第74話 森都ラウディア
カミールを発って五日。街道を馬と荷車の列が東へ延びていく。ヴァーグナー傭兵団、総勢五十六名。その隊列の脇を、俺は走っていた。
両の手首と足首、さらに体にも鉛の重りを巻いている。一歩踏み出すごとに腕と脚が地面へ引きずり込まれるが、それでも足は止めない。走りながら木剣を振る。
「よお、今日も元気だなぁ」
馬を横につけてきたのはバルトだ。赤いバンダナが風に揺れている。
「聞けよソラ。この前の夜は最高だったぜ」
「そうか」
「そうかじゃねえよ。お前も来ればよかったんだ。カミール最後の夜だぞ? もう当分あの街には戻れねえってのに」
俺は答えず、剣を振る。
「あの子な、リリって名前なんだけどよ。俺の話をずーっと聞いてくれてな。傭兵の仕事は大変なんですねって、涙ぐんでよ――」
「バルト」
反対側から、もう一頭が回り込んできた。白い髪の女――プリシラだ。二十歳。傭兵団で唯一の聖属性使いで、戦には参加しない。その代わり、団の怪我人はだいたいこいつが診ている。
「その話、何回目?」
「毎日してるから五回目だ」
「威張らないで」
プリシラが呆れた顔で首を振る。
「それにソラは、バルトと違ってそういうところには行かないの」
「はぁ? 何言ってんだよ。こいつだって男だぜ?」
「そんなことないわよね? ソラは娼館とか興味ないでしょ?」
「…………」
そういう意味でなら、興味がないと言えば嘘になる
だが、いちいち答えるようなことでもない。
「ほら見ろ! 黙ってんじゃねえか!」
「黙ってるのは、あなたの話がくだらないからよ」
「んだとぉ!?」
二人が俺を挟んで言い合いを始めた。うるさい。前方にいたヴァーグナーが見かねて、馬をゆっくりと下げてくる。
「何を騒いでるんだい」
「団長! 聞いてくださいよ。こいつ、ソラが女に興味がねえって言うんですぜ」
「私はそんなこと言ってないわ」
ヴァーグナーは俺を一瞥すると、口の端を吊り上げた。
「ああ、そりゃそうさ。ソラにはもう心に決めた女がいるもんねぇ。ありゃぁ大陸一といっても過言じゃないからねぇ」
馬上の二人が同時に固まる。
「はぁ!?」
バルトが素っ頓狂な声を上げた。プリシラは何も言わない。手綱を握る手が、止まっている。
「おい待てよソラ! 誰だよそれ。いつの話だ。なんで俺が知らねえんだ!?」
「うるさい」
「うるさくねえよ! 教えろって! どんな女なんだ? 胸は!? でかいか!? いい形か!?」
「バルト、最低」
「お前だって聞きてえだろが!」
プリシラが、ほんの一瞬こっちを見た。何か言いたげに口を開いて、そのまま閉じる。
「……別に。私は……どうでもいいけど」
人の恋路などどうでもいいに決まっている。そう思ったが、口には出さなかった。代わりに地面を蹴る。重りをつけたままの脚が馬の脚を置き去りにする。
「なっ――おい! 待て! 待てって!」
背後で手綱を打つ音が聞こえたが、追いつかれることはなかった。
♢
二日後、もうそろそろ目的地に着くと思った頃だ。街道が緩やかな坂に差しかかり、両側を雑木林が挟む。その道の隅に小さな人影がしゃがみ込んでいる。
老婆だ。深緑色の外套を羽織り、地面に手をついて草をかき分けている。列の連中に、道端の老人にいちいち構う者はいない。
「何をやっている?」
声をかけると、老婆が顔を上げた。皺の刻まれた顔。落ち窪んだ目が俺を見上げる。
「おや。若いのが止まってくれるとはねえ」
「探し物か?」
「そうだねえ。落としちまってね。この辺りのはずなんだが、目が悪くていけない」
「何を落とした?」
「守り袋さ。これくらいの碧色の」
老婆が指で大きさを示す。掌に収まるほどの小さなものだ。碧色の小さな物をこのあたりに落としたら、見つけるのは困難だ。道端に立ち、息を吸う。
「【天瞰眼】!」
頭上に金色の眼が象られる。瞬間、世界が開いた。
草の一本一本。土に埋もれた石ころ。崖の割れ目に巣を作った蜂。背後の隊列、馬の脚の数、荷車の軋み。前も後ろも右も左も、情報が一斉に流れ込んでくる。
だが、以前とは違う。あれから一年、毎日欠かさず開き続けている。慣れたとまでは言えない。それでも、頭痛の境界線は分かってきた。
――あった。
道から三歩それた枯れ草の根元。土に半分埋もれた小さな袋が視えた。【天瞰眼】を閉じる。こめかみに痛みは来ていない。枯れ草をかき分け、指で土を払って拾い上げる。碧色の布地に、色褪せた金の刺繍。ずいぶん古いものだ。
「これか?」
振り返って差し出す。
老婆は――受け取らなかった。
俺の顔を見ている。いや、俺の頭上を見ている。もう眼は消えているのに、そこにあったものを、まだ見ているような目だ。
「……ほう」
喉の奥で老婆が短く鳴らした。
「婆さん」
「ああ、すまないねえ」
差し出された皺だらけの手が守り袋を包み込む。両手で壊れ物を扱うように。
「助かったよ。本当に」
「別に。すぐ見つかった」
「すぐ、ねえ」
老婆が笑う。
「あんた、名前は」
「ソラだ」
「おーい! ソラーっ!」
背後から蹄の音と、間の抜けた大声が近づいてくる。バルトだ。
「お前なあ、いきなり走り出すなよ。何やってんだこんなところで」
「婆さんの落とし物を探していた」
「はぁ?」
バルトが馬を降り、老婆を見て、それから俺を見た。
「婆さん、こいつは只者じゃねえぞ。ヴァーグナー傭兵団のエース、いや星国最強の剣士だ。賊の砦を一晩で落として、この間なんか騎士崩れの部隊をまとめて――」
「バルト」
「まぁいいじゃねぇか」
誇張が過ぎる。砦を落としたのは団のみんなだ。老婆は目を細めて、バルトの話を聞いていた。それから俺の顔をじっと見る……見すぎだ。
「いい顔だねえ」
「……は?」
「うん、いい顔をしている。近頃の若いのにしちゃあ、上等だ」
何を言っているんだ、この婆さんは。
「ソラ、と言ったね」
「ああ」
老婆が守り袋を懐にしまい、地に手もつかずに立ち上がる
「覚えておこう――また」
言い残して、老婆は東へ向かって歩き出した。俺はその真っすぐ伸びた背を見送る……皺も白髪も、老婆のものだ。だが地面を踏む足に迷いがなく、しっかりしている。土の柔らかいところ、石の浮いているところを難なく歩いている。
目が離せなかった。背中を見ているだけなのに、剣を向けられているような感覚がある。強い奴と向き合った時と同じだ。隙がない。どこから斬りかかっても、当たる気がしない。
「……なあソラ」
「なんだ?」
「お前、そんな熱心に見て……熟女が好きなのか?」
「殴るぞ」
♢
街が見えてきたのは、それから二時間後のことだった。第三軍の駐屯地――ラウディア。
ラウディアを囲む城壁は必要最低限の高さしかない。ここが最前線とは思えないほど低い。だが、その城壁よりもはるかに目を引くものがあった。木々だ。
街の中に森がある――いや、森の中に街を築いたと言うべきだろう。それほどまでに、背の高い木がそこかしこにそびえ立っていた。
さらに街の中心には泉に囲まれた天を衝くような巨木がそびえ、その傍らには立派な屋敷が建っている。
「ずいぶん地味な街ですねぇ。歓楽街どころか看板もねえ。あるのは木ばかりだ」
ヴァーグナーの隣でバルトが伸びをしながら言う。
「それがいいんだよ。疾風星将の部隊は弓士ばかり。もし敵に攻められたとしても、引き込んで木の上から斉射すれば、相手はひとたまりもない――バルト、あんたもこの前、痛感したはずさ。イブリス伯爵の残党と戦った時に」
「……あ」
「それに木が燃やされても、燃え広がらないように植えられたり、家も木材じゃなく石や煉瓦で作られている。万が一があっても、中央の泉があるだろ? この街は色々考えて作られているんだよ」
バルトがうなずくとともに、俺もなるほどと思う。
今まではそういうことを言われても、俺には分からないで済ましてきた。でも今は違う。たとえ分からなくても考える。考えたうえで分からなくても、なるほど、と思うようにしている。
「さて。あたしは顔を出してくるよ。商人組合と詰め所だ。バルト、あんたはプリシラと二人で団の連中に宿を割り振りな。勝手に飲みに行かせるんじゃないよ」
「なんでプリシラと!?」
「二人で一人前だよ」
「ちっ……しゃあねぇな。プリシラ! 行くぞ!」
「うるさいわね。仕切らないでよ」
二人は口喧嘩をしながらも、宿のほうへと消えていく。
「ソラ」
ヴァーグナーが振り返った。
「あんたは好きにしてな。どうせ言っても走るんだろ」
「ああ」
「だと思ったよ」
荷を降ろした俺は街の外周へと向かった。
その道中にはいくつもの厩舎が立ち並んでいた。角を持つ有角馬こそ見当たらなかったものの、代わりに多くの馬が飼育されている。
外周を走りつつ、時折【天衝脚】で跳躍し、空から街の様子を窺う。そこで改めて分かった――ラウディアは広い。これまで巡ってきたどの街よりも圧倒的に広大だ。
郊外にはいくつもの広い馬場が広がっていた。柵の中を馬が駆け抜けている。乗っているのは騎士たちだ。一騎や二騎どころではない。二十騎ほどの集団が大きな円を描くように走り、次々と矢を放っていた。
疾走しながら矢を射る。標的は柵の外に置かれた藁束だ。馬は足を止めず、速度を落とすことすらしない。それにもかかわらず、放たれた矢のほとんどが吸い込まれるように、藁束の中心を穿っていく。乾いた音が、間断なく響く。
あれは強い。剣とはまるで違う理屈で強い。近づく前に削られる。距離を詰めようとすれば、馬は下がりながら射てくる。斬りかかる自分を思い描いてみるが、間合いに入る前の絵しか浮かばない。【天翔纏】を使えば追いつける。しかし、纏系魔法を使えない者だったら追いつくのはかなりきつい。
そういった奴らはどうやって斬るか。考えていると――
「――ソラ?」
女の声がした。柵の内側から一騎がこちらへ寄ってくる。薄緑の髪。切れ長の目。鞍の上から俺を見下ろしているのは見覚えのある顔だった。
「やっぱりソラだ。何やってんの? こんなとこで」
誰だったか。いや、思い出した。学校の一つ上だった奴だ。確か――
「ネイ、か」
「そう。忘れてたろ」
「忘れてない」
「今、思い出したって顔してたよ」
ネイが馬を降りる。
「なんであんたが、こんなとこにいんの?」
「傭兵団と一緒に来た。東がきな臭いと聞いて」
「ああ、それか……」
ネイが顎で東を示す。視線を向けると、遠くに霞んだ地平線が見えた。
「巡回警備中に国境の方から霧が出たんだ。最初はみんな、ただの霧だと思ってた……でも、あまりに濃くてね。一人が様子を見に向かったんだ。そしたらなかなか出てこない。心配した別の奴がまた向かって……霧が晴れる頃にゃ馬と一緒に二人とも死んでた」
「傷跡は?」
「一太刀で首をばっさりさ……」
「風魔法で霧を吹っ飛ばせばいい」
ネイが首を振る。
「その後にも何度か霧が出てね。上位騎士が三人を引き連れて、霧の方に向かったんだ。全員で風魔法を唱えて晴らそうとしたんだけど、霧は濃くなる一方で……結果、上位騎士を含めた二人が死んださ」
「それにね」と、ネイは続ける
。
「アタイたち風魔法使いは索敵が得意だ。魔力を風に乗せて気配を詠む。生き残った二人の話じゃ、霧の外から中の気配や音はまるで分からないらしい。中に入って初めて分かるんだ。でも、その時にはもう……」
封魔の森で戦った時、俺たちは霧の中にいたから、気配や音を感じることができたのか。
「厄介なのはその霧が濃いとは限らないってことさ。普通の霧だと思って入ったら、帰らぬ人になったりね……元々この辺りは草も木も多いから、蒸散が起きやすくて、しょっちゅう霧が出るんだ。だから霧が出たからって逃げるわけにもいかない。どうしたもんかと手をこまねいてるのさ」
「俺に任せろ。一度戦っている」
「えっ!? ソラが!?」
「ああ、学校で護衛の授業中に襲われた」
「その話、詳しく聞かせな!」
そう言われて俺は、ネイに腕を掴まれて街の中へと帰るのだった。




