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宿星 〜遥か天頂を目指して〜  作者: けん@転生したら才能があった件書籍コミック発売中


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第9話 森の奥

 夜明け前、中庭に全員が集められて点呼が始まる。


 ヴォリトが名前を呼ぶたびに「はい」という声が続いていく。俺の名前は呼ばれない。従士だから当然だ。でも決意は固い。行くと決めている。


 点呼が終わると騎士見習いたちが馬に乗り始めて、ヴォリトが先頭に立って短く号令をかける。蹄の音が重なり、砂塵が夜明け前の空気に舞い上がる。その砂塵が風に溶けて完全に見えなくなるまで、俺はじっと立っていた。


 ――よし。


 踵を返して厩舎に向かおうとしたら、後ろから声がかかる。


「おい、ソラ」


 レオだ。隣にもう二人、同じ従士の顔が並んでいる。


「やめとけ。従士が勝手についていったら規則違反だ」

「わかってる」

「わかってて行くのか?」

「ああ」


 レオが眉をひそめる。半年前なら喧嘩腰で来ていたくせに、今は本気で心配している顔だ。


「ヴォリト様に怒られるぞ?」

「そうかもな」

「……なんで行くんだ?」

「Dランクの魔物なら俺は半年前に倒してる。見てるだけなんてできない」


 レオが何か言おうとして、口を閉じる。隣の二人も黙っている。俺は構わず厩舎に向かった。


「――せめて死ぬなよ」


 背中にレオの声が飛んでくる。振り返らずに手を上げた。





 半年間毎朝餌をやり続けた栗毛の馬が、俺の顔を見て耳を立てる。鞍をつけて手綱を握ると、馬が静かに従ってくれた。最初に弾き飛ばされたあの頃が嘘みたいで、少しだけ笑えてくる。


 夜明け前の道を駆ける。


 暗い道に部隊の足跡が続いていて、それを辿りながら馬を走らせる。風が冷たい。でも体の中が熱い。半年間、武具を磨いて、馬の世話をして、文字を覚えて、毎晩魔力を枯渇させながら――全部が今日につながっている。クロフォードがどこにいようと、俺は一歩ずつ前に進んでいる。今夜はその成果を試すにはもってこい。早く魔物と戦いたい! そんな思いでくるぶしで馬の腹を両側から「キュッ」と挟み込み、加速させる。


 現場に着いた瞬間、待っていたかのようにヴォリトがこちらを向いた。


 考えてみれば馬の蹄の音なんて、遠くから聞こえていたに決まっている。完全にバレバレだ。ヴォリトは俺を一瞥してから、隣のアリアに視線を移す。


「お目付け役はどこを見ていた」


 アリアが表情を変えずに立っているが、耳の先がわずかに赤くなっているのが見える。


「……申し訳ありません」

「しっかり頼む」


 ヴォリトがそれだけ言って前に向き直る。本気で怒っているわけじゃない、というのは雰囲気でわかる。でもアリアにとばっちりが行ったのは事実で、横に並んだアリアが小声で言ってくる。


「あなたのせいよ!?」

「バレるのは想定外だった」

「想定内よ! 誰でもわかる。馬で来てどうするつもりだったの!」

「足が速い方がいいだろ」

「そういう問題じゃない! 蹄の音がどれだけ響くか考えなかったの!?」

「考えてなかった」

「……開き直らないで!」

「お前が止めればよかっただろ?」

「止めても来るんでしょう、あなたは!?」

「当たり前だ」

「だから止めても無駄だと判断したのよ」

「じゃあ俺は悪くない」

「悪い! どう考えても悪い!」


 ヴォリトが振り返らずに言う。


「二人とも黙れ」


 俺たちは互いの顔を見据え――同時に口を閉じた。





「従士は見ていろ」


 ヴォリトに言われて、「わかった」と答える。

 見るのは当然。ただ、戦闘をしないとは言っていない。


 グリムウルフの群れが現れたのはそれから間もなくのことで、森の茂みが揺れたと思ったら七、八体の灰色の影が飛び出してくる。月明かりに照らされた毛並みが逆立っていて、低く唸りながら間合いを測っている。俺が動こうとした瞬間、騎士見習いたちが四人一組、二チームに分かれて動き出す。


 綺麗だった。


 一人が前に出て注意を引きつけながら、二人が左右から挟み込んで、四人目が崩れた隙に仕留める。言葉も合図もなく、体だけで連携している。グリムウルフが一体沈む。また一体沈む。四人の動きが一つの生き物みたいに流れていく。


 中でもアリアが、際立っていた。


 聖翼纏を纏ったアリアの動きは他の誰とも違う。重力から解き放たれたみたいに軽くて速くて、白銀の光が暗い森の中で輝いている。グリムウルフが向かってくるたびに躱して、反撃して、また躱す。その姿が綺麗で、思わず見惚れそうになったが――すぐに悔しさが勝る。


 俺が動こうとするたびに、もう誰かが先に動いている。割って入れる隙がない。腰の剣を握りしめながら立っているしかなくて、歯を食いしばる。実力の差じゃない。経験の差だ。実戦の回数が違う。それがわかるから余計に悔しくて、奥歯が痛くなるくらい噛み締めながら立っていた。


 最後のグリムウルフが沈んで、騎士見習いたちの間に「終わった」という空気が流れる。肩の力が抜けて、誰かが笑い声を上げて、ヴォリトが短く労いの言葉をかけている。


 でも――俺の体が、何かを拾っていた。


 森の奥の静けさが、違う。風の流れが止まっている場所がある。匂う。グリムウルフの群れとは別の匂い。もっと重い気配が森の奥に潜んでいる。周りの誰も気づいていない。でも俺の体だけが、確かにそこに何かいると言っている。


 まだいる……俺の獲物がそこにいる。





 ヴォリトに告げようとして、でも足が先に動いていた。


 森の奥に向かって歩き出すと、すぐに気配を感じる。振り返らなくてもアリアだとわかる。


「なんでいるんだ?」

「あなたが怪しい動きをしていたから」


 小声でそれだけ言って、アリアが隣に並ぶ。止めるつもりはないらしく、俺も何も言わずに足を進める。


 木々の間が暗くなっていく。夜明けの光が届かない場所まで来ると、足元の草が不自然に踏み固められているのが見えた。何かが通った跡で、最近のもの、しかも大きい。


 アリアが俺の腕に触れて、視線で前方を示す。


 いた!


 草の陰に潜んでいたそれが、俺たちの気配を察してゆっくりと体を起こす。グリムウルフじゃない。一回り以上でかくて、体の表面に黒い鱗が走っていて、節のある六本の脚が地面を掴んでいる。頭部に目が三対、六つ――赤く光っている。腰の部分が不自然に折れ曲がっていて、それがかえって不気味な躍動感を生んでいた。


 ナイトクローラー――Cランク、アリアに習った魔物だ。


 体の奥で何かに火が点く。悔しさも焦りも全部燃料になって、腹の底からじわりと熱が広がってくる。テトラボアより上、グリムウルフの群れより遥かに重い存在感。それでも退く気には、一切なれない。


 腰の剣を握り直す。半年間毎日手入れを続けてきた剣で、刃の光り方も重心の位置も、もう体に染み込んでいる。隣でアリアが静かに息を吸う。


「――【聖翼纏サンクト・エンチャント】」


 白銀の光がアリアの全身を包み始めた瞬間、六つの赤い目が俺たちを真っ直ぐに捉える。


 ――来る。

 上等だ。半年間の修行の成果、お前にぶつけてやる!


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