第10話 目覚め
六つの赤い目が、俺たちを捉えていた。
ナイトクローラーがゆっくりと体を低くして、腰折れした体が地面に這うように構えを取る。テトラボアも目があちこちを向いていて気味が悪かったが、こいつはその比じゃない。六つの目がてんでばらばらに動いていて、どの目が俺を見ているのかすらわからない。あの時とは別種の不気味さが、腹の底を撫でてくる。
――来る。
最初の一撃は、真横から。
踏み込んだ瞬間、視界の外から衝撃が来て体が浮く。六本の脚のうち、死角に入っていた二本が地面を蹴っていたのだと気づいた時にはもう遅くて、背中から木の幹に叩きつけられていた。
い、いてえ……どこか折れたか? 腕は――動く。脚も――動く。剣も――握れる。ただ頭がぼうっとして、背中の痛みが遅れて追いかけてくる。魔力を纏っていなかったら間違いなく死んでいたな。
「どこか怪我は!?」
アリアの声が飛んでくる。
「頭がおかしくなった」
「そう、それは元からだから大丈夫ね」
こいつ、終わったらぶん殴ってやる!
そう思う間にもアリアは聖翼纏を纏って踏み込んでいて、ナイトクローラーの顔面に剣を叩きつけている。白銀の光が弾けてナイトクローラーの首が揺れた隙に、俺は立ち上がって間合いを取り直す。背中が熱い。血が出ているかもしれない。でも動ける。動けるなら戦える。
「無茶な踏み込みをしないで。まず動きを見て!」
「見てる」
「見えてないから吹き飛ばされたんでしょう!」
「次は見える」
二度目の踏み込みは、正面から。
剣に魔力を流し込んで全力で叩き込む。手応えはあった。だがナイトクローラーの鱗がそれを受け止めて、刃が滑る。テトラボアとは次元が違う硬さで、衝撃が手首から肘まで突き抜けて剣が止まった。その一瞬の硬直を見逃さず、尻尾が横から薙いでくる。受け身を取る暇もなく、もう一度地面を転がる。
口の中に土の味が広がる。左の肋骨のあたりが嫌な音を立てた気がするが、折れてはいない。たぶん。
――それなのに、笑えてくるのは何なんだろう。
体の奥底でじわりと熱いものが広がっていく。痛い。全身が悲鳴を上げている。それなのに血が沸き立つような感覚が止まらない。ナイトクローラーの重圧が、六つの赤い目の禍々しさが、鱗に弾かれるたびに骨まで響く衝撃が――全部が、たまらなく面白い。こいつはテトラボアより遥かに強い。今までの相手とは格が違う。だから俺の全部を出し切れる。出し切っても足りないかもしれない。それが、どうしようもなくワクワクする。
立ち上がりながら、体で覚えていく。六つの目の動きと脚の連動。腰折れした体の重心が移る瞬間。六本の脚のどれが次に動くか、その予兆は必ず目に出る。一つ一つが繋がっていく。まだ全部は見えない。でも輪郭が掴めてきている。
アリアが聖翼纏の速さを活かして側面に回り込み、ナイトクローラーの脚の付け根に剣を叩き込んでいく。一撃一撃は浅い。でも確実に削っている。俺が正面を引きつけて、アリアが側面を削る。言葉を交わさないまま、最初はバラバラだった動きが少しずつ噛み合い始めていた。
「左から来る!」
「見えてる!」
左から来た脚を剣で弾いて、その反動でアリアに向かっていた尻尾の軌道がずれる。アリアが躱して、すぐに反撃に入る。息が合ってきている。
でも――鱗が崩れない。
どれだけ叩き込んでも致命傷を与えられない。アリアが削り続けても、俺が打ち込んでも、ナイトクローラーは怯むだけで沈まない。体力が先に削れていく。腕が鉛みたいに重くなって、踏み込むたびに左の肋骨が軋む。視界の端がちらつき始めている。このままじゃ、先に俺たちが潰れる。
♢
四度目に吹き飛ばされた時、体が地面から起き上がるまでに、初めて間が空いた。
腕を突いて起き上がろうとして、肘が折れそうに震える。背中から流れた血が地面を濡らしている。左の肋骨は完全にいかれていて、息を吸うだけで刃物を突き立てられたみたいに痛む。視界が二重にぶれて、足の感覚が遠い。
――それでも……どうしても口元が緩む。
こんなに全力を出して、こんなに追い詰められて、こんなに体がボロボロになったのは初めてだ。怖いはずなのに、体の芯が燃えている。ここで負けたら終わりだとわかっているのに、腹の底から湧き上がってくるこの感覚が止まらない。
――もっと戦いたい。
――もっとこいつの強さを知りたい。
――もっと自分の全部をぶつけたい!
立ち上がろうとした、その瞬間だ。
視界の端にアリアが映る。聖翼纏の光が揺れている。戦いの中で一番近くにいた俺にはわかる。白銀の光がちらちらと明滅して、動きが目に見えて鈍くなっている。
ナイトクローラーがそれを見逃さない。
六本の脚が地面を蹴って、全体重がアリアに向かっていく。六つの赤い目が一斉にアリアを捉えた瞬間、俺の中で何かが弾ける。
体が先に動いている。
肋骨が軋む。背中が裂ける。視界がぶれる。全部無視して、考える前に踏み出して、アリアとナイトクローラーの間に割り込む。剣を構えた腕に、化け物の全体重が乗った突進が叩きつけられる。足が地面を削りながら後退して、腕の骨が折れるんじゃないかと思うほどの衝撃が全身を貫いた。
「――離れて!」
アリアの声が遠い。聞こえているけど、聞いている場合じゃない。
こいつを通すわけにはいかない!
こいつがアリアに触れるのを、俺は絶対に許さない!
理屈じゃない。
損得でもない。
体の奥底から、魂ごと燃え上がるような衝動が噴き出してくる。
ただ守りたい。
この背中の向こうにいるやつを、何があっても守りたい!
その一心が体中の血を沸かして、枯れかけていた魔力の底のさらに底を叩く。解き放たれる感覚がある。テトラボアの時に一度経験した、あの感覚。だが今回は比べ物にならない。
今の感覚に比べると、あの時は蓋がゆるんだけ。今は蓋ごと粉砕されて、奥の奥に眠っていた何かが堰を切ったように溢れ出してくる。
魔力が形を求めて暴れている。
言葉を求めて叫んでいる。
俺の中の全部が、今この瞬間に解き放たれようとしている!
言葉が、勝手に口から溢れた。
「天翔纏――!!!」
刹那――金色の光が爆発した。
全身を包むなんてものじゃない。
体の内側から光が滲み出して、皮膚の一枚一枚から噴き出して、俺ごと金色に燃え上がっている。今までとは違う。もっと根本的な何かが書き換わっている。重力が半分になったどころじゃない。体が信じられないくらい軽くて、視界が嘘みたいに澄んで、世界が遅く見える。
肋骨の痛みが消えた。背中の傷が塞がったわけじゃないのに、痛みを感じない。腕の痺れもない。全身に満ちた金色の魔力が、傷も疲労も全部無視して体を動かしている。
六つの赤い目の動きが――全部見える!
どの目がどこを向いていて、次にどの脚が動くのか、全部わかる!
さっきまでまるで読めなかったナイトクローラーの動きが、手に取るように見える。踏み込む。さっきまでと動きが全然違う。ナイトクローラーが反応しようとして、でも間に合わない。剣を振り下ろすと、今まで弾かれ続けていた鱗に初めてちゃんと刃が入って、黒い欠片が散る。ナイトクローラーが後退して、六つの目が初めて恐怖の色を浮かべた。
――怯んだ。お前が、俺に!
後ろでアリアが静かに息を吸う音がする。
「――【聖光癒】」
白銀の光がアリアの傷を包んで、【聖翼纏】の詠唱が続く。回復して、すぐに戦線に戻ってくる。俺の金色とアリアの白銀が、暗い森の中で重なり合う。
「動きを止める! その瞬間に叩き込んで!」
「わかった!」
それだけで十分だ。
アリアが聖翼纏を活かした速さで背後に回り込んで、ナイトクローラーの六本の脚を立て続けに払う。体重を支えられなくなったナイトクローラーの動きが一瞬完全に止まる。その瞬間を逃さない。天翔纏を纏ったまま全力で踏み込んで、鱗の継ぎ目に剣を叩き込む。金色の光が鱗を砕いて、ナイトクローラーの巨体が大きく揺れる。
もう一撃。
残った魔力の全部を右腕に集めて、最後の一撃を叩き込む。金色の光が鱗を貫いた瞬間、ナイトクローラーの六つの赤い目から光が消えて、地面を揺らしながら沈んでいった。
天翔纏が解ける。魔力が完全に尽きて膝が地面に落ちる。左の肋骨の痛みが一気に戻ってきて、視界が暗転しかける。息を整えようとして、整わない。体中が鉛みたいに重くて、指一本動かすのがやっとだった。
♢
ヴォリトたちが駆けつけてきたのは、それからすぐのことだ。
沈んだナイトクローラーと、膝をついた俺と、隣に立つアリアを見渡して、ヴォリトが静かに口を開く。
「無事か?」
「問題ない」
俺が答えると、アリアが横から言ってくる。
「問題だらけよ。私を庇おうと無茶な割り込みをして、肋骨にひびが入ってて、背中から血を流して――それで問題ないって、どういう神経をしているの」
「庇ってない。邪魔だったから退かせただけだ」
「嘘をつかないで! あの動き、完全に庇いに来てたじゃない!」
「そう見えただけだ」
「そう見えたんじゃなくて、そうだったでしょう!」
アリアの声がいつもより高くて、少し震えている。心配していたんだろう、というのはわかる。でもそれを認めたら負けな気がして、俺は黙って視線を外す。
ヴォリトが俺を見て、それからアリアを見て、静かに言う。
「二人とも、後で話がある」
その一言でアリアが口を閉じる。ヴォリトの「話がある」は怒っているというより、何かを伝えようとしている時の顔だ。何を言われるのかはわからないが、今は膝をついたまま立ち上がれない体の方が問題だった。
「【聖光癒】」
白く細い手が白銀の光を纏い、俺の肋骨に触れる。
痛みはやわらぎ、呼吸するのが楽になる。
「魔力が戻ったら、しっかり癒やしてあげるから」
ぶん殴るのはやめておこう。
♢
帰り道、馬の上でアリアが小声で言ってくる。
「天翔纏――あれが、あなたの魔法?」
「そうらしい」
「らしい、って」
「自分でもわからない。口から勝手に出てきた」
アリアがしばらく黙る。馬の蹄の音だけが暗い森の道に響いている。
「……聖翼纏と似てるわね。体を強化する魔法」
「かもな」
ただ、違うところもある。天翔纏は全部が見えてくる感じがした。ナイトクローラーの動きが、さっきまで読めなかったのに、全部わかるようになった。聖翼纏にはそれがきっとない。
アリアがまた黙る。今度はさっきより長い。
「……覚えておいて。あの魔法は今日初めて出てきたもの。まだ安定していないはずだから、次に使えるとは限らない」
「わかってる」
「わかってないでしょう、どうせ」
「わかってる」
ため息をつくアリアの横顔に、木々の隙間から差し込む月明かりが落ちている。怒っているのか、心配しているのか、どっちもなのか。
腹の底に、確かな手応えがある。天翔纏が使えた。あの金色の光に包まれた瞬間、体も視界も何もかもが変わって、ナイトクローラーの鱗を砕けた。まだ一回だけで、次に使えるかどうかもわからない。でもあの感覚は嘘じゃない。俺の中に、確かにあの力が眠っている。
――待ってろよ、クロフォード! 天翔纏を極めて必ず追いついてやる!
この作品をここまで読んでいただきありがとうございます。
投稿する前は長文タイトルだったのですが、書き進めるにあたって硬派な作品にしたく、『宿星』にしました。
続きが気になると思っていただけるのであればブクマ、★★★★★をお願いします!
よろしくお願いします!!!
追記
ごめんなさい。予約投稿間違えましたw




