第69話 復興
深夜――
ルパナルの街外れ。有角馬に跨ったシャーレの前で、アリアが胸に手を当てた。
「では、シャーレ様。私たちはここで」
「ええ、ライナスに伝えておいて。ライナス以外は全員撤収するようにと」
「かしこまりました……それと、ありがとうございます」
アリアは王都へ向かい駆け出したシャーレの背中に深々と頭を下げた。
角持つ馬はまたたく間に夜へ溶けていく。
――事の次第はこうだ。
日暮れにルパナルへ入った俺たちはその足でドレイクの屋敷へ向かう。留守を預かる騎士たちは当主の凶事とシャーレの名にただ青ざめ、逆らう者は一人もいなかった。
屋敷の捜索は俺の眼の仕事だ。
【天瞰眼】で壁を、床を、順に『視』ていく。そして、執務室で見つけた。本棚の裏、地下へ延びる隠し階段だ。
降りた先の隠し部屋には山ができていた。
金貨。銀塊。宝石のついた装飾品。そして壁際の棚には束になった書簡の数々。
シャーレが探していたのはその書簡だった。
西方諸国に星国のどんな情報が流されていたのか。知りたいのはそれらしい。金や銀には一瞥もくれなかった。
それどころか、だ。
「金銀に興味はありません。今なら持てるだけ持っていって構いませんよ。明日にはここに私の部隊がやってきて、すべて持って行っていきますから。罪には問われません。何せベルモンド子爵家の事はすべて私に任されているのですから」
仮面越しにそう言われた。なら遠慮する理由はない。俺は麻袋を何重にも重ねて詰めた。金貨を、銀塊を、袋の口が縛れる限界まで。
アリアはというと何ひとつ手に取らない。シャーレは書簡の束だけを鞍に括り、単騎で王都へ発った。それがついさっきの話だ。
♢
アストレアへの帰り道。深夜の街道を馬で駆けながら、俺は隣に問うた。
「アリア、ルミィがシャーレというのは知っていたのか?」
「……ええ。ワフェルの件が片付いた後、私が何度かライナス先生に呼ばれていたのは知ってるでしょ?」
「ああ」
「あの時、実はシャーレ様に剣の手ほどきと、第一軍の聖属性を使う人に魔法のことを教えてもらっていたの」
「じゃあ、お前の刺突は?」
「そう、あれはシャーレ様の技。シャーレ様の得物はレイピア。私もスピードを活かした戦い方をするから、刺突を織り交ぜた方が強くなるって」
納得した。
ライナスがアリアを呼ぶようになってから、こいつの剣が変わったのは覚えている。それから、あの淡い桃色の魔力。あれもあの頃からだった。
「ソラ、何度もいうけど、シャーレ様の正体は――」
「分かっている。誰にも話さない」
アリアが頷いて、続けた。
「シャーレ様が王都にいる。そのこと自体が抑止になっているの。閃光星将が都を守っている限り王都には手を出せない――皆がそう思うことで、治安が保たれている」
「じゃあ、俺が王都で見たあの男は」
「影武者よ。シャーレ様がいなくなったと思わせて、敵を釣るという目的があったそうよ。もっとも南の軍閥貴族にそこまでの力はなかったそうだけど」
長身痩躯のあの男は、やはり影武者だったわけか。
「有角馬は疾風星将の部隊専用の馬じゃなかったのか?」
「そうね、私もそう思っていたけど、星将クラス――特にシャーレ様には支給されるのではないかしら? こういう時のために」
なるほど。王都を空ける時間を限りなく短くするには、それがいいのだろう。
屋敷に着いたのは空が白み始めた頃だ。
ヴィクターも、ロゼリアも、リオンも起きて待っていた。無事な顔を見せると、張り詰めていた屋敷の空気が、やっとほどける。
一息ついたところで、俺は担いできた麻袋を床に下ろした。ずしり、と石床が鳴る。
「これは全部、この家に渡す」
袋の口を開く。金貨と銀塊が燭台の光を鈍く弾いた。
「ドレイクの屋敷から持ってきた。シャーレの許しは得てある」
ヴィクターとロゼリアが顔を見合わせ、受け取るのを躊躇っている。アリアが慌てて言った。
「ソラ、さすがにそれは……」
「俺は剣と飯があれば、それでいい」
アリアがふっと目を細めた。
「……去年と同じね」
ヴォリトの屋敷で、特別褒章の金貨をこいつに渡した時のことだろう。あの時もこいつは同じ顔をしていた。
「アリア、これでお前から世話になった分は帳消しだ」
「世話?」
「お前に会わなければ、文字も、魔法も、騎士見習いにさえもなれなかった」
しん、と部屋が静まる。
アリアはしばらく黙って、俺を見ている。それから、両手で袋の口をそっと閉じるようにして、受け取った。
「――分かった。でも、これは多すぎるから、今度は私もお返しをする。必ずお礼をするから、待ってて」
♢
翌日から、銀山は本格的に動き出した。
ドレイクの件はヴィクターとロゼリア、それにリオンに任せて、俺とアリアは山へ。
持ち帰った金貨や銀塊は騎士たちの給金に化けた。行き場を失いかけていたベルモント子爵家の五十人をヴィクターが正式に召し抱える。街の復興にも使われた。セレスティアを膨らませることにはまったく使わない。まずはアストレアからというのがヴィクターの方針だった。
ベルモント子爵家の五十人の騎士たちは、街の警備に立ち、手が空けば山にも入って、鉱夫たちと並んで石を運んだ。
俺も掘った。掘って掘って掘りまくる。いつもの重りを体に着けて、鶴嘴を振る。エルツが呆れ顔で笑っていた。
「兄ちゃん、あんた騎士様になるんだろうに」
「掘りながらでも鍛えられる」
昼時になるとアリアが外で料理を振る舞う。今日の献立は近くで獲れた猪鍋。しっかり血抜きがされ、香草で臭みも消してある。相変わらずこいつの作る料理は旨い。
「嬢ちゃんの飯も食えたし、もうひと踏ん張りだな」
エルツの掛け声に皆が呼応する。山に槌音が満ち、街道に荷が行き交い、閉じていた店の戸が次々に開いていく。街が目に見えて、息を吹き返していく。
♢
そうして一か月が過ぎた。
ドレイクはすでにこの世を去った。最後まで喚いて抵抗を見せたが、アストレアの広場前に設けられた断頭台で、首を刎ねられた。アストレアの民はそれを見て騒ぎ、ライナスはそれを見届けて、一足先に王都へと帰った。
王都へ帰る日の朝。屋敷の門前にヴィクターとロゼリア、リオンが並んで立っていた。
「ソラ、アリアを頼む」
ヴィクターが言う。これで三度目だ。
だが、アリアを脅かすものはもうない。ヴェイルは斬り、ベルモント子爵家は潰え、賊も消えた。なぜ今さら頼むのか。
学校まで無事に送り届けろという意味か?
そうとしか考えられない。だから、一度引き受けた約束だ。頷いておく。
次はリオンだった。少し迷ってから口を開く。
「ソラさん。姉様は強いですけど……鈍いので。そばでよろしくお願いします」
鈍い? アリアほど目端の利く奴を俺は知らない……分からない。分からないが頷いておいた。リオンはなぜか深い溜息をつく。
最後にロゼリアが俺の前に立つ。
こいつとまっすぐ目を合わせるのは初めてかもしれない。
「ソラさん……あなたに謝らなければなりません」
静かな声だった。
「初めてお会いした時、私はあなたを身なりで測っていました。娘の隣に立つ人を家柄でしか見ていなかった……偏見でした。ごめんなさい」
頭を下げられて少し困った。
「娘と、この家と、この街を救ってくださったのはあなたです。どうか、これからもよろしくお願いします」
どう返すのが正しいのか、分からない。だから、思ったままを言った。
「別に。俺は、俺のやりたいようにやっただけだ」
ロゼリアが目を丸くして、アリアとよく似た顔で笑った。
馬上の人となり、俺たちは東へ馬首を向ける。
背中で銀山の槌音が鳴っている。もうこの街の音だ。
アストレアを後にして――王都へ。
そして――卒業まで、あと一か月を切っていた。




