第93話 壁
「ガロみたいな子は意外と多いもんなんだよ」
金剛星将の部隊から借りた天幕に荷を降ろしながら、セフィーラが言う。
「第六軍はインフラが主な仕事だ。力仕事は女より男のほうが向いている。だからこういうところに出向を命じられると、女と出会う機会がまるでなくなる。騎士になる前の駐屯地には、女の騎士もいたんだろうけどね。騎士になって実際に入ってみて、初めて現実を見るのさ」
「確かに」アリアが頷きながら、荷の紐を解く。
「アストレアの銀山も今のところ働いているのは鉱夫ばかりです。どうしても力仕事の多い職場は男性が多くなってしまいますから」
「でもさ」ネイが首を傾げる。
「希望すれば、別の場所に出向できるんですよね?」
「そしたら、誰かがここに来なきゃならないだろう。女が一人もいないと分かってる場所に、進んで来る男がどれだけいると思うんだい」
三人の会話を聞きながら、俺は黙って荷を積んでいた。女がいなくてなぜ困るのかは正直よく分からない。ただ、アリアがいなければ困るというのは身に染みているので、口を挟まないでおく。
「それで、ソラ」セフィーラが振り返って、にやりと笑う。
「あんたはなんで、あたしたちの天幕にいるんだい? もしかして、みんなで湯を浴びて乱痴気騒ぎを起こそうってわけじゃあ、ないだろうねぇ」
「……お前の荷物を置きに来ただけだ」
アリアが真っ赤になる。ネイが腹を抱えて笑い出す前に、俺は天幕を出た。
♢
「ソラ、頼む! 俺をここから出してくれ!」
酒瓶を抱えたガロが頭を下げてきた。顔が赤く、口調も普段とはまるで違う。同じ台詞を五回までは数えたが、そこから先は数えるのをやめた。木杯になみなみと注いだものを一息に呷っては、また頭を下げる。
「女がいないのは覚悟していた! だが、まったくいないとは思わなかった! それに何より……ここに来る男の中には、その……」
そこで、ガロの言葉が止まる。この男が言い淀むのは珍しい。杯を握った手に力がこもって、視線が地面に落ちた。
それだけで、大体のところは分かる。
俺はガロの杯に酒を注いでやった。
「分かった。俺でも嫌になる」
ガロが黙って頭を下げる。今度は先ほどまでとは違う、深い下げ方だ。
聞けば、この陣を仕切っている上位騎士にも訴えたらしい。だが、取り合ってもらえなかったという。
「俺だったら殴っている」
「……できん」
「なぜだ」
「あの方は、それ以外については良くしてくださる。俺のような男にも仕事を任せてくれた……顔に泥を塗るような真似はしたくない」
いかにもこの男らしい理屈だ。ガタイの割に気が優しい。
だから、代わりに俺がやることにする。
「明日、俺が話す」
「ソラ」
「お前は黙っていろ。俺が勝手にやったことにする」
ガロがまた頭を下げようとしたので、俺は杯を押しつけて止めた。
♢
翌朝、ランダールへ発つ前に俺は陣を仕切る上位騎士のもとを訪ねる。
天幕の中で書き物をしていた男は俺の徽章を見て一度立ち上がり、それから話を聞くうちに、渋い顔になっていった。
「ガロを、あなたの隊に……ですか」
「そうだ」
「申し訳ないが、これは私の一存では決められません。金剛星将様のご判断を仰がねば」
「どれくらいかかる」
「ゴードン様は今、北の四都市の防衛力強化に注力されておられます。使いを出して、返答をいただくまで……早くて一か月ほどかと」
一か月――長いな。と、思っていたところ――
「お待ちください」
横から口を挟んだのはアリアだった。こいつには昨夜のうちに事情を話してある。
「恐れ入りますが、ガロは正規の異動ではなく、除隊という形を取ることはできませんか?」
「除隊……ですか」
「ええ。本人の希望による除隊であれば、隊長のご裁量で処理できるはずです。除隊後に彼が誰と行動を共にするかは、彼個人の自由ですから」
男の顔が固まる。
「……しかし、それは」
「加えて申し上げます」
アリアの声がわずかに低くなる。
「この陣について、いくつか耳にしていることがございます。今でこそ私は天聖隊の外套を纏っておりますが、第一軍――閃光星将隊にも籍を置いております。私は本来であればそれを報告する立場にあります」
男の顔から血の気が引いていく。
「もっとも、報告すべきかどうかは、この件が円満に片づくかどうかによります。私も事を荒立てたいわけではありませんので」
言葉遣いは丁寧なままだが、言っている中身は脅しだ。こいつがこういう顔をするのを、俺は初めて見た気がする。
「……アリア様、それは」
「何か問題がありましたか」
男が口を開いては閉じるのを繰り返している。その時、天幕の入り口の布が持ち上がった。
「なんだい、揉めてるのかい?」
セフィーラだ。若い姿のまま、深緑の外套を肩にかけて立っている。男が反射的に頭を下げかけて、その胸元の徽章に目を留め、そのまま固まった。
「し……疾風、星将……様?」
「ああ、堅苦しいのはいいよ」
セフィーラが片手をひらひらと振る。
「ちょいと口添えさせてもらうけどね。この小僧はうちの陣で、二か月ばかり預かってた子でね。呪将を討った話はあんたも聞いてるだろう?」
「は、はい」
「その子がどうしても欲しいって言ってる男がいる。一人だ。百人以上いる陣から、たった一人。あたしからも頼めないかい」
男が何度も頷く。
「か、かしこまりました。除隊の手続きをすぐに」
あっけないものだった。天幕を出てから俺はセフィーラを見る。
「助かった」
「なあに。あの手の男は話の中身より、誰が言ったかで決めるからね」
セフィーラが肩をすくめて、それからアリアを見た。
「にしても、アリア。あんたも大概えげつないねぇ」
「……お恥ずかしい限りです」
「褒めてるんだよ。将ってのはそういうもんさ」
ガロには王都へ向かうよう伝えた。
ランダールには連れていけない。
「王都に着いたら学校のブランドンという男を訪ねろ。話は通しておく」
「分かった」
アリアがその場で書状をしたためて、ガロに渡した。ブランドン宛の一通で、あいつがバルトとプリシラに伝え、三人で人材の情報集めを進めることになる。
「ガロ、体を大事にね」
「……ああ」
ガロは書状を懐に大事そうにしまってから、俺たちに向き直り、深く腰を折った。
「恩に着る」
「稽古は厳しいぞ」
「望むところだ」
顔を上げたその表情は、昨夜の酔っ払いとは別人のものだった。
♢
金剛星将の陣を発って一刻、山が近づくにつれて、空気が変わっていくのが分かる。
風が冷たい。麓はまだ初夏のはずなのに、外套の合わせを閉じたくなる。
そして、目の前には霊峰ランダール。
見上げても頂上が見えない。
中腹から上は雲に隠れていて、その雲が山肌に巻きついたまま流れていく。裾野は緑だが、上に行くにつれて色が抜け、灰色になって、最後は白い。雪だ。この季節にあれだけの量が残っている。
山というより、空へ突き刺さった巨大な岩の塊だ。
「でかいな」
それしか言葉が出てこない。
「言ったろう。麓は初夏でも、上は真冬だってね」
セフィーラが慣れた足取りで先を行く。
登山道は思ったよりしっかりしていた。人が踏み固めた跡があり、ところどころに古い杭が打ってある。第六軍か、疾風星将の部隊が整えたものだろう。
半刻ほど登ったところで、その道が唐突に終わった。
目の前に壁がある。
道は岩の根元でぷつりと途切れていて、そこから先は反り返るように立ち上がった山肌だった。上を見上げると、灰色の岩が空を切り取っている。手をかけられそうな窪みは、見当たらない。軒のように張り出した部分にわずかな足場はあるが、荷を背負った状態では、一人立つのがやっとだろう。
高さは大人五人分はある。
「……嘘だろ」
ネイが呆然と呟く。
「セフィーラ様、これ、どうやって登るんですか」
「決まってるだろう」
セフィーラが荷を背負い直して、こともなげに答える。
「跳ぶんだよ」
昨日の豪雨で被災してしまいまして、少し更新が遅れるかもしれません




