第99話 金角と銀角
翌日、ネイに連れられて、こいつが角を折った麒麟のところへ行った。
白い体が斜面に横たわっている。近づいても逃げず、首を上げることすらしない。目だけがゆっくりと動いて、俺たちを追っていた。
「死んでるのか?」
「生きてるよ。ただ、動けないのさ」
セフィーラが麒麟の脇にしゃがんで、折れた角の断面に触れる。根元から少し上のところで、白い切り口が剥き出しになっている。
「角はこいつらの命そのものでね。折られるとまともに立つこともできなくなる。放っておけば、そのうち死ぬよ」
「殺すのか?」
「まさか。ここからが本番だと言ったろう」
セフィーラが立ち上がって、ネイを手招きする。
「この折れた場所にね、ありったけの魔力を注ぎ込むのさ。普通であれば一か月。そうすると、注いだ魔力が角になる。自分の色の角がね」
「アタイの色……」
「風属性なら翠だろうね。受け入れられれば、そいつはもうあんたの馬だ。角を失った代わりに、あんたの魔力で新しい角を得るんだからね」
ネイが折れた断面に手を当てると、しばらくして指の隙間から、淡い風の色が漏れ始める。
「一か月ですか……」
「普通ならね。長い者は二か月かかるのもいるし、雪が降り始めて、手懐けるのを断念する奴もいるよ」
ネイが顔をしかめたが、その手は離さない。これから毎日、こいつは麒麟のもとへ通うことになる。
♢
数日後、俺は斜面に降り立って、あいつと向き合っていた。
もう、二か月くらいこの場所へ通っている。そのうちの一日も、俺はこいつに触れられなかった。あと一歩というところで、必ず逃げられてきた。
だが、今日は違う。
心臓にほんの少しだけ魔力を送る。血の流れに乗ったそれが、勝手に全身を回り始めた。残りは全部、【天翔纏】へ回す。
こうすると、ほんの少しだけ速さが増す。しかし、諸刃の剣でもある。【天翔纏】は今までと違って、体内で魔力を巡らせて纏うものではなく、外に展開するだけ。しかも、すべての魔力を注ぐわけではない。当然、出力は下がり、魔力による攻撃への耐久値も下がる。
でも、こいつに追いつくには、今の俺にはこれしかない。
覚悟を持って麒麟に向かって地を蹴った瞬間、違いに気づく。
――今までより、数瞬踏み込みが速い!
たった数瞬、されど数瞬。
逃げるより、追いかける方が楽なのは知っている。それでも、こいつは俺から逃れてきた。しかし、この数瞬が縮まったことで、初めて肉薄できている!
麒麟が斜面を横へ流れた。いつもなら、ここで置いていかれる。
だが、今日は離れない!
金の角が光った。魔力の枝が空を裂いて走ってくる。
避ければ足が止まる。止まれば、また届かない。
――喰え!
「【天喰霧】!」
金の霧が喰い、纏が削り、削りきれなかった分を肩で受けた。
骨が軋む。息が詰まる。衝撃はこれまで以上。
それでも足は止めない。止めるものか!
あと三歩。二歩――初めてこいつの息遣いが聞こえた。麒麟が跳ぼうと後脚を沈める。その一瞬の溜めが、はっきりと視えた!
ここだ!
踏み込んで、剣を振り抜く。
――金属を叩いたような音が、斜面に響いた。
手から腕へ。腕から肩へ。衝撃が体を抜けていく。手のひらが痺れる。それでも刃は止まらず、角の根元を通り抜けていく。
白と金の混ざった角が宙を舞い、それと同時に、俺の剣も半ばから折れて雪の上に落ちた。
麒麟が膝を折る。斜面に体を横たえて、それきり動かない。目だけが、こちらを見上げている。
……届いた。
膝が震えている。恐怖ではない。二か月分の何かが、今になって噴き出してきたらしい。
俺は雪の上に膝をついて、そのまま声を上げて笑った。誰も見ていない斜面で、一人きりで。
それから折れた剣を鞘に戻し、角の断面に手を当てる。ありったけの魔力を注ぐと、金が折れた角の断面に吸収されていく。
麒麟の目が言っている。
もっと寄越せと。
「心配するな。明日からずっと、お前に俺の全魔力を注いでやる」
♢
庭園に戻って角を差し出すと、セフィーラの動きが止まった。
「……なんだい、この色は?」
白い角に金が走っている。根元から先端へ向かって、日を受けると滲むように光る。
「アリアのは白銀だろう。あれはあの子が魔力を注いだ後に生えたものだ。だが、これは折る前からこの色だってことになる」
「そうだ」
「ソラ。あんた、本当に麒麟を斬ったのかい?」
「他に何がいる」
セフィーラが角を受け取って、灯りにかざした。角度を変え、指で撫で、断面を覗き込む。
「体はどうだった。大きさは」
「他の個体より小さい。軍馬と同じくらいの体躯だ」
「小さい……?」
「だが、魔法の威力はとんでもなかった。纏を最大にして受けても、息が詰まるほどだ」
セフィーラの手が止まる。しばらく角を見つめたまま黙っていたが、やがて口を開きかけて――やめた。
「……もしかしたら、本物の……」
そこで言葉が途切れた。俺は続きを待ったが、セフィーラは角を返してきただけだ。若い姿の顔から、いつもの飄々とした色が消えている。
「その角、どうするんだい?」
話題を変えるように、セフィーラが訊いてくる。
「剣にする」
折れた剣はあの角を斬った時に役目を終えた。次の剣はこの角で作る。
「いいわね、それ」
アリアが横から身を乗り出した。
「私もそうするわ。剣を折ってしまったもの。ちょうどいいわ」
「アタイも! アタイは槍の先に使うよ!」
ネイまで手を挙げると、セフィーラが指を立てた。
「言っておくけどね。麒麟の角を扱える職人は、この大陸に何人もいないよ。そもそも麒麟の存在自体が伏せられているからね。あたしも職人を知らないのさ」
「では、どうすれば?」
「シャーレに聞きな。あの子なら知ってる」
「なぜ分かる?」
「あの子のレイピアも、麒麟の角から打ったものだからさ」
あの女の得物が、これと同じものでできている。
三大極星が持つ剣と、同じ材で剣を打つ。悪い気はしない。
♢
三日目の朝――
斜面に向かい、いつものように折れた断面に魔力を注ぐ。
こいつがどれほど俺の魔力を欲しているのか、分からない。
ただ、吸収する限りは注ぎ続ける。
その時だった。
突然、折れた断面から黄金の光が発し、光が角の輪郭を象る。
やがてそれは固まり、根元から先端まで、日を受けて眩しいほどに輝いた。
折る前に見た淡い金とは違う。もっと濃く、もっとはっきりとした黄金だ。
体も、白いままだった。光の当たり方によっては、体毛の表面が薄い金を帯びて見える。輝きを失っていない。
麒麟――有角馬が、ひょいっと自力で立ち上がる。
次の瞬間、有角馬は鼻先を俺の胸に押し当ててきた。
思わず、その首に手を置く。温かい。
「……お前でいい……いや、お前がいい」
有角馬が鼻を鳴らすと、少し身を屈める。
「乗れ……と言っているのか?」
「フィィィ……ルルル……ォォン――」
鳴く……というよりかは、天に響く感じだ。
多分、乗れと言っている。
その背に乗ると、有角馬は勢いよく駆けだす。
「お、おい! 手綱も鞍もない! いきなり動くな!」
信じられない加速。
俺が氣を巡らせて、【天翔纏】を纏うよりも疾い。景色が後ろへ吹き飛んでいく。とっさに鬣を掴んで、振り落とされないようにする。
自由気ままに疾駆する。どんな悪路も、こいつにかかれば問題ない。
それは、他の麒麟の縄張りを荒らすことでもある。
しかし、こいつは構わず駆け回る。
他の麒麟たちの縄張りに入るたびに、魔力の枝が襲い掛かってくるが、他の奴らの魔力の枝は、俺の【天喰霧】を貫くことはできない。
そして、しばらく疾駆した後、俺たちの天幕の近くにまで辿り着く。
出迎えたのは、白銀の角が生えた有角馬をあやしているアリアだった。
「ソラ……その有角馬……」
「ああ、俺が手懐けた」
すると、アリアが俺の有角馬に近づく。
確か、有角馬は一人にしか懐かないと、セフィーラが言っていた。
しかし、俺の有角馬はアリアが近づくと、嬉しそうに鼻を鳴らして、アリアの胸元に顔を寄せる。
こいつ……許さねぇ、と思っていると、アリアの有角馬が俺の胸元に顔を寄せてきた。
「ふふふ、私の有角馬も、ソラのことを気に入ったみたいね」
「俺の有角馬もな」
それぞれが主人のもとに戻ってくる。
「ねぇ? 有角馬に名前を付けない?」
「名前を?」
「そう、私たちの愛馬に」
確かに。いつまでも有角馬というのは、違う気がする。
「じゃあ……お前は今日からオルだ」
「私は……ルナね」
オルとルナが分かった、と言わんばかりに天へ声を響かせ、身を寄せ合う。
同じように俺もアリアと久しぶりに手を握って、金角と銀角がじゃれ合うのを眺めていた。
本当はソラの有角馬をソル(ラテン語で太陽)にしたかったのですが、あまりにもソラと名前が似ているので、オル(フランス語で金)にしました。
まぁソラもsolを文字っただけなんで、同じ意味なんですけどねw
次話以降、有角馬、有角馬となりますのでよろしくお願いします!




