表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/20

第拾陸話 仕事人

「はぁ、はぁ……なんて大きさ……っ!」


 龍はそのまま、その長い身体を天に向けた。十メートル、二十メートル……五十メートル。いや、そんな程度ではない。雲を掴み、空を溶かした。飛んでいたはずの戦闘機も、いつしか消えてなくなっている。


「狩連も……迷惑なことをしてくれましたね」


「こんなことなら、俺が裏切ったことも、飛鳥が覇境に至ったことも伝えた方が良かったかもな」


 狩連は雷玄さんを怪しがり、私と彼を始末するために軍をも動かした。そして偶然にも、私たちは鹿死と同じ場所にいてしまった。なんてタイミングの悪い……。


「追いましょう。アレに勝手にされると……」


 都市が滅ぶ。対抗戦力を失えば世界さえも。……破壊衝動はさほどないだろうから、あくまで動く災害という扱いだろうが……それでもあまりに危険すぎる。


「げほっ、ほっ……ゔぇっ!」


「香織!?」


 どこかへ去ろうとする龍を追ったそのとき、突然に香織が倒れ込んだ。いや、突然ではない。龍の妖力に当てられたのだ。彼は将境、あるいはせいぜい王境の下位、アレを間近にすれば当然……。


「香織! 大丈夫です、落ち着いて」


 過呼吸になった彼の背を優しく撫でる。毒を吐き出させるように、緊張をほぐすように。妖力の薄い者には、あの存在そのものが毒になるらしい。……香織も強いのだけどな。


「はぁっ、はぁっ……」


「大丈夫、大丈夫ですよ」


 爛れた右手で優しく、割れ物を扱うように触れた。大丈夫、それは私に言い聞かせている言葉でもある。背筋が凍ったように痛い、頭が変に響いている。鼓膜が損傷したせいか、心音もおかしな音に聞こえる。


「うっ……。ごめん、良くなってきた」


「えぇ、それは良かった」


 そう言いつつ、まだその顔は青かった。そして同時に、多少の凛々しさを取り戻している。香織は強い。実力に見合わないほどに。


「いいですか? 無茶はなさらないで。私は十分に守られています。気負わないでください」


「っ……うん。ありがとう」


 私は迷わずに香織を抱擁した。肩に顎を乗せ、そして背中を両手で包む。彼の体温は心地良い程度に熱いかった。焦りを払い、冷静に。私も落ち着きを充電した。


「さて、どうしましょうか……」


「どうするも何も……なぁ」


 龍が向かったのは京都の方面。運が悪かったら大結界を壊してしまう。そうなれば大勢が死ぬ。許せることではないが、無謀に立ち向かっても私たちの死体が増えるだけ。ただ……。


「幸い、龍は相当の高所を飛んでいました。結界を壊すこともないでしょう」


「まぁ……隠れてこその結界だもんな」


 結界は妖を寄せつけない。つまり認識阻害効果がある。たとえ龍とは言っても、妖である以上、それを認知はしないはず。少なくとも、あれだけ上空を飛んでいたのならば。


 とはいえ、追わないわけにもいかない。私たちは走り出し、そのまま作戦会議に移行した。わざわざ京都から来た道を戻るとは……。


「香織、撃ち落とせると思いますか?」


「……いや、無理だね。僕の冥牙砲も……今の射程は三十メートルが限界だよ。至近距離で当てたとして、そもそも有効打にならない気がする」


「ですよね……」


 そもそも、飛ばれていては届きすらしない。引きずり落とすか、あるいはそこまで赴くか。どちらも現実的ではない。


「雷玄さんの、投擲とうてきはどうですか?」


「届きはするだろうが……有効打にゃならねぇな。俺の手を離れちまったらさほどの殺傷力は望めねぇから……」


 致命的なほどに手がない。かつては強力な妖狩が力を合わせて痛み分けになったとか。江戸時代の終わり、当時は今より妖狩は多かったらしいから……。


「いまの時代で戦える相手じゃないですよ。王境なんて数える程度にしかいない」


「……僕、もしかして役に立たないんじゃ……」


 自信のなさそうな、そして申し訳なさそうな弱々しい声。久しく聞くその音色に、針でも刺されたように胸が痛かった。香織は頑張ってくれている。そんな彼には一緒に戦ってほしい。隣で支えてほしい。……が。


「厳しいことを言いますが、正直、戦力には数えられません」


「……そうだよね」


 そんなことを伝えるのが、妙に苦しかった。逃がしたいからではない。けれど事実、彼の力では決して届かない。それだけの圧倒的な差。当然だ。現状では私や雷玄さんでさえ相手になるのかどうか……そのレベルなのだから。


「とはいえ、できることもあるかもしれません。香織の観察眼は目を見張るものがあります。戦いとは何も、力だけじゃない」


「っ! そっか、そうだね!」


 それもまた、私の本心だった。お世辞でもないし、同情でもない。そんなことで命を懸けてくれとは言わない。私にはただ、彼が必要だった。


「影は? 飛鳥が影を斬れば、龍も倒せるんじゃない?」


「……見たところ、龍は影を持っていません」


「なんでよ!? 妖でしょ? アレでも……」


 妖ではある。他の妖と同じ、影から生まれた……影の世界からやってきた存在だ。それは揺るがない事実。


 そして同時に、アレは普通ではない。妖であって妖ではない。もっと根源的、あるいは超越的なものだ。言うなればアレは……。


「龍ってのは妖の終着点とも言える。言うなれば影を克服し、超越した存在。人間で言うところの三次覚醒ってやつさ」


 妖を超えた妖。だから異質。確かに覇境、だが妖鬼と同列に考えてはならない。私とも同列に考えてはならない。


「じゃあどうやって勝つのさ」


「分からん。まず間違いなく、あの妖力に阻まれて半端な攻撃は効かんだろ。それを超えても硬い鱗が待ってる」


「妖鬼の鱗も硬かった。それ以上と考えると……参りますね」


 影さえあれば、それを斬ってお終いだった。防御無視、硬さなど関係ないのだから。そして空も飛んでいる。相性が……あまりに最悪。


「……もうすぐ京都に着きます。心の準備……を……」


 その光景に、不意に速度が緩んだ。ジリジリと遅くなり、そして停止する。破れた結界、鏡のように反射する血の海。そして燃え盛り、崩壊するビルや家屋。


「……壊されましたか」


 自分でも驚くほどに、心は穏やかだった。いや、前から私は知らぬ人の死には鈍かったが、それでもなお。たぶん、この光景を覚悟していたからだ。龍が出た以上、人が死なないなんてことはあり得ない。


「っ……飛鳥、雷玄さん! 生きてる人、探そう!」


「……えぇ、そうですね」


 香織も前ほどの怒りは見せていない。龍の力を目の当たりにしたんだ。誰も災害にそれほどの怒りを見せはしない。ただ、今できる助命を、彼はそれを選んだんだ。


「……! 飛鳥! こっち、人の気配がある!」


「分かりました! 今向かいます!」


 瓦礫の山に足を進めながら、思考は別のところに置いた。なぜ、結界が破壊されたのか。龍の飛んでいた高さ、あの高さで結界に触れることはない。あの高さで結界を気にするわけが……。


「天嶺……飛鳥……!」


「うっ……ごほっ!」


「飛鳥っ!?」


 知らぬ間に、私の腹を何かが貫いていた。黒い矢尻。溢れた血がそれを伝い、同時にその矢は影に溶けた。……『虚影』。そうだ。この惨状で、普通の人間が生きているわけがない。


「げほっ、ゔ……」


「飛鳥、飛鳥!」


 血が流れ、膝から力が抜ける。迂闊だった。もっと警戒をすべきだった。思考など、二の次で……。


「お前っ……飛鳥を……っ!」


「お、落ち着きなさい、香織。……その方は……意識が混濁してます」


 焦点の合わない瞳。正常な思考能力などそこにはない。敵がいたから射った。私の敵かもしれないが、ただの仕事人だ。私は傷口を必死に押さえながら、妖力で彼を威圧した。


「……助けてやりなさい。それがあなたでしょう、香織?」


「で、でも……飛鳥……」


「大丈夫、死にはしません……」


 傷口、部分的に影を纏い、止血する。痛いし消耗はする。戦闘を前にこれは苦しいが……仕方ない。


 そして分かったこともある。龍が京都を壊した理由、それは単純だ。人間が攻撃したから、それだけだろう。刺激したんだ。彼か……あるいはそれ以外の妖狩が。ただそうとなれば……見方を変えれば好都合。


「来い!『影冥刀』」


 前よりさらに白さに磨きがかかっていた。白銀に輝く刃は、綺麗に街の赤色を反射していた。それは今から斬る、という決意の表れでもある。


「グァッカッカッ」


「……来ましたか」


 空を割り、まるで神のようにそこから降りてきたのは相変わらず巨大な、緑色の龍。熱い妖力が痛い。ただいるだけ、それだけでこの場は……。


「人ノ子ヨ……オ主ラニ恨ミハナイガ。我ニ挑ンダコト……水ニハ流センナ」


「……まったく、厄介なことをしてくれました」


 目の前にわざわざ降り立ち、龍は堂々と宣言した。鬼が喋るんだ、龍が言語を操ることに違和感はないが……いやに尊大に聞こえた。言葉は分かる。が、節々に感じる異質さが、化け物であることを語っていた。


宵堕よいおどし!」


「グォ……ッ!」


「雷玄さん……!?」


 雷玄さんが突如頭上から現れ、龍の建物のごとく太さの首に刃を立てた。虚影の鋭さも、重力による加速も加えた一撃。願わくば、それで首も落ちて……。


「……ですよね」


「クックッ……威勢ノイイ!」


「っ……!?」


 地面に押さえつけられたまま、開かれた大きな口。胃の奥……いや、もっと別の場所から込み上がった妖力の塊……。


咆炎ホウエン!」


っ……! 僕の冥牙砲の上位互換じゃん!」


 口から放たれたのは熱線。大地を溶かし、円状に抉られた……いや、消し去られた跡が地平線まで続いている。まともに触れれば、どんな防御も焼き尽くされる。


「っ、香織! 一度離れます!」


「えっ……なん……」


竜巻塒タツノトグロ


 言い終わる直前、龍の渦巻く身体から空気の圧が押し出された。迷わず香織を抱き締め、すぐさま二十も三十も離れる。ただその圧は異常だった。


「ぐっ……香織、離さないで!」


「う、うん……っ!」


 まるで大波に飲まれた気分だった。右も左も……上も下も分かりやしない。ただ押し出され、回転される。ただの風ではない。質量……水分を含んだ散弾銃のような……!


「くっ……あぁ」


「あ、飛鳥……」


 裾を掴み、震える香織の手を包んだ。見渡せばそこは平たい土地だった。瓦礫も何も、死体も生き残りもない。ただ破壊され、そこにあるのはゼロ。


「痛っ……ぐぁっ!」


 鉄筋が脚に刺さっていた。抜くと削れるような痛みが走る。影纏いは使いたくない。決定的な場面でしか……使ってはならない。いや、しかし……。


「少し、待っててください、香織」


「飛鳥……?」


 影を全身に這わせる。龍は今、油断している。それで届くかどうか……。


「っ……!」


「何……!?」


 脚から血を流しながら、それは一瞬。接近、抜刀。狙うは顔、それから首。一振りで、一気に……!


百鬼夜行ひゃっきやこう!」


「ヌオッ……!」


 激しく衝突する音、龍の頭は後方に吹き飛んだ。斬れたか? それとも……衝突だけか? 分からない……手応えは悪くなかったが……。


「悪クナイ!」


「ぐっ……がはっ!」


 効いちゃいない。首が下がったのは助走距離だ。頭突きで私に反撃するためだけの……。


「飛鳥!」


「ぐっ……くぁっ」


 飛ばされる私の身体、それを受け止めたのは香織だった。硬い瓦礫ではなく、柔らかい人の手。肋がイッた。呼吸も苦しい。まるで胸を内側から殴られたみたいに……。


「飛鳥……生きてるか?」


「……雷玄さん、ご無事で……」


 苦痛の中、背後から現れたのは雷玄さんだった。至近距離、あの嵐によってそうとう飛ばされたらしい。


「お前の渾身の一撃、それなら斬れるか?」


「……いえ、無理です」


 さっきの一撃、百鬼夜行でも傷はつけられた。鱗を傷つける程度には。あまりに硬い、硬すぎる。それにいざとなれば、そもそも届かぬ距離に逃げられてしまう。


「……ならば影はどうだ? 影なら斬れるのか?」


「ですから、龍に影は……」


「斬れるのか?」


「……影があれば」


 ただ龍には影がない。何度も探してみたが、確実に。鱗の隙間、角の下、観察はしてみた。けれどない。それは間違いない。


「……いいか。一つ、策がある」


「……え?」


「まず——」


 斬れるわけがない。あの硬さは、間違いなく。ただ、それでも雷玄さんの口から語られたのは、確かに龍を斬る作戦だった。上手くいけば、斬れる作戦だった。


「ただそれは……あまりにも希望的な……」


「上手くいけば問題ない。……いや、上手くいかせる。だから気張れ」


 不確定、でもやる。考えなしのような理論だが、雷玄さんならやってくれる。そして、残された道はそれしかなかった。それしか、勝つ選択はなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ