第79話 氣
「霧幻呪将、キリト・フォグミス」
翌日、俺は泉を渡り、セフィーラの屋敷を訪ねて、キリトのことを報告した。
「聞かない名だねぇ……呪国の呪将は三人。三大呪将と呼ばれてる。あたしが睨み合ってる妖霊呪将と、あと二人。だが、その中に霧幻呪将なんて名はない。前任が死んだが、それとも……誰かと入れ替わったか」
「ただ」と、セフィーラは続ける。
「キリトの師匠には、思い当たる節があるよ。仙人と呼ばれる、氣の使い手だ」
「仙人?」
「そう。呪国にいるにはいるが、国に忠誠を誓っているわけじゃない。ただの流浪人でね。気が向けば、才を見込んだ者に剣を教え込む。そういう気まぐれ者さ。キリトの師匠は十中八九、その仙人だね。だとしたら、キリトはかなり厄介だよ」
「仙人は俺たちに仕掛けてこないのか?」
「来ないね。特にあたしにはね」
「どうして?」
俺の問いに、セフィーラが若い姿で妖艶に微笑む。
「そりゃあ、あたしのことが好きだからさ」
「じゃあ、こっちに取り込めばいい」
「それが厄介なことに、呪国にも好きな女がいてね。仙人の出自が呪国ということもあって、こっちには来ないんだよ」
昨日のキリトの剣を思い出す。すべてを出し切ってようやく五分かそこら。あれで弟子だというなら、師匠である仙人とやらはどれほどのものか……。
「にしても、三大呪将のうち二人があたしんとこに来てる。妖霊呪将とそのキリトだ。増援は来ない。北にかかりきりだからね。うちの星柱たちもランダールから呼び戻すには時間がかかる……厄介なことになったねえ」
「婆さん――」
「セフィーラと呼びな」
「……セフィーラ、手はある」
セフィーラが興味深そうに俺を見据える。次の言葉を待っているようだった。
「俺に氣を教えてくれ」
「…………」
セフィーラが急に黙り込む。
「昨日、分かった。婆さんのお守りを見つけた【天瞰眼】には、頼れない」
あの頭痛を思い出す。纏を解いた瞬間に頭が割れた。あんなものを一対一の最中に喰らったら、その瞬間に殺される。
「あれは切り札だ。短い間しか使えない。次にキリトと会って、じっくり戦われたら――俺は負ける」
言葉にすると、悔しさが込み上げてくる。これが模擬戦なら何度でも挑める。でも違う。これは真剣――殺し合いだ。
十万回負けるまで負けじゃない、などと言ってはいられない。
一回負けたら――死ぬ。
「氣があれば、体に魔力を巡らせられる。纏だけじゃなく、内側から。そうすれば、もっと強くなれる。違うか?」
セフィーラが腕を組んだ。
「でも、あんたは纏系魔法のおかげで、キリトの霧を打ち払っているじゃないか。纏系を捨ててまで、氣に頼る必要はないよ」
「捨てない」
「は?」
「【天翔纏】を纏って、さらに氣を巡らせる」
「そんなことができると思っているのかい?」
「できる。お前もやっているからな」
「…………」
セフィーラが黙り込む。
纏系魔法を使いながら氣を巡らせるのは可能――というのは、知っていた。
なぜなら、ほかならぬこいつが、若い姿のまま【疾風纏】を纏ってみせたからだ。
「難易度は跳ね上がるよ? 纏系魔法も大概だが、氣を巡らせるのも同じくらい難しい。しかも、リスクは氣の方が高い。体内に魔力を通すんだ。一歩間違えば、内側から焼き切れる。それを両方、同時になんて……大陸広しといえど、両手で数えられるほどしかいない。何年――いや、何十年かかるかわからないよ?」
「でもやる。やると決めた」
「…………」
セフィーラはまた黙り――ふっと笑った。
「ちょっと、こっちへおいで」
庭の中央、泉のほとりへ連れていかれた。
「手を出しな」
言われるまま右手を差し出す。セフィーラがその手のひらに自分の手を重ねた。
「魔力を出してごらん。纏う時みたいに」
俺は金の魔力を手のひらに集めた。じわりと金色が滲む。
その瞬間、セフィーラの手がびくりと跳ねた。
「……は?」
目を見開いたまま、俺の手を握って固まっている。
「なんだい、これ……」
そう言いながら、セフィーラは俺の体をぺたぺたと触れてくる。時には襟から手を忍ばせ、直に胸へ触れてくる。
男女でこういうのはまずいというのは知っている。だが、セフィーラにそういう気がないのも知っている。こいつは俺の魔力を探っているだけだ。やがて、俺の腹にセフィーラの両手が触れた。
「あんた……これ、ずいぶん立派な……魔力だねぇ……その歳でこの魔力量は初めて見たよ。シャーレやヒミコと同じくらいあるんじゃないかい?」
「ヒミコ?」
「……こっちの話だよ」
悪い気はしなかった。
若い姿の女に直に腹を触れられているからではない。魔力の多さを認められたからだ。ふいに思い出す。
『お前の魔力、多い気がする』
クロフォードのあの言葉を。そんなことを考えている間にセフィーラが腹から手を離した。何かを考え込むような目をしている。
「もし、これだけの魔力を体に巡らせられたら……纏系を使うよりも身体能力が上がるかもしれない……そして、同時に扱えれば……シャーレと双璧を成す可能性も……」
そして、俺を見据える。
「あんたはあたしなんか、あっという間に追い越すよ」
その声に悔しさも妬みもない。ただ、面白がるような響きだけがあった。
「よし、決めた!」
セフィーラがにやりと笑う。
「あたしが直々に鍛えてやる。この疾風星将セフィーラ・カグラがね!」
♢
こうして俺の訓練が始まった。
星将直々の個人指導だ。
ネイが言うには、普通ならこんなことはありえないという。星将が一人の人間につきっきりで教えるなど部隊の連中が黙っちゃいない。えこひいきだと嫉妬の的になる。
だが、そうはならなかった。
まず、俺は部隊の人間じゃない。傭兵団と一緒に来た余所者だ。誰の出世争いにも関わらない。俺が強くなろうと部隊の誰かの順番が繰り下がるわけじゃない。
それに――昨日のことがある。
国境で助けた騎士たちが部隊に触れ回ったらしい。あの余所者がたった一人で駆けつけて、黒装束を蹴散らし、呪将まで退かせた、と。おかげで俺が街を歩くと、騎士たちが頭を下げてくるようになった。据わりが悪いことこの上ない。
「まず、感じるところからだ」
訓練の最初に、セフィーラはそう言った。
「魔力を纏うのは外に出すこと。氣は逆だ。中を通す。それも高速でね。血が流れてるだろう。あの流れに魔力を乗せるのさ」
「ん? 纏う時も体内に魔力を巡らせて、それから放出しているぞ?」
「は? そんなわけないだろ」
「いや、そうすることで、ぶわぁって勢いよく出る」
「……本気で言っているのかい?」
「嘘をつく必要がない」
「……じゃあ、試しにやってみな。まずは、巡らせるところからだよ」
【天翔纏】を纏う直前の、魔力を巡らせる段階を維持してみる……できる。できるが、魔力が漏れていく。
「ま、マジかい……本当にやりやがった……あんたの魔法の師は誰だい?」
「魔法の師? そんなのはいないが、敢えて言うなら……アリアだ」
「アリア? 初めて聞く名だねぇ……ん? そういえばシャーレのところに、最速で聖騎士に上がったという娘が――」
「そいつだ」
セフィーラが目を見開く。
ただ、本当に敢えて言うならだ。天属性の魔法は俺以外に使える者はいない。だから実際に教わったわけじゃない。高め合っていただけだ。
「まずは第一段階――いや、第二段階まではいっているね。次は魔力を零さずに巡らせてごらん?」
言われた通りにやってみる――が、これが難しい。
魔力が零れてしまう。金の粒子が、宙に溶けていく。
「ソラは魔力が大きすぎる。制御するのが難しいのは確かさ。でも、それができるようにならないと、先には進めないよ」
それから俺は魔力を体内に留め、高速で巡らせる訓練に努めた。
♢
ある時、訓練の合間に聞いてみた。
「呪国と大きな戦になることはあるのか」
ずっと気になっていた。国境でこれだけの小競り合いが続いている。いつか、正面からぶつかるんじゃないか。
「まだないだろうね。正面切っての戦はやらないよ。うちは有角馬や馬の部隊だ。開けた場所で馬に乗り、走りながら射る。霧さえなけりゃ、呪国の連中なんて蹴散らせる。向こうもそれが分かってる。だから、正面からは来ない」
「なら、こっちから攻め込めばいい」
「それができりゃ、苦労しないよ」
セフィーラが苦笑した。
「国境の向こうは呪国の領土だ。あいつら有角馬対策をしっかりしてる。落とし穴、堀、乱杭。馬が走れないように、地面を掘り返してあるのさ。あたしらの強みは開けた場所でこそ。向こうの庭じゃ活かせない」
だから、睨み合いなのか。
「でも、このままこっちが削られ続けると、話が変わってくる。だから、早急に手を打たなきゃならないんだよ」
このままではマズい、ということだけは分かった。
♢
訓練は俺だけじゃなかった。
「アタイにも教えてよ」
俺は別に構わない。教えられるものなら教える。
だが、俺の教え方は相変わらずだった。
「まず、ぶわぁーって魔力を広げるだろ。で、それをぎゅっとする」
「……は?」
「ぎゅっとしたやつを、今度はぐわーって、内側で血に乗せる感じで、ぐるぐるだ」
「待って――全然分かんない」
ネイが頭を抱えた。仕方ない。俺は昔から、言葉で説明するのが苦手だ。頭で分かっていることを、口でうまく伝えられない。
「感覚だ。やってりゃ、そのうち分かる」
「それができりゃ、苦労しないんだよ!」
どこかで聞いたような台詞だ。それでも、ネイは食らいついてきた。俺の擬音だらけの説明に、必死で体を合わせようとする。
一緒に訓練する時間はそこまで長くない。ネイは疾風星将部隊の騎士だ。馬や弓の訓練に、馬の躾もある。自由になる時間はほとんどない。そのわずかな時間を訓練に割いている。こういう奴は嫌いじゃない。あまり体力はないが、それでも自分の限界までやり通す。
「おい、もう帰るぞ」
疲れてぶっ倒れたネイの手を引っ張る。
「あんたねぇ、アタイはこれでも女なんだよ? それに、学校の先輩でもあったんだ。もう少し気遣いな」
「気遣ってるから、手を引っ張ってる」
「いや、そこはお姫様抱っこだろ」
最近は毎日、こいつが体力の限界を迎えるまで付き合ってから帰る。
そんな俺たちを見つめる視線を、ふと感じた。
振り返ると、人影が建物の裏へと隠れる。
誰だ? そう思って向かおうとすると、
「やめときな。誰だか、わかってるから」
ネイが苦笑を浮かべて、同じ方向を見据えた。
「お前に害を成す者なら、早めに手を打ったほうがいい」
「いや、そんなんじゃないから、大丈夫だよ」
こいつがいいと言うならいいか。
そう思い、俺たちは宿へと戻った。




