第7話 従士……見習い?
ラッパの音で目が覚めて、何の音だと思いながら飛び起きると、廊下がすでに騒がしい。扉を開けると従士たちが慌ただしく動き回っている。鎧を抱えている奴、布を畳んでいる奴、桶を持って走っている奴――全員が何かをやっていて、全員が俺を見ていない。俺だけが廊下の真ん中に突っ立ったまま、完全に取り残されていた。
「何してるの?」
アリアが横から現れる。すでに身支度を整えていて、俺だけが出遅れている。
「何をすればいいかわからない」
「正直なのは結構だけど、昨日説明したでしょう」
「寝てた」
「……いつ」
「説明の途中から」
アリアが深く息を吸って、ゆっくり吐く。
「いい? もう一度言うから今度はちゃんと聞いて。朝は起きたらまず武具の手入れ、次に馬の世話、それが終わったら朝食、食後に訓練――」
「待て、順番が多い」
「多くない。覚えて」
「覚える。でも今日は教えながらやってくれ」
「……仕方ないわね」
ため息をついてアリアが歩き出したので、その後をついていく。これが当分の朝になるんだろうと思いながら――でもまあ、悪くない。
♢
武具の手入れは得意。
孤児院にいた頃から、クロフォードの木剣も自分の木剣も、毎日欠かさず磨き続けてきた。木剣の手入れなら誰にも負けない自信がある。だから正直、余裕だと思っていたのだが……その余裕が、五分で消える。
「砥石の角度が違う。もっと寝かせて」
「このくらいか」
「まだ立ってる。刃を潰したいの?」
「潰したくない」
「じゃあ寝かせて。それから油は刃に直接つけない、布に含ませてから――ちょっと、多すぎ! 油まみれになってるじゃない!」
俺の手の中の剣が、てかてかと光り輝いている。油を塗りすぎた。木剣と金属剣じゃ何もかもが違うのに、それを認めたくなくて「見ればわかる」と言い続けていた。
「力を入れすぎない。刃を撫でるくらいの感覚で――だから力を入れすぎって言っているでしょう!」
隣で他の従士が声を殺して笑っているのが見えて、カチンときたが言い返せない。それが一番腹立たしい。でもアリアの言う通りに手を動かすと、さっきより剣の光り方が綺麗になっていくのがわかる。悔しくて口には出さないけど、こいつの言うことは正しい。
♢
朝食を終えると、ようやく訓練の時間。
でも「ようやく」と思ったのは最初だけで、ヴォリトが現れた瞬間に空気が変わる。木剣を一本放ってよこして、「かかってこい」とだけ言う。昨日と同じだ。昨日ボコボコにされた記憶が体に染み付いていて、それでも俺は迷わず踏み込む。
全力で打ち込んで、また弾かれる。踏み込みを変えて、また捌かれる。魔力を流し込んで、またいなされる。ヴォリトは表情一つ変えずに俺の全部を封じていく。何度石畳に叩きつけられても立ち上がって、また踏み込んで、また弾かれる。
悔しい――それでも、昨日より少しだけ長く持ちこたえられた気がした。
「今日はここまで」
ヴォリトがそれだけ言って訓練が終わる。短い。あまりにも短い。もっとやりたいのに、次の仕事が待っているせいで体を動かす時間が全然足りない。悔しくて木剣を握りしめながら、俺はアリアの後をついて厩舎に向かう。
厩舎に入ると、馬が何頭も並んでいた。
相変わらずでかいな――でも怖くはない。テトラボアに比べたら、馬なんて可愛いものだ。俺は迷わず一番近くの馬に近づいてブラシを手に取り、毛並みに沿って力を込めてごしごしとかけ始める。
「ちょっと待って、まず――」
「大丈夫。やればわかる」
アリアの声を遮って続けると、馬が耳を伏せる。尻尾が激しく揺れたと思ったら馬がぶるりと身震いして横に動き、俺は弾き飛ばされて厩舎の壁に背中をぶつけた。
「だから言ったでしょう」
「……力が強すぎたか」
「強すぎたというより、人間でいったら皮膚をごしごし擦られるくらい痛かったと思う。もっと優しく、毛並みを整えるくらいの気持ちで――」
「わかった。やり直す」
今度は加減してブラシを動かすと、馬が耳を立てて大人しくなる。よし、これでいける――そう思って水桶を引き寄せようとした瞬間、足が引っかかった。盛大な音を立てて水桶がひっくり返り、厩舎の床に水が広がって藁を全部濡らしていく。馬が迷惑そうに鼻を鳴らし、いつの間にか入口に集まっていた従士たちが堪えきれずに笑い出す。
「うるさい!」
俺が言っても笑い声は止まらない。アリアが額に手を当てて天を仰いでいる。悔しくて石畳を一回踏む。テトラボアは倒せたのに、水桶に足を取られるのか、俺は。
「剣と同じ感覚じゃだめなのか」
「全然だめ。馬は生き物よ。力でどうにかなるものじゃないわ」
「じゃあどうする」
「相手をよく見て、相手に合わせる。剣術だって同じでしょう」
――それはそうだ。相手を見て動く、それは剣でも馬でも変わらない。なんだ、同じじゃないか。そう言ったら、アリアが少しだけ目を丸くした。
♢
昼前、廊下を歩いていたらまた絡まれる。昨日の三人とは別の顔ぶれで、四人、全員が俺より年上に見える。
「昨日の話、聞いたぞ。レオたちをやり込めたって?」
「手合わせしただけだ」
「随分と自信家なんだな、孤児院出身のくせに。アリア様にべったりくっついて、よっぽど要領がいいんだろう」
横でアリアがぴくりと眉を動かすのが見える。
「べったりじゃない。俺が何も知らないから教えてもらってるだけだ」
「何か口実をつけてアリア様に取り入ろうと思っているんだろう?」
「取り入る?」
取り入るというのが、どういう意味なのかよくわからない。
「……何が言いたいんだ」
「鈍い奴だな」
「鈍くて悪かったな。で、用は何だ。なければ退いてくれ、腹が減っている」
俺の返しが想定外だったらしく、四人が顔を見合わせて次の言葉が出てこない。結局何も言わずに散っていく。
食事中、アリアが俺のことをじっと見る。
「あなた、さっきの意味がわかってないでしょう」
「わかってない。でも用がないなら関係ないだろ」
「……まあ、いいけど」
なぜかアリアの頬が少し赤い。飯が熱かったのかもしれない。
♢
午後にも少しだけ訓練の時間が取れる。
少しだけ、というのが問題で、剣を振り始めたと思ったらすぐに次の仕事が入ってくる。武具の片付け、馬への水やり、屋敷の掃除――一つ終わるたびに次が来て、気づけば日が傾いている。
孤児院にいた頃は、時間だけはあった。朝から晩まで剣を振れた。でもここでは違う。時間が足りない。魔法を覚える暇もない。このままじゃ――そういう焦りが、じわじわと腹の底に溜まっていく。
夕方、中庭の隅でアリアと向かい合う。
「なんでわからないのに強がるの」
今日一日の失敗を全部並べるような口調で、でも俺は強がっているつもりは一切ない。
「強がってない。やればできると思ってた」
「思ってただけで、できてなかったじゃない」
「今日はな。明日はできる」
「その根拠は?」
「俺がそう決めたから」
その言葉を聞いて、アリアが口をつぐむ。その沈黙が俺には勝ちに見えた。
「根拠がないのは認める。でも俺は今日まで全部そうやってきた。できると決めてやり続けたら、できるようになった。それだけだ」
「……孤児院で?」
「ああ。師匠もいない、魔法書も読めない、教えてくれる奴もいない。でも毎日剣を振り続けたら、騎士見習いを倒せるようになって、テトラボアも倒せた」
言い返してこない。アリアが言葉を探しているのがなんとなくわかる。こいつは頭がいいから、筋の通らないことは言えないんだろう。俺の言ってることは筋が通ってる。自分でもそう思う。
「……それは、認めるわ」
「だろ? だから明日もできる。お前が教えてくれるなら、もっと早くできる」
「私が教えなきゃいけない理由は?」
「お前が教えてくれるって言ったから」
「……言ったわね。はぁ……仕方ない」
砥石を手に取ったアリアの横に、俺は素直に座る。今日二度目の武具の手入れを、今度はちゃんと覚えるつもりで。こいつが教えてくれるなら、明日は絶対にうまくやれる。
♢
夜中、全員が寝静まった頃に中庭に出ると、月が出ていて風だけが静かに動いている。昼間の喧騒が嘘みたいな静けさの中、クロフォードの木剣を握って素振りを始める。
振りながら、ずっと考えていた。
仕事を覚えるのに手一杯で、訓練の時間が足りない。魔法を覚える暇もない。このペースでいいのか、俺は。孤児院にいた頃は時間だけはあった。毎日限界まで剣を振れた。でもここでは、やることが多すぎてどれも中途半端になっていく気がする。
――クロフォードは今、何をしているんだろう?
剣を振りながら、ふとそう考える。帝国の中で、あいつは今どこにいて、何をしている? きっと俺なんかより遥かに高いところにいる。きっと魔法も習得して、剣も磨いて、一日一日をちゃんと積み上げているはずだ。なのに俺は水桶をひっくり返して、砥石の角度を怒られて、こんなところで躓いている。
――こんなところで躓いていられない!
剣を振る手が、自然と速くなる。焦りじゃない。危機感だ。時間が足りないなら、足りない中でやるしかない。仕事を覚えるのが遅いなら、早く覚えるしかない。アリアが教えてくれると言っているなら、素直に全部吸収するしかない。強がっている場合じゃない。プライドを捨てて、今はとにかく吸収する。それだけだ。
そう決めてから、剣を振る感覚が変わった気がする。一振り一振りに魔力を込めて、込めて、込め続ける。体が熱くなって、手が痺れてきて、それでも止まれない。限界まで絞り出して、最後の一振りで魔力が完全に尽きた瞬間、膝から崩れ落ちる。
石畳の冷たさが頬に染み込んでくる。体が動かない。でも頭だけは冴えていて、明日やることが全部見えている。
――クロフォード、待ってろよ! いつか追いついてやるからな!




