第76話 一年後の実力
「婆さんがあんたで……疾風星将?」
隣で、ネイが息を呑む音がした。
「ちょっ……あんた、その言い方はっ!? セフィーラ様、申し訳ございません。こいつ、誰に対してもこうで――」
ネイが慌てて頭を下げる。
セフィーラは怒らず、守り袋を襟の内へ戻すと、興味深そうに俺を見ている。
「ネイ、あんた、この子に何も話していないのかい?」
「申し訳ございません。ソラには、何も伝えておりません……というか、魔力を巡らせていないセフィーラ様とお会いしていたことも、知らなくて……」
「考えてみればそうだね。ネイは何も悪くないから、頭を上げな」
ネイが頭を上げるのを待って、セフィーラは俺を見据える。
「あんたには婆さんの顔で会っておいて、今度はこの姿で出てきたんだ。驚くのも無理はないさ。これはね、魔力を体の中に巡らせているんだよ。そうすると細胞が活性化して、若い頃の身体に戻る。人によっては身体能力まで上がるのさ。もっとも、これが結構難しくてねぇ。誰にでもできる芸当じゃないんだよ。呪国ではこれを『氣』を巡らすと呼んでいるのさ」
魔力を――氣を巡らすか……巡らせて纏うことはあっても、体内に留めておくことはなかった。じゃあ俺も巡らせれば、若返るのか? そんな疑問を抱いていると、セフィーラが俺の胸の徽章に視線を移す。
「ソラは騎士かい? ネイは傭兵と言っていたけど?」
「俺は騎士だ。ただ、ヴァーグナー傭兵団と一緒に行動している」
「なぜ星将の部隊に入らなかったのかい?」
「部隊に属すると、戦場を選べないと思ったからだ」
「なるほどねぇ……で? 何の用だい?」
「傭兵団を雇え」
俺の言い草に、ネイが噴く。
「あんた馬鹿ぁ!?」
「団長からの伝言だ」
「もうちょっと言い方ってもんがあるだろっ! セフィーラ様、ソラはこう言ってますが、ヴァーグナー傭兵団の者たちは――」
俺の代わりに、セフィーラを説得しようとしてくれるネイ。
俺はそれを眺めているだけ。最初からこいつにやってもらえばよかった、と思いながら。
♢
「あんたが霧の主を倒す……かい」
ネイの口上をセフィーラが途中で引き取った。口元から笑みが消えている。
「あたしの部隊の兵が何人も――何十人もやられている。中には上位騎士も含まれていた。生きて戻った奴は何も見ちゃいない」
「婆さんの――疾風星将の風魔法でも、吹っ飛ばせないのか?」
「どうだろうねぇ……あたしの見立てでは晴らせるとは思うんだけどねぇ……だけどあたしが出張ると街を守る者がいなくなる。星柱たちは、騎士を連れて出払っちまっててね」
どこに? と、聞く前にセフィーラが続ける。
「有角馬を探しに行ってるんだよ。霊峰ランダールにね」
セフィーラが言うと、島の裏側から一頭の有角馬が歩いてくる。相変わらず大きい……が、馬体も、角も、色が違う。獣人との戦いで見た有角馬とも、シャーレが乗っていた個体とも違う。深い緑だ。
そういえば、シャーレの有角馬も、角だけが他とは違う色に輝いていた。
「有角馬はね、かなりの大食漢さ。懐かせるのも一苦労でね。まず、自分の魔力を喰わせなきゃならない。その魔力が弱くても、こいつに合わなくても、懐きゃしない。かといって、喰わせれば必ず懐くってものでもない。厄介な生き物さ。この角にはね、喰った魔力が溜まっていく。そうして、乗り手の魔力の色に染まるんだよ。もしソラが飼いならせたなら、さしずめ金色だろうね」
「有角馬は、婆さんの部隊の者じゃなきゃ乗れないと聞いたが?」
「基本的にはそうだよ。ま、自力で霊峰を登って、飼いならせるってのなら、承認はしているけどね。そこまで辿り着ける者がいないのさ」
じゃあ、シャーレは……と、言おうとしたが、あいつのことは秘密だった。セフィーラがシャーレの正体を知らないわけがない。でも、ネイがいる。ネイはシャーレが女で、事務員のルミィだということは知らないはずだ。迂闊には聞けない。
「それに、あたしが表立って霧の主に動けば、睨み合っている妖霊呪将の部隊も動き出す。だから、まずは霧の主の正体を暴かない限り、うかつには動けないのさ」
「だから、俺を使え。霧の奴は俺がなんとかする」
「なんとかするねぇ……具体的にはどうするんだい?」
「喰う」
セフィーラの表情が固まった。
「喰う?」
「ああ。俺の魔力は人の魔力を喰う。すでに、そいつと戦っている。俺の魔力は、あいつの霧を喰った」
「ソラ、あんたが戦ったのが、あたしたちの前にいる奴とは限らないんじゃないかい?」
「かもしれない。でも、俺の魔力は人の魔力を喰える。一年半前、封魔の森でそいつと思しき奴と戦った」
セフィーラはしばらく黙っていた。やがて、こちらへ一歩踏み出す。
「ソラ、あんたの力を見せてみな」
「もちろんだ」
セフィーラの右手が、ゆっくりと持ち上がる。
「ネイ。下がりな」
「え、あの、セフィーラ様――」
「下がりな」
ネイが弾かれたように後ろへ跳んだ。
有角馬も、セフィーラの言葉を理解したかのように、裏へ引っ込んでいく。
「ソラ、やってごらん」
セフィーラを中心に、つむじ風が渦を巻いた。
もう右手に魔力が込められているのは明らかだ。
話が早くて助かる!
「【天喰霧】!」
腹の底から魔力を吐き出す。金色の霧が、爆ぜるように広がった。
同時に、セフィーラも詠唱する。
「【風刃舞】!」
無数の風の刃が渦を巻いて、俺を目掛けて殺到する。
だが、どれも届かない。金の霧に触れた端から、音もなく解けて消えていく。
「へぇ……加減はしたが、これほどとはねぇ……やるじゃないか」
言いながら、セフィーラは【風刃舞】の威力をじわじわと上げてくる。やがて、霧の処理が追いつかなくなった。すり抜けた刃が、腕を、頬を、浅く裂いていく。
だったら――
「【天翔纏】!」
さらに金の魔力を纏い、防御を底上げする。
これには、セフィーラも驚く。
「纏系魔法まで使えるのかい……その歳で、とんでもない実力だねぇ」
不敵に笑いながら、なおも【風刃舞】の威力を上げていく。
最初の【風刃舞】は、相当加減していたらしい。【天喰霧】を撒き、【天翔纏】を纏っても、刃はやすやすと俺の肌へ届いた。
「なるほど……ほぼ七、八割程度の【風刃舞】でも、それくらいの傷しか与えられないのかい。もう少し、いいかい?」
「ああ」
「今度はあたしを追いかけておいで。触れられるかい? もし霧の主が呪国の者なら、きっとあたしと同じように、氣を巡らせてくる。あの霧はね、霧そのものだけが脅威なんじゃない。使い手の実力だよ。もし脅威が霧だけなら、あたしの部隊の上位騎士がみすみす殺されるはずがないだろう?」
確かにその通りだ。
いや、今のでようやく合点がいった。俺とアリアが二人がかりでも届かなかった、その理由に。
あいつは、相手の魔力を喰う俺の領域の中で、纏系の魔法も使わず、俺たちと互角に渡り合っていた。あれは――体内に氣を巡らせていたからだ。
「じゃあ、行くさね」
セフィーラが静かに魔法を唱える。
「【疾風纏】!」
同時に俺は【天喰霧】を解いた。
体内に巡らせた魔力には、【天喰霧】は効かない。ならば、霧を撒いても意味がない。だったら、条件を揃える。純粋な速さ比べだ。
疾い――。
ひらひらと、すり抜けるように舞うセフィーラ。
対して、俺の動きは直線的。速さでは負けていない――が、風そのものになったようなセフィーラには届かない。
おもしろい――絶対に掴まえてみせる!
「笑ったね、あんた。【疾風纏】を使えばあたしの部隊の者は皆、諦めるんだけどねぇ。触れられるものなら触れてみな!」
今度は泉の上を舞うセフィーラ。
浮かんで……いる。
そこが安全だと思っているらしい。
だが――
「【天衝脚】!」
金の足場を敷いて、空へ跳ぶ。二枚目を敷いて、水平に飛ぶ。
風を操り、俺から逃げるセフィーラ。巨木の幹を回り込むように流れる、その内側へ、俺は切り込んだ。
「なっ――」
セフィーラの顔が初めて動いた。さらに加速し、泉の上へ跳ぶ。俺も追う。水面へ金を敷き、蹴る。蹴るたび、足場が砕けて光の粒が飛び散った。巨木の枝が視界を流れ、緑の葉が舞う。
速い。この女は速い。だが、追える。シャーレほどではない。
【天翔纏】の出力を最大にして、食らいついていく。
――そして、ついに捉える。
セフィーラがふわりと島へ降り立った、その瞬間。俺は矢のように鋭く着地する。着地の刹那、足元へ金を敷いた。衝撃が光へ逃げて、脚に負担はない。
そのまま地を蹴り、セフィーラへ跳ぶ。
奴は驚いた顔で、【疾風纏】の出力をさらに上げようとした。だが――先に、俺の手が届いた。
むにっ、と柔らかい感触。
夢中だったので、触れる場所までは意識できなかった。
俺が触れたのはセフィーラの頬。婆さんとは思えぬほど張りのある肌だった。




