第90話 桃李成蹊
「こ、これを初日からこなすのは、あまりにも無謀じゃないかい……?」
朝日が昇りきる前の校庭で、ネイが大の字になって転がっていた。全身から湯気が立っている。
ネイが天聖隊へ正式に籍を移すのはラウディアへ戻ってからだが、セフィーラからは今のうちから俺たちと動いていいと許しをもらっているらしい。だから今朝から、こいつも朝練に加わっている。
天聖隊の訓練は疾風星将の部隊のそれとは別物だ。走り込みの距離も、素振りの本数も、打ち合いの時間も、向こうの物差しでは測れない。もっとも向こうでは弓と馬の訓練をしていたが、天聖隊ではしない。まずは元々の得物である槍の修練から。ネイが弓と馬の訓練をするのは慣れてからだ。
「初日からついてこいとは言わない。だが、これができないうちは戦場には出さない」
「アタイでギリギリだよ……」
ネイが腕で目元を覆ったまま呻く。それから思い出したように、顔を横へ向けた。
「……ってか、第十一軍の部隊名は何て言うのさ?」
「天聖隊だ」
「……天聖隊ねぇ。いい名前じゃないか。普通なら、頭に立つ者の属性を冠するもんだけどねぇ。アリアのも一緒に入ってるなんて……羨ましぃねぇ」
なぜかアリアが横を向いて髪を耳にかけ直していた。二人で興す軍なのだから、二人の属性を入れるのは当たり前だと思うのだが。
「そ、それより。ネイはどうするの? 朝からまた買い出しに行くのだけれど」
「アタイはパスだね。夜も訓練やるんだろ? そこまでに体力の回復に努めるさ」
♢
湯を浴びて汗を流してから、街へ出た。
「今日で買い出しは全部終わらせるわよ。明日は漏れがないかの最終確認の日にしましょう」
そう言ってアリアが俺の手を引き、店から店へと渡り歩いていく。朝の光の中で、銀の髪に留めた黒い髪留めが小さく光っている。
昼近くになると、通りに漂う匂いに引き寄せられるように食事処へ入る。通されたのは通りに面した席だ。運ばれてきた皿を突きながら、話は軍のことになる。
「最初は十人もいればいいだろ」
「十人ね。従士は何人くらい?」
「従士? 入れるつもりはない」
アリアが手を止めて、こちらを見た。
「でも、入れないと困らない? 私たちは戦がなくても、戦場に出れば前線にいるでしょう。戻ってから自分たちで食事の支度や湯浴びの用意をするの?」
言われて思い出したのは、レオガルド獣王国との戦の時のことだ。炎獄星将の陣には従士がいくらでもいた。天幕を張り、湯を沸かし、飯を炊き、荷を運ぶ。俺は自分のことだけやっていればよかったから、気にも留めなかった。
一人ならそれでいい。他の部隊の世話になるか、地面で寝るかすればいいだけだ。だが、十人となれば話が違う。
「……まかせ――」
言いかけて、飲み込んだ。こいつに任せれば済むのは分かっている。だが、それでは俺は何も分からないままだ。率いると決めたのは俺だ。
「何人くらいがいいんだ?」
アリアが少しだけ目を丸くして、それから嬉しそうに笑う。
「大きな軍だと位が上がるにつれて世話をする従士の数も増えるの。身の回りの用だけじゃなくて、部隊へ細かな伝令を出す時にも要るから。でも十人ほどの規模なら……五人くらいでいいのではないかしら?」
五人。頭に刻んでおく。
やっぱりこいつがいてよかったとつくづくそう思ったところで、妙なことに気づいた。いつの間にか二十人ほどが俺たちの席を遠巻きに囲んでいる。皆こちらを見ている。正確には俺の向かいを見ている。
その人だかりの中に見知った顔が二つあって、目が合うと、二人はまっすぐ歩いてきた。
「いやさ、すげぇ人だかりだと思って、何かあるのかって来てみたらよ。お前たち二人がいたからさ」
「凄い人気ですね」
バルトとプリシラだ。
「で、今、二人は何してるんだ? やっぱデートか?」
「そ、そんなのではありません。ソラと、第十一軍のことを詰めていたのです」
アリアが慌てて否定すると、プリシラが一歩前に出て、神妙な顔で口を開いた。
「あの、私たち二人をソラの軍に入れてもらうことはできますか!?」
「えっ? 二人を?」
アリアが俺を見る。
「はい! 私は戦場にはまだ出られませんが、聖属性の魔法で癒やすことができます。傭兵団では後方で給仕もしていました!」
「俺は戦場で暴れ回ってたぜ! ただ、騎士たちに及ばないのは分かってる。だから最初は小間使いでもなんでもいい! ダメか!?」
たった今、話していたばかりだった。もし、この話をする前に二人が来ていたら、俺の答えは違っていたはずだ。従士など要らない、と言っていただろう。
「ヴァーグナーの許可が下りれば、従士としてなら歓迎する」
「本当っ!?」
「さっすがソラ!」
「ただし、従士だからといって訓練しないわけじゃない。お前たちも稽古はする。騎士を目指せ」
二人が飛び上がって喜ぶ。
その騒ぎの中を人だかりを掻き分けて一人の男が進み出てきた。
閃光星将の外套――ブランドンだ。
「アリア様! 閃光星将隊をお抜けになるというのは、本当ですか!?」
「ええ、本当よ」
アリアが立ち上がって、まっすぐにブランドンを見た。
「あなたを教えることができて良かったわ」
「で、では、某も一緒に第十一軍についていきます!」
「――えっ……? ち、ちょっと待って」
アリアが俺の手を取って、耳元に顔を寄せてくる。髪から花のような匂いがする。
「実は私、ブランドンを推薦しようと思っていたの」
「あいつをか?」
俺も小声で返した。
「あいつはお前をエイガーやワフェルと同じ目で見ているだろう」
「そんなわけないじゃない。一年前は教師と生徒の間柄。今は上司と部下の関係よ」
こいつ、まったく分かっていないんだな。
「どうしてブランドンを推す?」
「彼は頭がかなり切れるの。それに去年の騎士科の首席よ。強いのはもちろんなんだけど、魔法の属性もかなり希少なの」
「どんな属性だ」
「論より証拠。ソラの目で確かめてみて」
♢
場所を移して、学校の校庭を借りた。朝、ネイが転がっていたのと同じ場所だ。
向かいに立ったブランドンは細身で、背は俺と同じくらい。得物は針のようで、細く長い金属を指の間に何本も挟んでいる。
「お前、得物は針か?」
「そうだ」
魔法も希少だというが、得物も特殊だ。
「魔法を見せてみろ」
俺の言葉に不服そうにしながらも、ブランドンが地面の石を拳大ほど拾い上げ、両手で包む。
「【圧縮】!」
魔法の光が漏れて、手を開くと、石は豆粒ほどに縮んでいた。
「それは便利だな」
「便利だとっ?」
ブランドンがまたも不服そうな顔をした。
「某の圧魔法は戦でも使える。空気を圧し縮めて放つ」
言うなり、掌を突き出してきた。空気が歪んで、目に見えない何かが飛んでくる。半歩ずれて避けると、背後の木の幹がばんと鳴って、皮が弾けた。
「なかなかの威力だろ? それにこれに乗せれば……【衝撃】!」
指の間の針が消えた。風を切る音がしたと思えば、背後の木に針が三本、深々と刺さっている。
剣を振るう強さではないが、こういう相手は厄介だ。距離を取られたまま、針を撃ち込まれ続ける。俺は対応できるが対応できない奴のほうが多いだろう。
「なるほどな」
アリアが推すだけのことはある。
ただ、一つだけ確かめておきたいことがあった。
「お前、アリアのことが好きだろう?」
ブランドンの動きが止まり、それからこいつは真顔で答えた。
「当然だ。アリア様を好きではない男など、この世にいない」
「…………」
言われてみれば確かにそうだ。王都の門でも、祝賀会でも、さっきの食事処でも、男という男が全員こいつを見ていた。好きでない男などいない、というのは事実なのかもしれない。
いや、待て……それは納得していい話なのか。
考えているうちに、アリアが横から口を挟んだ。
「ブランドン。誤解のないように言っておくわね。私はソラを……愛して……ます」
恥ずかしいのか、言葉が尻すぼみになっていく……でも、アリアは頬を赤らめ、口を引き結び続けた。
「そして、ソラは私に天寿を全うするその時まで、隣で剣を振れと言ってくれた。そして私はそれに頷いたの。これがどういう意味か分かるでしょ?」
……意味? 確かに言ったが、意味とは?
しかし、ブランドンの肩が目に見えて落ちる。しばらくの間、こいつは校庭の土をじっと見ていた。やがて顔を上げた時には目の色が変わっている。
「……ソラ、一つ頼みがある。某と一対一で手合わせをしろ。もし某が勝ったら、アリア様にはもう一度、考え直していただきたい」
「ブランドン、そんなことをしても――」
「いいぞ」
「ソラ!?」
「こいつは、これをやらないと終わらない顔をしている」
それに、この男がどこまでやれるのかを知っておきたかった。天聖隊に入れるなら、実力は自分の目で見ておく必要がある。
アリアが何か言いかけて、諦めたように息を吐いた。
♢
距離は三十歩ほど取る。先に動いたのは、ブランドンだ。
「【衝撃】!」
掌が突き出され、空気の塊が飛んでくる。同時に指の間から針が消えた。
撃ち出しと目眩ましを重ねてくる。頭が回る奴だ。
「【天喰霧】!」
魔力を体内で高速に巡らせてから、一気に放出――金色の霧がつむじ風を伴って、飛んできたものを一息に呑み込んだ。
空気の塊が霧に触れた途端、輪郭を失って解ける。針は勢いを殺され、金の中をゆるゆると漂ってから地面に落ちた。
ブランドンの顔から血の気が引いていく。
「……なっ」
「もう一度撃ってみろ」
「――っ!」
こいつは何度も撃った。空気を圧し縮めて、針を乗せて、角度を変え、間合いを変えて。左右に散らし、高く、低く。手札を全部並べてくる。
だが、その全部を喰った。
圧し縮めた空気は魔力でできている。魔力なら、俺の金が喰う。針だけは実体だから残るが、押し出す力を失えば、ただの金物だ。慣性で向かっては来るが、叩き落とすのは容易い。
やがてブランドンの息が上がり始め、膝に手をついた。
「……嘘だ。魔法が……届かない……」
「まだ終わっていない」
俺は【天翔纏】を纏った。
地を蹴ると、三十歩が一息で消える。ブランドンが顔を上げた時には、俺はもうその喉元に木剣の先を突きつけていた。こいつは動かない。動けなかったのだろう。
しばらくその姿勢のまま時間が過ぎて、やがてブランドンが両手を上げた。
「……参……った」
俺が木剣を下ろすと、ブランドンはその場に膝をついて、しばらく俯いていた。肩が震えている。悔しいのだろう。俺にも覚えがある。何度もあの震え方をしてきた。
だが、こいつは顔を上げた。
「ソラ……いや、ソラ殿」
「なんだ」
「某を……天聖隊に加えて……くれ」
まっすぐな目をしている。負けた男の目じゃない。
「アリアを諦めるのであればいいぞ」
「……諦められるように努力は……する」
「諦めるのであればいいぞ」
「……努力する」
こいつは素直な奴だ。
口先だけ諦めると言えばいいだけなのに、努力するとだけ答える。
そこらの奴よりかは、遥かに信用に値する。
「……分かった。努力しろ」
「ありがたく」
これで六人目――悪くない。




