第73話 一年後
「いいかい? 油断は禁物だよ」
フェリシテ星煌王国南部、最大の歓楽街――カミール。
その郊外に焼けた顔に古い切り傷を刻んだ女の声が響く。女の視線の先にあるのは、かつて孤児院だった廃墟だ。それを五十人を超える傭兵たちが、ぐるりと取り囲んでいる。
「相手は騎士崩れ。それも、かつて閃光星将様に討たれた南の軍閥貴族――イブリス伯爵に仕えていた残党だ。獣人たちと同じくらい手強いと思っていい。そのぶん報酬は破格さ。気合い入れな!」
傭兵団の女団長――ヴァーグナーが檄を飛ばす。
傭兵たちが一斉に得物を構えた、その瞬間だった。
廃墟と化した孤児院の上階から、無数の矢と魔法が降り注ぐ。空気を裂く音が幾重にも折り重なり、傭兵たちへ一斉に襲いかかった。
「迎え討て! ここはイブリス伯爵の土地! お前たちが足を踏み入れていい場所ではない!」
入口では、板金鎧を纏った騎士たちが大盾を掲げ、一歩も退かぬとばかりに立ち塞がっている。
突入できない。それどころか頭上からは絶え間なく矢と魔法が降り注ぎ、傭兵たちは成す術もなく押し返される。一人、また一人と、悲鳴を上げて地面へ倒れていく。
「ちっ! 地の利は相手。ソラ、やれるかい!?」
「もちろんだ」
「じゃあ、頼んだよ! 報酬はあたしの身体だよ」
「勘弁してくれ」
俺は鉄の剣を抜き、再び前線を見据える。
大盾が道を塞ぎ、後方では騎士たちが高所から一方的に矢と魔法を浴びせている。
だったら――
「【天翔纏】!」
金を纏い、身体を限界まで引き上げる。全身が軽くなり、視界が澄み渡り、世界がゆっくりと流れ始めた。
大盾を構えて待ち受ける板金鎧へ――突っ込まない。
目前で地を蹴り、宙へ跳んだ。
空中で足元に金を敷き、その光を踏み台に、さらに高く跳ぶ。
「【天衝脚】!」
金の足場を蹴り抜き、一息に廃墟の二階の高さまで跳び上がった。
もう一枚、金を敷く。今度は水平方向。
魔法を放とうとする騎士へ狙いを定め、一気に飛び込む。
相手もただではやられない。俺の跳躍に目を見開きながら、即座に色とりどりの魔法を撃ち放つ。
だが、それも想定内だ。
「【天喰霧】!」
腹の底から魔力を解き放つ。
爆ぜるように、金色の霧が俺を中心に膨れ上がる。
炎が、氷が、雷が――色とりどりの魔法が霧へ突っ込み、片端から喰われていく。輪郭が溶け、勢いが痩せ、色が抜けていく。
もっとも、来るものすべてを一瞬で消し去れるわけじゃない。霧が喰らい尽くすにも、間がいる。それでも威力は大きく削がれ、俺の肌へ届く頃には、もうかすり傷程度。矢だけを剣で払っていれば問題なかった。
そのまま廃墟の二階へ躍り込む。
ここまで来れば、もうこっちのもの。
魔法主体の騎士たちは、俺の速度についてこられない。上を片付ければ、後は動きの鈍い板金鎧だけ。
挟撃された板金鎧は、成す術なく御用となる。
♢
あれから、一年が過ぎていた。
俺は十七。位は騎士のままで、何ひとつ変わっていない。
この一年、俺はずっと剣を振れる場所を探して各地を回った。北へ、南へ、東へ、西へ。魔物が出た、賊が湧いた――噂を聞けば、どこへでも足を運んだ。
だが、思ったような戦いにはありつけない。
理由は分かっている。情報がないからだ。どこで何が起きているのか、俺のもとには入ってこない。運よく噂を掴んでも、現地に着いた頃にはもう片がついている。荒らされた跡と、片付けを終えた誰かの背中。それを何度見送ったか分からない。強い相手ほど、他の誰かが先に始末しているか、そもそも姿を現さない。
俺はいつも、一歩遅い。
どこにも属さないと決めたあの日は、ここまでとは考えていなかった。
ヴァーグナー傭兵団と出会ったのは、そんな日々のさなか――今から三か月前のことだ。場末の食事処で飯を食っているところを、一人の傭兵に目を留められ、声を掛けられた。
「あんたソラじゃないかい?」
「ああ……お前は確か――」
「ヴァーグナーだよ。レオガルド獣王国との戦いで一緒だっただろ」
ヴァーグナー傭兵団の女団長。
「あんた、なんでこんな所にいるんだい?」
俺の胸の徽章に目をやり、問いただしてくる。
ぽつぽつと返事をしながら話すうちに、持ちつ持たれつの関係になれる。ヴァーグナーはそう言った。
傭兵団には情報が集まる。方々から仕事の依頼が舞い込むからだ。その中には、報酬が良くても、傭兵団だけでは受けられない依頼がある。金は欲しいが、手が届かない。しかし、俺がいれば達成できる。
対して俺は、金にはこだわらない。剣を振って食べていければそれでいい。欲しいのは武功で、金じゃない。俺たちが協力関係になるのに、時間はかからなかった。
カミールがきな臭いという情報を仕入れたのは、十日前のことだ。ヴァーグナーは他の誰よりも先に動き、ここへ根城を構えた。そこへ今日の残党狩りの依頼が舞い込んだ、というわけだ。
俺一人では、絶対に無理だった。
♢
仕事を終え、働きに応じた金を受け取ると、団員たちは街へ繰り出す。
カミールは南部で一番の歓楽街。酒場も賭場も、娼館も、いくらでもある。荒っぽい傭兵稼業の連中にとっては、ここは天国みたいな場所らしい。
「ソラ! 行くぞ、今日こそは付き合えよ!」
肩を組んできたのはバルトだ。俺の一つ上で、いつも赤いバンダナを巻いている。よく喋り、よく笑い、よく飲んで、よく泣く。傭兵団でも指折りの陽気な奴だ。
「いい店見つけたんだよ、とびきりの女がいてな――」
「行かない」
「お前だって、溜まってんだろ?」
「俺にはやることがある」
「毎回毎回、なんでだよ!」
バルトが大げさに天を仰ぐ。
「お前、その顔と腕があれば、女なんぞ選び放題だろうが。もったいねえ! 一回、たった一回でいいから。女に言っちまったんだよ。うちのエースを呼ぶって――」
「興味ない。それに俺は、傭兵団には属していない」
女には興味がない。正確に言えば、一人を除いて。そんなところで金と時間を使うのなら、俺は剣を振る。
「はぁ……お前ほんと、変わってるよなあ」
バルトは呆れ顔で肩をすくめると、他の連中と連れ立って夜の街へ消えていった。
賑やかな声が遠ざかる。
俺は一人、根城の裏手へ回り、アリアからもらった白銀の鞘から、クロフォードの木剣を抜いた。団の連中が酒と女で一日を締めくくる間、俺はこうして剣を振る。それが俺の一日の終わり方だ。
素振りをしながら、ふと思い出す。
この一年で、俺に弟子入りしたいと言ってきた奴が何人かいた。俺の剣を見て、強くなりたいと寄ってきた若い連中だ。
だが、誰も続かない。
俺の稽古についてこられず、みんな数日ともたずに辞めていく。長くて三日、早い奴は半日で音を上げた。
俺がやらせた稽古なんて、大したものじゃない。素振りと走り込みと、あとは打ち合い。素振りの本数も、走り込みの距離も、打ち合いの時間も、かなり緩くしているつもりだ。
なのに、誰もついてこられない。
翌日には極度の筋肉痛で起き上がれず、その次の日には寝台が空になっている。
騎士は部下を育て、統率できるようにならなければ上を目指せない。分かってはいる。分かってはいるが、俺にはどうしようもない。
あいつだったら、きっとこいつらも手懐けるのだろう――そう思うと、悔しさと一緒に、あいつの顔が浮かぶ……厄介だ。
♢
その話を耳にしたのは、素振りと走り込みを終え、酒場で水を一杯もらった時のことだ。傭兵たちがエールを満たした木杯を片手に、盛り上がっている。
「知ってるか? 閃光星将んとこの話よ。入って一年かそこらで、もう聖騎士に上がった奴がいるらしいぜ」
「聖騎士に? 一年で? 化けもんだな」
「それもよ。とんでもねえ美人だって話だぞ?」
「女かっ!? 見てみてえな!」
聖騎士で女。それに美人――アリアしかいない。
「けどよ」隣の卓の声が続く。
「最速に並ぶっつっても、しょせんは『並ぶ』止まりだろ。帝国にはもっと化けもんがいるって話だぜ。若くして凶柱にまで成った奴がいるってな」
名前は出ない。ただの噂話だ。どこの誰とも知れない、遠い国の化け物の話。
なのに、俺の胸は勝手に騒いでいた。
北の帝国に連れていかれた、あいつ。何をやっても俺の上を行った黒い髪の幼馴染。あの日、木剣一本を残して消えたあいつが――今もどこかで、俺の知らない高みへ昇り続けているのか。
♢
翌朝――
団長が一枚の紙切れを手に、難しい顔をしている。
「東できな臭い動きがあるらしいんだよ」
俺が近づくと、団長が紙切れから顔を上げた。
「詳しいことはまだ分からない。ただ、国境あたりで妙なことが起きてるって話が、ちらほら入ってきてねぇ……」
「妙なこと?」
「国境を深い霧が覆うんだってさ。その霧が濃くなると、賊に会って、何かと物騒らしいんだよ。なにせ、今は第一軍、第二軍、第六軍が北に戦力を固めているって話だからね。なかなか東にまで手が回らないらしくてねぇ」
その話を聞いて、ピンときた。
あいつだ。封魔の森で俺とアリア相手に渡り合った、あの黒装束。あの後、森には星将たちが討伐に向かったと聞いた。閃光星将、疾風星将、金剛星将の三人だ。もう片はついた。手練れはいなかった――と。
あいつが手練れじゃないわけがない。
あいつはやっぱり、生きていた。
「行くのか?」
「今回ばかりは、ちょっと嫌な予感がしてねぇ……あんたはどうするんだい? って、聞く必要もなかったようだね」
俺の顔を見て、ヴァーグナーが苦笑する。
「ま、今回の報酬も破格だ。団を維持するにも、ここはソラ大先生に働いてもらおうかね」
「俺は剣客じゃない」
「そうさ。あんたは、金のなる木だよ」
ヴァーグナーはニカッと笑うと、団員を集めて支度に入る。
「えぇ~、団長。そんなに遠いんじゃ、ここの娼館に通えないじゃねぇっすかぁ~」
バルトの間の抜けた声が、根城に響いた。




