第91話 外套
セフィーラが三日で揃えろと言った、その三日目。
「昨日ですべて買い終えたはず。今日は最終チェックよ」
アリアに手を引かれ、今日も二人で王都へ繰り出す。
ネイは今日も朝練でぶっ倒れて、回復に努めている。あいつは昨日の夜の訓練にも顔を出してやり遂げた。今朝はその疲れが残っていたのか、途中で足が止まって、悔しそうに唇を噛んでいた。
バルトとプリシラも朝練に加わったが、二人は最初の素振りで棄権した。ブランドンは素振りこそ耐えたものの、走り込みで音を上げている。
「そういえば、ブランドンから聞いた? あの子が合流するのは半年後。天聖隊が建軍された後だって」
「いや、聞いてない」
「私とブランドンは、教師も兼ねていたでしょう? 同時に二人も抜けられると困るからということで、ブランドンは残ることになったのよ。だから、ランダールには行かないわ」
ということは、あいつの圧魔法の恩恵は受けられないわけか。
バルトとプリシラも同行しない。実力不足で行っても死ぬだけだと、セフィーラに言われたからだ。二人には俺たちが戻るまで、王都で別の仕事をしてもらうことになっている。
「人材の情報を集めてもらいましょう。私とソラで、天聖隊に欲しい人を挙げておくの。それを二人に探ってもらえば、戻ってきた時に動きやすいわ」
「あの二人にできるのか?」
「バルトは人と話すのが上手いもの。酒場で聞き込みをさせたら、あなたや私よりずっと集めてくるわよ」
確かにそうかもしれない。あいつは初対面の相手とも三言で打ち解ける。俺には逆立ちしても真似できない芸当だ。
「稽古はどうする?」
「ブランドンに見てもらいましょう。あの子は教えるのが上手いから」
問題は欲しい人材が思ったよりずっと多いことだった。
「火属性の魔法使いと、水属性の魔法使いは、最低でも一人ずつ。欲を言えば、二人ずつは欲しいわね」
アリアが指を折りながら数えていく。
「火を起こせることと、水を出せることは必須なの。行軍中に薪が湿っていたら火が熾せないし、水場のない土地には行けなくなる。従士の二人はブランドンに見てもらうとして、索敵はネイがいる。あとは、野営の時に土魔法を使える者がいれば、天幕を張るのにも便利なのだけど……」
聞いていて、自分の考えの浅さを思い知る。
俺は強い奴を集めればいいと思っていた。だが、こいつが挙げているのは戦う力の話ではない。胃袋を満たし、暖を取るための火。身を清潔に保ち、喉を潤す水。そして、寝る場所の土だ。
それがなければ、どれだけ強い奴を揃えても、部隊は壊滅してしまう。
「……イザベルとカイトはどうだ?」
「そうね。イザベルは火属性だからいいとして、カイトは氷属性なのよね。水と氷は違うのだけれど……でも、カイトはカイトで頼もしいから。ソラがよければ、誘ってみるのもいいかもしれないわ」
♢
その二人と鉢合わせたのは、大通りの角だった。
向こうも買い物の途中らしく、イザベルが両手に紙包みを抱え、その半歩後ろをカイトが荷を持って歩いている。声をかけて、そのまま天聖隊の話を切り出すと、二人は顔を見合わせた。
「私たちを、あなたたちの軍に?」
「行きたいのは、やまやまなんだけど……」
カイトが困ったように眉を下げる。
「僕のほうは家族が南へ引っ越しちゃっているから、家族に聞かなきゃならないんだ。それに、部隊から受けている恩もあるし……」
「私も父に聞いてみないと分からないわ……いずれにせよ、私はカイトと離れたくはないから、カイトが無理であれば私も断るわ」
「僕も家族や部隊がいいよと言ってくれても、イザベルの家がダメだと言ったら行かないよ」
当たり前のように、二人が同時にそう言った。
アリアが横でなぜか微笑ましそうに口元を緩めている。
「それと……」イザベルが少し声を落とす。
「昨日、炎獄星将様から聞いたのだけれど、第九軍を率いるのは、最近うちの部隊で星柱に昇格した人らしいの。爆星柱よ」
「へぇ……」
カイトが目を丸くする。こちらは知らなかったらしい。
「爆星柱の人って、よく爆裂星将になるって言ってる人?」
「そう、爆星柱バルカン・バーンよ。炎獄星将部隊から騎柱一名と上位騎士を二人連れて行くんですって」
二人の会話にアリアがため息をつく。
「第九軍のトップは星柱で、下に騎柱が一人、上位騎士が二人。それだけの陣容を最初から抱えて始めるのね。しかも、それで第九軍。番号が若いほど格が上であるなら、第八軍はもっと揃えているかもしれないわね……」
「戦力は俺とお前がいれば大丈夫だ」
「ふふふっ……そうね。二人で百人分だもの」
「そうやってすぐに二人は惚気るんだから」
ただ、イザベルは真剣な表情に戻してから続ける。
「ただでさえ獣人たちは血の気が多いでしょう? それなのに要の星柱が一人抜けるの。うちはこれから人手が足りなくなるから……いい返事はできないかもしれない」
イザベルが申し訳なさそうに言う。断られたわけではないが、通る見込みは薄いということだろう。
「構わない。話してみてくれ」
「ええ。ちゃんと聞いてみるわ」
♢
夜になって、俺たちは食事処の一角を借りた。
明日には王都を発つ。しばらく顔を合わせない者もいるから、その前に一度集まっておこうという、アリアの提案だった。卓を囲んでいるのは、俺とアリア、ネイにブランドン、バルトとプリシラの六人だ。
「くぅ~っ! やっぱり王都の酒はうめぇな!」
バルトが三杯目の杯を空けて、卓に叩きつける。
「昼間っから飲みっぱなしよ!」
「余裕だっつーの!」
プリシラが呆れ顔で言い返す。ネイはいつものように、果実の絞り汁だ。
ブランドンは背筋を伸ばして座っていたが、バルトに三度ほど酒を注がれるうちに、だんだん姿勢が崩れてきた。
「なあブランドンよぉ。お前、アリア様のことが好きなんだって?」
「当たり前だ。誰もがアリア様のことを好きだろ」
「そりゃあな。だってよ、アリア様は美人な上に、女教師で、聖騎士だぞ? 教室でアリア様の背後から……くぅぅぅっ!!! そそられるに決まってるだろ!」
「――然り!」
ブランドンが卓を叩いて立ち上がる。
「まさにその通りだ! 貴殿は分かっている! 教壇に立たれるお姿と、剣を執られるお姿の両方を拝せる方が、この世界のどこにいる!?」
「分かってんじゃねえか! なあ!?」
「某は一年、アリア様に教えを受けた! 厳しくも的確なご指導、あの凛としたお声……清楚な香り……そして戦場では聖騎士として――」
男二人が肩を組んで盛り上がり始める。プリシラが額を押さえ、ネイは腹を抱えて笑っている。当のアリアは真っ赤になって俯いていた。
「あ、あの、二人とも、その辺で……」
「アリア様! 某は!」
「うるさい」
俺がブランドンの頭を掴んで椅子に押し戻すと、ようやく静かになる。
場が落ち着いたところで、アリアが立ち上がった。
「みんな、少しいいかしら。渡したいものがあるの」
店の奥から布に包まれた荷を運んでくる。今日、最後に寄った店で受け取ってきたものだ。
「まだ全員分は仕上がっていないの。三日で三着が限界だったから」
包みを解いて、アリアが最初の一着を広げる。
卓の上の灯りを受けて、白がふわりと浮かび上がった。思わず息を呑んだのは、俺だけではない。
白を基調とした頭巾付きの外套。だが、ただの白ではない。灯りの角度が変わるたびに、生地の表面がわずかに光を返す。まるで、布そのものが淡く発光しているみたいに。
そして、背だった。
金色の剣が一振り、中心に立っている。その刀身から左右へ、白銀の翼が大きく広がっていた。白地に白銀では沈むはずなのに、翼だけが浮き上がって見える。糸の重ね方で立体に縫い上げてあるのだ。
同じ紋章が両肩と胸にも小さく縫われている。縁は金糸で細く取られていた。
「……なんだこりゃ」
バルトの声が掠れている。
「すげぇ……いや、すげぇって言葉しか出てこねぇ」
「翼が浮いて見えるよ。どうやって縫ってるんだ、これ」
「これは……相当なものですぞ」
ブランドンが身を乗り出して、裏地に手を伸ばしかけて止まる。
「内側に刻印が……浄化ですか? 汚れや多少の切り傷など、自ら修復する。星将様の外套と同じ仕様では?」
「ええ、同じよ」
アリアがあっさりと頷く。
「素材も星将様の外套にしか使われないものを使っていただいたの」
卓が静まり返った。
「……アリア様。それは、その、失礼ながら、おいくらほど」
「聞かないほうがいいわ。ソラが一番の物をって言ってのよ。星将様のを使うのはご法度だけど、店主に頼み込んだのよ」
アリアが微笑む。バルトが青ざめた。
「俺、絶対に汚せねぇじゃんか……」
「汚れないわよ」
「そういう問題じゃねぇんだよ!」
三着を俺とアリアとネイで纏う。肩に落ちた瞬間、思ったより軽いことに驚いた。それでいて、風で煽られない重みがある。裾が足に絡まないよう、丈も歩幅に合わせて仕立てられていた。
「うわ……アタイ、こんないいもの着ていいのかい?」
ネイが袖を撫でながら呟く。声が上ずっていた。
「いいのよ。天聖隊の――天翼の外套」
「天翼の外套……」
ネイが自分の胸元に縫われた小さな紋章を見下ろして、それから、指でそっとなぞった。しばらく、そのまま動かない。
「……ああ。そうか。アタイ、天聖隊なんだね」
ラウディアの酒場で、部隊で一番いらないのは自分だと言った女が、今、その紋章を指でなぞっている。
「それと、みんなの分も同じ仕様よ」
アリアが言うと、残る三人が同時に顔を上げた。
「え?」
「ブランドン、バルト、プリシラ。三人の分も、まったく同じものを頼んであるの。代金はもう払ってあるから、明日にでも各自でお店に行って、採寸してもらってちょうだい」
しばらく、誰も声を出さない。最初に動いたのはプリシラで、両手で口を覆って、それから震える声を出した。
「……私も? 従士なのに?」
「従士も天聖隊。ソラがそう言うのだから胸を張って」
アリアがきっぱりと答える。
「戦場で誰かの傷を塞ぐのも、飯を炊くのも、同じ隊の仕事でしょう。外套を分ける理由なんて、ないわ」
プリシラが下を向く。肩が小さく揺れている。バルトが慌てて背中をさすっていたが、その本人も目が赤かった。
「……くそっ、なんだよ。俺、傭兵だぜ? 傭兵が星将様と同じ素材の外套って、どういうことだよ」
「もう傭兵じゃないでしょ」
ネイが笑いながら言うと、バルトは「うるせぇ!」と叫んで、それから杯を一息に空ける。
騒ぎが一段落した頃、アリアが俺の袖を引いた。
「ソラ。あなたのと私の少し違うのに気づいた?」
言われて、自分の外套を灯りに近づけてみる。
白い生地の上に、金色の粒が散っていた。細かい星のような刺繍が裾や肩のあたりに、まばらに縫い込まれている。動かすと光を受けてかすかに瞬いた。
アリアの外套に目を移すと、同じ位置に同じ星が散っている。ただし、そちらは銀色だった。
「……金と、銀か」
「そうなの。私も受け取った時に気づいて、驚いたわ」
アリアが自分の袖を持ち上げて、灯りにかざす。銀の粒が、ちらちらと光った。
「頼んでいないのよ、これ。仕立屋のご主人が、勝手に入れてくださったの」
「勝手に?」
「お二人の魔力の色だと伺いましたので、と」
あの老人の細い目を思い出す。俺の全身を撫でるように見たあの目は、徽章だけを見ていたわけではなかったらしい。
「三日で三着を仕上げるだけでも無茶なのに、こんな細工まで」
アリアが袖を下ろして、そっと胸に手を当てた。
「……嬉しかった。私たちの隊をそういうふうに見てくださっていたんだって」
俺は自分の外套の裾に目を落とす。白い布の上に、金の星が散っている。アリアの袖には、銀の星が散っている。
二人で興した隊だと、あの老人にも伝わっていたということだ。誰に説明したわけでもないのに。
「……いい店だな」
言えたのはそれだけだったが、アリアは何度も頷いていた。




