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第66話 天喰霧

 金色の火花が、まだ目の奥に残っている。


 俺は弾いた剣を返し、男との間合いを保った。背後ではエルツが尻餅をついている。


「エルツ、下がってろ」


 掠れた返事とともに、爺さんが岩陰の奥へ這っていく。

 ヴェイル・カルマインはもう驚きを消して、あの能面に戻っていた。

 岩陰からアリアが歩み出る。剣はすでに抜いてあった。


「やっぱり、あなただったのね」

「やっぱり……だと。適当なことを抜かすな」


 ヴェイルの声は低い。そういえば、こいつの声を聞くのは初めてだ。


「適当ではないわ。ソラが見つけたのよ。あなたの鉄靴に付着した、僅かな土を」


 ヴェイルの視線が僅かに下へ動き、薄い笑みを浮かべた。

 そう。あれが俺の見つけた「あるもの」だ。


 あの朝、街でこいつとすれ違った時、鉄靴の縁に乾いた土がこびりついているのが目に入った。ほんの僅かだ。だが、街を歩いているだけではああはならない。あれは山の土だった……この街に来てから一度も山に入っていないはずの男の靴に。


「お前らがここにいるということは、今頃賊は街を襲っているんじゃないか?」

「心配ご無用。すでに昨夜、ソラが殲滅しているから」


 アリアが俺を見る。


 そうだ。昨日、賊の報せが届いたその夜のうちに、俺は一人で根城へ向かって片を付けた。アリアも来ようとしたが、夜中に二人揃って屋敷から消えれば、どこかの目に気取られる。だから、俺一人だった。


 アリアはきっと俺たちがいない時を選んで、ヴェイルが動くだろうと読んだ。だから、今朝の討伐行きは見せかけだ。街道へ出るふりをして山へ引き返し、息を潜めて待つ。それがこいつの「提案」だった。


「あなたが……あなたたちが銀山を閉山に追い込んで……セレスティアを陥れたのね!」


 ヴェイルは答えない。能面のまま黙っている。


「答えなさい!」

「――今から死ぬ者に言っても仕方ない!」


 ヴェイルの左手が薙いだ。

 何も持っていない、空の左手で。


 だが、俺には『視』えている。張り込みから開きっぱなしの【天瞰眼ゼニス・アイ】が、その左手に握られた透明な剣を捉えていた。


 刃はアリアへ向かう。


 アリアは動かない。動けない。見えない刃の間合いなど、測りようがないのだから。俺が割って入って叩き落とすと、剣戟の音とともに火花が散った。


「透明っ――!?」


 アリアが息を呑む。


 だが、それ以上に動揺していたのはヴェイルだった。


「まさか、本当に見えているとは――だが、いいのか? 奥では鉱夫たちが、ドレイクの私兵に今にも襲われているかもしれんぞ」

「アリア、行け」

「でもっ――」

「こいつは俺が斬る。そのためにここに来た」


 アリアが俺を見る。一瞬だけ。


「……分かった。絶対に倒しなさい」


 アリアは身を翻すと、岩陰のエルツを引き起こし、坑道の闇へ駆け込んでいった。


 残ったのは、俺とヴェイルだけ。

 その途端、頭の奥で鈍い痛みが弾けた。


 限界だ。開きっぱなしの【天瞰眼ゼニス・アイ】で、視界の端が歪んでいる。

 俺は眼を解いた。ヴェイルがそれを、見逃すはずもない。


「【透影纏ウンブラ・エンチャント】!」


 低い声とともに、奴の姿が掻き消えた。

 闇に溶けたわけじゃない。真昼の光の中で、輪郭ごと透けて消えたのだ。


「【天翔纏ゼニス・エンチャント】!」


 俺も金色を纏う。頭痛が和らいで、視界も広がった。

 だが、見えない。足音すら殺している。


 それでも、気配は感じる――風が動いた。


 半身をずらすと、頬のすぐ横を見えない刃が薙いでいく。浅い。掠っただけだ。


 俺は剣を振らない。受けに徹する。音、風、砂利の鳴り、殺気の向き。カイトと数えきれないほど打ち合った、あの剣を――習得した凌ぐ剣で耐える。


 最小限の動きで受け流し、半身をずらして逸らし、刃を滑らせていなす。攻めない。ただひたすら、捌いて、受けて、流す。波風を立てない剣。攻め続ける側が先に疲れ、捌く側は体力を残す。そして、攻め疲れたところを突く。


 これがカイトの剣だ。


 【天翔纏ゼニス・エンチャント】を纏えば、速さは俺が上だ。膂力も上。剣の技も、打ち合えば分かる。俺の方が上だ。なのに、カウンターが決まらない。初動を読まれ、フェイントが通らず、踏み込んだ瞬間にはもうそこにいない。俺の剣が最短で走るより早く、こいつの経験がその先を塞いでいる。


 数合、剣戟を結んだ時だった。


「その歳にしては、まぁまぁだな」


 見えない場所から、刃とともに声が降ってくる。


「小僧、お前は人を殺したことあるか?」

「…………」

「当然、あるか。その強さであれば、殺したくてたまらないだろう。小僧、お前の態度次第では考えてやってもいいぞ?」


 殺したくてたまらない? 何を言ってるんだこいつは。


「お前が鉱夫を全員殺せ。昔、オレがやったようにな。骸の遺棄だけは手伝ってやる。透明化しなければ、血痕なども隠せんからな。さすればドレイクに言って、お前をこっち側に引き込んでやる。あいつはオレに対して頭が上がらん。今の地位があるのもオレのおかげだからな。お前が望むのであれば、あのアリアという女――オレが飽きるまで味見した後、娼館に堕とす前にお前にやってもいい」


 話の全部は理解できない。だが、こいつが銀山の呪いだということ。

 それにエイガーやワフェルと同じようにアリアを碌な目に遭わせない。


「ふざけるなっ!」


 思い切り袈裟斬りを一つ。

 しかし、感情に任せた一振りは空を斬り、代わりに俺の肩へ裂傷が走る。


「くっくっくっ……あの女の話になるとムキになるのか。そうだな。じゃあ、お前には特別に、オレとアリアの情事を見せてやる。透明化したオレに何をされるか分からんという恐怖を抱いた女の顔ほど、そそるものはないぞ?」

「貴様っ――!」


 声がする方へ真一文字に薙いでも、何の感触も得られない。逆に、俺の体へ傷がどんどん増えていく。


「小僧、そんなにアリアのことが好きなのか? 女なんぞ股を開けば大して変わらんぞ?」

「黙れっ!」


 感情に任せて剣を振る。それでもこいつに届かない。


「アリアは小僧の力を利用しているだけ。お前を殺したら、オレがしっかりと可愛がってやる。あいつもオレを受け入れるだろうよ。むしろアリアから求めてくるだろうな。お前は天から嫉妬しながら、アリアの悦ぶ顔でも見てろ」

「この野郎――」


 と、言いかけた瞬間――腹の底にすとん、と何かが落ちた。


 エイガーやワフェルがアリアに近づいたり、ルパナルの酔っ払いがアリアにちょっかいをかけたり。こいつがアリアの話をするたびに、腹の底がむかむかしていた。


 なぜだろうと思ったが、分からないから後回しだった。

 でも、今の言葉――嫉妬。これですべて分かった。


 アリアを想うから、アリアが愚弄されるたびに冷静でいられなくなるのか。

 アリアへの想い……悔しい。悔しいけど、胸のつかえがとれた気がした。


「アリアはオレと一緒になって悦びを知れば、もう――」


 宙からまだアリアを愚弄する声が飛んでくる。


 だが、俺の剣はもう乱れない。荒れていた息が静まり、剣先の震えが止まる。受けて、流す。カイトの剣が戻ってきた。


 こいつは知っている。俺のアリアへの想いに。だからこうやって挑発している。


 そして気づいた――刃と刃が触れ合うたび、宙に薄い影が滲むのだ。


 金が喰っている。


 俺の金の魔力は他の魔力を喰う。触れるたびにヴェイルの【透影纏ウンブラ・エンチャント】が削られ、輪郭が浮かび上がっていく。腕が、肩が、剣筋が――透明だったものが、少しずつ形を取り戻していく。


 ずっと、俺はこれを見逃していたのか。

 ヴェイルは挑発しながら、【透影纏ウンブラ・エンチャント】を纏い直している。

 こいつは挑発で俺の眼を逸らさせて、そうやって自らの弱点を隠していたのか。


 剣戟を結び、金色の火花が散って、一瞬ヴェイルの顔が映る。

 声のトーンほどの余裕は、そこにない。こいつも必死なのだ。それでも自分を大きく見せたいのか、宙から余裕めいた声が飛んでくる。


「教えてやろう、小僧。格が違うのだ。オレの位は騎士だが、実力は星柱級――貴様ら学生が、才だけで届く高みではない」


 言ってるそばから、空気を切り裂く摩擦音が迫る。

 それをまた弾くと、今度は金の火花が奴の足に溶け、浮かび上がってくる。


 その足で蹴りを入れてくる。

 半歩下がって躱す。ここだ――!

 と、思った瞬間、躱したはずの蹴りの先で、ふくらはぎに熱が走った。

 斬られた。蹴りに刃が乗っている。


 鉄靴に仕込み刀。しかもご丁寧にそれだけ【透影纏ウンブラ・エンチャント】で隠している。姿が半ば見えていても、足先の刃だけは見えない。腕に、腿に、脇腹に、浅手が増えていく。どれも浅い。だが、確実に削られている。


 凌ぐ剣は崩れない。カイトの剣は崩れない。だが、このままでは血の分だけ、俺が不利になっていく。


 どうする? こいつの魔力が切れることを願うか?

 考えるまでもなかった。相手に運命を委ねるなんてありえない。

 ここは俺が突破する!


 でも、どうやって……考えろ。

 剣を受けながら頭を回転させる。


 ん? 俺の魔力は相手の魔力を喰う。

 喰えばこいつの【透影纏ウンブラ・エンチャント】は輪郭を帯びる。

 だったら、俺の魔力を充満させれば――アリアの【聖魅霧サンクト・チャーム】のように!


 ヴェイルが突っ込んでくる、その刹那――

 俺は魔力を解放して、その言葉を叫ぶ!


「【天喰霧ゼニス・エクリプス】!」


 叫びとともに、体の奥から魔力を解き放つ。


 金色の霧が俺を中心に膨れ上がった。


 【聖魅霧サンクト・チャーム】を真似た、ただの思いつきだ。細かい制御なんて要らない。撒き散らすだけでいい。俺の魔力は他の魔力を喰うのだから。


 霧が広がる。地を這い、宙を満たし、岩肌を舐める。


 そして――浮かび上がった。

 金の霧の中に人の形の穴が。


 穴はみるみる形を取り戻していく。霧が触れた端から【透影纏ウンブラ・エンチャント】が喰われ、腕が、肩が、胴が、あの能面が――白日の下に晒されていく。


「なっ……なんだ、この霧は……!」


 ヴェイルが飛び退く。距離を取って、纏い直す。


「【透影纏ウンブラ・エンチャント】!」


 消える。だが、一呼吸ももたない。霧に触れた瞬間から喰われて、また現れる。纏っては喰われ、纏っては喰われ――そのたびにこいつの魔力が減っていく。


「オレの纏が……小僧、貴様、何をしたっ!」


 初めて声から余裕が剥がれ落ちた。


 答えてやる義理はない。


 もうお前は消えられない。


 ヴェイルの目が血走る。踏み込みが荒くなる。あれほど読めなかった初動が今は見える。焦りは経験を喰うらしい。


 ただ、俺も無傷じゃない。血を流しすぎている。ここで決める!


 金色の霧の中を、【天翔纏ゼニス・エンチャント】を纏って突っ込む。


「ちっ――【透影纏ウンブラ・エンチャント】――」


 いくら魔力を喰われても、ヴェイルは透明になろうとする――

 が、もうそれはかなわなかった。

 魔力切れ。完全に奴の甕は空っぽとなった。


 刹那――ぐらりと奴がふらつく。

 魔力切れの症状。立っていること、意識を保つことすら厳しい。


 この隙を見逃さない!


 金色の一閃。


 手応えは一度だけだった。


 ヴェイル・カルマインの首が胴を離れて落ちる。


 骸が音を立てて崩れた。灰の外套だけが土の上に広がる。


 ……強かった。間違いなく俺が一人で斬った中で一番強い人間だ。


 だが、それだけだ。アリアをあれだけ愚弄した口は――もう二度と開かない。





 金の霧が薄れて消えていく。【天翔纏ゼニス・エンチャント】を解いた途端、痛みが全身に雪崩れ込んできた。頭の奥は割れるようで、浅手が今さら熱を持つ。膝が笑う。立っているのが精いっぱいだ。


 それでも足は坑道へ向いていた。アリアのところへ。鉱夫たちのところへ。もし、ヴェイルの言葉が嘘じゃなかったら――。


 よろけながら足を出す。その時、坑口の闇から人が溢れ出てくる。


 先頭はアリアだった。その後ろにエルツ。鉱夫たち。そして――ベルモント子爵家の騎士たち。


「ソラ!」


 アリアが駆け寄ってくる。俺の姿を見て、それからその向こうの骸を見て、息を呑んだ。言葉より先に、アリアが俺を抱擁する。


 俺はそのままアリアに身を預けると、アリアが俺の頭を包んで魔法を唱える。


「【聖光癒サンクト・ヒール】!」


 淡い光が頭の軋みと傷の熱を洗い流していく。いつもの手だ。いつもの光だ。なのに今日はその手が妙に近く感じられる。


 自分の想い――厄介なことを自覚しちまった。

 それを振り払って、アリアに問う。


「……そっちは」

「無事よ。全員」


 鉱夫たちは無傷。そして、ベルモント子爵家の騎士たちは何も知らなかった。


 アリアが切羽きりはに駆け込んだ時、騎士たちは鉱夫の指図のもと、汗だくで鶴嘴つるはしを振っていたという。私兵が襲うどころか、いつも通り懸命に山を掘っていた。ヴェイルの脅しは俺たちを離れさせて、一対一で戦うための嘘、というわけだ。


 その騎士たちが今、坑口の前で立ち尽くしている。


 主家の騎士団長の骸を前に、誰も動けない。何が起きたのかまるで飲み込めていない顔だ。


「……だ、団長……? なんで……」


 若い騎士の声が震えている。こいつらは本当に何も知らない。それだけは顔を見れば分かった。


「詳しい話は必ずします。今はソラの治療を最優先に……」

「もう大丈夫だ。それよりもドレイクを――」

「駄目よ! まだ傷だらけ。それにかなり消耗しているわ」


 怒られているのか? というくらいの剣幕。


 アリアは俺を抱え込むように座り、頭を膝の上に乗せる。


「では皆さん。私から、事の顛末をお話しします」


 そう言うと、アリアは俺の治療をしながら、ベルモント子爵家の騎士たちと、鉱夫たちに向けて説明を始めた。


 俺はされるがまま、その膝の上で治療を受け――気づけば、そのまま眠りについていた。


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さあて、こうなるとアリアの手腕が頼りだねぇ!
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