第92話 封魔の森の陣
王都を発ったのは、翌朝の早い時刻だった。
俺、アリア、ネイ、そしてセフィーラの四人。
途中までは荷物を馬車に乗せ、セフィーラは有角馬で。アリアとネイはそれぞれ軍馬で移動。俺はというと馬には乗らずに走りながら氣の訓練を行う。
王都からランダールへの最短路は封魔の森を突っ切ることだとセフィーラが言う。最寄りの街で有角馬を預け、そこからは徒歩で封魔の森へと向かう。
全員が背丈ほどもある荷を背負う。毛皮の外衣に天幕、杭、乾し肉の袋。三日かけて買い集めたものが、そっくり肩に乗っている格好だ。
その中で一人だけ手ぶらに近い女がいる。
「ほら、ソラ。あんたはまだ余裕があるだろう。これも持ちな」
若い姿のセフィーラが、自分の荷を一つ差し出してくる。
「……お前のだろう?」
「あたしは道案内で手一杯なのさ。それに、あんたは重りをつけて走ってるって言ってたじゃないか。荷の一つや二つ、どうってことないだろう」
言い返せない。実際、重さは大したことがないので俺は黙って受け取る。
「言っておくけどね、勝手に開けるんじゃないよ。ふりふりのぱんてぃが入っているんだからさ」
「…………」
婆さんの姿で言われるのなら聞き流せばいい。だが今のこいつは二十歳かそこらの姿をしている。同じ台詞でも処理の仕方がまるで違う。
「にしても、あんたらの外套……目を引くねぇ。なかなかいいセンスじゃないかい。アリアの発案かい?」
「いえ、この天翼の外套のイメージは、ほとんどソラによるものです」
「へえ……部隊名だけでなく、外套にもアリアのイメージを採用するなんて……ぞっこんじゃないか」
「…………」
さっきからずっと揶揄われている気がする……「早く行くぞ」と返すことくらいしかできないのが悔しい。
久しぶりに足を踏み入れる森は記憶よりも暗い。木々が高く、枝が空を塞いでいる。日は差しているはずなのに地面まで届く光は斑にしかならない。
「奥に行くほど木が育つのさ」
先を歩くセフィーラが振り返らずに言う。
「ランダールから魔力が流れてくるんだよ。あの山は魔力の吹き溜まりでね。麓から川みたいに流れ出して、この森に溜まる。だから木も草もよその倍以上の速さで育つ。ついでに魔物もね」
その言葉を証明するように、最初の一匹が茂みから飛び出してくる。
俺は荷を降ろし、剣を抜いて斬り伏せた。それから荷を背負い直して歩き出す。しばらく進むとまた出る。降ろして、斬って、背負う。その繰り返しだ。
「……効率が悪いな」
五度目に荷を降ろしたところで思わず声が出る。
戦い自体は楽だった。【天瞰眼】を開いておけば、茂みの向こうにいる奴の位置も数も全部視える。奇襲を受ける心配がない。
問題は頭痛だが、それも今は気にならなかった。少し痛み出したところでアリアに言えば、白い光が触れて嘘のように引く……実際のところ、何も言わずにアリアの手が伸びてくるのだが。
この一年半、この痛みは耐えるしかないものだった。歯を食いしばって、引くまで待つ。痛みで動けなくなることもあった。でも、今は違う。常に隣にはアリアがいてくれる。
「にしても、多いねぇ。奥へ行くほど増えるから、覚悟はしておきな」
これ以上増えるのか……荷を降ろして背負い直すのをあと何十回やることになるのか。
「アリア」
「なに?」
「あの霧を出せないか? 桃色のやつだ」
「……あの霧って」
「魔物を引き寄せるやつだ。散らばっているのを一箇所に集めれば、まとめて斬れる。荷を降ろすのも一度で済む」
「…………」
しかし、アリアの反応は薄い。
「……嫌だったら構わない」
「ううん、そんなことはないのだけど……」
何か言いにくいことがあるようだが、それが何なのかは分からない。
「見せてごらんよ」
横から口を挟んだのは、セフィーラだった。
「聞いたことはあるが見たことがなくてねぇ。聖属性の囮の霧だろう? どういうものか、この目で見ておきたいのさ」
「……分かりました。ソラ、【天翔纏】を纏って。私の【聖魅霧】は金の魔力の前にはかき消されるはずだから」
以前もそうだった。【聖魅霧】の桃色の魔力は金の魔力を突破できない。しかし、【聖翼纏】や【聖光癒】の白銀は届く。
俺が【天翔纏】を纏うと、アリアが両手を胸の前で合わせる。
「【聖魅霧】!」
淡い桃色の霧が体から滲み出すように広がっていく。霧は地を這うように流れて、木々の間へ吸い込まれていく。
森がざわめく――
最初は遠くの枝が揺れる音でそれが少しずつ近づいてくる。左からも、右からも、背後からも。木が撓む音、地を蹴る音、獣の唸り声が一斉にこちらへ向かってくる。
「……うわ、うわうわうわ! ちょっとこれ、集まりすぎじゃないかい!?」
ネイが慌てて槍を構える。視界が開けた場所へ次々に影が躍り出てくる。四足の獣が七、八匹。木の上からは蜘蛛のような形をしたものが降りてくる。奥の茂みが割れて、熊ほどもある巨体が姿を現した。
「ランクCが混ざってるよ! あの大きいの! 騎士が数人がかりのやつだ!」
ネイが叫ぶと同時、俺は地を蹴って、アリアへと向かってくる魔物たちの集団に突っ込む。
獣型の魔物の喉を裂いて、着地と同時に横へ跳ぶ。二匹目の腹。三匹目は跳躍を待って、下から斬り上げた。蜘蛛が糸を吐こうと胴を膨らませたところへ踏み込んで、頭から断つ。
熊のような巨体が両腕を振り上げた。ランクCというやつかもしれない。図体の割に速い……が、今の俺なら問題ない。振り下ろされる前に懐へ入って、顎の下から一突き。手応えが抜けるのと同時に、巨体が横倒しになった。
最後の一匹――そう思ったが、アリアが刺突の構えを見せていたので譲る。
「【聖尖穿】!」
初めて見る魔法だった。
高密度に圧縮された魔力が円錐状となって突きと同時に放たれる。
枝にぶら下がる蜘蛛の魔物は回避することもできず、貫かれ、そのまま霧散した。
「……ちょっと」
ネイが槍を構えたまま、口を開けている。
「アタイ、一匹も倒してないんだけど?」
「必要なかったからな」
「そういう問題じゃないだろ……ランクCだよ? あれ、うちの部隊なら小隊で当たるやつだよ?」
「こいつらはアリアを目標にしていた。最初から俺が標的になっていたら、簡単には倒せなかった」
ネイからアリアへと視線を移す。
「【聖尖穿】――すごい魔法だな」
「ありがと。シャーレ様の得意魔法を参考にしたの。本物と比べると威力と速度、射程距離はまだまだだし、剣に負担がかかるんだけどね」
確かに、あれほどの魔力を込めれば、鉄の剣には負担が大きい。
でも、飛び道具は持っていて困らない。俺もいろいろ試してはいるのだが、どうもイメージが湧かず、ものにできていない。
「じゃあ、行こっか」
アリアが荷物を背負うと、俺も背負って、両手も塞がる。
「お、おい。休憩は挟まないのか!?」
「たいしたことない。行くぞ」
セフィーラが腕を組んで、俺とアリアを交互に見ている。
「……なるほどねぇ。シャーレが二人を組ませるわけだ」
♢
森を抜けたのは日が傾き始めた頃だった。
視界がふいに開けて、切り株の並ぶ広い斜面が現れる。
伐り出された丸太が山と積まれ、その間を人が行き交っている。荷車の軋む音、斧が幹に食い込む音。天幕が二十張り以上も並んでいて、奥では炊煙が上がっている。
「金剛星将の陣だよ」
セフィーラが説明してくれた。
「さっき言ったろう。この森の木は育ちが早いって。だから第六軍がここで木を伐ってるのさ。何をするにしても木は要るからね。常に百人以上が詰めてるよ。ランダールに登る時に、いつもうちの奴らが厄介になるんだ」
人の数の割に静かな陣地だ。荒っぽい声がせず、皆が黙々と手を動かしている。掛け声も必要な分しか上がらない。
「なんだか、うちの部隊とは空気が違うねぇ」
「うちはバルトとプリシラの二人がいると、賑やかだものね」
「それもあるけど……女の気配がないよ」
ネイに言われて気づく。確かに、見えるのはむさくるしい男ばかり。こういう場所は嫌いじゃない。
その男たちを見ていると、一人の大男と目が合った。
丸太を肩に担いだまま、じっと見ている。日に焼けた顔と、太い腕。鉄色の外套を腰に巻いたその顔に、見覚えがあった――学校で同じ班だったガロだ。
ガロが丸太を降ろすと、地面が鈍い音を立て、大股でこちらへ歩いてくる。
「ガロ、久しぶりだな」
「……ああ、ソラにアリア……ネイ。あと一人は……」
若い姿のセフィーラを見て、少し耳が赤くなるガロ。セフィーラの外套についている徽章には気づいていない様子だ。そんなガロをセフィーラは興味深く観察しているだけで、口を開かない。
代わりにネイが感心する。
「へえ、アタイのことを覚えているんだ」
「……忘れるわけがない」
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか」
ネイの言葉を受けて、少し照れた様子のガロが、俺たちの外套に気づく。
「……その外套は?」
「ああ、俺たちは新たに建軍する」
「ガロ、この話はここだけに留めておいて」
すかさず、アリアがフォローを入れる。
「……メンバーは?」
「俺とアリアにネイ。あとブランドンという去年の首席に、バルトとプリシラという従士だ」
「……ブランドンとバルトは男で、プリシラは女だな?」
「ああ」
しばらくの沈黙。
そして、予想外のことがガロの口から零れた。
「……まだ入れる枠はあるか?」
アリアと顔を見合わせる。
「あるが――」
「入れてくれ」




