第64話 呪い
ベルモント子爵家の騎士団が来てから、アストレアは目に見えて変わり始めた。
ドレイクが連れてきたのは五十人の騎士と、騎士団長のヴェイル・カルマイン。本人を合わせて五十二名。寂れた街にはそれだけで大所帯だ。
騎士団が守ってくれるなら――そう思った者たちが、近くの街からぽつり、ぽつりと戻ってくる。本当に少しずつだが、閉じていた店の戸が開き、通りに人の声が増えていく。
五十人の騎士は時に採掘まで手伝ってくれた。
「そこは支保が先だ! 順番を守んな!」
「はいっ!」
エルツの怒鳴り声に、鎧を脱いだ騎士たちが素直に従う。慣れない鶴嘴を握り、汗まみれになって石を運ぶ。偉ぶるところがまるでない。
その噂が広がったんだろう。騎士団が来て十日もすると、鉱夫は二十人になっていた。
山に槌音が増え、街に人が戻る。誰もが思い始めている。このままいけば昔に近づけると。
風向きが変わったのはそれから間もなくのことだ。
街の周りに賊が出るようになった。
最初は行商人が荷を奪われたという話。次は街道で旅人が襲われる。さらには、鉱山に戻ろうとした者まで。そして街の騎士団が討伐に出て――死者と手負いを出して退いた。
賊の数は多い。装備は良く、動きは訓練されている。
「ただの野盗じゃない」と、生き残った従士が青い顔で語ったという。
聞けば、街の騎士団で正規の騎士は団長ただ一人。あとは騎士見習いと従士だけで編成されているらしい。数でも装備でも練度でも、賊に届かない。
街道が危ないと聞いて、来かけていた者が引き返したという話も届く。戻りかけていた人の流れがまた止まる。灯りかけた街の火がまた細くなっていく。
その夜、ドレイクが屋敷を訪ねてきた。
「セレスティア卿。単刀直入に言おう。街と周辺の守りをうちの騎士団に任せてはくれないかね」
応接の間。俺とアリアも部屋の隅に控えていた。
「五十の騎士を連れてきて、山の手伝いだけでは宝の持ち腐れというもの。賊ごときすぐに掃除してみせよう」
どこまでも親切な申し出だ。だが、ヴィクターは長いこと黙っていた。それから静かに頭を下げる。
「ご厚意、痛み入る……だが、街を守るのは領主の務め。この一線だけは、他家の手を借りるわけにはいかん」
ドレイクは気を悪くした様子もなく、朗らかに笑った。
「いや、出過ぎたことを言った。卿の心意気は見事だ。気が変わったら、いつでも言ってくれたまえ。我々はいつでも手を貸す」
そう言って、来た時と同じ笑顔で帰っていく。
俺には断る理由がよく飲み込めなかった。五十の騎士が守ってくれるなら、それが一番早いだろうに。
「ソラ。軍閥貴族が他家の騎士団に街を守ってもらうということはね――」
部屋へ戻る廊下でアリアが静かに言った。
「その街が事実上、その家のものになりかねない、ということなのよ。守っているのは誰か。皆はそこを見る。一度預けた信用は簡単には返ってこないの」
実効支配、とアリアは言う。
セレスティア子爵家が宮廷貴族であれば、喜んで受け入れただろうと。なぜなら住民からの信用がなくなっても、実行支配されたとしても、住みづらくなれば、最悪転封してもらえばいいだけ。しかし、軍閥貴族は違うという。先祖代々からの土地だからその選択肢はないのだと。
とにかく、アストレアとその周辺はセレスティア子爵家が守らなければならないということだけは分かった。
「ベルモント子爵のご厚意に他意はないと思うわ。でも、受けるかどうかは別の話。父様は領主として正しい線を引いたのよ」
だが、正しい線は重い。
それからのヴィクターは目に見えて口数が減った。夜、執務室の灯りが消えるのは日ごとに遅くなる。食卓でも匙の進みが鈍い。賊の報せが届くたびに眉間の皺が深くなっていった。
俺でもヴィクターの狼狽は見て取れた。
それを娘のアリアが、
お節介焼きのアリアが、
責任感の強いアリアが、
セレスティア子爵家のアリアが、見逃すはずもなかった。
ある朝、アリアがヴィクターの執務室の扉を叩いた。俺も隣にいる。
「父様。近ごろ、あまり眠れていらっしゃらないでしょう」
ヴィクターが顔を上げる。目の下にはうっすらと隈が浮いていた。
「……何の話だ」
「賊の討伐、私とソラに行かせてください」
ヴィクターの眉が動く。
「……ならん。街の騎士団が退けられなかった相手だぞ」
「その騎士団より私たちは強い」
アリアは一歩も引かない。
「マウガの大群とガルムラーグを二人で止めました。氷刻星将様の部隊でも働きを認められています。数と練度で勝る賊が相手なら、なおさら騎士団を出すべきではありません。犠牲が増えるだけです」
ヴィクターはしばらく、アリアを見つめていた。それから俺に目を移す。
「……ソラ。アリアを頼むと言ったな」
「ああ」
「賊は、まともな相手ではないぞ」
「知っている。だが、俺たちの方が強い」
ヴィクターがふっと息を吐いた。皺が少しだけ緩む。
「……頼む」
「任せろと言っている」
賊の居所を探すのは俺の仕事だ。
街道沿いの高台に登り、【天瞰眼】で一帯を『視』る。三か月、斥候で鍛えた眼だ。まとまって潜んでいれば、見つけやすい。さらに集中すれば、魔力が溜まっているところや、その流れまでも分かってくる。頭痛は必至。でも、隣にはアリアがいる。
半日とかからず見つけた。街道を見下ろす岩場の陰。数は五十を超えている。セレスティア子爵家の騎士団より多いというのも分かる。
「アリア――」
「分かってる」
言う前に遮られる。アリアと目が合うとどちらともなく笑みが零れる。言葉などいらなかった。
小細工はいらない。
【天翔纏】の金と、【聖翼纏】の銀。二つの光が岩場の陰へ真っ直ぐ駆け込んだ。
賊は確かに練れていた。見張りがいて、連携があって、退き際も知っている。だが――それだけだ。氷刻星将の正規騎士にも、ガルムラーグにも届かない。まして二人がかりの俺たちには。
金の残像が先頭を薙ぎ倒す。囲もうと回り込む影は、【天瞰眼】が先に捉えている。どこから来るか分かっている攻撃など攻撃のうちに入らない。俺が崩し、銀の刺突がその隙間を正確に縫う。斬り伏せ、打ち倒し、また次へ。
連携も、地の利も、数も――俺たちの前では意味を失った。
乱戦は長くはかからなかった。
幾人かは脱兎のごとく、岩場の裏へ散って逃げた。深追いはしない。それに生きている賊を縛る時間も要る。
「こうやって二人で賊を倒すと、思い出すわね」
「何をだ?」
「ガルドレアで初めて二人で賊を倒したときのことよ」
「…………」
あの日を俺は忘れたことはない。アリアが母の形見と言った銀の髪留め。あの銀はセレスティア子爵家の銀山で採掘されたものなのかもしれない。
代わりにアリアの艶やかな銀髪には、黒くて歪な髪留めが今も鈍く輝いている。それを見るたびに思う。同じ失敗は繰り返さない。だから俺が縛って話していても、互いに周囲の警戒を怠らない。
戦果は上々だった。
斬った賊の得物を検めてアリアの手が止まる。造りのいいまだ新しい刃で、西の様式の剣。アストレアの賊が持っていたものと同じ。関門の塩の樽から出てきたものと同じ。
アリアは剣を一本拾い上げ、長いことそれを見つめていた。何も言わない。ただ、その横顔は関門で情報を封じられた時と同じくらい硬かった。
♢
報せが屋敷に飛び込んできたのは、俺たちが戻ってすぐ――日が落ちる頃だった。
息を切らした鉱夫が玄関先で叫んでいる。
「た、大変だ! 仲間が一人、坑道から消えちまった!」
詳しく聞けば、昼、切羽で作業していた鉱夫の一人が、道具を取りに主坑道へ戻ったきり帰ってこないという。皆で坑道を探したが、姿がない。声も、争った跡もない。ただ、消えた。
俺とアリアが賊を討っていた、ちょうどその頃だ。
この山に通い始めてから人が消えたことは一度もない。俺たちが山を離れた、そのわずかな間に、一人が消えた。
「行くぞ」
「ええ」
坑口には青い顔の鉱夫たちが集まっていた。エルツが皆を落ち着かせている。消えた男が最後に見られたのは、主坑道の入り口近くだという。
その場に立って俺は【天瞰眼】で坑道の奥を『視』る。
何もない。人の魔力も、生き物の気配も。初めて入った日と同じ、空っぽの闇だけだ。坑口を出て、風上に顔を向けた時――鼻の奥にそれが引っかかった。
鉄錆に似た薄い匂い――血だ。
「ソラ?」
「……こっちだ」
アリアには嗅ぎ取れないらしい。俺は匂いを辿って、麓を下った。岩場を回り、山の斜面の低木の陰を抜ける。匂いが少しずつ濃くなる。【天瞰眼】が一つの足跡を拾ってそれを追う。
そして、それはあった。
銀山の麓。人目につかない窪地に真新しい盛り土。
周りの地面と色が違う。掘り返して埋め戻して、まだ時間も経っていない土だ。
俺は膝をつき手で土を掻き分けた。
塩の樽の時と同じで躊躇わない。
冷たい土の下から布が見えた。
作業着の袖。
その先に土に汚れた手。
掘り出したのは消えた鉱夫だった。
息はない。胸に刃物の傷が一筋――殺されていた。




