第84話 変わらぬ二人
「アリア様、この男は一体っ!?」
アリアに仕えていた騎士が、アリアの背後から俺を睨む。
「ソラよ」
「ソラ……位は私と同じく騎士のようですが……」
「ええ、今はね。ブランドン、今日はもういいわ。ソラと話したいこともあるし……」
「しかし、私はシャーレ様にアリア様の警護をしろと言われて――」
「大丈夫。シャーレ様もソラであれば安心とおっしゃるはずだから。ソラ、行きましょう」
アリアが歩き出したので、俺はその隣に並んだ。
背中に視線が刺さっている。振り返らなくてもあのブランドンとかいう騎士のものだと分かった。何かを堪えるような、粘つく視線。多分、この先アリアの隣に立つのであれば、ずっと浴びるであろう視線だ。
俺たちは何も喋らないまま歩いた。どこへ行くのか、こいつは言わないし、俺も訊かなかった。訊く必要がなかったからだ。
やがて、見慣れた石壁が現れる。
白い石壁に金の装飾。その近くに七つの星を象った旗――ステラ星煌学校だ。
門をくぐると、学生たちが不思議そうにこちらを見て、アリアに気づくと慌てて道を空けた。ただ、何人かは俺を恨めしそうに見ている。
そのまま奥へ進んで、開けた場所に出る――校庭だった。
あの頃と何ひとつ変わっていない。ここで毎朝、剣を振った。最後の一か月だけは俺が勝ったが、いつもこいつが先にいた。
アリアが立ち止まって、こちらを向く。
その頬に日が当たって、銀の髪が揺れると、髪留めが小さく光った。ナイトクローラーの髪留めだ。俺が作ったあの黒くて不格好なやつ。こいつはまだ着けている。
アリアは校庭の隅に置いてあった木剣を手に取る。
俺も背中に手を回す。アリアが礼だと言って寄越した、白銀の鞘。そこから木剣を抜いた。握りだけが黒くすり減ったクロフォードの木剣を。
構えるとアリアも構える。互いに一言も発しない。
「――」
同時に踏み込んだ。
木剣が噛み合って、乾いた音が校庭に響く。
膂力は俺が上。速さは重りをつけた俺と互角。剣技は――アリアだった。
シャーレ仕込みの刺突に対応できない。一年半前の突きも鋭かったが、今の突きはそれを遥かに凌駕する。こいつがずっと剣を握り続けていた証拠だ。
打ち込む。いなされる。返される。半歩下がってまた踏み込む。
楽しい――同じ域の奴と打ち合うことがこれほど楽しいなんて。こんな感覚いつ以来だと考える……やはり、一年半ぶり。最後にこいつと剣戟を結んだ時以来だ。
どれくらい打ち合ったか分からない。最後は俺の一撃がアリアの木剣を跳ね上げて、空へ舞ったそれが土の上に落ちて終わった。
「……やっぱり」
アリアが少し息を切らしながら言う。
「勝てないわね」
「技はお前の方が上だ」
「あなた、また速くなったでしょう」
「魔法を使えばお前の方が速い」
俺は木剣を下ろして、そのまま地面に座り込む。アリアも隣に座って、膝を抱えたまま、荒い息で空を見上げた。俺の肩にちょこんと頭を乗せて。
やはり、こいつに触れられると、そこから熱が伝わってくる。
本能で喜んでいるようで――悔しい……けど、離したくない。
しばらく、何も言わなかった。言うことは山ほどあるはずなのに、何から言えばいいのか分からない。ただ、隣にこいつがいる。それだけで、腹の底の何かが熱くなっては冷めていくのが分かった。
この一年半、俺はずっと一人で剣を振ってきた。それが当たり前だと思っていた。どこにも属さないと決めたのは俺だ。
でも、こうして一緒に訓練をして、高め合い、並んで座っていると、どうしようもなく分かってしまう。
――やっぱり、こいつには隣にいてほしい、と。
♢
剣を片付けると、アリアがリオンに会っていってと言うので、俺たちは校舎の方へ向かった。
貴族科の校舎は騎士科とは造りが違う。彫刻の施された石壁。柱にも細かい彫りが入っていて、金がかかっているのが素人目にも分かった。
中庭に出ると生徒たちが数人木陰で本を広げていた。その中の一人が顔を上げた。
「姉様?」
背が伸びて、声も低くなっていたが、顔つきは覚えている通りだ。
「リオン。少しいいかしら?」
「え、なんで――」
言いかけたリオンの視線が、俺に移って止まった。
「……ソラさん」
「ああ」
リオンが立ち上がる。膝の上の本が落ちたのにも気づいていない。
「お久しぶりです。あの、東の方に行かれていたと聞いていましたが」
「今日、戻った」
「そうですか……」
リオンの目が俺とアリアの間を往復していた。
俺たちは別に変わったことなど何もしていない。ただ並んで立っているだけだ。なのにリオンの表情がみるみる変わっていき、驚きが納得に変わって、最後には妙に生ぬるい笑みになった。
「……姉様」
「なに?」
「何も僕には話してくださらないんですね」
「な、なんのこと?」
「いえ。分かりましたので、結構です」
アリアの顔が赤くなる。俺には何が起きているのか分からない。
「リオン、あなたね――」
「僕はずっと言っていましたよね。姉様は鈍いので傍でよろしくお願いします、と」
リオンが俺を見て、深く頭を下げた。
「改めて、お願いします」
言っていることの半分も俺には分からない。
だけど、半分は伝わってきた。
「任せろ」
♢
門に戻ると、ちょうど傭兵団の検分が終わったところだった。
「――だから、あんたたちは案内が必要でしょ。アタイが連れてってやるって言ってるんだよ」
ネイがバルトとプリシラを相手に何か言い合っている。
「案内はありがてぇけどよ、飲み屋の一軒くらい教えてくれても――」
「昼間っから飲む気かい」
「たしなみだろ!」
こっちに気づいたバルトが手を振ろうとして固まった。俺の隣を見ている。
「…………」
「…………」
バルトの口がぱくぱくと動いた。
「え、あ、あの、その方は……」
「アリアだ」
俺が言うと、アリアが会釈する。
「はじめまして。アリア・セレスティアと申します」
その一言でバルトが凍りつき、ネイが盛大に噴き出した。
「あははっ! いい顔だねぇ、バルト! 言っただろ、ソラには相手がいるって!」
「い、いや、聞いてたけど! 聞いてたけどよ! 門でも見たけど、実際こうも見せつけられるとよぉ!」
バルトが両手で頭を抱える。
「なんでだよ! なんでこいつなんだよ! 娼館にも行かねぇ、酒も飲まねぇ、女の話にも乗ってこねぇ男がなんでこんな――!」
やかましい奴だ。
そのバルトの隣で、プリシラは何も言わなかった。じっとアリアを見て、それから俺を見る。俺は特に何もしていない。ただ、隣に立っているだけだ。
プリシラの視線がまたアリアへ戻る。
小さく、息を吐く音がした。
「……そっか。やっぱり敵わないや」
それだけ言って、プリシラは笑った。少しだけ無理をした笑い方だった。
「はじめまして、プリシラです。傭兵団の怪我をいつも治してます。たまにですがソラさんの怪我も」
「まあ、それは……ありがとうございます」
アリアが深く頭を下げる。
「この人、無茶ばかりするでしょう」
「……はい。もう、本当に」
「困ったものよね」
「困ったものです」
二人が顔を見合わせて、なぜか同時にため息をついた。何の話だ?
「ちょっと待て、なんで意気投合してんだよ!」
「バルトはうるさい」
結局、五人で王都を回ることになった。案内役は王都に住むアリアだ。
向かう先は仕立屋。明日に控えた論功行賞で着る服を探すために。
前にもこんなことがあった。確か、氷刻星将の部隊に行くときのことだ。あの時も今みたいにアリアが上着を俺の体にあてがっていたが、今回は気合が違う。
「陛下の御前に出るのだから、ちゃんとした服装にしないと」
「このままでいい」
「だ~め。私まで恥をかくもの」
「なぜお前が恥をかく?」
「そ、それは……いいからソラは黙って立っていなさい」
そんな俺たちを、三人が見て笑う。
「剣を持たせれば鬼神の如しなのに、アリアの前ではかわいいもんだねぇ」
「くっそぉ! 見せつけやがって! プリシラ! 俺たちも見せつけるぞ!」
「なんで私の相手があんたなのよ!」
どこに行ってもやかましかった。
♢
その夜、俺は宿を抜け出して、また学校の校庭にいた。しっかりと許可は取ってある。誰もいない。あるのは月明りだけ。木剣を構えて、素振りを始めた。一年半、毎晩一人でやってきたことだ。何も変わらない。
――変わらないはずだった。
背後で砂を踏む音がして、振り返らなくても誰か分かった。
「来ると思ったわ」
アリアが木剣を提げて立っている。
「お前もな」
「そりゃあ、来るわよ。あなたがここを去ってからも、毎日ここで剣を振り続けているもの」
こいつが正面に立って、構えた。昼と同じで何も喋らないまま、木剣がぶつかる音が月明かりの下に響き始める。
「ソラ、あと……あと半年……」
半年というのが何を意味するのかすぐに分かった。
リオンがこの学校を卒業するのがあと半年。そして、シャーレとの約束で二年間第一軍に属する期間――それも、あと半年。
「そしたら……私――」
言いかけたところで、俺が言葉を遮る。
「アリア、半年後。お前を迎えに来る」
「――っ!?」
瞬間、アリアの瞳から涙が伝う。
恥ずかしくて、喉が焼けそうで、顔が溶けそうだった。
でも、俺が言わなければならない気がした。
この前はアリアからだった。
だから、今度は俺から――。
アリアにゆっくりと近づく。近づくたびに、アリアの優しい香りが漂ってきた。
目の前に立つと、アリアの細い顎に触れ、優しく持ち上げる。
アリアは手にしていた木剣を手放し、瞳を閉じた。
顔を近づける。
また、最初に鼻先がぶつかって、
どちらからともなく顔を傾け、口づけを交わした。
「……相変わらず、下手くそね」
一瞬の口づけの後、アリアは耳まで真っ赤にしながら俺の胸に顔をうずめる。
「悪かったな」
「……でも、上手くなってなくてよかった」
「お前もな」
星が俺たちの再会を祝福するかのように、夜空から照らし続けていた。




