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第拾肆話 覇境

「——すか! 飛鳥!」


「ん……?」


 私を呼ぶのは香織の声、何やら必死そうだ。疲れているんだ、少し休ませてほしい。全身が……何より頭が痛い。そして右腕の感覚は鈍い。……思えばそんな怪我はしていただろうか。分からないが、今は少し……。


「飛鳥! 起きて!」


「……なん、で……?」


 仰向けにされた身体を起こすと、いやに頭が重かった。ふと額を拭うとねっとりとした感触に、手が赤く染まった。怪我? 一体いつ……。


「ぐっ……あぁ! 何が……っ!」


「飛鳥、落ち着いて!」


 真っ赤に染まった私の右腕、痛いとかいう話ではない。骨も肉も潰されている。そして変わらず、私を呼ぶ香織の声。おかしい、何かが決定的に……。


「……え?」


 ぼやける視界の先、そこには雷玄さんの戦う姿があった。頭を打ったのか? いや、怪我の様子からするに打ってはいるのだろうが、夢ではない。間違いなく……。


「妖鬼……?」


 殺したはずだ。命乞いをするアイツを、確かに私が、この手で……。それなのに今は、雷玄さんと刀を交えている。しかも押し気味だ。


「ちょ、ちょっと待ってください。一体何が……」


「僕が聞きたいよ! 霧が晴れて飛鳥が勝ったかと思ったら、急にやられちゃうから……」


 ……っ! そうか、ヤツが香織の顔に変えたとき。あのときだ。一瞬の迷いが私を夢の世界に閉じ込め、それで……。


「くっ……痛っ!」


 頭蓋を割られかけたのか、止まることなく流れる血液と、もはやまともに動かせない右腕。たぶん妖鬼に殴られたのだろう。頭は普段から、無意識に妖力で保護しているだろうからまだマシだが……。


「しかし雷玄さんは何を手こずっているんですか」


 妖鬼は単純な斬り合いなら私でも圧倒できた相手、雷玄さんなら簡単に処理できてもおかしくはない……はずだ。よもや幻覚に惑わされている、なんてことはなかろうが……。


「何言ってるんだよ。相手は覇境、雷玄さんもそう簡単には勝てないよ」


「……そんなはずでは……」


 雷玄さんは王境とはいえ、そこらの覇境の妖に引けを取るような力ではない。……いや、それが違うのか? 妖鬼がそこらの妖ではない場合、というのもあり得る。私は三次覚醒を果たした身、以前までとは比べるまでもなく……。


「香織、今すぐ援護に……ぐぁっ!」


「ちょっと、無理しないで!」


 無理に身体を動かそうとその瞬間、全身に電流が走った。傷口を縫うように痛みが貫く。


「はぁ、はぁ……香織、私の意識がない間……何をされてましたか……?」


「……あの妖が右腕を踏み潰して、飛鳥の頭を地面に叩きつけ始めたんだ。だから僕が撃ち抜いて……」


「っ……なるほど」


 殺されなかっただけ上々か。妖はただ本能として人を殺すが、知能を持てばそれを娯楽にも感じる。アレが知能も何もない存在であれば、私は殺されていたろう。


「……どうしたものかな」


 雷玄さんに任せていても、勝てるかどうかは怪しい。香織は現状、決め手に欠ける。ならば取るべき選択肢は一つ、私が斬る。


 リンシャさんの攻め、あの速度ならば妖鬼が術を発動する隙はない。ならば私が一太刀浴びせるだけでいい。それでヤツは死ぬ。


「香織、いいですか? これから言うことを——」


 しばしの作戦会議が終了した。やはり雷玄さんは強い。あのレベルとの一対一では一撃の破壊力が足りないが、それでも負けるビジョンが見えないほどに。それが一番の強み。


 そして私は、今なら破壊力は十分。だが雷玄さんのように対応力はない。だから二人で攻めれば欠点を補い合うようで、実際には《《その》》一撃を避けられるかもしれない。あくまで補完しかしないために、その絶妙に空いた空間を抜けられるかもしれない。


「いいですか、香織。あなたにならできます。信じてください、あなたの力と、私たちを」


「分かった……!」


 妖鬼は強い。認めたくないが、完璧に近しいほどに。怪力も硬さも、能力も、そして何よりその卑劣さも。しかし香織がいれば勝てる。ヤツに逃げ道を作らせない。


「雷玄さん! 畳みかけてください!」


「飛鳥か! 了解!」


「頑丈ナ……ッ!」


 雷玄さんの洗練された二刀剣術、それを捌ききることはできない。妖鬼の鱗が致命傷には至らせないが、第一の逃げ場を失くす。


「クソッ……!」


燃盛冥川ピュリフレゲトン!」


ァ! ナンダ、コレハ……!」


 遠方、香織の何丁もの冥牙砲から放たれた妖力の光線レーザー、それが私たち三人を封じ込める巨大な檻となった。恐らく、それなりの妖力で対抗すれば抜けられるはず。ただこの一瞬、そんな判断はできない。


「これで最後です……妖鬼!」


「クソガ……カカッテ来イ! 天嶺飛鳥!」


 無理やりに身体構造を捻じ曲げ、妖鬼の身体からはさらに二つの腕が生えた。二本で大剣を振り、もう二本が私を横から叩き潰そうとする。


「怪物が……っ!」


「ヌガッ!」


「あなたも大概……」


刹那、雷玄さんが左半身の二本を斬り裂いた。落とすことはない。それでも十分、この一瞬は使い物にならない。


「卑怯ナッ……!」


「……よく言う」


 スラリと抜いたのは白銀色の影冥刀。影を纏えば、その輝きのまま黒に染まる。妖鬼の大剣と私の影冥刀、どちらが先に斬るのか、その勝負。音を置き去りに刃が接近する。


 先の戦いで理解した、三次覚醒。一次で影冥刀が具現化、影が妖力を吸うようになり、二次では影を支配、刃を持たせた。ならばその先、三次覚醒とは? 底上げされたのは出力だけではなかった。能力の拡張、それは……。


夜冥咲よめいざき!」


「ヌグォ……!」


「ぐっ……」


 刃を振り下ろし、大剣ごと斬り裂いた。真っ直ぐ、ただ真っ直ぐに。ただ第二の右腕は止まらない。私を殴り飛ばし、左半身を潰されながら私は香織の檻の外へと放り出された。


「うぁっ……!」


「っ……! 飛鳥! ごめんっ……!」


 香織の作った妖力の檻、それが私の肌を焼いた。影纏いが軽減したが、それでも熱いし痛い。そして何より、妖鬼に殴られた左半身は激痛なんてものでもなかった。呼吸もしづらい、肺が止まる。それでも……。


「ヤツは……」


 砂埃の中、視線を研いだ。雷玄さんの斬った左半身、ほとんど無傷の右半身。そして……。


「グ……ギャッ……何……ナンダ……!?」


 ものの見事に、妖鬼の身体は二分されていた。右と左、綺麗に斬られていた。三次覚醒は『影ごと斬る』。心の影、そしてその象徴である虚影を影から取り出すというだけあって、影とは魂に近しい存在でもある。影冥刀はそれを斬る。


「飛鳥! 飛鳥! 大丈……」


「はっ、はっ……大、丈夫です……。死には……しません……」


 気も失わない。少なくともヤツが、今度こそ消滅するそのときまで……。


「俺……ヲ……僕を……殺すのか、飛鳥……!」


 最期の最期、妖鬼は奈々生の身体で崩壊した。間違いない、今度は幻などではない。血は流れず、確かに影に溶けた。


「……感謝します。奈々生に会わせてくれて……」


 確かに憎い、許すつもりはない。それと同時に、彼の姿をまた見れたこと、それは嬉しくもあった。複雑だ。どうしようもなく苦しいのに、救われた気分にもなれた。でもそれに縋っては、私は進めない。


「はっ……はっ……」


「……飛鳥、お疲れ」


「香織……」


 倒れ込んだら香織の膝の上、私の視線の先には香織の不安げで、そして慈しむような目。流れていない涙が浮かんでいるようで、私の血に塗れた左手をなんとか持ち上げた。


「そんな顔……しないでください、香織」


「そんな顔って……どんな顔だよ」


 弱々しい顔、奈々生に似ているようで、でも確かに、ここにいるのは香織だ。私が守るべき、そして私を守ってくれる。そんな彼が、私にとってはたまらなく……。


「ありがとうございます、香織」


「……何が?」


「何でも」


 香織の頬に触れ、その手を落とした。痛い、苦しい。手を動かすだけでも息が切れてしまう。それでも震えているのは、たぶん痛みだけじゃない。


「飛鳥、今は身を任せて。回復に専念しよう」


「ふふ……強くなりましたね、香織」


 私の中に流れてくる、香織の温かい妖力。それが異常なまでに馴染む。そうか、冥牙砲の能力は妖力の放出と操作。香織の妖力を、私の妖力として移せるらしい。妖力の流れが活性化すれば、それだけ回復も早い。


「平気か、飛鳥?」


「……えぇ、楽になってきました。雷玄さんこそ、怪我は……なさそうですね」


 流石というか、対応力と防御力は相当なものらしい。能力がないせいで一撃の破壊力は乏しいようだが、それでも十分なほどに……。


「あのレベルが出てくるのは異常だな。俺でも手こずる相手となると、そこらの妖狩じゃあ相手にならんぞ」


「……それほどでしたか? いや、強かったですが……」


「やっぱりお前、気づいてねぇか。三次覚醒したからかね、お前は既に覇境の域だぞ」


 ……私が覇境? そんな力があるとは……。そう思い、ふと視線を落とす。妖鬼の爆炎によって開いた大穴、さらにそれを破壊するように刻まれた跡。範囲にして十メートルを優に超えている。


「……私の攻撃、雷玄さんが喰らったらどうなります?」


「死ぬな。防御して、まぁなんとか耐えれるくらいか」


 少しだけ低い声、嘘じゃない。そして私も確信している。今の私は強い。そしてそれ以上に、そんな私が妖鬼に殺されかけたという事実。


「……アレは九年前、奈々生を殺した妖です。あのときはそれほど強くはなかった」


「時間をかければ強くなるのも当然。だがアレはなぁ……強すぎねぇか?」


 覇境の妖……たまたま出た、ということもあるだろう。たまたまそこまで成長した、という可能性が。けれど同時に、そうでない可能性も考える必要がある。


「……ねぇ、覇境の妖ってそんなにヤバいの?」


「あぁ、香織は知りませんか。まずそう簡単に生まれていい存在じゃないんですよ。そもそも現代の妖狩に覇境が存在しない、というだけで少しは理解できるでしょう?」


「……それもそっか」


 覇境と戦い、勝つ可能性もあるのは雷玄さんだけ。今はそれに加えて私。ただそれも覇境の下位が相手なら、という話だ。中位が出てきたら総力戦が必須となる。


「十二年前、それが最後に確認された覇境の妖です。アレはまたさらに別次元でしたが……」


「酒呑童子か。アレが均衡を壊した可能性もあらぁな」


 それにしたって十二年、覇境の妖が生まれるにはあまりにも短すぎる。酒呑童子の出現、妖鬼の成長……普通に考えるなら偶然。が、悪い予感もする。


「ですが、考えて答えの出るものでもありません。今は少し休憩を……」


 全身に違和感が流れた。身体が異様に軽い。香織の妖力でも、これほど早く回復はできないはず。ならば変わったのは私の方……妖力を辿ると影から溢れているのが分かった。それが噛み砕かれ、半分が私の妖力に……。


「おっ……!」


「ちょっ、飛鳥! 急に動いちゃ……」


「いえ、平気ですよ」


 跳ね上がり、身体を確認した。傷はまだ痛むし、流れた血が戻るわけでもない。栄養を摂らない分には完全回復とはいかないだろうが……。


「さすが覇境、相当の妖力を持っていたようで……。分かりやすく妖力が増えましたね」


「……飛鳥って倒した妖から妖力を吸い取れるんだっけ?」


「はい、話してませんでしたか? 私の影は私の妖力の半分を吸い取っていますが、その副作用として死んだ直後の妖の妖力も吸うんです。もちろん全てではありませんが。私と影の妖力比は一対一、だから実質的に、私が妖力を吸い取っているようなものですね」


 本来、妖狩が妖力を伸ばす方法は妖力を使うか、あるいは精神に大きな負荷をかけるか。その延長線上が一次覚醒と二次覚醒だが、私は妖から妖力を吸える分、成長も早い。


「しかしこれだけ跳ね上がったのは久しぶりですね。格下の妖力ではさほど変化しませんから」


 香織との旅の最中、妖力が増えることはなかった。直近で増えたのは三次覚醒の瞬間、それ以前は極めてゆっくりだったから……この短期間にここまで増えると、勝手が少し変わるか。


「……現状、量だけで言えば俺よりはずっと多い感じだな。影纏いを使えばさらにその二倍か」


「でも、そう便利でもありませんよ。恐らく妖力が一気に増えたせいで身体が追いつかないかと。今までも持続時間は長くなかったですが……」


 たぶん、今は十分も保たない。それ以上は精神の殻が崩壊するだろう。無茶をしたら死ぬ、それは間違いない。ただそれも、全開にしたら、という話ではあるが。


「中途半端に影纏いを使えば問題ないでしょう。何はともあれ、まずは回復に専念しましょう」


「そうか。ちょっと寝ろ。そのあとで何か奢ってやるよ」


「……じゃあケーキを」


「またか」


 その直後に足がフラッともつれ、香織に抱き抱えられた。彼に背負われて近くの廃屋に運ばれたようだけれど、私は既に夢の中。視界は心地の良い闇に包まれた。

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