第89話 建軍
「決めなければならないことがあるわ」
翌朝、走り込みを終えた俺たちは、学校の校庭に腰を下ろしていた。アリアが膝の上に紙を広げている。
「天聖隊をどういう部隊にするのか。それが決まらないと、誰を集めるかも、何を揃えるかも決められないもの」
「どういう部隊か」
「そう。第一軍は王都と陛下を守る。第二軍は北の帝国に備える。第三軍は東の呪国と睨み合う。みんな、受け持つ場所があるでしょう?」
セフィーラはずっと東にいたし、ヴォリトは北から動かない。星将たちはそれぞれの土地に根を張っている。
「天聖隊はどこを守るの?」
どこを守るか――考えるまでもなかった。
「どこも守らない。北でも南でも東でも西でも、呼ばれたところに行く。強い奴がいるところに行く。それだけだ」
アリアがしばらく黙り込む。まずかったか。もう少し格好のつく言い方があった気もするが、思いつかなかったのだから仕方がない。
だが、こいつは笑った。
「そうよね。そうでなければ、あなたが第一軍の勧誘を断った意味がないもの……遊撃隊ね。どこにでも駆けつけて、どこにも属さない」
「それだ」
俺が言葉にできなかったことを、こいつはあっさりと形にしてしまう。
「でも、それなら――足が要るわね」
俺は頷く。ちょうど、同じことを考えていた。
「有角馬だ」
「やっぱり」
「聞いてくれ」
俺は身を乗り出した。ここはきちんと説明しなければならない。
「この一年、俺はずっと走り回っていた。魔物が出たと聞けば行く。賊が湧いたと聞けば行く。だが、着いた時にはいつも終わっていた。情報が入らないのもある。だが、それだけじゃない。俺の脚が遅いんだ」
言いながら、あの頃の感覚が戻ってくる。
噂を頼りに何日も走って、辿り着いた村で、もう片がついたと聞かされる。血の跡だけが残った道と、誰かが片付けた後の静けさ。誰も俺を待ってはいない。ただ、遅れて来た男が一人立っているだけだ。あれを何度も味わった。
「東の国境でもそうだ。狼煙が上がってから走った。間に合ったのは、たまたま俺が近くにいたからだ。もし街の反対側にいたら、間に合わなかった」
「……そうね」
「軍馬じゃ足りない。あの雨の日、軍馬は使えなかった。だが有角馬は走っていた。悪路も、雨もお構いなしだ。あれなら間に合う」
「分かったわ」
アリアが立ち上がって、外套の埃を払う。
「間に合わなかった時のあなたが、どんな顔をしていたのか。それだけで十分よ」
こいつには敵わない。
「では、まず有角馬ね。どうやって手に入れるの?」
「霊峰ランダールに登って、自分で懐かせる」
「登り方は?」
「……知らん」
アリアが頭を抱える。
♢
王都の宿の一室で、セフィーラは茶を飲んでいた。若い姿だ。今日は誰かと会う予定があるらしい。
「ランダールの登り方を教えろだって? あんた、あたしが暇に見えるのかい」
「見える」
「言うようになったねぇ」
セフィーラが茶を置いて、こちらを見る。それからしばらく黙って、ため息をついた。
「まあ、いいさ。乗りかかった船だ」
「乗りかかった?」
「あんたに氣を教えたのは、あたしだ。ここで放り出したら、教えた分が無駄になっちまう。呪国とも停戦だ。ラウディアも暇になる。あたしも久しぶりに、ランダールに登るとするかねぇ……それに――」
セフィーラの視線がアリアへ向く。
「アリアの氣も見てやりたいしね。あんた、素質があるんだよ。ソラより早く形になるかもしれない」
「あ、ありがとうございます」
「ただし、あの山は生半可な支度じゃ死ぬよ」
セフィーラが指を立てた。
「麓は初夏でも、上は真冬だ。風も強い。夜になれば、水を入れた革袋が凍る。装備がなけりゃ、登る前に凍え死ぬ。剣の腕なんて何の役にも立たないよ」
セフィーラが懐から紙を取り出して卓に広げる。
「これが要るものだ。三日で揃えな」
覗き込むと、文字がずらりと並んでいる。毛皮の外衣、重ね着用の下衣、手甲、足を包む布、獣脂、麻縄、乾し肉、堅パン、火口箱、天幕、杭。
「多いな」
「これでも削ったほうさ。本当はもっと要る」
「三日で揃うのか」
「王都なら揃うよ。金はあるんだろう? 白金貨十枚も貰っといて」
確かに金はある。使い道がなくて、宿に置いたままだ。
「それと最低条件なんだが、パンパンに着こんだ上に、それらを背負って、さらに十間以上は跳べないといけない。ソラは存在自体がデタラメだからできるだろうが、アリア、あんたはできるかい?」
「【聖翼纏】を纏えば、ギリギリ跳べるとは思うのですが……」
「前に纏った纏系だね? あれは身体能力強化の魔法で合ってるかい?」
「はい」
「あの翼で羽ばたけるのかい?」
「二度ほどなら、加速できます」
アリアの答えに、満足そうに頷くセフィーラ。
今度はアリアが質問する番だった。
「セフィーラ様、この獣脂は……」
「肌に塗るんだよ。風で顔が裂けるからね」
「この火口箱の代わりに……」
アリアが真剣な顔で頷いて、紙を写し始めた。俺には何のことか半分も分からなかったが、こいつが分かっているなら問題ない。それでも、隣で分かったふりをする。
♢
それかというもの、王都中を歩き回った。毛皮を扱う店、乾物を売る商人。アリアが場所を知っているので迷うことはないが、店を回るたびに荷物が増えていく。
「ソラ、それ持てる?」
「持てる。お前のも持つ」
「本当に?」
「重りをつけて走っているんだ。これくらい何ともない」
「ありがと。じゃあ次の店ね」
実際、大した重さではない。両腕に毛皮の束を抱えて歩いていると、通りの人々が振り返ってくる。上位騎士の徽章をつけた男が荷物持ちをしているのが珍しいのか、それとも、アリアを見ているのか。
「そうだわ。忘れていた」
「何をだ」
「外套よ。私たちの――天聖隊の外套」
言われてみればそうだ。俺は学校を出てから、適当な外套を纏っていた。対してアリアは、今も閃光星将の白地に四芒星を羽織っている。
「部隊には外套が要るか」
「そうよ。遠くから見ても、あれは天聖隊だと分かるように」
アリアの目が輝いている。こいつがこういう顔をするのは珍しい。
「今から作りに行きましょう」
連れていかれたのは、王都でも一等地に構える店だった。看板は小さいが、扉の造りが違う。中に入ると壁一面に反物が並んでいて、老いた男が一人、机に向かって針を動かしていた。
「アリア様。おや、今日はお一人ではないのですな」
「ご無沙汰しております。実はお願いがあって参りました」
男が針を置いて顔を上げる。細い目が俺の全身を素早く撫でた。
「……なるほど。こちらの方の」
「二着、お願いしたいのです。新しく興す部隊の外套を」
男の目がまた俺を見る。今度は徽章のあたりで止まった。
「上位騎士様が部隊を?」
「事情は申し上げられません。ただ、間違いなく正式なものです」
男はしばらく黙ってから、静かに頷いた。
「承知いたしました。では、どのようなものを」
そこから先が長かった。色を選び、丈を決め、裏地を決め、留め具の形を決める。俺には正直、何が違うのか分からないものが多い。だが、こいつは違った。
「ソラ、こっちとこっち、どちらがいい?」
俺が選ぶと、アリアが嬉しそうに笑って、その布を脇へ寄せる。こういうやり取りが延々と続いた。不思議なことに退屈ではなかった。剣を振っているわけでもなければ、強くなるわけでもない。ただ布を選んで、形を決めているだけだ。
なのに、こいつが隣で「こっちの方が」と言うのを聞いていると、時間が過ぎるのが妙に早かった。
悪くない――こういう時間を俺は知らなかっただけかもしれない。
「紋章はどういたしましょう」
仕立屋の言葉に、アリアが俺を見る。
「ソラ、何か考えはある?」
なんとなく、頭にあった。
俺はそれを下手なりに言葉にする。話しているうちに何度もつっかえて、身振りが増えて、自分でも何を言っているのか分からなくなる。それでも、アリアは頷いていた。やがて炭を取って、紙に線を引き始める。
「……こういうこと?」
覗き込んで、俺は目を見張った。
「そうだ! それだ!」
「よかった」
アリアが仕立屋に紙を渡す。老人はそれを受け取ってしばらく見つめてから、目を細めた。
「これは……よろしいのですか。この意匠は、その……」
「ええ。承知の上です」
「……かしこまりました」
何の話か分からなかったが、こいつが承知しているなら問題ない。
「生地は一番いいものを使ってくれ」
俺が言うと、仕立屋の眉が上がった。
「一番、と申しますと」
「一番だ。この店で一番いいやつ。いくらだろうと構わない」
これは譲れない。剣も、稽古も、目指す場所も、俺は一番しか見てこなかった。天聖隊の最初の一着を、二番目で済ませる理由がない。
アリアが小さく息を吐いて、それから諦めたように笑う。
「……そうよね。あなたはそういう人だった」
そして、仕立屋に向き直った。
「では、最上のものでお願いします。金額は問いません」
「かしこまりました……ただ、一つ、申し上げにくいことが」
「なんでしょう?」
「他のご注文が立て込んでおりまして。この仕上がりですと、十日は頂戴したく」
十日では間に合わない。三日後には、王都を発つのだから。
「十日じゃ間に――」
「ソラ、待って」
アリアが俺の手を引いて、深く頭を下げた。
「無理を承知で申し上げます。三日で仕上げていただけませんか?」
「アリア様。私はあなた様には随分と目をかけていただいておりますが、これは腕の問題ではなく、手の数の問題でして」
「承知しております」
アリアは頭を上げないまま、続ける。
「この外套は、二人しかいない部隊の最初の一着です。これを纏って山へ登りたいのです」
店の中が静かになる。
やがて、老人が長い息を吐いた。
「……まったく」
針山から針を一本抜いて、指先で弾く。
「弟子を叩き起こすことになりますな。三日後の朝に。それ以上は、この老いぼれには無理でございます」
アリアが顔を上げた。目が潤んでいる。
「ありがとうございます……!」
「なんの。アリア様に頭を下げられては、断れる者などおりませんよ」
老人が肩をすくめて、俺を見る。
「若いの。良い方をお連れですな」
「俺は一番が好きだ」
それだけ答えると、なぜかアリアが真っ赤になって、俺の背中を叩いた。
♢
店を出て、買い出しに戻る。日用品を揃えながら、アリアがふと口を開いた。
「ねえ、ソラ? 天聖隊、誰を入れるつもりなの?」
考えていなかったわけじゃない。
「まだ決めていない。ただ、条件はある。俺についてこられる奴だ」
「それ、ほとんどいないと思うわ」
アリアが苦笑する。
「そうかもしれない。ただ、妥協はしない」
三日で辞めていった連中の顔が浮かぶ。誰も悪くない。ついてこられなかっただけだ。
「でも、いるだろう。少しは」
「私ね――」
アリアが何か言いかけた、その時だった。
「――見つけたっ!」
通りの向こうから聞き覚えのある声が飛んできて、人混みをかき分けた薄緑の髪が、俺たちの前で止まる――ネイだ。息を切らしている。
「あんたら、どんだけ歩き回ってるんだい! 朝から探してるんだよ!」
「何かあったのか」
「あるに決まってるだろ!」
ネイが息を整えて、それから背筋を伸ばした。いつもの砕けた調子が消えている。
「ソラ。アタイをあんたの第十一軍に入れてほしい」
通りの喧騒が、少しだけ遠のく。
「セフィーラ様がラウディアに戻るって言い出したのさ。それも、セフィーラ様だけはランダールに寄る、ってね。ランダールに行くってことは、有角馬だ。有角馬を欲しがってるのは、あんたしかいない。なら、あんたが乗るために行くんだろ?」
得意げに胸を張っているが、その手が少し震えている。
「……アリア」
「ええ」
俺はアリアと顔を見合わせる。言葉は必要なかった。こいつはもう頷いている。
「一つだけ確認する。セフィーラの許可は」
「さっき取った。ソラのところに行きたいって言ったら、好きにしなって」
「……なら、歓迎する」
言った瞬間、ネイの肩から力が抜けた。
「……よかった。断られたらどうしようかと思ったよ」
「なぜ断ると思った」
「だって、アタイは弱いからさ」
ネイが困ったように笑う。
「弓も下から数えたほうが早い。索敵も霧じゃ効かない。氣もまだ形にならない。ラウディアじゃ、ずっとくすぶってた……ソラはしっているだろ?」
ラウディアの酒場でこいつは自分から言っていた。部隊で一番いらないのはアタイだ、と。
だが、その後のことも知っている。俺の擬音だらけの説明に必死で食らいついてきたことも、時間が空くたびに稽古へ来たことも、限界で倒れるまでやめなかったことも。
三日で逃げていった連中と、こいつは違う。
「弱くはない」
「気休めはいらないよ」
「気休めじゃない。弱い奴は三日で辞める。お前は辞めなかった。それに、本来の得物は弓じゃないんだろ? 胸を張れ。お前は強いしできる」
ネイが目を見開いて、それから慌てて顔を背けた。
「……っ、な、なんだよ、急に」
「事実だ」
「だから、そういうところがさ……!」
ネイが片手で顔を覆う。その横で、アリアがなぜか小さく咳払いをした。
「ソラ、そういうことをあまり、他の女の子に言わないで」
「なぜ?」
「いいから」
女の考えることは、やはり分からない。
その足で、俺たちは仕立屋へ引き返した。扉を開けると、老人が驚いた顔で顔を上げる。
「おや。何かお忘れ物で」
「いや。もう一着、頼む」
老人の目が、ゆっくりと丸くなっていく。
「……もう一着、と申しますと」
「同じものを、もう一着。三日で」
「――弟子を、二人叩き起こすことになりますな。アリア様、この貸しは大きいですぞ?」
老人が天を仰ぐ。その隣でネイが「え、なにこれ、何の話?」と目を白黒させているのを、アリアが笑いながら背を押して、寸法を取らせている。
二着が――三着になった。




