第62話 銀山
オルセアを発って二日。俺とアリアはアストレアの門をくぐった。
三か月ぶりの街は相変わらず静かだ。人はまばらで店の半分は戸を閉じたまま。それでも門で俺たちを迎えた兵の腰には、あの真新しい剣があった。賊から取り上げた西の様式の剣だ。ちゃんと使われている。
「アリア様! お戻りでしたか」
兵が頭を下げる。その顔は前より少しだけ明るく見えた。
館に着くとアリアが父と母に事情を話した。学校へ戻る前にしばらく世話になりたい。それから――銀山に入りたいと。
父は長いこと黙っていた。厳しい目でアリアを見て、それから俺を見て、またアリアに戻す。
「……好きにしろ。ただし無理はするな」
それだけ言うと俺に向き直る。
「私はヴィクター。ヴィクター・セレスティアだ」
俺は以前名乗った。でも、再度名乗らないといけない気がした。
「ソラだ」
「娘を頼む」
「任せろ」
短い挨拶を交わす。
夕食の席でリオンが俺の向かいに座った。
前に来た時は途中からずっと睨まれていた覚えがある。今日も同じ。
「リオン。この前のマウガの群れの話をしたかしら?」
アリアが匙を置いて言った。
「群れの奥にガルムラーグという大型の魔物がいたの。マウガの群れを東へ追い立てていた元凶よ。それを仕留めたのがソラ」
俺というより二人でだ。訂正しようとしたら、テーブルの下で足を軽く踏まれた。アリアは涼しい顔をしている。
リオンが目を見開いて俺を見た。
「……あの群れ、こっちに向かってたって兵の人たちが言ってた」
「ええ。止められなければアストレアに届いていたわ。そしたらきっと……」
リオンはしばらく黙り込む。それからぼそりと言った。
「……ありがとう……ございました」
小さいがはっきりした声だった。頭も下げている。厳格なヴィクターに育てられただけのことはある。筋の通し方を知っている。
「別に。魔物がいたから斬った。それだけだ」
「……ふん。でもありがとう」
顔を上げたリオンはまだ少しだけ複雑そうな顔をしている。だが、前みたいに睨んではこなかった。
♢
翌朝から銀山に入った。
街の南西。麓の柵と朽ちた立て札を越えると山肌にぽっかりと坑口が開いている。板で塞がれていたのをヴィクターの許しを得て外した。ただ――いくつかの坑口はすでに板が外れていた。風で飛んだのか、動物が取ったのか、あるいは……。
中は暗い――そして広い。
人が五人は並んで歩ける幅の坑道が山の腹へ向かってまっすぐ延びている。天井も高い。荷車がすれ違えるように掘られたんだろう。壁には掘り跡が幾重にも走り、ところどころに朽ちた坑木が組まれていた。
「灯りはつけないわよ」
入る前にアリアが言った。
「坑道の奥は空気が薄いの。それに、ガスが溜まっている場所もある。火は厳禁よ」
だから灯りは魔力で作る。
俺は掌に金色の光を灯した。アリアは銀色の光を。二つの光が暗い坑道をぼんやりと照らす。
並んで歩くと金と銀の光が壁の上で混ざり合う。
いや――混ざらない。
触れ合っているのに互いを侵さない。金は金のまま、銀は銀のまま、境目で静かに並んでいる。
俺の金の魔力は他の魔力を喰う。それはこれまで何度も見てきた。だが、アリアの銀だけは喰わない。
剣戟を重ねている時から違うと思っていた。【天翔纏】と【聖翼纏】は稽古で何百回も交錯している。それでも俺の金がアリアの銀を侵したことは一度もない。
なぜかは分からない。分からないが悪い気はしなかった。
「この銀山はね、世界でも有数の規模だと父様が言っていたわ。鉱脈はまだ眠っているの。掘り尽くしたわけじゃない。人が入れなくなっただけ」
人が入れなくなっただけ。
その言葉の重さを確かめるみたいに俺たちは奥へ進んだ。
初日は何も起きなかった。
魔力の光が届く範囲を検め、枝分かれする坑道の入口を数え、来た道を戻る。それだけだ。人が消えたという山は拍子抜けするほど静かだった。
♢
二日目も、三日目も、俺たちは山へ通った。
銀山は思っていたより、遥かにデカくて深い。
主坑道から枝が分かれ、枝からさらに細い坑道が延びる。上へ登る坑道もあれば、地の底へ潜る竪坑もある。一日かけて歩いても検められるのはほんの一区画だ。
アリアがヴィクターから借りた古い坑内図に歩いた道を一本ずつ書き込んでいく。図の上の線は少しずつ増えていくが、白いままの場所の方がまだ圧倒的に多い。
「……広いわね。全部見るのにどれだけかかるのかしら」
アリアが図を睨んでため息をつく。
俺は歩きながら、時折【天瞰眼】を使った。
金色の視界で坑道の奥を『視』る。生き物の気配でもなんでもいい。いつもと違う何かを探す……が、何もない。
岩は岩のまま、闇は闇のまま。生き物ひとつ視えなかった。
鉱夫が何人も帰ってこなかった山だ。何かがいるはずなのだ。骨のひとつも残さず人が消えるなんて、普通じゃない。
なのに何もない。
そう思ったとき、金の眼があるものを捉えた。
「なんで……これが……?」
俺が目を細めていると、アリアも白銀の光を近づける。
「……人の足跡……? 閉山しているというのに比較的新しい……」
誰かいるのか?
【天瞰眼】を使いながらその足跡を辿る……が、足跡は途中で折り返し出口へと向かっていた。
「誰か迷い込んだのかしら?」
「朽ちているとはいえ立て札があるのにか?」
「そうよね……封鎖もされているし……でも、板が外されているところもあったから……」
結局、この足跡の正体は分からずじまい。
それからも、【天瞰眼】でいくつかの足跡を見かけるが、どこかに潜んでいる様子もなく、奥に向かっては折り返すだけ。銀を採掘された様子もない。ただ、見て回った――そんな雰囲気だ。それが逆に薄気味悪かった。
「今日も特に変わったことはなかったわね」
四日目の帰り道、アリアが坑内図を畳みながら呟いた。
見つけたのは足跡くらい。それもかなり前のものだ。
「ああ……静かすぎるくらいだ」
夕暮れの坑口を出ると麓に人影があった。ヴィクターだ。腕を組んで俺たちを待っていた。
「どうだ」
「今のところ何も。ただ、広すぎて回りきれていません」
アリアの報告にヴィクターは短く頷いた。それから山を見上げる。
「……鉱夫たちはどうしている」
「それが……」
アリアが言葉を濁した。
♢
鉱夫はもうほとんど街にいない。
山が閉じて、仕事を失って、多くが街を出た。残っているのは歳で動けない者と、ほんのわずかな者だけ。
その残ったわずかな者たちも山には近づかない。
「ごめんだね。あの山は呪われてる」
街で訪ねた老鉱夫は、はっきりとそう言った。
「入った仲間が何人も帰ってこなかった。騎士様が調べても何も出なかった。それでも人は消えた。あれは人の入っていい山じゃなくなったんだ」
呪い。
俺たちが何日通っても無事だった、と言っても老鉱夫は首を振るだけだった。
「あんたらが強いからだろう。わしらみたいなただの鉱夫が入ればまた消える……悪いが命あっての物種だ」
誰も山に入らない。掘る者がいなければ銀山は開かない。銀山が開かなければ、街は立ち直れない。
「なら、俺たちで掘るか」
俺が言うとアリアが呆れた顔をした。
「駄目よ。採掘は素人がやっていい仕事じゃないの。掘っていい場所も分からずに掘れば、落盤を起こすわ。私たちが生き埋めになるだけならまだしも、坑道そのものを潰したらそれこそ取り返しがつかない」
それもそうか。俺は剣なら振れるが鶴嘴のことは分からない。
手詰まりだ。
その夜、館の食堂でヴィクターが口を開いた。
「……明日から私も山に入る」
アリアが顔を上げた。
「父様?」
「当主の私が自ら入って無事に帰る。それを毎日続ける。安全だとこの身で示す以外にあるまい」
厳しい顔のままヴィクターは淡々と言った。
言葉は少ない。だが、やろうとしていることの意味は俺にも分かった。誰も信じないなら自分の体で証明する。街のために。
アリアが何かを言いかけて、飲み込んで、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
そこへ、リオンが食堂に入ってきた。手に一通の書簡を持っている。
「父様。ベルモント子爵家より書簡が届いております」
ヴィクターが封を切り目を通す。その眉がわずかに動いた。
「……なんと書いてあるのですか」
アリアの問いにヴィクターは書簡を差し出した。アリアが受け取り、読み上げる。
「『銀山の一件、かねてより案じておりました。貴家が再開に向けて動かれると聞き及び、ぜひ力添えをしたい。銀山が安全であることを世に証明するため、当家からも人手をお貸ししよう』……」
アリアが顔を上げた。
「ベルモント子爵が手を貸してくださるそうです」
その声には驚きの色。
「……ありがたい話ね。人手さえあれば山は動かせる……そう、ありがたいことなの……これは……」
隣で聞きながら俺も素直にそう思った。あの朗らかな領主か。歓楽街で会った気のいい男。縁談は断られても笑って引き下がった。困っている隣の家に手を貸す。
しかし、再度アリアを見ると、表情に変化が表れていた。
そして、小声で誰にも聞こえないような声量でつぶやく。
「でも、西の剣はルパナルに渡って……」
窓の外では、南西の山が夜に沈んでいた。




