第拾弍話 真っ赤
目を覚ましたのは一日後か、あるいはそれ以上経ったときか。とにかく言えるのは、私の傷はまだ癒えていなかったということ。妖力を回しているから回復は速いはずなのだが、やはり内側の損傷は治りづらいようだ。
「……ふふ、頑張ってますね」
寝かされていた岩陰の向こう、そこには雷玄さんと特訓をしている香織の姿があった。両手に二丁、背後に浮かんだ二丁を器用に使い、上手く戦っている。近接でも銃身を盾にすることで対応しており、なかなか良い成長だ。
「ふぅ……うわっ。ちょっと寒いな」
服を脱ぎ、傷を固定するように包帯を巻いた。露出した肌には空気が少し冷たい。漏れ出る声がどこか幼く聞こえるが……構わないか。今の私はそんなものだから。
「ん……? あ、飛鳥! 起きたん……ぬぉっ!」
「どうしましたか?」
「……もっと危機感持とうよ」
私が起きたことに気づいた香織が駆け寄ってきた。が、すぐに顔を逸らしてそんなことを呟いた。一瞬、彼の言葉の意味は分からなかった。妖がいるでもない。いるのは雷玄さんと香織、そして私の三人で……そこでやっと理解し、すぐさま衣服を整えた。
「あぁ、すみません! 部屋もないものでうっかり……醜いものをお見せしました」
「うっかりて……そういうことじゃないんだけど。それに醜くはないから安心して」
「そうですか?」
視線を逸らしたままの彼は耳を赤くしていた。血が吹き出さんばかりに。私としてはその顔を見たいのに、という欲は今は抑えておく。
「おー、飛鳥! 調子はどうだ?」
「悪くはないですよ。おかげさまで」
「そうか、そりゃあ良かった」
納得がいかないのはこっちの方だ。そもそも私は雷玄さんとの戦いでこれほどの傷を負った。対する彼は、傷跡も残さずにピンピンしている。格が違うとか、そんな話で終わらせたくはない。
「……まぁいいです。どうですか、香織は?」
「いや、なかなか筋がいいな。天才って言うと違ぇが、なかなかセンスがある」
「……褒め言葉でいいんすよね?」
確かに香織のスタイルは私や雷玄さんとは違う。ぶつかり合い、力で捩じ伏せるのではなく、隙をついて一撃で貫く。それが香織だ。彼の能力は私たちと比較するものでもない。
「特に二次覚醒、面白い特性だな。放出した妖力の操作……曲がるも進むも自由だ」
「……妖力そのものを放出するのは確かに珍しいですけど……」
果たして面白い特性なのだろうか。たとえば火炎を纏った妖力を放出する、などという属性的な力もない。追従させても強力かと言われると……。
「戦闘で武器になるのは放出の仕方に差があることだな。弾丸と光線、前者なら一度放出させて地雷のように使えるし、後者なら檻や光線剣みたいなこともできるかもしれん」
「檻って言うと……冥封壁みたいな……」
「まぁそんなとこだな。だが自由に操作できる以上、檻という形に囚われるのはやめた方がいいぞ」
「は、はい!」
まともに師匠をやってるな。普段から雑さが消えていなかった人なのに……思えば私に稽古をつけてくれたときも、指導自体はちゃんとしていたか。
しかしそうか。私も香織もパッとは思いつかなかったが、確かに応用の効きやすい面白い特性なのかもしれない。
「ほら、飛鳥。コレ食え」
「え、あぁ、ありがとうございます」
無愛想に渡されたのは一切れの干し肉だった。病み上がりの娘にこんな硬いものを食わせるのか、と思うと同時に、律儀に小さく切っていることになんとも言えない震えがやってきた。
「それから飛鳥。一番大事なのはお前の三次覚醒についてだな」
「あぁ、そんなこと言ってましたね。すっかり忘れてましたよ」
「忘れんな」
んっ、と音を零しながら食べづらい干し肉を飲み込んだ。三次覚醒というものについて、私はそう詳しくはない。大抵の妖狩は一次覚醒で終わり、二次覚醒でさえ希少だと聞くから……。
「たぶんお前は、新しい特性には目覚めてない」
「えっ……」
「虚影の出力、それに似てるが妖力の最大出力、それから妖力量が上がったってところじゃないか?」
……いや、ない話ではないか。そもそも覚醒段階ごとに特性が現れるのならば、二次覚醒に至っている雷玄さんが無能力というのはおかしな話なんだ。
「……いや、それにしたって三次覚醒ですよ? 何かもっとこう……あるんじゃ……」
「まぁないとは言い切れないな。だがそれはお前が見つけるもんだろ。そもそも三次覚醒はサンプルが少ない。俺だってお前の妖力の向上から推測したに過ぎないしな」
「……そうですね」
ただ、三次覚醒に至ったというのは間違いない。……と思う。それだけの充足感は確かにあるが……。それだけに、特別な力がついたというわけでもないのが分かる。
「そういえば……今まであんまり詳しく聞かなかったけどさ、二人の虚影ってどんな力なの?」
「え、あぁ。私のは斬るだけの力ですよ。ただ二次覚醒のときに影を支配する特性に目覚めまして、影が抗わなければそれそのものを武器とできますが」
「俺は強いて言うなら二刀ってところが能力か? ただお前みたいに虚影をいくつも出せるわけじゃねぇからな……あまり威張れることはねぇか」
そんな威張れないあなたに負けてるんだよ、というのは内に留める。能力よりも実力が肝心なのだと突きつけられるのは、救いでもありある種の絶望でもあった。
「私、もう動けますから、移動しましょう。雷玄さんは、本当に着いてくるんですか? 心強いですが……」
「おう、構わねぇよ。反逆者だってバレたときにいつでも守れるようにな」
「……あなたが狩連の任務を受け続けた方が怪しまれないんじゃないんですか?」
「……あ」
考えてなかったのか。狩連の犬たる男が、任務も受けずに放浪していては怪しまれると……考えずとも分かるだろうに。
「まぁいいんだ。今度は遅れんように、すぐに近くに……近くで守るからよ」
「……そうですか。でも、私たちは守られるばかりではありませんよ?」
「……そういやぁそうだったな。失敬失敬。共に歩こう」
結界の外、空気は澱んでいる。それでも清々しさはいくらかある。身体は重いが心は軽い。しかしそんな平穏も、そう長くは続かなかった。
◇◇◇
「どう? 飛鳥、怪我の調子は?」
「もうずいぶんよくなりましたよ。ご迷惑おかけしました」
「なら良かった」
私たちが訪れていたのは京都の小さな喫茶店、私はケーキを食べていた。狩連の本部があるというのにこうも堂々と居座っているのは、雷玄さんがその方が怪しまれないと言うからだ。確かに香織は顔も割れていないし、雷玄さんも裏切り者だとは思われていない。ただ私が気に入らないのは……。
「髪を染めて変装なんて……いつの時代ですか」
「いいんだよ。そんな雑な変装してるなんて向こうも思いやしねぇ」
「そうだよ! それに似合ってるから!」
「そういう話では……」
艶のあった黒髪はすっかり金色に変わり、顔を誤魔化すために丸メガネをかけていた。別に何かこだわりがあったでもないが、年頃の女子みたいでこういうのはなんというか……慣れない。
「まぁいいじゃねぇか。今どきの娘なんざみんなカラフルだぜ?」
「……お洒落みたいじゃないですか」
「図書室で本とか読んだそうで良いと思うけどなぁ」
香織の言葉は嬉しいが、雷玄さんの適当さは少々癪だ。あの人がさせたくせに、どこか他人事。……いや、確かに他人事ではあるのだけど。とはいえ、今はそんなことを気にするときでもない。
「まぁ一旦置いておくとして。どうしますか? いつまでも京都に残っているわけにもいかないでしょう」
「そうだな、まぁ適当に妖でも狩りながら放浪するか。ぶっちゃけ、もう逃げる必要もないとは思うんだが……」
「それはそうなんですが……」
香織の実力は将境の上位といったところ、私と雷玄さんの実力を考慮するにこちらの戦力は王境が三人以上。王境の妖狩は少ないし、敵対するのは狩連も嫌がるはずだ。だが、そうでもないかもしれない。
「何も起こさなければ方が角も立ちません」
「とっくに起こしてはいるんだがな」
「僕は飛鳥に全面同意するけど」
「話になんねぇな」
二対一、私たちが優勢だ。多数決でしばらくは姿を隠して目立たず過ごすことになった。が……それをいつまでするのか、問題はそこだろう。私が生きているということを知って、狩連がどう動くか……。
「ま、そうと決まればとっとと出ちまおう。……おい、飛鳥」
「待って……まだ食べてます」
「急がなくていいよ」
しつこいほどに甘いケーキを食べながらそう返事をした。話ばかりで食べるのはほとんど進んでいなかったのだ。紅茶もなしに、ただイチゴとクリームの甘さを楽しんでいた、そのときのこと。
「あれぇー? 知ってる顔だなぁ、お姉さん」
「……? 私は知りませんが……」
ケーキを食べ終わりフォークを置いたとき、突然にそんな声をかけられた。爽やかで、透き通った声。見上げると、そこに立っていたのは若い青年。整った顔で異常なまでのイケメン……歳は私と同じ程度か。いや、少し上か?
「……どなたで……」
「ん? 知らないのか、僕のこと。よく見てよ」
「っ……ちょっと、近いですよ」
マジマジと私の顔を覗き込むその顔は、やはり知らない顔だ。黒い髪に青い瞳。少なくとも妖狩ではない。私たちに対抗し得る実力を持った者なら、私の記憶にも残っているはず。
「僕は君のこと知ってるんだけどなぁ」
「……人違いでは? 私はあなたのことなど……」
そう言いかけて、私の声は途切れた。いやまさか……まさかそんなわけがない。そんなことが、あっていいはずがない。だって私は……私は確かに……。
突然に汗が溢れ出した。背中が固まる。視線も定まらない……そのくせ泳ぎもしない。目の前の明らかにおかしな現実に、身体が熱く、そして冷える。
「なんだ、やっぱり知ってるじゃないか。飛鳥」
「はっ、はっ……そんなわけ……だって、だってあなたは……」
「……っ!? おい、飛鳥!」
彼に手を伸ばそうとしたところを、雷玄さんが私を抱えて店を飛び出した。そしてその刹那、目の前に広がったのは真っ赤な爆炎。視界は隅から隅まで高温の炎に包まれた。さっきまでいた店が、そこにいた人たちが、みんなその爆発に飲み込まれた。
「痛っ……! 雷玄さ……」
「今は大人しく抱えられとけ!」
「良い反応だな。えっと……燐堂雷玄か」
爆発の熱に手と頬の皮膚が焼かれた。近づき過ぎた……いや、そこを狙っていたのか。私が近づいたその瞬間を。爆炎により店は大炎上を起こし、その中からあの青年だけが姿を見せた。
「キャーッ! な、何!?」
「消防車を呼べ! 誰か!」
「くっくっ……仕方ない。今は見送るとするか」
一般市民がそんな様子に困惑する。市民を巻き込んだということはつまり、彼は妖狩ではない。少なくとも、狩連の刺客ではない。
私は雷玄さんに抱えられたまま、炎は小さくなっていった。結界の外へとただ揺られる。上手く力が入らない。全身の骨を抜かれたような、心も抜かれたような気分。
「はぁ、はぁ……おい、飛鳥。大丈夫か?」
「……えぇ、傷は深くは……」
「んなことは分かってる。そうじゃねぇ。アレは……」
雷玄さんに降ろされ、私は入らない力でそこに腰を下ろした。京都大結界を出た崩壊した小さな町、その一画。彼の言うことは分かる。私の汗は何も傷によるものじゃない。
「うっ……はぁ、はぁ……。あり得ません……だって……だって奈々生は……」
奈々生は死んだはず。私の目の前で。忌々しい妖に肉も内臓も食われて……。
「うぷっ……おぇっ……! げほっ、げぇ」
「っ! 悪い、飛鳥。配慮が足りなかった」
「はぁ、はぁ。……いえ」
迫り上がってくる胃酸を吐き出した。喉が、食道が焼けるように痛い。そしてそれ以上に胸が痛い。あり得ないんだ。奈々生が生きている、なんていうことも、奈々生が市民を巻き込むことも。分かりきっていることだ。アレは奈々生じゃない。
「あの……奈々生って誰?」
「……あぁ、香織は知らなかったですね。……私の友達です。幼い頃に死んだはずの……」
「……そっか」
端的に伝えた内容に、しばしの沈黙がそこに流れた。乗り越えたはずの過去、それが目の前に現れた。心臓が不規則に波打つ。
「じゃあその……さっきの人は……」
「奈々生じゃない。絶対に違う。でも……」
奈々生のことも、私のことも知っている者……。けれど、雷玄さんのことはよく把握していなかった。誰だ? 考えれば考えるほどに、私はあの男の正体を知らない。




