第拾漆話 影が落ちる
「しかし……雷玄さんっ!」
「……飛鳥、お前は人を殺したことがないだろ」
「……? 直接的には……」
今さらどうしてそんなことを聞くのか。見殺しにしたことはある。ただ妖を殺すことに専念し、助けることを二の次としていたことが。ただ私が手を下したことはない。
「俺はいくらかあるぞ。任務でずいぶん殺した。年貢の納め時ってことだ」
「でも……っ!」
「反省してるから許してください、なんて都合の良い話はねぇよ。俺ももう、悔いはねぇ」
雷玄さんはそんなことを静かに語りながら準備体操をしていた。腕を伸ばし、脚を伸ばし、背を伸ばす。ポキポキと鳴る関節の音が、いやにうるさかった。
「さて、お前ら。準備はできてるな?」
「……はい」
仕方ない。止めることはできないし、止めたら龍に勝てる道もなくなる。勝つため、斬るため。
「うしっ、後は頼むぜ、ガキども」
「えぇ、お任せください。燐堂師匠」
「はっ! やっぱり良い響きだな」
そう言って雷玄さんは駆け出した。大きな背中も、龍の巨体の前では小さく見える。速いし強い、その迷いのない足取りに、私も応えなければならない。
「……次ハ一人カ? ソノ勇気ニハ敬意ヲ表ソウ」
「はっ! お前程度、一人で十分だってんだ」
激しい衝突、肉体が耐えかねて雷玄さんの腕からは血が吹き出した。龍の力はそれでも止まらない。圧倒的な格の差。
「ふぅ……香織、貸してください」
「うん、来い!『冥牙砲』!」
冥牙砲による妖力の射出、それを影冥刀に巻きつけた。私に託された役目は二つ。一つは隙を作ること。雷玄さんが龍を脅かす一撃を繰り出せるように。そしてもう一つ、龍を斬ること。それが最大の……。
「宵針!」
「ッ……ナルホド、ナカナカ強イデハナイカ」
二刀の乱打、ただ刺し、刺激する。深くは刺さらない。けれど少しずつ、ダメージと不快感を蓄積する。もはや雷玄さんは後のことなど考えてはいない。全力を、言葉の通りに死力を尽くしている。
「……私たちが狙うのは目です。香織、よく見てください」
「分かった……!」
香織も出力できるだけの全ての妖力を私に託してくれている。私が信じるのは彼の眼だ。スナイパーとしての、捕食者の眼。
「まだだ。まだ……まだ」
ジリジリと焼けるように心臓が鳴る。早く、早くとうるさい。焦ってはダメだ。この一撃を外せば、私たちに勝ち目がなくなる。落ち着け、落ち着け。
「竜巻塒!」
「ぐっ……ははっ! 必死か!?」
龍が巻き起こす巨大な竜巻。固まった水滴が皮膚を削り、貫通する。晴れた空の下、空気だけがジメジメと湿っている。それでいて、吹き荒れる風が刃にも代わる。
「宵嵐!」
「クク……人間ニシテハ……」
夜天を投げ、手元に、そして闇天も同じように投げる。何度も何度も投擲され、折り返す刃。嵐のように降り注ぐ。
「雷帝!」
「ぬ……ぬぉお!?」
「ら……っ!」
龍は雷を纏った。比喩ではなく、その長い身体に。天に上昇する龍の角にしがみつき、雷玄さんも上空に飛ばされた。好都合……ではある。
「早く……」
「飛鳥! 焦んない!」
「っ、すみません」
香織の警告、それによって私は冷静を取り戻した。そうだ、落ち着け。焦っても無駄。雷玄さんならなんとかする。なんとかすると言ったのだから。
「宵轟!」
「ヌグ……ッ!」
交差した二刀、それが龍の頭を貫いた。龍の身体から、さらに高くへ跳んでいたようだ。抉るように深く、深くへと刃を進める。それも龍には致命傷にはなり得ない。だが……。
「飛鳥!」
「っ、冥貫!」
香織の合図、それより先に影冥刀が彼の妖力に震えた。撃て、その合図。私は力の限りに影冥刀を振り、さらに自身の妖力で香織の妖力を押し固めた。
「フハハ、面白イ……」
やはり雷玄さんの攻撃は効いていない。が、十分に意識を逸らした。百メートルを超える上空、それも捉える速さ。
「届け……届けっ!」
香織の冥牙砲、その射程は短い。それは香織が未熟だから、そして力も妖力も乏しいから。ならばそれを、代わりに私が射出すれば? 私は妖力を放出することはできない。が、一度放出された妖力を吹き飛ばすことなら可能。
「グォオ!?」
「……よしっ!」
香織の妖力は正確に龍の右目を貫いた。ひとえに香織の操作のおかげだ。硬い鱗もそこにはない。殺すまでにはならないが、コレが斬るための第一歩。
「宵……」
「オ主ハ囮ダッタカ!!」
「づぁっ……!」
さらに追い討ちをかけようと、雷玄さんが宵天を握り直したところ。龍は下から咆炎を繰り出した。直撃、確認するまでもない。空には穴が空いていた。
「らい……っ!」
大地を溶かす熱線、人が耐えられるものではない。たとえそれが妖力を纏った超人でも、アレでは……。
「オ主ラカ……」
「っ! ……えぇ」
そう言って降りてきた……いや、少しだけ下降して私たちを覗き込んだ。依然、射程ではない。警戒しているのか、人間を。
「良イ作戦ダッタ。身ノ危険ヲ感ジタガ、我ノ命ニ届クモノデモナカッタ……。ソレダケ、無力ヲ恥ジル必要ハナイ」
「……お心遣い感謝します」
「……ナンダ」
遅れて、空から血の匂いと焦げた肉の匂いがした。鼻の奥が痛い。心臓が縛られている気分だ。苦しい、痛い。……いや、違う。悲しいんだ。
「存外、冷静デハナイカ。仲間デハナカッタノカ?」
「いえ、仲間で……師匠でしたよ」
「ナラバ何故……」
確かに、不思議なほどに怒りは湧かない。ただ悲しいだけで、それも呑まれるほどではない。それも含めて、彼は覚悟していたからだ。不本意の死ではなく、私たちに繋ぐための……。
「マァイイ。オ主ラモスグニ送ッテ……」
「……空が、暗くなりましたね」
「ン……?」
空、遥か上空に現れたのは巨大な雨雲。快晴だった空も、すっかり淀んでしまった。ジメジメとした空気、冷めない熱、そして人の死んだ匂い。龍の力はやはり……まさに災害。
「夜はね、月光があるから意味がないんですよ。曇天の日でも、影のイメージができないから……」
「何ヲ言ッテイル?」
私は影冥刀の鋒を地面に下ろした。龍の司る熱と水、それの起こす現象というだけだ。湿った空気、そこに熱によって上昇気流を生めば、空には雲ができる。それも、龍のような災害レベルのエネルギーであれば……。
「要は陰なんですよ、そういうのは。影ではなく陰。だから私には扱えない」
「先ホドカラ何ヲ……」
暗いだけでは、私はそれを影と認識できない。だが、こうも短時間に暗くなれば、私もこれを雲の影と認識できる。
「……では、行きます」
「ッ……! ナンダ、ソノ……!」
妖力がこの巨大な影に侵食した。そしてそれが私の身体を這い上がった。龍をも覆い尽くすほどの大きな影。ならばここに、龍の影があるかどうかなど関係ない。もっと外側……外殻の外殻から斬り刻む。
「グッ……ヌァ!」
「っ……やはり……」
その溢れる妖力に恐怖したのか、龍は高く飛び上がった。逃げる、いや、逃げ場などない。
「グッ……待テ! オ主ノ力……ッ!」
焦り、危険。私の影は妖力を持っている。その妖力を影纏いで引き出せる。そして今、雲の影は龍の影を落とし、私の影に繋いだ。ならば私の扱える妖力は? 初めての試みだが、想定以上に湧き出るこの力からするに……。
「千紫万紅……!」
「グッ、ヌッ……!!」
絶え間なく浴びせられる斬撃。斬れば斬るほどに雲も斬れ、影が晴れていく。そして同時に、龍の影も、身体も斬っていく。あるはずのない影、それを巨大な影の上から……。
「はぁ、はぁ……」
「あ、飛鳥! 大丈夫!?」
「えぇ……心配……無用です」
想像以上に身体が重い。私の力を超えていたんだ。息が重い。鉛が詰まっている気分だ。足腰の力が抜け、立つこともままならない。仕方なく影冥刀を杖にし、一歩、一歩と近づく。
「クッ……カハハ。シテヤラレタナ」
「えぇ、強いでしょう、私の師匠は……」
息が苦しい、何かが絡まるように肺が詰まっている。限界だ、そろそろ。龍を斬ったら……。
「難儀ナ力ダナ。……イヤ、少シ抗ウトシヨウ」
「っ……! 何を……!」
激しい震動、大地の揺れになんとか立つのが限界だった。揺れ、崩れる。龍の身体はみるみる縮み、その姿はまるで鬼のような……いや、鬼よりもよっぽど人間に近い姿になった。
「何……ですか……?」
「死に際だ。少し、無理をしてみようとな」
「なっ……」
当然、彼の話す言葉は流暢になった。細く長い角、鱗のある肌、そして長い尾。威圧感。ほとんどの体力も妖力も使い果たしたはず……なのに。なのにこれほどの……。
「すぅ……はっ!」
「くっ……」
「うわぁっ!」
咆哮、属性は何もないただの音波。内臓に響き、全身の骨にヒビを入れた。離れていた香織は吹き飛ばされるだけで済んだが……。
「がっ、はっ……! はっ、はっ」
「……ふぅ、疲れる」
刀をつき、胸を押さえ込んだ。痛い、刺されるように、殴られるように。流血が止まらない。内側が壊されて……。
「影を斬る力、影そのものに干渉するとはな。驚いたものよ」
「くっ……怪物め」
白い影冥刀に影が落ちる。人型でも、龍に影はない。空が変わることもないだろう。ならば今……私の力で斬らなければ……。
「影閃!」
「おっ……危ない」
「おや……」
一閃、空気も斬り裂くような剣筋。彼は受け止めず、それを回避した。危ない、当たれば斬れる。圧はあるが、やはり弱っている。
「夜嵐!」
「くっ、この……!」
反撃の隙を与えぬ猛攻。影を纏った刃を精密に振り回す。縦に、横に。舞のように次へ次へと繋いでいく。
「我狼!」
「うぐっ……」
鋭い爪、鉄のように硬い皮膚が私の頬を殴りつけた。……いや、鉄よりもよっぽど硬い。それでいて鑢のように……。一度後退し、集中を研いだ。
「百鬼夜行!」
「ぐっ……ふふ」
一太刀、斬り裂くつもりの一撃。それでも鱗を斬り、皮膚を裂く程度。届かない……いや、届かせるだけの隙が……。
「鱗剛!」
「が……うっ!」
重い一撃が胃を抉った。熱い体液が喉を焼き、込み上げる。血の混ざった熱、目の前に敗北を感じた。
「人間にしては……よく戦える」
「……いや」
違う、ダメだ。負けてはならない。雷玄さんが繋いでくれた。あの人が……命を懸けて。
「影……っ!」
「……?」
斬撃の追い討ち、刀を振りかけて止めた。違う、今すべきことは……一撃。影ごと彼を確実に斬ること。その隙がない? いや、私は一人じゃない。
「冥貫!」
「くっ……もう一人の……」
背後から龍を貫いたのは冥牙砲の一撃。弱った相手ならば攻撃も通る。貫けなくとも、彼は隙を作ることに……隙を作るための隙を見つけることができる。
「まったく、あなたという人は……」
強くなったものだ。胸が熱い。怪我のせいか? それもあるが……それだけじゃない。香織が強くなったこと。香織が支えてくれたこと。
「ありがとう、本当に……」
誰にも届かないほど小さな声で零した。いや、届かせたかったけれど、それだけの余裕と力が残されてはいなかった。……必要ない。感謝は言葉で伝えるばかりではない。
「影張!」
「ぐぁっ……!? 不味……っ!?」
纏っていた影を飛ばし、怯んだ龍の顔に被せた。一瞬の闇だ。一秒も経たず、影は影に還る。それでもその一瞬、確かに彼は影を持っている。
「夜冥咲!」
「ぐっ、ぬぁ!?」
一撃、龍の影を斬り落とした。影を手離し、白銀の影冥刀が、黒く染まった龍を落とした。
「はぁ、はぁ……うっ」
「飛鳥!」
駆け寄ってきた香織の体温が、私の芯を温めた。震える肩を支え、崩れそうになる身体を座らせてくれた。体重を全て香織の方に……いや、重いって思われちゃうかな。
「くっ……がはっ」
「っ! 龍がまだ……」
「……いえ、もう」
龍が吐いているのは血ではない。影に還りかけている。ここから回復することはない。死ぬまで時間があるのは、それだけ存在が特別ということだ。
「龍よ……もう還ってください。……香織が怖がっています」
香織よりもよっぽど、私の方が疲れているし弱っている。それでも私の口から出たそれは、間違いなく本音だった。
「……我には……天王山という……名がある」
「そうですか。……私は天嶺飛鳥といいます」
名乗った理由は分からない。妖に、なぜ大切な名を教えたのか。彼の在り方に……感銘でも受けたのか。妖に? ……いや、たぶん、彼がただ破壊ばかりの存在だったら私は死んでいたから。
「飛鳥か。……とっとと……我の首を落とせ。無駄に生きながらえるのは……趣味でない」
「えぇ、分かりました」
香織の助けを借り、フラフラと立ち上がった。白い刃を地面につき、彼の首へと近づける。鱗はない。妖力も溢れていない。手を下さずとも死ぬだろう……これは責任だ。
「……さようなら」
「……迷惑をかけた」
静かに、その首を落とした。雷玄さんを殺した仇なのに……驚くほど穏やかだった。痛みはあるが、過度の恨みはない。
妖力が私の影に吸われていく。身体が重い。疲れた。今にも眠ってしまいそうな……全身の力が吸われていく気分だ。久しぶりに……ちゃんとお風呂に入りたいな。
「お疲れ、飛鳥」
「ありがとうございます、香織。……うっ、ふっ……」
「うん、頑張ったね、飛鳥。……偉いよ」
潤む目元を香織の胸元に擦り付けた。守れなかったもの、守れたもの。失ったもの……。勝利と敗北、それが全て込み上げてきた。
滅んだ京都の上、火は消え、空は快晴。私の流した雨も、香織が全部、晴らしてくれた。




