ、私は。……私は強い。個人ならば特に、そして今の時代なら圧倒的に。だから私の足りないところは単純な強さじゃない」


 だからこそ、私が彼に求めているのは何も強さではない。が、それを言うのは酷だろう。強さがほしいときもある。それが支えになることもある。私がそうだったように。


「香織は私にない強さを持っています。十分に。……だから私を支えるというなら、もう十分なんですよ。まぁ、そう言っても止まらないでしょうが」


「……そっか。そう言ってくれると気が楽だ」


 憑き物が落ちたように、さらに眩しい笑顔を見せた。香織はたぶん、これからも強くなるために努力をするのだろう。彼なりに、私の隣に立つために。自己肯定感がどうという話ではなく、己の強さに満足するために。


「……さて、そろそろ行きますか」


「お、平気かい?」


 そう言いながら、私は身体を起こした。名残惜しいが、いつまでも彼の膝を枕にしておくわけにもいかない。影が妖力を全て吸ってくれたようだし、前のようにしばしの放浪をするのも悪くはない。


「平気ですよ。おかげさまで」


 行くとは言うが、どこに行こうか。京都は潰れ、ここから一番近い大結界は名古屋だ。寝泊まりは小結界の集落か、あるいは今まで通り結界外の廃屋か。どちらも目的地とは言えないか。


「そうだ、東京の……圭のところにでも行きましょうか」


「あぁ、喫茶店の! いいじゃん! 久しぶりに東京に帰って……」


 二度と来るなとは言われたが、行って怒る彼女でもない。覇境になったことを伝えれば、不器用ながらに褒めてくれるだろう。そしたら前みたいにケーキでも注文しよう。


 東京は奈々生の生まれた土地で、今は何より香織の故郷。そして、私と香織の始まりの地。目的地としてはおあつらえ向きの良い場所だ。狩連のことを考えるのは、それからでも遅くはない。


「圭は良い人なんですよ。私を拾ってくれて……」


「ははっ、何度も聞いたし、僕も少しは面識もあるよ」


 最初に香織が立ち上がり、それからその手を取って、私が立ち上がった。両手、背中、腰、両脚。上から順に伸ばしてみた。血が一気に流れ出し、ジーンと熱が広がった。


「くっ……ふあぁ。よし、行きましょうか。目的地は東……」


「……飛鳥?」


 東の方向に歩き出そうとしたその瞬間、ガクンと右の膝が地面についた。突然の脱力、私は思っていた以上に疲労が溜まっていたらしい。


「ははっ、すみません。肩を貸して……っ」


「ちょ、ちょっと、やっぱりもう少し休んでこ?」


 彼の肩に手を回そうとした瞬間、次は左の膝が崩れた。そして順に腰、両腕、そして全身の力が抜けていく。


「あぁ……すみません。案外、回復してなかったようで……」


「いや、仕方ないよ。飛鳥は天王山と正面から戦ってたんだから」


 もう少し、私は私の身体を大切にしなければならなそうだ。香織を安心させるためにも、そして私のためにも。今まで通りとはいかない。今が変わるときなんだ。


「ふぅ……すみません。次はもっと、肉体の回復の方に……」


 そう言って言葉を止めた。違和感、これは本当に疲労なのだろうか? 影は確かに妖力を取り込んだ。その影から妖力を引き出し、私の回復速度も跳ね上がっているはず。それなのに今の私は……。


「はぁ、はぁ……っ?」


「……香織?」


 何が痛むでもない。けれど異質な違和感。力が抜けていくような……いや、そんな話ではない。影が、妖力が弱まっている。何かに吸われるように……剥ぎ取られるように……。


「はっ、はっ……!」


「飛鳥っ!? どうしたの!?」


 分からない……分からないが。今、何かが起こっている。何かが抜かれている。何が? この感覚は妖力だ……いや、何の術も行使していない。それなのにこれは……私の妖力が、私の影に吸われて……いや、違う……!


「かっ……はっ、はぁ……うっ!」


「ちょっ……飛鳥!」


 崩れるように倒れ込み、香織の胸に全ての体重を倒した。息が苦しい。身体が重い。私の影は妖力を吸い尽くし、そして私を飛び出した。いや、吸ったのではない。取り戻したのだ。やっと、降臨できる最低限のレベルに……。


「お前……は……っ!」


「ふむ……久方ぶりのうつつよの」


「何……アレ……」


 忘れる訳もない。二本の角、鱗はなく、洗練された肉体。十二年前の……私の記憶を火に沈めた存在。妖の祖にして、最強。原点にして頂点。終着点である龍とはまた異質の……圧倒的な格。その別名……。


「影の妖・酒呑童子しゅてんどうじ……!!」


 妖とは影から生まれるもの。つまりそれそのもの……妖そのものの名を冠する存在。まさか、まさかそんな存在が……。


「私の影に……潜んでいたとは……っ!」


「久しいな、お前も。儂にトドメを刺した……そう思っていたろう?」


 信じたくはない。けれど合点はいく。私の影が妖力を吸っていたこと。影冥刀に影を支配する力があったこと。そして……妖の奥義である『影纏い』を支えたこと。全て……全て私の影に……!


「はぁ……はぁ……酒呑……」


「飛鳥……落ち着いて!」

「来い!『冥牙砲めいがほう』」


 妖力のほとんどを吸い取られたせいか、私の生命力も底が見えていた。呼吸をするだけで身体が軋み、ただいるだけで汗が滲んだ。視界はだんだんと光を捉えることができずに……。


 それを止めてくれたのが香織だった。残っていたほとんどの妖力を、彼の命に支障が出ない程度に私に移してくれた。


「はっ……、はぁ。ありが……」


「無理に喋らないで……飛鳥……」


 当然、香織も平気ではない。息は上がり、頭は痛む。それでも今、二人とも生きている。


「……さて、心して聞きたまえ。小娘よ」


「っ……」


「儂はこれから、妖を率いてこの国を滅ぼす。そして妖だけの世界を作ろう」


 聞き捨てならない、聞くしかない。最悪の気分だが、この場を支配しているのは私でも香織でもなく、ヤツだ。


「ただお主には恩もある。お主がいなければ、儂は死んでいたろうからな。だから選択肢を与える。儂を見逃して生きながらえるか、妖狩として、儂に挑み、殺されるか」


「そんなの……っ!」


 いや、ここで挑むのはバカのやることだ。相手は妖の王、勝てる相手ではない。……それでも私は、妖狩の天嶺飛鳥だ。人間の、天嶺飛鳥だ。幸いにも、ヤツは降臨直後、万全ではない。


「私たちは妖狩だ。……ねぇ、香織」


「あぁ……もちろん」


「だろうな」


 私は迷わず影冥刀を抜いた。いくらか見慣れた白銀の刃、しかし妖力のせいか、絶妙に不恰好だった。体力はない。妖力もない。息も絶え絶え、ギロチンの刃が触れてる気分だ。……それでも……ヤツは妖。そして両親の仇……!


「お前を斬る。酒呑……っ!?」


「がっ……」


 かろうじて捉えられた一閃。ただの妖力の塊。反応もできなかった。そして最悪。それは香織の胸を……。


「え……っ? 香織……?」


「ふむ……威力が出んな」


 積み上げたものも、崩れるのはあまりに一瞬。音が耳に入るよりもずっと早く、香織は糸の切れた人形のようにただ静かに崩れ落ちた。流れているのは確かに赤い血。それも流れる速度が尋常ではない。酒呑童子の妖力は、目で追うよりも先に、香織の心臓を貫いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ