第81話 激突
――雨が顔を叩く。
報せが届いてからまだいくらも経っていない。空はもう真っ黒。糸みたいだった雨が、あっという間に太くなっていく。
厩舎の前は、怒鳴り声だらけだった。
「馬は出すな! 脚を折るぞ!」
「有角馬を引け! 乗れる者だけだ!」
引き出されてくる有角馬は、数えるほどしかいない。厩舎にはまだ残っているが、それは霊峰ランダールへ向かった騎士たちの愛馬だ。他の者には懐かない。
「いい面してるねぇ」
振り向くと、セフィーラが立っていた。若返った姿で装飾された弓を担ぎ、深緑の外套が雨を弾いている。
「婆さんも出るのか」
「セフィーラと呼びなって言ってるだろ」
軽口の割に目が笑っていない。
「妖霊呪将が出てきた。ユウゲン・レイス……あたしとずっと睨み合ってきた相手さ。あれが動いたなら、あたしが出ないわけにはいかないよ」
「強いのか?」
「当然だよ。なんせ一人で小国を潰した男だからねぇ」
「一人で?」
「ああ。あいつの兵は不死身さ。恐れを知らない兵を相手にするのは、大変なんだよ。普通、二、三割倒せば相手は引いていくもんさ。でも、あいつが創った兵に恐れはない。死を厭わないんだよ」
妖霊呪将――少し興味が湧く。どんな奴だ?
名前からするに、妖や幽霊を操るのか?
だが、その思考はすぐに遮られた。
「あんたはキリトだ。黒装束を抑えな。白いのはあたしが受け持つ」
「ああ」
「うちの部隊の戦い方は分かっているね?」
「訓練は何度も見ている」
「そうかい。ただ、今回は軍馬を出せないから、歩兵が多数。出撃できる有角馬は二十騎程度。半分はここの守りに割くからね。もし、ソラや傭兵団に余裕があれば、うちの歩兵の面倒も見てやってほしい」
「分かった。任せろ」
俺の返事にセフィーラは満足したようで、自らの部隊の編制へ戻っていった。
♢
国境へ着く頃には雨脚が牙を剥いていた。視界が狭い。目を開けているのがやっとだ。顔を拭っても、拭った端から水が張りつく。足は一歩ごとに泥へ吸い込まれ、引き抜くたびに嫌な音と感触がした。
西の雲の裂け目から光が差し、そのぶん雲の黒さが際立つ。
両軍がその中でぶつかった。先手を取ったのは、言うまでもなく、先頭を駆ける有角馬の騎士たちだ。
「【風刃】!」
「【風刃舞】!」
雨の音で、詠唱を聞き取るのもやっと。それでも、前方で無数の刃が雨を裂き、そこにいるはずの敵兵へ飛んでいく。狙って撃ってはいない。いるであろうと思しき場所へまとめて撃ち込む。
水の膜が切り裂かれ、幾筋もの線になって走った。泥の向こうで白装束が倒れる気配がする。見えなくても間合いに入る前に削れる。相手が足を取られている間に、こっちは何十という刃を撒ける。
さらに、先頭に立つセフィーラが両手を天へ掲げ、魔力を込める。
離れていても分かる。とんでもない魔力の量。それを、一気に放出――
「【大精霊の暴嵐】!」
肌がびりつく。雨の壁の向こうで大気がねじれた。渦が生まれ、膨れ上がり、泥を吸い上げ、雨ごと巻き込んで、天へ届く柱になる。
――でかい。
雨音が掻き消えた。代わりに地の底を擦るような唸りが腹へ響く。
巨大な竜巻が白装束の群れへ突っ込んだ。人が飛ぶ。武器が飛ぶ。渦の内側で何もかもが細切れになっていくのがこの距離でも分かる。
腕に鳥肌が立っている。風圧がここまで届いた。雨の向きが変わる。頬を叩いていた水が横へ引きずられていく。
「す、すげぇ……」
バルトの声が後方から聞こえた。
シャーレの速さともヴォリトの雷とも違う。俺が一人斬る間に、セフィーラは百を薙ぐ。炎獄星将の【炎獄紅牛】も凄かったが、【大精霊の暴嵐】も凄い。これが……星将の力。
これならこっちは大丈夫そうだ。
なら、俺は俺の役目を果たす。
♢
セフィーラたちの戦いを横目に、俺は傭兵団の先頭に立ち、黒装束が展開していた方へと向かう。
――いた。
豪雨の中、セフィーラたちの戦いを見つめる黒い集団が。
白装束の集団みたいに多くはない。数は四、五十といったところ。
奴らは霧も撒かず、ただ戦況を見つめているだけだった。
「ソラ、迂闊に飛び込むんじゃないよ」
背後からヴァーグナーの声。
奴らも俺たちに気づいたようで、黒の集団が形を変える。
鋒矢の陣だ――先頭に立つのはキリト。今日は顔を黒い布で覆ってはいない。
俺たちも同じように、俺を先頭に鋒矢の陣を敷く。
俺と奴の目が合った瞬間、示し合わせたように互いの魔力が膨れ上がった。
奴は乳白色の霧を――俺は金色の霧。
二つが正面からぶつかり合い――金が、乳白色を喰っていく。
「久しいな、小僧。待っていたぞ」
豪雨の中、何を言っているのかよく分からない。だが、口の形がそう言っていた。
「お前の相手は俺だ!」
「いいだろう。俺もお前と斬り結びたかった」
同時――
俺とキリトが互いの間合いへ飛び込む。
刃と刃が噛み合い、雨の膜を突き破って火花が散った。
ただ、この前とは明らかに手応えが違う。
押し返せる。合わせられる。返せる。
俺の方が――速い!
それには理由がある。
この悪天候。互いに足場はぬかるみ、裸眼では視界を得ることすら厳しい。
だけど、俺には【天翔纏】がある。【天瞰眼】ほどではないが、視界は開ける。
しかし、こいつは氣を巡らせているだけ。身体能力は上がるが、視界を得ることはない。
それに――氣の訓練で、体内に魔力を高速で巡らせられるようになった。巡らせた分だけ、放出するときの出力が上がる。纏いの厚みが以前とは違う。
晴天であればまだキリトには届かない。しかし、この悪天候は俺に味方した。
キリトが不利と見るや、一人の黒装束が加勢に入る。だが、足場は泥。視界も利かない。強引な横撃は体勢が崩れていた。
そこに俺が一閃――金閃に首を刎ねられた黒装束はそのまま泥へ崩れ落ちる。
それを見た黒装束たちの足が鈍った。
傭兵団もリッテのことがある。俺とキリトの必殺の間合いには誰も入ってこない。
「小僧、お前の魔力は何なんだ?」
剣を構えたまま、キリトが問うてくる。
「どういう意味だ?」
「俺の霧を撥ね退けて、時には眼を象る……霧にもなり、纏うこともできる、その魔力……何属性だ?」
――撥ね退ける。こいつらからすれば、そう見えるのか。ただ俺自身、自分の魔力をいまいち理解できていない。魔力を喰うというのはなんとなく分かる。でも、すべての魔力を喰うわけではない。
どう答えるべきか躊躇っていると、キリトは霧を解除し、剣を構えなおした。
俺も【天翔纏】にのみ、魔力を注ぐ。
「どちらにしても、小僧――お前は危険だ。今日、ここでお前を殺す」
同時、キリトが踏み込んでくる。
迎え討つ……が、いつの間にかキリトの脇から二人の白装束が現れた。
ここは白装束から斬って――と、思いきや、白装束はくるぶしまで沈む泥濘の上を乾いた石畳でも走るみたいにまっすぐ距離を詰めてくる。
「なっ――!?」
後ろへ跳んで、距離をとる。
この白い奴……おかしい。
と、思った瞬間、背後にいたヴァーグナーの声が震えた。
「まずい……いつの間にか、白装束に囲まれているよ」
一瞬、視線をキリトから外し、周囲を見る。
雨の向こうにぼやけた白が幾重にも連なっていた。数百……下手すれば千。俺と傭兵団はすでに囲まれていた。




