第83話 王都へ
二か月後――
国境はすっかり静かになっていた。
妖霊呪将ユウゲン・レイスが死んだからだけじゃない。キリトの部隊は上位の者を何人か失っている。あの戦で俺が斬った黒装束の中に、名のある奴が何人か混じっていたらしい。妖霊呪将の部隊も同じだ。セフィーラたちが逃げ遅れた者たちを根こそぎ討ち取っている。
呪国は二人の呪将のうち一人を失い、部隊の骨を折られている。疾風星将の部隊が国境一帯を制圧するのに大した時間はかからなかった。今では兵が悠々と巡回している。霧は一度も出ていない。
そして先月、呪国から使者が来た。
「一年の停戦だとさ」
セフィーラが屋敷の縁側で茶を啜りながら言った。若い姿だ。
「向こうから頭を下げてきたんだよ。何十年ぶりだろうねぇ」
「受けるのか」
「そりゃあ受けるさ。ただし、ただじゃ受けない」
セフィーラが、湯呑みを置く。
「見返りを何にするか、今、王都で揉めてるところだよ。宰相とシャーレとそのあたりがね。金を取るか、土地を取るか、はたまた別の物か。まあ、あたしらの与り知らんところで決まるさ」
国境の停戦だの、見返りだのという話になるのかは、分からない。分からないからなるほど、と思っておくことにした。これを積み重ねた結果が、この前の戦で白装束が魔法で創られていると自力で辿り着いたことだ。分からなくても考えることは無駄じゃない。
「で、あんたは王都だ」
「王都?」
「論功行賞だよ。大将首を取ったんだからね。陛下の御前に出ることになる」
セフィーラがにやりと笑った。
「あたしも行くよ。ヴァーグナーの傭兵団もね。うちの部隊からも何人か連れていく」
♢
森都ラウディアを発ったのは、それから数日後のことだった。
街道を隊列が西へ延びていく。有角馬に騎乗したセフィーラを先頭に、疾風星将の部隊が二十騎ほど。その後ろにヴァーグナー傭兵団。荷車が三台。俺はいつものように隊列の脇を走っていた。
重りは着けて、氣も巡らせている。走りながら、体の中で金を回す。零れる量はだいぶ減ったが、まだまだ実戦で使える域じゃない。
「なあソラ、ちょっと休めよ」
馬を寄せてきたのはバルトだ。
「王都まであと八日だぞ。ずっと走りっぱなしじゃないか?」
「休むと鈍る」
「お前なあ……」
バルトが呆れた顔をする。それから、急に目を輝かせた。
「そういやよ、王都ってのはどんなとこだ? 俺は初めてなんだよ」
「人がたくさんいる」
「人がたくさん……ってことは女は? 女はどうだ? 王都の女の胸はでかいか?」
バルトが、両手で何かを持ち上げるような仕草をした。
「胸のでけえ女とか、いっぱいいるんだろうなあ。田舎じゃお目にかかれねえような、こう……ぼんっとした――」
「バルトっ!?」
馬の反対側から、冷たい声がした。プリシラだ。
「あんた、二か月前に死にかけたの、もう忘れたの」
バルトは先の戦で傭兵団の中では一番多く白装束を斬ったという。その分、傷も一番多く受けたそうだ。プリシラが涙を流しながら必死に回復させていたと、ヴァーグナーから聞いている。
「忘れてねえよ! 忘れてねえけど、生きてるうちに楽しまねえと損だろうが!」
「最低」
「なんでだよ!」
プリシラがふん、と顔を背ける。最近、この二人はよくこうしている。
「あー、悪いけどさ」
前からネイが馬を下がらせてきた。
「バルト、あんた勘違いしてるよ。王都にはそういう店はないからね」
「……は?」
「ないんだよ。王都は星国の心臓だ。陛下も星将様方も学校もある。風紀にはうるさいのさ。花街は王都の外まで出ないとない」
「……嘘だろ」
「嘘じゃないよ」
「じゃあ俺は、何のために王都へ……」
バルトが馬の首に突っ伏した。本気で落ち込んでいる。
「褒美をもらいに行くんだろうが」
「金じゃ心は満たされねえんだよ!」
「贅沢な奴だな」
ふと気づくと、俺の周りに人が増えていた。
バルト。プリシラ。ネイ。傭兵団の連中も、何人か馬を寄せてきている。訓練の邪魔になるわけでもないので、放っておいた。
――そういえば。
去年の今頃、俺の隣には誰もいなかった。戦の噂を聞いて走り、間に合わず、また走る。弟子入りしたいと言ってきた奴は、三日と保たずに辞めていく。剣を並べる相手も、稽古につき合う奴もいなかった。
それが、今はこうだ。
悪くない……と思う。
♢
ラウディアを出発して、西の王都へ街道を十日。
やがて、地平の先に灰色の壁が見えてきた。王都セプテルム。
――一年と六か月ぶりか。
最後にここを出た日のことはよく覚えている。あの時のことを思い出すと、腹の底から込み上げてくるものがある。胸がぎゅっとなるのに耐えながら、門へと進む。かなり遠く離れたここからでも、門の前に長い列ができているのが分かる。
「うわ、並んでるな」
バルトがため息をつくと、ネイが説明する。
「王都の誰何は厳しいからね。荷も人もすべてを検める。商人なんかは一日以上も待たされることがあるよ。あんたら傭兵はもっと厳しく調べられる。でも、今回の論功行賞に呼ばれているから、多少の融通は利きそうだけどね。それに比べて、騎士は身分がはっきりしているから、アタイらは素通りだよ。もちろん、ステラ星煌学校の生徒や貴族もだけどね」
俺にとっては見慣れた光景だ。近づくにつれて人の輪郭がはっきりしてくる。二人一組になった騎士が十組、王都へ来る者たちを検めている。
その中で、一組の騎士が目に入った。その二人は他の騎士とは違い、検分に参加していない。
一人は俺と同い年くらいの若い男。閃光星将の外套を羽織り、前に立つ騎士に控えている。
そして、もう一人――銀髪の女騎士。こちらも閃光星将の外套を羽織っている。
特筆すべきは周囲の視線を一身に浴びているにもかかわらず、ずっとこちらを見ていることだ。
気づいたのは、俺だけではなかった。
「おい、見ろよあれ……」
バルトの間の抜けた声がした。
「……うっそだろ。何だあの美人。あんなの見たことねぇぞ」
隊列がざわめいている。傭兵たちだけじゃない。疾風星将の部隊の連中まで、視線がそっちに吸い寄せられていた。
「……綺麗な人」
隣でプリシラが呟く。
「あの美人、こっちを……俺を見てないか?」
「はぁ? んなわけないでしょ?」
「いや、ずっとこっちを見てるだろ」
「バルトじゃないわよ……」
プリシラが女騎士の視線を辿って……俺に着地する。
気づいたヴァーグナーが俺に声をかけてくる。
「ソラ、あたしら傭兵団は時間がかかる。あんたは先に行きな」
ヴァーグナーが顎で門を示した。
「分かった」
俺が歩き出すと、背中からバルトが「ずりぃ!」と言っているが気にしない。
まっすぐ門を――女騎士を目指す。
隊列のざわめきが後ろへ流れていく。何十という視線が集まる中を俺だけが列を離れて歩いていく。
近づくにつれて、心臓の鼓動が速くなる。走ったせいじゃない。
途中、列の中から若い男が一人、女騎士の方へ歩き出そうとした。だが、その斜め後ろに控えていた男の騎士がすっと視線を向ける。それだけで若い男は足を止め、そそくさと列に戻った。あの男はそのためにそこにいるらしい。
しかし、俺は迷わず進む。
一歩、また一歩と近づいていく。
視線を女騎士からその先の門へと移した。
ずっと見ていると思われるのが、ひどく恥ずかしかった。
同時に、女騎士も俺を視界には入れながら、俺の背後を見るように、遠くへ目をやる。
そして、気づく。
女騎士の蒼の双眸に、涙が溜まっていることに。
薄い薔薇色の唇を、真一文字に結んでいることに。
近づけば近づくほど、その小さな肩が震えていることに。
声をかけるつもりはなかった。
立ち止まるつもりもなかった。
なのに――
あいつの……アリアの顔を見ると体が勝手に立ち止まってしまった。
若い騎士が俺とアリアの間に体を入れようとするが、それをアリアが制す。
手を差し出す。
アリアがそっと、その上に白く細い手を重ねた。
――その瞬間だった。
一年半が一斉に押し寄せてきた。
噂を頼りに北へ南へ走って、着いた時にはいつも片がついていた虚しさ。
教えても教えても、弟子が離れていく喪失感。
頭が割れそうな痛みを覚えても、癒やしてくれる手がない絶望。
零れる魔力を掬い集めるように、体の中で金を回し続けた夜。
何より――隣にお前が……アリアがいない日々。
それが、手を重ねたことによってすべて吹き飛ばされた。
心臓が跳ねて、触れている手から、熱が全体に伝わる。
魔力を高速で巡らせるよりも速い。
アリアの手は震えていた。
その震えが俺の手のひらにそのまま伝わってくる。
ああ……そうか。
待っていたのは俺だけじゃなかったのか。
ただ、こういう時、何と言えばいいか分からない。
気の利いた言葉は相変わらず言えない。
だから、たった一言。
「……ただいま」
「おかえり、ソラ」




