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第80話 黒雲

 一か月後――


 朝もやの中、俺は地を蹴って走っていた。体の中に金の魔力を通す。血の流れに乗せて、指の先から爪先まで。それを保ったまま走る――氣の訓練だ。


「零れてるよ」


 すぐ隣で有角馬ペテスを走らせたセフィーラの声が降ってくる。


 言われるまでもなく、分かっている。立ち止まった状態なら、だいぶできるようになってきた。ただ、こうして走り出すと、数歩で金の粒子が体から零れ、宙に溶けていくのが見える。巡らせるそばから、水が漏れるように逃げていく。


「ソラは魔力が多すぎるんだよ。器がでかいぶん、どこかに穴が空いてると、そこから一気に流れ出る。だから、あんたの【天翔纏ゼニス・エンチャント】は出力が高い。でも氣はその正反対をやるのさ」


 セフィーラが有角馬ペテスの上から苦笑した。


 もう一度、巡らせる。血の流れを意識して、金をそこに乗せる。零さないよう、そっと……だが、そっとやると速さが足りない。氣は高速で巡らせなければ意味がないとセフィーラは言う。ゆっくりではただ体の中に魔力があるだけだ。速く、零さず、膨らませる。


 もともと、魔法の精度はかなり低かった。でも、あいつのおかげで徐々に粗さが取れて、普通の奴以上には制御できるようになっている。ただ、氣に関しては普通以上じゃダメだ。もっとだ。もっと制御しなければならない。


 あいつだったら、簡単にこなせるのだろう。

 そう思うと、悔しい――悔しいから、全力でやっている。

 四六時中、飯を食う時も、寝る時も、ずっと。


 その繰り返しの中で、ふいに一瞬だけ体が軽く――いや、体の中から別の力が生まれた。あまりに突然のことで、足がもつれ、バランスを崩す。その反動で金の残滓が零れたが――


「おっ、今の、掴みかけてたよ。ほんの一瞬だけどねぇ」


 セフィーラが有角馬ペテスの上で身を乗り出す。


「今のが……」

「そうだよ。今の感覚を、忘れるんじゃないよ」

「……今のは突然だった。次は、覚えておく」

「…………」


 一歩一歩でいい。

 俺はいつもそうだった。

 壁にぶつかって、喚いて、突き破って、またぶつかって。





 個人指導はそう長くは続かない。セフィーラの若返りが続く間、という約束だったからだ。氣を巡らせるのは魔力をほとんど消費しない代わりに、ひどく消耗するらしく、熟練のセフィーラですら二、三時間しか持たないという。


 個人指導を終えて、自主練……の前に、一杯水を飲もうと食事処へ向かおうとした、その時のことだった。


「ソラ、お疲れさま」


 プリシラだ。水の入った革袋を差し出してくれる。


「ああ、助かる」


 受け取って喉を鳴らすと、冷たい水が体に染み渡る。


「毎日大変そうだね、氣の訓練」

「まあな」

「でも、少しずつ進んでるんでしょ? 星将様が褒めてたよ」


 プリシラが俺の隣に腰を下ろす。拳一個分の距離。結構、近い。


「あのね。私もソラの――みんなの役に立ちたくて治療のこと、もっと勉強してるの。前線にも行ってみんなの身体を癒やしてあげたい」


 プリシラが何か言いたげに俺を見上げる。その時、プリシラを呼ぶ声がした。


「おーい、プリシラ。あんた、またソラにくっついてるのかい」


 ネイだ。訓練帰りらしく、矢筒を背負い、弓と手入れ道具、それに鞍を提げている。


「く、くっついてないわよ! ってか、ネイの方がソラにべったりじゃん! この前なんか、ソラと手を繋いじゃって!」

「あれぇ? どうしてプリシラが、それを知ってるんだい?」


 うつむいて黙るプリシラ。そんなプリシラに、ネイが笑みを向ける。


「妬くな、妬くな。プリシラもこうすればいいんだから」


 そう言うと、ネイは俺の隣に座り、身を寄せてくる。当然、肩は触れ合い、汗の匂いと体温が伝わってくる。


「ち、ちょっと!? ネイ! 近すぎだよ!」

「大丈夫。プリシラも、こうやってソラに寄りかかって、目を閉じてごらん」

「…………」


 プリシラは少し迷った挙句、ネイと同じようにくっついてくる。

 ……どういう状況だ?

 訳が分からずにいると、ネイが俺から少し距離を取った。


「ソラは真っ直ぐすぎるんだよ。裏がない。強くなることしか考えてない。そういう奴に女は惹かれていくんだ。あんた自覚はないだろ? 天然のたらしだってことに」

「たらし?」

「そう。アタイにも想い人がいるってのにさ。うっかり、ほだされそうになるよ。プリシラ、自分の気持ちを早めに伝えて、踏ん切りをつけるのも手だよ」

「そ、そういうのは……もう少し、ソラのことを知ってから……」


 プリシラが消え入りそうな声で言った。俺の肩に預けた頭を上げようとしない。


「まぁ、それもいいさね」


 ネイが立ち上がって伸びをする。


「焦って伝えて、玉砕するよりはね……ソラは鈍いから」


 プリシラが一つ深呼吸をして、俺の肩から頭を上げる。


「……ネイ?」

「ん?」

「ありがと。少し気持ちが楽になった」


 プリシラも立ち上がり、同じように伸びをすると、二人は顔を見合わせて笑みを浮かべる。とりあえず、ネイがプリシラの悩みを解決したらしいことは分かった。これだけでも、大きな進歩だ。


「ソラ、後で合流するから」

「ソラ、訓練中に怪我したら、すぐに言って。しっかり癒やしてあげるから」


 二人はそう言うと、食事処へと消えていく。

 俺は二人の背中を見送らず、そのまま郊外へと走りに向かった。





 それから、また数日が過ぎた。


 俺はいつものように、氣の訓練を続けている。あの一瞬を追いかけて。立ち止まっていれば、高速で巡らせても零すことはあまりない。ただ、少しでも零せば、袋から空気が抜けていくように、魔力が漏れていく。


 走りながら、何度かあの一瞬が再現されて、コツを掴み始めている。

 ネイも相変わらずだ。少しでも時間が空けば、必ず俺と一緒に氣の訓練。こいつは纏系魔法を使えないから、まだ要領を得ない。それでも、挫けずやっている。


 変わったのはプリシラと――バルトだ。


 木剣を手にしたプリシラは、バルトに教えを乞うた。

 当然ながらプリシラは素人で、脇は甘く、型もできていない。足の運びも、体の使い方も違う。最初こそバルトは茶化していたが、プリシラの真剣な様子を知ると、次第に指導へ熱が入っていった。


「木剣の握りがおかしい!」

「どこがよ!」

「左足が前だ!」

「分かってるわよ! でも、勝手に右足が出ちゃうの!」


 文字通り、バルトはプリシラを手取り足取り指導していく。


「へっぴり腰になってるぞ!」

「なってない! ――ってちょっと!? どこ触ってんのよ、変態!」


 バルトが姿勢を正そうと背後から腰に触れた瞬間、プリシラは勢いよく木剣をひと振りした。


 おっ、いい太刀筋。


 そう思ったのも束の間、まさか反撃されるとは思っていなかったバルトは、まともに木剣を頭へ受け、その場に崩れ落ちた。

 プリシラ自身も当たるとは思っていなかったらしく、慌てて駆け寄る。


「だ、大丈夫っ……!?」


 その場に座り込むと、自分の膝にバルトの頭を乗せ、【聖光癒サンクト・ヒール】で、頭にできたコブを癒やす。


 ――あいつは以前、言っていた。

 膝枕なんて、本当に好きな人にしかしない、と。

 きっと、そういうことなんだろう。


 他の傭兵たちも東の国境に出張り、異常がないかを確かめている。

 あれから、霧は出ていない。もう、キリトは諦めたのかもしれない。


 誰もがそう思っていた頃。ネイと訓練していた時だった。

 国境とは逆――西の空に、黒い雲が見えた。

 同時に斥候に出ていた騎士と傭兵たちがラウディアに駆け込んでくる。


「国境付近に黒装束の部隊と白装束の部隊が展開しております!」


 黒装束がキリトの部隊、というのは分かる。ただ、白装束は?

 と、思ったら、ネイが呟いた。


「妖霊呪将の部隊も一緒か……」


 白装束は、妖霊呪将の部隊だったか。


「セフィーラが呪国は正面から来ないって言っていたが?」

「そうだよ。だから、ずっとこの時を待っていたんだよ」


 ネイが西の空を見上げる。そこにあるのは、黒い雲。

 まさか――


「そう。もうすぐ雨が降る。雨が降れば、路面がぬかるむ。有角馬ペテスは健脚で悪路でも動けるが、軍馬はそうはいかない。つまり、疾風星将部隊の主力は、雨で軍馬が使えなくなり、戦力が半減する。呪国はそのタイミングを狙っていたんだよ」


 西からの湿った空気が、肌を濡らした。


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― 新着の感想 ―
きっと嫁の方はこんな青春して無いのだろうなぁとふと思いました。
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